今朝のニュースを聞いた日本人のほとんどが「2020年、自分はその時どこにいて何をやってるんだろう」って考えたと思うんだよね。この期間目標的な枠が私たちの人生にはめられた、ってことの意味はとても大きいと思う。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) September 8, 2013
まさに、「7年後には死んでるかもなぁ」と反射的に思いました。今日死ぬかもしれないわけで、7年後に自分が生きている保証なんてゼロです。では、何をして生きるか。
7年前、何をしていたか
7年後何をしているか、それを考える前に、7年前、何をしていたかを思い出してみます。今から7年前は、2006年です。ライブドア事件、偽メール事件、ワンセグ開始、Wiiの発売などなどがあった年です。
ぼくはそのとき、大学2年生でした。塾講師のアルバイトとサークルにのんべんだらりと時間を費やし、初めてできた彼女(今の妻)とリア充生活を謳歌して、無思考な日々を暮らしておりました。ホントに何にも頭働かせてなかったなぁ、と少々後悔に駆られます。もっと意識高めろよ、と伝えたい。
7年前の自分に「お前は7年後、ブログを書いてメシを喰っているんだぞ」と伝えても、「えー、ぼくは大企業に勤めてのんびり暮らす予定なんだけど」と一笑に付されていたでしょう。あの頃はリーマンショックの前で、まだ景気も良かったのです。
7年後、何をしているか
当時は相当無知だったとはいえ「7年後、自分はどう生きているか」という自分ごとの未来予測ですら、完全に外している点が、なんというか人生の妙味だと感じます。
というわけで、ぼくは自分が「7年後、何をしているか」を予想できる気がしません。ホームレスになっているかもしれないし、映画監督になっているかもしれないし、アイスランドあたりに住んでいるかもしれないし、公務員になっているかもしれない。難病にかかっているかもしれないし、そもそも死んでるかもしれない。これはもう、ほとんど予測は不可能です。
ただ、「7年後もブログは書きつづけていたい」という淡い願望はあります。ぼくは書くことが好きなので、死ぬまでは書きつづけたいわけです。生きていればとりあえず文章は書けるはずなので、これは案外実現できる未来予測なのかも。
これは変な考え方かもしれませんが、こうした問いを前にすると、ぼくは死について強制的に考えさせられます。そして、10秒後くらいに、「生きてるかもわからんし、とりあえず今を生きるのみだよなぁ」という健全な諦めに至ります。
これは我ながら、その通りだと思います。だって、今日死ぬかも知れないんですよ。7年後のことを妄想するのは楽しいですが、結局、人生は「今」しかありません。
みなさんは、7年前、何をしていましたか。7年後、何をしていると思いますか。今をどう生きようと思いますか。