特別企画 何だかとても楽しそう
あの世に行ったら、会いたい有名人【Part2】
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■沖雅也さんへ |
■大原麗子さんへ |
■田中角栄さんへ |
■ジャイアント馬場さんへ |
■津田恒実さんへ |
■堀江しのぶさんへ |
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沖くんと初めて仕事をしたのは、ドラマ『さぼてんとマシュマロ』('71〜'72年)です。当時彼は、別の映画の撮影で腕を折ってしまい、ドラマは無理かなと思いつつ見舞いに行ったんです。でも彼は痛いのを我慢して、懸命に腕を動かしてアピールしてくれた。明るい人柄と、「いい仕事をしたいんだ」という思いが伝わってきましたね。 |
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沖雅也さんへ
「スコッチ刑事よ、いまでもスリーピースが似合いますか」 |
岡田晋吉(『太陽にほえろ!』プロデューサー)
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その後、『太陽にほえろ!』では3年ほど一緒でした。あのドラマは長くやっていたこともあり、出演者同士が仲良くなりすぎていた。そこで彼には、「ある種の異分子として、まとまりの良さを壊してほしい」と頼みました。すると彼は撮影現場で、ずっと一人離れたところに立っているんです。徹底していましたよ。
ただ彼には凝り性というか、思い込みが激しい部分がありました。そのせいか、だんだんと体型を極端に気にするようになり、食事も満足にとらなくなってしまった。あの頃の沖くんは、まるで年をとるのを拒んでいるかのようでした。
その後しばらくして、彼から連絡がありました。撮影で京都にいたらしく、「もう元気になりました。また一緒にやらせてください」と言うので、安心していたのですが……。およそ1ヵ月後に自殺の知らせが入ったときはただただ驚いて、何も言葉が出ませんでした。
沖くんの遺書には「人は病む。いつかは老いる」という言葉がありました。彼は、美しくありたいという思いが強すぎたのかもしれません。もちろん、それを求めたのは私たちですし、沖くんも『太陽にほえろ!』ではスリーピースで決めたキザな“スコッチ刑事”になりきって、要求に応えてくれた。しかし、もしかすると僕が「異分子になってくれ」と言ったことも、彼を追い込んだ一因なのかもしれません。そうだとすれば、本当に申し訳ない。
沖くんはアクションの能力にも秀でていました。彼の運動能力には、どのスタッフも驚いていましたからね。完璧主義者の彼にとっては、年齢とともにアクションができなくなることも耐え難かったのでしょう。
彼のような俳優を、僕は他に見たことがありません。沖くんなら、歳を重ねてもきっと成長し続けられたはずなのに……。もしあの世で会えたなら、「歳をとるのも悪くないよな」と笑い合いたいですね。
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