ドメスティックバイオレンス(DV)をめぐって、ニ00一年十月にDV防止法が施行された。この法律によって、それまで「夫婦間の問題」として見過ごされてきたDVが、「犯罪」となった。法律の柱は、地方裁判所が接近禁止や住居退去を命じる保護命令制度であろう。保護命令が出されれば、加害者は被害者の身辺につきまとったり、被害者の住居や勤務先を徘徊することを六ヶ月禁止されるか、あるいは被害者とともに生活している住居から二週間退去しなくてはならない。これに違反すると一年以下の懲役、または百万円以下の罰金が科されることになった。
このDV法が施行されてから約三年が経つ。DV防止法については法律が成立した段階で「この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行状況等を勘案し、検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする」とされていた。このため今、国などではDV法の見直し作業が急ピッチで進められている。 DVは、いまや随分と聞きなれた言葉になったが、一般的に「夫や元夫、婚約者、恋人など親密な関係にある男性から女性への暴力」とされている。
しかし一口に「暴力」と言っても、その形態は多様だ。 平手で打つ、足で蹴る、刃物などの凶器を身体に突きつける、髪を引っ張る、首を締める、腕をねじる……など、直接的に身体に何らかの暴力を加える「身体的暴力」。あるいは、大声で怒鳴る、「誰のおかげで生活できるんだ」などと言う、実家や友人とのつきあいを制限する、何を言っても無視をして口をきかない、生活費を渡さない、子どもに危害を加えるといって脅す……など、心無い言動などにより相手の心を傷つける「精神的な暴力」。さらには、見たくないのにポルノビデオやポルノ雑誌を見せる、嫌がっているのに性行為を強要する、中絶を強要する、避妊に協力しない……など、「性的な暴力」。
これらの暴力は、単独で起きることもあるが、多くは何種類かの暴力が重なって起こっている。 そしてもちろん、このDVの問題は、ごく一部の人たちだけの問題ではなく、私たちにとって非常に身近な問題であるということを忘れてはならないだろう。
内閣府男女共同参画局が、平成一四年度に「配偶者等からの暴力に関する調査」を実施したところ、配偶者や恋人から"身体に対する暴力を受けた"と答えた女性は一五・五%。"恐怖を感じるような脅迫を受けた"女性は五・六%。"性的な行為を強要された"とした女性は九・0%。しかも身体的暴行、心理的脅迫、性的強要のいずれかをこれまでに一度でも受けたことのある人は、女性の一九・一%に達した。つまり女性の約五人に一人は、何らかのDV被害を受けたことがあるということになる。DV法施行後も依然として被害は深刻で、今やDVは私たちにとって身近な問題となっている。
DVは、暴力が起こる「爆発期」、謝罪をして親密な関係が復活する「ハネムーン期」、怒りが溜まって張り詰めた雰囲気になる「緊張期」という三つのステージ、暴力のサイクルを繰り返しながら、徐々に過激さを増していく。
私もかつて、DVについて取材したことがあった。 ある夫婦に子どもが生まれた。しかし精神的に幼稚だった夫は、妻が子どもの世話に忙しくなったことを受け入れられず、寂しさなどからある日、妻に手を上げた。初めは数ヶ月に一回だった暴力は、次第に一ヶ月に一回、一週間に一回、二日に一回……とその頻度を増していった。夫の暴力に耐えかねた妻は、子どもを連れて実家に帰った。夫は妻を追いかけ、二度と暴力を振るわないことを条件に、以前のようにまた一緒に生活するようになったものの、暴力は収まらなかった。そのため妻は再び子どもとともに夫の元を去り、ついに離婚を申し出て、家庭裁判所で離婚調停が始まった。しかし調停の場で妻の居場所を知った夫は、子どもを無理やり連れて帰った。最愛の子どもを奪われた妻は、仕方なく調停も途中にしたままで夫の元へ戻ったが、暴力は毎日のように繰り返された。そして今度は子どもと一緒にシェルターに避難。その後この妻は、シェルターの支援などを受けて、何とか就職先を見つけ他府県で生活している。しかしながら、自分の居場所を夫に知られては困ると、今も入籍したままの状態で法的な離婚は成立していない、という。
このケースでもわかるように、妻は夫の暴力から何度も逃げようとするものの、なかなか逃げ切ることができないのだ。なぜか――。暴力が長期間にわたって日常的に繰り返されると、女性はだんだんと精神的に追い詰められ、自信をなくして何かをするという気力さえ衰えてしまうからだ。また、逃げればもっとひどいことをされるという恐怖、家庭生活をうまくすすめられないのは自分が至らないからだという気持ち、どんな父親でも子どもには必要だという思い、経済的に自立できないのではないかという不安、安全な避難所がない……なども逃げられない理由として存在している。さらに、暴力を繰り返し受ける中で、自分がDVの被害者であるという認識をもつまでにも時間がかかるという指摘もされている。女性は、逃げないのではなく、なかなか逃げられないのが現状なのだ。
