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拠点会場における創価学会の非常識-補足

少し前に、会合の会場での学会員の非常識さについて記事を書いたが、先月8月26日付聖教新聞の「座談会・輝く創価の師弟城」シリーズの紙面に、「個人会場の使用ルールを厳守」という大見出しで、会合に提供されている個人会場での使用ルールについての注意事項が掲載されていた。
そこには、
「①時間厳守
②会場周辺での私語の厳禁
③禁煙の徹底
④迷惑駐輪・駐車をしない
⑤清掃、整理整頓
⑥照明や冷暖房の節電意識
など、マナーを守り、決められたルールに従って利用する」
「まずはリーダーから率先して、会場利用のルールを厳守し、皆で「広布の宝城」を守っていきましょう」
などといった事が書かれてあったが、創価学会では、聖教新聞等の機関紙に注意事項が書かれている時は、まさにその問題が現在起こっている事を示している。先月下旬に個人会場の使用ルールを厳守せよという記事が書かれてあったという事は、未だに使用ルールを守らない非常識な学会員が絶えないという事なのだろう。
そう言えば、数年前、聖教新聞に学会員間の金銭トラブルについての注意事項が書かれてあったが、あれなども、学会員同士の金銭貸借や保証人問題でのトラブルが絶えないから、あのような注意事項が書かれたという訳なのだろう。
ちなみに、質問サイトでの解答欄に、聖教新聞の「寸鉄」から引用した注意事項が書かれてあった。
以下にその解答欄の記事を転載させて頂いた。

( 転載ここから )
 ↓ ↓ ↓

聖教新聞「寸鉄」より
会館の使用はルールを守れ。感謝のない、わが物顔の幹部は皆で叱咤せよ。
会館や拠点周辺での迷惑駐車は厳禁。良識の振る舞いなくして信頼なし!
会館や拠点近くで、車やバイクの騒音に注意を!信頼なくして広布なし。
会場周辺での立ち話や喫煙は厳禁!近隣の信頼こそ、広宣流布の基本だ。
「会場提供者」の皆様に感謝!マナー(礼儀)、清掃、近隣に配慮。宝城を皆で守れ。
会館周辺の立ち話・喫煙・路上駐車は厳禁。広布は良識の振る舞いから。
会場近くの駐輸・駐車・喫煙・私語は近隣の迷惑。大切な宝城を皆で護(まも)ろう
会館周辺で立ち話や喫煙は厳禁!良識の振る舞いこそ地域に信頼広げる。
会館・会場周辺のマナーを守れ。私語・喫煙・駐車は厳禁。良識の振舞(ふるまい)たれ。
会館使用のマナーを厳守 尊い同志の宝城だ。喫煙・駐輸・立ち話など戒めて。
会館周辺での路上駐車も立ち話・喫煙も厳禁だ。良識と信頼が広布城の礎(いしずえ)
会館周辺の立ち話・喫煙・路上駐車・駐輪は厳禁だ。近隣を大切に。賢明たれ。
会館周辺のマナー厳守!私語や喫煙、路上の駐車駐輪は厳禁。仏法は良識。
会館近隣のマナーを守れ 私語・喫煙・路上駐車は厳禁。信心は即 良識だ。
会館周辺のマナーを厳守 立ち話・路上駐車・喫煙は厳禁。学会の信用壊すな。
会館周辺で立ち話や喫煙は厳禁だ。誠実で築いた信頼友好の城を皆で守れ
会館近隣を大切に。私語・喫煙・路上駐車は厳禁だ。地域の信頼こそ広布の証(あかし)
会館・会場周辺のマナーを厳守。立ち話・喫煙は厳禁だ。皆の宝城を厳護。
会館・会場の近隣を大切に。私語・喫煙・路上駐車は厳禁。信用を壊すな。
会場使用の礼儀(マナー)を再確認 (1)感謝(2)時間厳守(3)立ち話厳禁(4)駐輪駐車に注意
会館周辺での立ち話・喫煙・違法駐車は絶対厳禁。正義の闘争を良識豊かに
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これは 創価学会に「苦情」がきて
いつまでも解決できぬことに 学会側は困っている。

