善い生き方とは何か、考えてみました。
顧客のためにならない商品を売るビジネス
それはたとえば、「顧客のためにならない商品を売るビジネス」において。
金融でも住宅でもウェブ制作でも何でもいいですが、世の中には「顧客のためにならないけれど、売らなければいけない」という状況が存在します。つい先日も、ウェブ制作会社に勤めていた方で、「本当は必要のない機能をサイトに付けて、利益を少しでも上げようとする会社の姿勢が辛くて辞めた」と嘆く方と出会いました。あるあるですね。
このとき、そこで働く人々は、自分がやっていることが「悪いこと」だと知っています。そういう状況にあって、なおもその「悪いこと」をやりつづけなければいけないのは、非常に強い苦痛をもたらすものです。
もう少し離れた例としては、先日書いた「人殺し」にまつわる議論。なぜ人殺しをしてはいけないのか。それは、ぼくらが人殺しを「悪いこと」だと知っているからです。彼はもしも人殺しに手を出してしまったとき、それこそ生涯、その業を背負うことになります。
もしも人殺しが「人殺しは世の中にとって善いことで、何ら悪いことではない」と考えていたら、彼は罪悪感に駆られることもなくなるでしょう。けれど、そんな人は、人間である以上、存在しません。サイコパスと言われるような人々ですら、殺人が悪いことであることは承知で、なおも殺人を犯していると考えられます。
「悪いこと」をなぜやってはいけないのか
「悪いことをやってはいけない」のは、「社会的な罰を受けるから」ではありません。そういう生き方が、自分の生き方を悪いものにしてしまうからです。悪いことに手を出す人は、それがために自ら苦しみます。ついでにいえば、他者からの非難を受けることにもなります(でも、その苦悩はおまけみたいなものです)。
善い生き方というのは、「悪いことだと知っていること」から極力距離を置き、「善いことだと知っていること」に極力自分を近づけていく生き方だと、ぼくは考えます。
自分の内面的な善悪感覚を優先し、それに従って生きる、という生き方です。同時に、善悪感覚を錬磨するための努力も行いつつ。
ぼくはまだまだ「悪いことだと知っていること」から手を離すことができていません。アルコール、感情、執着心…修行が必要だなぁ、と日々感じております。