インターネット上でも、DV被害に苦しむ女性たちの叫び声が聞こえてくる。 "妊娠させられた。おなかに子どもがいるときに殴る、蹴るの暴力。強制的なセックス。首を締められた""夫は仕事が忙しくなると精神的にもろくなり、脈略もなく難癖をつけて、私を殴り蹴る。髪の毛の生えている部分とわき腹や腹部など、見えないところにだけ暴行を加える。次の日には謝ってくれる"頭、顔、体全体を腫れるまで殴られる。殴りだしたら気が狂ったようになり、なかなか止められない""家庭内の災いはすべて『お前がバカだからだ!』とまくしたてられ、無力化させられた"……。暴力の実態は凄まじい。
また、助けを求める叫び声も響く。 "助けてほしい""暴力を受けているときにどうしたらいいのかなんて、わからない。『警察に連絡してください』といわれても、押さえつけられて殴られているときに、どうやって電話したらいいのでしょう?自分でも判断力が鈍っているのがわかります。こんな時に、離婚も別居も決断するのは難しいです""結局、みんな見て見ぬふりをする。相談しても『よく話し合って』とか、『あなたにも原因があるのかも』とか――""いつ殺されてしまうのだろうかと、いつも緊張している""暴力によって一度でも受けた傷は、簡単にぬぐいされるものではない"……。深刻な被害が続いている。
さらに、DVは子どもたちにも影響を与える。 暴力は女性だけでなく、多くの場合、子どもにも向けられる。また母親に暴力を振るう父親を止めに入って、子どもが巻き込まれ、けがをすることもある。
一方で、暴力を受けることによって母親の子育てへの不安が増大して、子どもの面倒が十分に見られなくなったり、子どもに対して暴力を振るうことにつながるケースもある。
こうして父親が母親を殴ったり暴言を浴びせるのを見て、子どもたちは傷つき、不安を覚える。 その結果、子どもたちは、「母親を守れなかった」と自分を責めしまい自己評価を低下させたり、家族がバラバラになることへの不安からひきこもりになってしまう。あるいは、行動のコントロールが効かなくなるなどの症状が現れることもある。就学時の場合は不登校の原因ともなってしまう。
また、攻撃的な行為が対人関係を保つ上で有効な手段であると考え、暴力的方法で問題を解決することを学ぶ子どももいる。親から子どもへ伝わる「暴力の世代間連鎖」の可能性が高いともいわれている。「暴力を目撃して育った男の子は、そうでない過程の子どもよりも、将来のパートナーに暴力を振るう可能性が高く、反対に女の子は、身体的虐待にさらされやすく、かえって暴力を愛情表現と捉えてしまう」という研究結果も報告されている。 このように、DVは子どもたちにも深刻な影響を及ぼすのだ。
今さら言うまでもなく、DVは女性に対する、あるいは子どもたちに対する、人権侵害である。 この重大な問題を防止すべくDV法が施行されたわけだが、現行法では保護の対象は被害者本人に限られているため、法律の見直しを前に、今保護対象の拡充を求める声があがっている。DV防止法の趣旨は、あくまでも被害者の生命身体の保護であるが、保護対象を子どもなど「直系または同居の親族」にまで拡充すべきだとの声が、あがっているのだ。 もちろん、現在の法律で何ができるのか、どのようにすれば被害者が守られるのか、を考えていくことが重要であると思うが、私個人としては、被害者を支える人たちをしっかりと守ってこそ、被害者自身を守ることにつながるのではないかと考えている。
そして、それにあわせて加害が暴力をやめるための支援を充実させていくことも必要だと思う。すでに現在でも、男性の加害当事者のみが参加して、自らの暴力体験を振り返り、原因は何だったのか、どうすればやめられるのかなどを冷静に考える場の提供などが行われている。被害者の心身の痛みを知るためのロールプレイ、怒りの感情表現のトレーニングなど多様なプログラムが用意されている。
こうした専門的な治療を受け、暴力の連鎖を断ち切るための支援体制を整備することも急務なのではないだろうか。 そしてなによりも、DVを生みだす社会構造――「男は仕事、女は家庭という意識」――を変えていくことこそが重要だと思う。このような意識が存在することで、多くの場合女性の経済的な自立が妨げられ、「依存する側」と「依存される側」の関係が生み出されてしまう。その結果、「依存する側」の妻は「依存される側」の夫の要求に応じるのが当たり前である、とDVに発展することも少なくない。
さらに、その意識を変えることは、男性たちをDVの加害者となることから救うことにもなると考える。 今の時代はかなり変わってはきたものの、これまで男性は、幼い頃から「強いこと」、「泣かないこと」、「言い訳をしないこと」などを求められて育てられ、大人になってからも「勝利者、成功者」であることを求められてきた。このような「素直な感情表現などを学んでこなかった男性たちの『自分自身の弱さを認められない』『自分をうまく表現できないこと』が、女性への支配や暴力となって現れる」と指摘されているのだ。
このことから考えても、ジェンダーフリーの意識を定着させることこそが、DV問題の解決に最も重要なのではないだろうか。
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