普通大人が「やったらだめ」と言われたら 一回でわかるはずなんですが
改善できないということです。
迷惑行為しなくなったら 創価学会ではないということです。

( 転載ここまで )

(参考サイトURL→ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1449956834

この質問サイトの記事は2010年11月のものであるが、何度も注意事項が書かれるほどだから現在でも状況は変わらないのだろう。何しろ、創価学会のトップがトップなだけに、末端の会員にも非常識さが抜けない者が多いのだろう。

口先だけの平和に幸福は生まれない

9月3日付聖教新聞第6面に、世界桂冠詩人・山本伸一こと池田名誉会長による詩『平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる』の抜粋が掲載されていた。
その一部に以下の部分がある。

「いじめを許さないことも平和の戦いである。
差別を許さないことも平和の戦いである。
嘘の悪口を許さないことも平和の戦いである。
権力者を威張らせないことも平和の戦いである。
いかなる暴力も絶対に許さない。
これこそ平和の戦いである。」

してみると、創価学会は平和の戦いをする気はないという事だ。何しろ創価学会では脱会者いじめが許されているし、特権階級による一般会員に対する差別も許されているし、嘘の悪口も言い放題だし、権力者の池田名誉会長が威張っている事も許されているし、言葉の暴力なども許されているし。
「平和を! 平和を!」と口先だけ言っていても創価学会自体が平和ではない。
何しろ「闘争せよ!」といつも信者を煽っているのだから、これでは信者の心に平和はない。

拠点会場における創価学会の非常識

木花さんが運営しておられる『木花のブログ』に、自宅を拠点(会合の会場)にしている学会員の家族が受ける迷惑について記事を書かれていた。筆者もそこにコメントを書き込ませてもらったが、このブログでもその件について記事を書いておきたい。 
創価学会の拠点など会合の会場は殆どの場合、学会員の自宅が提供される。自宅を拠点や会合の為に提供するのは多くの場合熱心な会員だが、創価学会を嫌っていたり熱心ではない同居の家族にとってはこれほど迷惑な事はない。
筆者の実家は拠点ではなかったが、時々自宅が会合に使われていた。両親はあまり熱心ではなかったので、拠点として使わせてもらうよう頼まれても断っていたのだが、それでも幹部に説得されて時々会合の会場に使わせていた。狭い家なのにたくさんの信者が入ってきて嫌な思いをしたものである(当時は学会の勢力拡大がピークの頃で、実家のある田舎でもまだ信者は多かった)。特に、会合が終わってもすぐに帰らず遅くまで居残っている信者達には迷惑したものである。創価学会には、会合が終わった後遅くまで居残るのがどれだけ会場提供している家族に迷惑をかけているかという事に配慮しない幹部が多かった。
筆者が学会活動を始めた頃(その頃は実家を出ていた)、他人の家にいると気分が落ち着かない性分なので会合が終わったらすぐ帰っていたのだが、役職を付けられてからも会合終了と同時に帰ろうとしていたら、地区幹部の1人が「お、もう帰るのか?」と皮肉な調子で言ってきた。何だかすぐ帰るのは信心が足りないかのような口ぶりで言うので、それ以来、会合が終了してもすぐには帰らず、他の居残っている会員達が帰り始めるまで、くだらない話を聞いたりしていたものである。
例えば、地区座談会などが終わった後、すぐ帰るのは女子部で、その後、婦人部のおばさん達が、連絡事項なのか世間話なのかよく判らないがしばらく喋り合った後帰って行き、最後まで居残っているのが男子部と壮年部の幹部や活動家という事が多かった。この時、会場提供している信者は口にこそ出さなかったが、内心では「早く帰ってくれ」と思っていただろうと思う。
本来なら、幹部は会合が終わったらすぐ帰るように促すくらいの配慮をすべきなのに、会合が終わっても遅くまで居残り、のみならず、早く帰ろうとする活動家に対しては信心が足りないかのような口ぶりで帰りづらい雰囲気にしていて、全く常識というものがなかった。他人の家なのに自分の家のように思っていたのだろう。
現在の創価学会ではどうか知らないが、同じ学会の同志なのだから拠点や会場提供した家には遅くまで居残っても当たり前というような非常識さがあったのがこれまでの創価学会だった。他人や近所の事に配慮しない、自分達さえ良ければそれで良いという創価学会の体質がよく表されていたものであった。

