2020年夏季五輪の開催地は、日本時間8日未明、ブエノスアイレスで開かれる国際オリンピック委員会(IOC)総会の投票で決まる。五輪取材16年のベテラン、稲垣康介編集委員ら、現地で取材する担当記者5人で座談会を開き、3都市で争う招致レースの行方を予想した。
特集:2020夏季五輪招致■本命はどこ?
古田大輔 経済危機のマドリード、シリア情勢が不安なイスタンブール、汚染水問題の東京。敵失合戦の様相ですが、現段階で優位と見られている都市はどこでしょう?
稲垣 本来なら消去法で東京だと思ったが、汚染水問題がどう響くか。経済危機で一番出遅れていたマドリードが7月のIOC臨時総会から勢いを増してきた気がする。
平井隆介 マドリードが上手なのは、会見で財政状況をつっこまれても、回復基調にある経済指標を数字で示してきっちりと反論するところ。説得力がある。3回連続の立候補で、もう8割方は競技場を造ったという強みもある。経済が不安定でも、実はインフラ整備は安定している。
中村真理 東京招致委の人は「マドリードは戦略がうまい」と。自分たちは安心な選択肢だ、と打ち出している。これはもともと東京のセールスポイントだったはずが、汚染水問題もあって、マドリードこそ安心な選択肢と印象づけることに成功した。フェリペ皇太子の積極的なロビー活動で勢いもある。
稲垣 五輪は7年後だけれど、準備も含めるとこれから7年間つきあわないといけない。隣国シリアの緊迫した情勢を考えるとイスタンブールもきつい。
平井 イスタンブールに関して言えば、スポーツ界でのドーピングの横行が痛かったと思う。IOCはドーピングに容赦しない。スポーツ界の本筋の問題として、評判に大きく傷がついた。日本とスペインは五輪開催経験があるから今回は譲ってよ、というアピールはシンプルで説得力あるけれど。
■汚染水問題は致命的?
古田 日本はそれまで安定感があるといわれていたのに、そんなに汚染水問題が痛かったのか?
阿久津篤史 逆にいえば、安定感しか売りがなかった。その唯一の強みが汚染水問題で崩れた。
古田 4日の会見でも汚染水問題について聞かれ、説得力のある答えを示せなかった。
阿久津 一番問題だったのは「東京は福島から250キロ離れているから安全」という発言。東京は問題ないと強調したかったのだろうけれど、じゃあ福島はどうなのかと。「復興五輪」と言いながら、離れているから大丈夫というのでは「被災地切り捨て五輪」と言われても仕方がない。
中村 今日の会見では、同じ質問がでたときに「詳細は後ほど広報に」とかわした。その場で答えて失敗をしないようにという作戦だ。もともと「復興」をどれぐらいアピールするか、方針が定まっていなかった。「復興」を強調すればするほど、震災や原発事故を連想させるかもしれないという懸念があったから。
平井 山梨県のトンネルで天井が落下した事故があったとき、IOC委員で東京招致委の竹田恒和理事長は同僚のIOC委員らから「あれも震災のせいか」と聞かれたらしい。だから震災に関する話題は慎重に避けてきた。それが汚染水問題で完全に露呈した。
阿久津 例えば、会見場で配られたニュースリリース。日本語で書かれたものにはスポーツを震災復興に役立てますと書いている。だけどスピーカーが英語で話すときには震災には触れない。ここに来ても国内と国外で顔を使い分けている。
■直前予想はあたるもの?
中村 でも、海外の主要なブックメーカー(公認賭け屋)はいまだに東京が1番。それをマドリードが追いかけている。
稲垣 2016年の開催都市を決めるときもそうだった。ブックメーカーではシカゴが1番で、終盤にリオデジャネイロが伸びていた。総会の現場で取材していると、会場の雰囲気はリオに流れていた。ふたを開けてみたらリオの圧勝。今のマドリードの状況に似ているが、東京にとっては気がかり。
古田 直前のメディアの予想は当たるものですか。
阿久津 2012年大会は最後までパリが本命視されていたけれど、勝ったのはロンドン。シラク大統領が投票前から勝ったような顔をしているのが反感を呼んだ上に、最後のプレゼンテーションでロンドン招致委会長のセバスチャン・コーが感動的なスピーチをしたのが逆転につながったようだ。
古田 じゃあ、劣勢になりつつあるように見える東京の逆転劇は。
阿久津 日本はそもそも、積極的に支持を勝ち取るロビー活動の力が弱い。
中村 2016年の招致活動のときもロビー活動が課題と言われていた。今回は重点的に取り組んだはずだが、実際にブエノスアイレスに来てみると、その姿が見えない。スペインは会場のヒルトンホテルの近くに部屋を借りて作戦会議室にし、IOC委員に電話攻勢をかけているらしい。ホテル内でロビー活動をすると目立つから、電話も活用していると。一枚上手な感じだ。
古田 なぜ、日本はロビー活動に弱いのか。語学力の問題か。
稲垣 言葉のハンディもあるが、突き詰めると人間的な魅力。投票権を持つ約100人のIOC委員たちと会って、ユーモアに富んだ会話ができるのか。長年取材してきて、それがないと招致レースに勝つのは難しい。日本にも素晴らしい人はいっぱいいるけれど、スポーツ界は以前と比べてどうだろう。以前は、卓球の荻村伊智朗さんだったり、レスリングの笹原正三さんだったり、テニスの川廷榮一さんだったり、各競技の国際連盟の理事や会長を務める人がいた。今はそうした大物が見当たらない。層の薄さは98年冬季の長野五輪を勝ち取ったときと比べても歴然としている。
■日本の強みも
平井 とはいえ、英紙タイムズは日本が強いと書いている。記事を読んでも、根拠はよくわからなかったけれど。確かに各国の記者に聞くかぎり、マドリード一色という感じではない。東京もチャンスはある。日本人にやらせれば、準備の遅れはないという手堅さは誇れるところ。そういう強さはある。
稲垣 汚染水問題もそうだが、メディアは問題があったら、そこに注目する。スイスのIOC理事は「メディアが考えるのと、実際にオリンピックに携わるIOCの事務局とかの考えはまったく関係ない」と言っていた。100人を超えるIOC委員たちは彼らの力学で動く。
阿久津 記者会見のムードが、どれだけIOC委員に響くのか測りかねるところもある。
稲垣 わからない。そもそもサマランチ前会長時代は、会長の威光が開催都市選びを大きく左右していたけれど、今総会で退任するロゲ会長は口出しをしている気配がない。そういった意味でも、長年IOCを取材している海外のベテラン記者に聞いても、読みづらい混戦になっている。
■低レベルな争い
平井 IOC取材が初めての古田から見ると、どこが有利に見える?
