時論公論 「原発事故 刑事責任追及の壁」2013年09月10日 (火)

橋本 淳  解説委員

東京電力福島第一原子力発電所の事故から、あすで2年半。
検察は、東京電力や政府関係者に過失がなかったか捜査を進めてきましたが、「刑事責任は問えない」として不起訴にしました。深刻な事故からの避難が続く中、「誰も法的な責任を負わなくていいのか」といった声も聞こえてきます。
何が捜査の壁になったのでしょうか。
 
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不起訴になったのは、菅直人元総理大臣ら当時の政権幹部のほか、東京電力の勝俣恒久前会長や清水正孝元社長など40人余りに上ります。
 
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福島第一原発の事故を巡っては、複数の市民グループが、「事故を防ぐ対策を怠り、多数の住民を被曝させた」として、業務上過失致死傷などの疑いで告訴や告発を行いました。このうち、福島県の住民を中心とした告訴団には、1万4000人以上の市民が加わりました。平穏な暮らしを奪われた住民の感覚からすれば、「あれだけの事故を起こして誰もおとがめなしでいいのか」という思いが強く、これに共感する声が全国に広がったのです。
 
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では、検察が不起訴にした理由を、政府関係者と東電関係者に分けて見ていきます。まず、当時の政権幹部です。
 
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原発が津波に襲われた後、原子炉格納容器の圧力を下げる「ベント」という作業を急がせなかったため、水素爆発を招いた疑いがあるとして告発されていました。
これについて検察は、「当時は、ベントを実施するための手順の確認や装備の準備に時間がかかっていた。仮に政府がもっと早い段階でベントを命じたとしても事故を回避できなかった」として、過失は認められないと判断しました。
 
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このように事故が現実に差し迫った緊急事態の局面では、関係者は当然、事故が起きないように対処しますから、刑事上の過失責任を問うのは通常は難しいというのが、専門家の一致した見方です。例えば、原子炉の冷却作業を怠るといった明らかに不合理で悪質な対応がない限り、犯罪には当たらないというわけです。
 
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そこで検察が注目したのは、緊急事態に至る前の段階で、東京電力の津波への備えに落ち度がなかったのかという点です。
東電は、大津波の発生を事前に予測できたのではないか。告訴や告発をした住民側の疑念も、そこにありました。
そうした危険性の予測を、法律用語では、「予見可能性」と言います。予見可能性があったのに事故を防ぐ対策を怠れば過失と見なされ、犯罪が成立します。
これが立件への最大のハードルでした。

では、福島第一原発の津波への備えはどうだったのでしょうか。
 
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東電は、津波の高さを最大で5.7メートルと想定していました。これは、過去に福島県沖で起きたマグニチュード7クラスの地震をもとに、はじき出した数字です。ところが平成14年に、政府の地震調査委員会が、想定を上回る新たな見解を発表します。その内容は、「さらに沖合の日本海溝沿いで、マグニチュード8.2程度の地震が発生する可能性がある」というものでした。
これを受けて東電は、事故の3年前の平成20年に試算を行い、津波の高さが最大で15.7メートルに達するという結果を得ていました。実際に原発を襲った津波は13メートルでしたから、防潮堤を築くとか非常用の電源を高台に移すといった対策を取っていれば、最悪の事態を防げた可能性があります。

問題は、その試算結果をもって、東電に「大津波の予見可能性があった」と言えるのかということですが、検察の判断は、「予見可能性なし」というものでした。つまり、マグニチュード8.2の地震を警告した地震調査委員会の見解だけでは、直ちに予見可能性を認めることはできないというわけです。

これは、どういうことなのでしょうか。
理解を深めるために、当時の津波想定のルールを見てみます。
 
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原発の耐震設計に関する国の審査指針では、津波をどのように想定するか、具体的な方法は定められていませんでした。このため電力各社は、土木学会がまとめた「原発の津波評価技術」という手法を使い、国の審査を受けていました。
東電が想定した5.7メートルの津波も、この手法に基づいたものだったのです。
ところが、15メートルの津波の試算のもとになった地震調査委員会の見解は、津波評価技術に反映されませんでした。過去に地震の記録がなく、科学的なデータや根拠が足りないという理由からです。国の防災対策をまとめる中央防災会議も地震調査委員会の見解を採用せず、当時は、専門家の間で意見が分かれていたのです。
 
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東電側は、こうした経緯を拠り所に、「試算した15メートルの津波は、実際には来ないと考えていた」と予見可能性を否定していました。
予見可能性は、漠然とした危惧感や不安感では足りず、より具体的な危険性の認識が必要とされています。検察の立場からすれば、専門家の多くが大津波の危険性に警鐘を鳴らしているような状況がないと罪には問えないという判断でした。
巨大な自然災害を予測することの不確実さが、事件捜査の壁になった形です。

さらに、その背景として、国の指針に津波想定の具体的な方法がなかったことが捜査を難しくした面もあります。明らかに法令に違反する行為があれば、過失を証明しやすいからです。

しかし、そもそも、津波想定のそうした運用が妥当だったのかという根源的な問題が残されています。
 
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東電や国は、従来の運用で安全だと思いこんできた姿勢、いわば、原発の安全神話にとらわれていたことが、これまで厳しく批判されてきました。国会の事故調査委員会も、去年7月にまとめた報告書の中で、「何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、事故は自然災害ではなく明らかに人災である」と指摘しています。これは、東電や国が、津波の想定を土木学会の手法に頼るあまり、一部の専門家の意見に謙虚に耳を傾けられなかったことを教訓として示したものでもあります。
このため、原発の新たな規制基準では津波対策が大幅に強化されましたが、地震や津波の新たな知見が出た場合に、これをどのように反映し、より安全側に立って対応できる法令やルールをいかに整備するのか、検察の捜査から改めて見えてきた課題です。

今回の事故では、高い放射線に阻まれて十分な現地調査ができず、事故原因に関わる未解明の部分が多く残されています。汚染水の問題を含め、真相究明のための調査を今後も継続して進めるとともに、東電の対応などをめぐって人為的なミスの疑いが出てくれば、徹底した捜査を望みたいと思います。

住民の思いが叶わなかった今回の不起訴処分。
住民側はこれを不服として、検察審査会に審査を申し立てる方針です。
検察審査会の審査員は、裁判員と同じように国民から選ばれますので、市民の感覚で不起訴の是非をどう判断するかも注目されます。
 
(橋本淳 解説委員)