宗教界のブラック起業=創価学会

近年、ブラック企業と呼ばれる悪質な会社が増えているという。まともに給与を支払わず社員を徹底的にこき使って使い捨てる企業の事をそう呼ぶそうだが、そこで思ったのは、創価学会などは差し詰め宗教界のブラック企業と言える存在だろうという事だ。宗教を装ってはいるが、その実態は営利企業そのものであるし、聖教新聞の営業活動や選挙活動など本来信仰とは無関係な事に「信心」の名目を付けては信者をタダで徹底的にこき使い、その上収奪まで行なっている有り様は悪質なブラック企業そのままである。
このような組織で活動していて幸福になれる訳はなく、幹部から言われるままに真面目に活動している信者ほど精神や体に何らかの障害を受けているようだ。もし幸福だと言う信者がいるとすれば、よほど鈍感な人間ぐらいのものだろう。創価学会では信者は使い捨てられる存在だという事を知るべきだ。


お笑い『折伏教典』

創価学会にはかつて『折伏教典』という教学書があった。新しい学会員はその存在さえ知らない人も多いと聞くが、筆者の実家にも置いてあり、筆者が1人暮らしを始めた時、(当時は学会員だったので)学会教学を勉強するつもりで持って出たのだが、その後脱会した時に捨ててしまった。今思えば、参考資料として取っておけば良かったなと後悔している所である。
その『折伏教典』の内容は殆ど忘れてしまっていたのだが、ミルさんが運営しておられる『意味のないことなんて起こらない』というブログに、『折伏教典』の内容の一部が記されているので、勝手ながら以下に記事の一部を転載させて頂いた。


( ここから転載 )
 ↓  ↓  ↓

続いて、「十界論」について。

Kさんからも説明があったが、より正確に、手元にある「折伏教典」(昭和39年版 P40~42)から抜粋しておく。

1)地獄:子供に死なれる、借金に悩む等の煩悶、懊悩(おうのう)するその苦しみを心に感じ、肉体および生活に現ずること
2)餓鬼:欲に支配された貪りの状態、満足を知らない生命
3)畜生:強い者を恐れ、弱いものをあなどる、イヌ・ネコ同様の生命に支配されること
4)修羅:心が曲がっているため、すぐにカッとなり、腹立ちの状態にみちているとき

以上が四悪道といって、これに支配されている生活には、絶対に幸せはない。

5)人界:平らかな生命の状態
6)天界:願いが叶ったときに有頂天に喜ぶ状態
7)声聞:ある理論をつかみ、理解がでてくる時に喜びを感じ、その思想をもって人生観とする状態。インテリ階級。
8)縁覚:名人じょうずの心境等。一分の理を縁によって悟った者。
9)菩薩:自分の徳性を発揮して、社会のために尽くす働きを、心や肉体に表したとき。
10)仏:われわれが信心し、折伏をするのは、永遠の生命観を証得し、ゆるがぬ幸福生活を実現することが目的であり、この状態を仏という。

よく問題視される十界論は、初刊の折伏教典(昭和26年発刊 P42~44)のもので、以下の通り。

1)地獄:不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者。
2)餓鬼:下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール患者。拝金主義者。性格異常者。
3)畜生:パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。
4)修羅:兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間。
5)人界:普通平凡に生活している市井人。
6)天界:大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、経済家、偉大な軍人等々。
7)声聞:学者、研究家、学生等。
8)縁覚:大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。
9)菩薩:二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見 により広く社会を利益した者。仏法を広め、衆生に救を与えた人々。
10)仏:日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等

( 以上、転載終わり )

筆者が学会員だった頃はまだ創価学会を信じていたので、このような内容の本を読んでも当たり前のように考えていたのだろうと思うが、今読み返したら、なかなか笑える内容である。
昭和39年版の場合、地獄の例として書いてある内容は、一生懸命学会活動している学会員にも見受けられるし、餓鬼・畜生・修羅は池田名誉会長及び創価学会の事を書いてるのかと思ったほどである。
また、昭和26年版には差別用語や下品な表現も羅列されているが、こんな事を書いている者の品性の下劣さが窺える内容になっていて面白い。宗教書と言うよりお笑い本と言った方がいいだろう。
こんな面白い本が現在発行されていないのが残念だが、創価学会もさすがにこの本を学会員にも外部にも見せられないと思っていて、この本は存在しなかった事にしているようだ。
自信満々の調子で書いている内容であるだけに、そのうぬぼれぶりも笑える内容であった。