古田 純粋に会見だけを見るならば、イスタンブールが魅力的だった。発言者への照明の当て方から見栄えを計算していた。映像で五輪計画を紹介し、滑らかな英語で笑いも誘う。「イスラム圏で初めて」「東西の懸け橋になる」というメッセージも夢を感じさせた。次がマドリード。会見はすべてスペイン語だけど、データが豊富で入念な準備を感じさせた。残念ながら東京の会見は、付け焼き刃の印象があった。
稲垣 マドリードは前回、前々回もスペイン語で通した。「工夫がないな」と言われていたが、今回もスペイン語で通したね。会見は予定時刻に始まらないし。そんなマドリードでも勝つとしたら、今回は高いレベルでの激戦ではなかったと思える。
平井 東京招致委の会見だって無理して英語で言っている部分がある。母国語で通せばいいのにと思うけれど、それじゃ駄目ですか?
稲垣 母国語で通すなら、その分、魅力的なことを伝えられないとつらい。
古田 確かに竹田理事長の4日の会見でそれを感じた。放射線レベルに関して4回質問を受け、4回目は日本語で答えた。ところが内容は英語で話したことと一緒。日本語で話す意味がなかった。
中村 シナリオを忠実にやることに注力しすぎている感はあります。形はととのっているけれど。
■気になるカネのうわさ
古田 五輪招致にはお金のうわさがついて回るが。
阿久津 マドリードのフェリペ皇太子のロビー活動では、自由に使えるお金があるという話が聞こえてくる。面会した人に何か頼まれたら、すぐに「やりましょう」と。「王室外交」とは単に会って握手して写真を撮るだけじゃなく、そういう物事を動かす力を含めての話なのだろう。
平井 東京の75億円は自由に使えないのか?
中村 領収書がもらえるような使い方でないと駄目。前回、招致費149億円が無駄遣いだと指摘され、今回は慎重にやっている。クリーンなプレゼンだけでは勝てないという声も出ている。
阿久津 日本は五輪開催のために積み立てた4千億円がある。このうち100億円だけでも招致につかうことはできないのか。本当に五輪を呼びたいなら、それをやれという声もあるよね。
平井 それをやったら呼べるのか。そういう保証がない。
阿久津 そういう意見が多いなら、招致自体やらなければいいという気もする。
■逆転への隠し球は
古田 感動的な演説で逆転を呼ぶ隠し球はないのか。
稲垣 あるとすれば、高円宮妃久子さまがプレゼンで招致を訴えることかな。
中村 国内的には憲法との兼ね合いもあって難しいが、世界的に見ればロイヤルファミリーが応援することはむしろ当然。大きな影響を与えられるのか。
稲垣 英語が堪能でスピーチもうまい。国内的には議論があるが、招致にはプラスだ。個人的には、久子さまのように、スポーツとのかかわりが深い皇族が五輪招致活動にかかわるのは自然だし、賛成だ。
■東京五輪の理念とは
平井 2016年の招致の時にも東京を取材した。あのときは、石原慎太郎都知事(当時)と森喜朗元首相が組んで、いっちょやるかとはじまった。残念なのは今にいたるまで、それを超える動機が見えない。アスリートファーストじゃない。東京ファースト、政治家の精神論ファースト。
稲垣 開催が決まれば、そこから純粋に盛り上がる。7年間でかわるものもある。日本のスポーツ界をよりよくするチャンスとしては、東京五輪は歓迎すべきだ。
古田 なんでやりたいか。東京だって夢を与えるキャッチフレーズがつくれると思う。日本は超高齢化社会に突入し、人口が縮小を始めた。そういう成熟社会の中で人生に彩りを与えるスポーツの可能性を訴えれば良かったのでは。
平井 でも東京はいま、その逆を訴えている。イスタンブールの若さに対抗して「日本は高齢化社会でもアジア全体を見れば若い」と。それでイスタンブールよりアピール力があるのかは疑問だ。
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〈参加した記者〉
稲垣康介 編集委員。45歳。開催都市を決めるIOC総会取材は7回目。アテネ五輪は現地駐在の特派員。
阿久津篤史 スポーツ部。39歳。北京五輪は現地特派員、ロンドン五輪は水泳担当として現地で取材。
平井隆介 スポーツ部。38歳。五輪は北京大会から夏も冬もユース五輪もすべて現地で取材。
古田大輔 デジタル編集部。35歳。社会部員として北京五輪を取材。IOC総会の取材は初めて。
中村真理 社会部。32歳。東京都の担当として、初のIOC総会取材。リオ五輪担当を目指す。
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