『金曜日』で逢いましょう 週刊金曜日 2003.9.27(477号)掲載 |
今から二年前、青木和代さん(五四歳)の人生は一度失われた。「生きがいだった」という最愛の子どもの命が奪われたのだ。 交通事故の後遺症で左半身不随の障害を負っていた和代さんの次男・悠さん(当時一六歳)は、改正少年法が施行される前日、ニ00一年三月三一日に、顔見知りの一五歳少年と一七歳少年から「障害者のくせに生意気だ」と数時間にわたって暴行を受け、六日後に死亡した。加害少年らは、いずれも中等少年院に送致された。同年八月、和代さんは加害少年と保護者のあわせて五人を相手取り、総額一億円の損害賠償を提訴。今年七月に和解が成立した。 「親は誰でも子どもの幸せを願うものです。でも、私は悠ちゃんを幸せにできなかった、助けることができなかった。申し訳ないという気持ちが、私を突き動かしたのかもしれません」 事件後、和代さんは犯罪被害者支援の会「アピュイ」(代表理事・飯島京子)に入会して講演活動をするなど、全国各地をまわり命の大切さを訴えてきた。悠さんが中学校の卒業文集に書き残した「命を大事に」という言葉を代弁するためだ。 教育学部の大学生や少年の更生などにあたる保護監察官、罪を犯して医療少年院に入院している少年たち――。いろいろな立場や環境にある人たちに向かって、命を絶たれた悠さんの無念、愛する息子を失った親の悲しみを訴えてきた。 "命はそこに存在しているだけで、その人以外の人の存在も支えているのだということに気がついた。その命の温かさをすべての人に気づいてもらいたい"、"私は教師になって、命の大切さを伝えたい"……。和代さんの講演を聞いた少年たちの感想だ。和代さんの想いは、聞くものの心に確実に響いている。 そしてまた、和代さんは、はからずも命を奪われた、犯罪や交通事故などの被害者家族が、"生命の重さ"を伝えようと開いている『生命(いのち)のメッセージ展』の活動にも携わっている。メッセージ展は、被害者ひとり一人の等身大の人型パネルと、生きた証の象徴である遺品の靴をメイン展示に行われる。これまで全国各地で一八回行われ、和代さんも六回参加した。そして十月には、悠さんの事件が発生した地元滋賀県大津市で「生命(いのち)のメッセージ展in滋賀」が開催されることになり、和代さんは今、その準備に追われている。 次の世代を担う若者に、特に足を運んでもらいたい、と和代さんは考えている。 「すぐに『むかつく』とか『死にたい』という人がいるが、生きたかったのに夢も将来も絶たれた人たちの姿を見てもらって、『帰ることのない命の重さ』を感じ取ってもらい、命を大切にしてもらいたい。そしてできることなら、こんな悲しい犠牲者を生むことのない社会に変えるような原動力を持って、夢に向かって生きてほしい」 メッセージ展後も、和代さんの命の大切さを訴える活動は続く。一一月には、埼玉県で開かれるアピュイ主催のシンポジウムに、パネリストとして参加する予定だ。 「仕事や講演などが立て込むと、あまりの忙しさに、後ろから押されたら倒れてしまいそうになるほど、しんどいときもあります。でも、悠ちゃんの苦しみや悲しみを思ったら、弱音を吐いてはいられません。悠ちゃんのことや命の重さを訴えることで何かが変わっていけば、それこそが悠ちゃんの生きた証になるはず。これからも悠ちゃんにパワーをもらって一歩、一歩、前に進んでいきたいです」 悠さんの思い出を胸に、一度失われた和代さんの人生は今、二人分の重さを持って再生しようとしている。 |