創価学会におけるマインドコントロールの手法

創価学会の会合・集会というのはハイテンションな雰囲気が特徴的であるが、ハイテンションな雰囲気によって信者を躁状態にして思考停止状態にし、マインドコントロールして盲従させるというのがカルト一般に見られる手法である。同じくカルトの法の華三法行でも「最高ですかー!」と教祖が叫び、信者達が「最高です!」と叫んで応える事によってハイテンションな雰囲気作りをしていたものであった。
創価学会の場合は幹部が信者の感情に対して訴えかけるように喚き叫び、信者にも元気よく大きな声を出させ、特に青年部の場合は少しでも元気がないと「元気がない!」と幹部が一喝するという体育会系のノリでハイテンションにさせていたものだった。更には、皆で早口の題目を唱えさせたり、軍歌調の学会歌で士気を鼓舞してテンションを上げている。
大きな声を出したりスピードを速めたり勇ましくする事によってテンションは上がるものであり、テンションが上がると冷静に考える事ができにくくなり、よりマインドコントロールしやすくなるという訳だ。
ちなみに、筆者は学会歌を歌うのも指揮をとらされるのも好きではなかった。学会歌の中で気に入ってたのは『森ヶ崎海岸』くらいのものであったし、学会歌の指揮は指名されれば指揮をとったが、苦手だった。
少し前に、元学会員のとあるブログで「学会歌の指揮をとらされるのが苦手だった」という記事を見て、自分と同じ思いをしていた人がいたんだなと思い、ほっとした気分になった事がある。
それはともかく、増谷文雄氏によれば、「理性的人間が理性的人間に対して語りかける」のが元々の仏教(釈尊の説法)のあり方であったそうだが、創価学会にはこの理性的なものが一片もないのが特徴なのである。それがカルトの特徴だからであるし、創価学会にとって信者に冷静に考えられては困るからである。

戯画としての創価学会

創価学会を脱会して改めて外から見てみると、創価学会という所は正に戯画そのものであると感じる。戯画であり、漫画である。筆者が学会員だった頃、創価学会こそ最高の存在だと信じ、学会以外のものを事ある毎に「マンガ、マンガー!」と言っては上から目線で馬鹿にしていた地区幹部がいたが、創価学会こそ「マンガ、マンガー!」である。
創価学会の起こした事件や不祥事・スキャンダルにしても、聖教新聞等に載っている自画自賛にしても、世界から集めた名誉称号を自慢気に見せびらかしている記事にしても、対立者への罵詈雑言にしても、学会幹部の指導にしても、盲信・狂信の信者の言動にしても、実に滑稽であり戯画であり漫画である。実に面白い。創価学会の内側にいる間は気づかないが、外へ出て初めて気づくものである。
そう言えば、創価学会から『外から見た創価学会』という本が出版されているが、その本の中で学会を外から見て称賛していた外部の有識者も、口先では学会を褒めちぎってはいるが内心では戯画としての創価学会に気づいていて馬鹿にしていたのかも知れない。あるいは世の中には世間知らずの学者バカというタイプの有識者もいるようだから、本気で創価学会を素晴らしいと思い込んでいるのかも知れないが、そのような外部の礼賛者も含めて創価学会という所は戯画そのものである。

