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荻野目慶子・KEIKO OGINOME
1964年9月4日生まれ 血液型 A型
荻野目洋子の実姉。
1979年、舞台『奇跡の人』のヒロイン・ヘレン・ケラーの役を選ぶオーディションに合格し 芸能界入り。
その後はテレビ、映画、舞台とアイドル並みに幅広く活躍の場を広げた。 |
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慶子 |
わたしたちの兄妹四人は、それぞれ別々に見えるんだって。同じおなかから生まれたような感じがしないねって、昨日も言われたの。 |
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洋子 |
兄妹って、今わたしも母親やってみて、それぞれ最初から性格が違うっていうのは、まのあたりにしてるんだけど、それにしても、ホント、強制がなかったから。それぞれ、チョイスできたよね。でも、慶子ちゃん、なんで女優を選んだのかなあ。 |
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慶子 |
それは、あのときたまたま「劇団ひまわり」に入ったから… |
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洋子 |
でも、劇団って言ったって、はじめは何をするところかわからないじゃない。新聞広告だけじゃ。 |
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慶子 |
「ひまわり」って、そのころは、なんか、建物がボロいところで(笑)。 |
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洋子 |
そうそう、覚えてる。わたしが一緒についていったときがあって。 |
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慶子 |
パパと一緒に民謡習っていたせいか、完璧な発声だって。 |
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洋子 |
そんなことないって。わたしは末っ子だから、くっついて行っただけで。なんか、オーディションが面白そうだなって。 |
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慶子 |
それで、市川昆監督の、あの映画にも出演したじゃない。 |
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洋子 |
「獄門島」ね。あれも、ついてきて…(笑)。出てみない?って言われて(笑)。 |
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洋子 |
で、劇団に二人合格して、月謝の関係もあって(笑)、慶子ちゃんだけ通うようになって。でも、あのころ家が埼玉にあったから… |
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慶子 |
2時間くらいかかって。あのころの東上線って、武蔵嵐山から上り電車が1時間に1本しかなかったから、遅れたら、すごく大変だった。 |
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慶子 |
オーディションは落ち続けていたんだけど、中学三年生になったとき、「ガラスの仮面」の漫画の影響は強かった。オーディションが落ちても落ちても大好きで、中学三年のとき、これを記念に受験に入ろう。どうせ落ちるだろうって、思ってたら、たまたま合格できて。 |
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洋子 |
それが、あのヘレン・ケラー(「奇跡の人」)。 |
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慶子 |
そう、あれが受かってなかったら、やめてたよね。 |
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慶子 |
ううん。「阿修羅の如くPART2」のドラマと「海潮音」という小さな映画をやって、高校がかなり厳しかったから、「南極物語」までは3年のブランクがあった。 |
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洋子 |
けっこう、オーディション生活は長かったというか、大変そうだったよ。いっぱい落ちたって、後からママから聞いたけど。わたしはわたしで、4歳下だから、普通に学校に行って。でも、慶子ちゃん、雑誌の「小学6年生」の表紙とかには出てたよね。 |
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慶子 |
出てたよねぇ。で、ヨーたんはモデルとしては郵便局のポスターの「にこにこ…」から始まって、けっこう目立った… |
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洋子 |
郵便局じゃなくて、銀行ね。これも、ママと一緒について行ったら、スナップ撮られて使ってもらったりとか、そういうおこぼれ的なものはあったけど。仕事としては全然違うところから発生してきて。わたしは歌が好きだったから。(続く) |
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