カルトから抜け出せない学会員の心理-補足

前回の記事で漏れている点があったので補足しておきたい。
創価学会から抜け出せない学会員のタイプとしては他に創価学会が大好きだという会員がいる。
傍から見ていると功徳らしい功徳もなく、それどころか、学会で信心していても学会活動の為に却って悲惨な人生としか言いようが生活をしているのに、学会活動を嬉々として続けている学会員が見受けられる(特に婦人部員に多い)が、このような学会員はたとえ実際に功徳らしい功徳がなくても、創価学会が大好きであり、池田名誉会長が大好きであり、学会の会合のハイテンションな雰囲気が好きでたまらないのだろうと思う。だからどんなに創価学会が世間から非難されようとも、学会から抜け出す気がないのであろう。
筆者の実家がある地域には、会合に出てこない母の為に、毎月熱心に家庭訪問してくる老婦人部員が4人ほどいるのだそうだが、その4人とも創価学会に入信後に夫がアルコール中毒に罹った事が共通しており(それぞれアルコール中毒が原因で病死したり酔って事故死したり現在病気中であったりしている)、学会2世の子供達はそれぞれ他所の地域に住んでいるのだそうだが、創価学会を嫌っていて実家に寄り付かないのだという。夫がアルコール中毒に罹ったのも、これら婦人部員達が学会活動に熱心な余り家庭を顧みなくなった事への不満から酒に深入りしていった為だと思う。
このように、創価学会で熱心に信心していても、功徳らしい功徳もなく家庭も一家和楽とは言えない状況が続いているのに嬉々として学会活動しているのは、ひとえに創価学会が大好きだからだろう。好きでもないのに、ただ功徳を信じていつまでもいつまでも学会活動を続けるというのは苦痛でしかないはずだ。好きでなければ出来ない事だ。そういう意味では、功徳の実証も得られてないのにいつまでも創価学会の信心を続けているのは「素晴らしい信仰心だ」と称賛されるべき事なのかも知れないが、ただ、このような学会員は仏壇の前で勤行・唱題しているだけの信心ではなく、折伏や新聞啓蒙や選挙での公明党の集票活動と積極的に学会活動に励んで創価学会の勢力拡大の一翼を担っている活動家達であり、カルトの手助けをしている信者達なのだから、「素晴らしい信仰心だ」と称賛ばかりもしていられない。
このような実生活が思うようにならない学会員は、創価学会の会合や活動に参加する事によって活き活きとしてくるのだろうし、生きる意欲が湧いてくるのかも知れない。その為に学会の組織から抜け出せないのだろう。
そういう意味では、このタイプの学会員にとって創価学会は麻薬のような存在なのかも知れない。
しかし、これもまた一般人からすれば、理解し難い事ではあるだろう。



カルトから抜け出せない学会員の心理

創価学会がカルトである事は論を俟たないが、その創価学会にまだ数多くの学会員が留まっている事を不思議に思う人も多いだろう。学会を辞めたくても脅しや圧力で辞められないという会員は別にしても、未だに創価学会を正しい宗教だとか学会の組織を離れると罰が当たるという事を本気で信じている会員もいるのであり、このような学会員の心理は一般人には理解し難いだろうと思う。勿論、このような創価学会を絶対的存在として信じ込んでいる信者は盲信者や狂信者ではあるのだが、それらはいくつかのタイプに分かれるようだ。
1つ目のタイプは、創価学会の信心で救われたとか功徳の現象が出たと思い込んでいる学会員だ。身近な例で言えば筆者の伯父(母の兄)がこのタイプになる。伯父は若い頃、腎臓結石になり、働けない状態が長く続いていたそうで、そういう病苦に悩んでいた頃に折伏を受けて創価学会で信心をするようになったのであり、その後症状が出なくなったので、学会の信心で腎臓結石が治ったと信じて疑わなくなったようだ。
このタイプの信者は、学会の信心によって病気が治るなど困難な状況が改善されたと思い込んでいるから、たとえ創価学会が疑惑を招くような事をしでかそうとも世間からどんなに非難されようとも学会から離れる事もなく、信じ続けてゆく場合が多い。学会によって救われたという体験(思い込みであるにしても)があるから、盲信者・狂信者の中では最も信じる事にブレがないタイプだと言える。
伯父の場合、長く学会の信心を続けているが、学会教学についてはよく解っていないようで、とにかく病気を治したい一心から学会の信心を始めた訳で、創価学会でなくても、信じられるものなら何でも良かったのだろうと思う。極端な話、「イワシの頭を信じれば病気が治る」と言われればイワシの頭を信じてそれで病気が治っただろうと思う。結局は病気を治したいという伯父の一念の為せるワザであり、信じる対象は創価学会でなければならないという必然性はなかったと言える。その証拠に、伯父はその後も学会の信心を熱心に続けていったのだが、その後の人生はとても「功徳溢れる人生」とは言えず、同じ学会員と結婚しても夫婦仲は良くなくて、全財産を学会に貢いだのに、学会が言う所の「これで一生楽な生活ができる」という訳にはいかず随分生活には苦しんできたようだ。
それでも伯父は創価学会によって救われたと今でも思い込んでいるので、学会から離れる事は夢にも思ってないようだ。それに、このタイプの信者は、学会で救われたと信じて疑わないから、今は人生が悪くても、そのうちまた信心の功徳によって救われると期待している者が多い。その為、なかなか学会の組織から抜けられないのである。ギャンブルで1度勝った者が、その後負け続けても、そのうちまた大きく勝てると期待してなかなかギャンブルを止められないのと同じようなものなのだろう。

次に創価学会から抜けられない2つ目のタイプとしては、創価学会を信じる心が揺らいで疑念を抱くようになっても、今まで創価学会の内外に向かって「創価学会こそ絶対正しい」とか「創価学会を辞めたら地獄に堕ちる」などと言ってきた手前、意地でも学会を辞められないという学会員だ。このような学会員はもう意地だけで学会にしがみついてるようなもので、信仰心ではなく、脱会者や学会批判者への敵愾心によって学会活動をしているという場合が多い。筆者が以前所属していた地区の地区部長がこのタイプで、筆者は脱会後数年経った頃、偶然顔を合わせて話をした事があったが、その時その地区部長は「学会の選挙活動はあそこまでやる必要はないと思ってる」と本音を漏らしていたものだった。そのように学会に対して疑念を持ってはいたようだが、結局「創価学会こそ正しい宗教だ」とか「創価学会で信心しなければ福運は積めない」とか挙句の果てに「それに学会活動は楽しいぞ。だからまた学会に戻ってこいよ」などと負け惜しみを言っていたものであった。
このタイプも意地で学会の組織に留まっているから、学会から抜けるのは難しいと思う。

次に3つ目のタイプになるのが、創価学会に疑念を抱いていても、「もう引き返せない」という心境になり学会から抜け出せなくなるという学会員である。これはチョンガー氏が運営しておられる『創価学会に悩むすべての人へ』というブログに書かれてあるのだが、時間も金銭も人間関係をも犠牲にして学会活動に打ち込んできた学会員は、そこで創価学会に疑念を抱いたとしても、「もう、戻れない」という気持ちになり、そのまま学会活動に突き進んで行き、学会の組織の中で生き続けてゆくというのである。確かにそういう学会員もいるのだろう。

以上の他にも学会から抜けられないタイプはあるとは思うが、以上の3つのタイプが特に大きな存在だと思える。
いずれにしても、創価学会に留まっていて損をするのは自分達であるという事に気付かないとは愚かな事である。

聖教新聞テレビCM新バージョン登場

テレビで「世界陸上」を見ていたら、聖教新聞の新バージョンCMが出ていた。
新CMは2つのバージョンがあり、どちらもドラマ仕立てになっている。内容としてはうまく作られていると思えるのだが、しかし、せっかく良い内容のCMなのに、最後に「聖教新聞」と出てきて台無しだ!

仏にならずに鬼になれとはこれ如何に?

以前にも当ブログに書いた事があるが、特に男子部や壮年部の活動家は、学会活動の後に飲み屋に繰り出す事が多かった。筆者は酒が飲めない為、酒の席が苦手だったのだが、学会活動後、地区幹部に居酒屋などに引っ張り出され付き合わされる事が多かったものである。そこでは、同席していた地区部長が他の地区幹部達と、その場にいない支部長の陰口を叩き、愚痴やら悪口やらを言い合っていたものであった。
そして、そういう酒席では活動家達は公には言えない事をよく喋っていたものだった。ある地区幹部は、自分の部員が学会を辞めたいと言ってきたので殴ってやった、と当然の事のように喋っていたものだった。その殴られた男子部員は結局学会を辞めていったそうだが。殴られた方からすれば、ますます創価学会を嫌になるのが当然だろう。殴った地区幹部は暴力行為で訴えられなかったのが幸いだったと言える。
また、その地区幹部は筆者に「受け持っている部員から”仏の◯◯”なんて言われるようになったらしまいだぞ。”鬼の◯◯”と言われて恐れられる存在になれ」と言っていたものである。
実際、男子部には、活動家達から”鬼の◯◯”と呼ばれてカリスマ化されていた圏幹部もいた。そうして活動家達の畏怖と尊崇の対象になっていたようだ。
それにしても、本来創価学会は仏になる事を目指している宗教なのに、仏にならずに鬼になれとはこれ如何に?
鬼になる事を目指すのなら仏教を名乗らず鬼教(?)を名乗るべきだろう。
この辺りにも創価学会が本来の仏教からかけ離れた存在である事が窺える。原始仏典には、釈尊は武力と威力に依らずしてその人物的威徳に依って弟子達を従わせていると賛嘆されたとあるが、それが仏教の目指すべき原点だろう。創価学会では「仏罰」の脅しと幹部達の有形無形の威力によって信者達を従わせようとしている。これは仏教とは言えない。鬼教と名乗るべきだ。


「善人」が支える悪質カルト

善い事をしようと思って暴力団や暴走族に入る人はいない。また、世の為人の為になる事をしようと思って詐欺師や悪質業者になる人もいない。暴力団員や暴走族や詐欺師・悪質業者は悪を悪として自覚しながら悪を行なっていると言える。
しかし、カルトに洗脳された信者は、自分では善い事をしているつもりで迷惑行為や違法行為、あるいは犯罪行為を行なっている場合が多い。それは日本最大のカルト集団である創価学会でも同じで、洗脳された活動家の会員は人の迷惑など考えもしないで強引な折伏やしつこい選挙の依頼を繰り返しているし、創価学会を守る為なら犯罪行為も辞さないし選挙違反も行なっている。相手が迷惑していても学会員の方は「善い事をしてやった」つもりでいるのだから全く始末に負えない。
よく学会部外者の文化人が、「学会員は人の為に尽くそうとする善良な人が多い。人が嫌がる自治会の役員なども進んで引き受ける人が多い」などと評価しているが、確かに元々は善良な人々であったのが学会員なのだから、普段接している分には「善人」だと感じられるだろう。だが、事が折伏や選挙活動や創価学会を守る為の活動になると途端に人の迷惑になるような事をしつこく繰り返すのも学会員なのである。本人達はそれを「善い事をしている」「正しい事をしている」と思い込んでいるからだ。
このような場合、見ず知らずの者ならまだ撃退しやすいが、親族や友人・知人、仕事関係者などなど無碍に断わりにくい相手だと撃退するのに苦労する事になる。
このように、普段「善良な人間」として生活している人々を洗脳して悪の手先として操っているのがカルトであり、創価学会なのである。
その意味で、創価学会は暴力団以上に悪質な集団だと言える。

学会活動家ブログの選挙記事

少し前の記事に、創価系ブログには今回の選挙戦についての記事が見当たらないと書いたのだが、今日再び創価系ブログを見て回ると、いくつかのブログに参院選についての記事が書かれてあった。
それらを見てみると、学会員は公明党を支援するのが当たり前という考え方が伝わってくる。とにかく公明党を支援するのが正義であり、創価学会が決めた事だから応援するという考え方しかできないようである。
中には公明党を支援する事に疑問や不満を呈している活動家のブログも見かけたが、そのような考え方を持っていても結局は学会員というだけで公明党の応援をしなければならなくなるというのが学会の組織なのである。
自分の頭で投票先さえ決められないという創価学会組織では、学会が唱える「仏法民主主義」など実現不可能だ。



地獄界湧現の選挙活動

木花さんがブログに、創価学会の選挙活動での嫌な思い出を記事に書いておられたが、全く同感である。
多くの学会員や元学会員が選挙活動での嫌な思い出を抱えているのではないだろうか。
筆者は中でも公明党支援の活動家大会などでの異様な雰囲気が大嫌いだった。会場内には殺気立った雰囲気が漂い、まるで地獄の様相さながらであったし、「Fを取れ!」とか「Fを取らない奴は蹴り倒すぞ!」などと喚き叫ぶ幹部連中は地獄の鬼のように思えたものである。このような中で創価学会が言う「仏界を湧現」させるというのは不可能だ。湧現してくるのはせいぜい「阿修羅界」や「地獄界」くらいのものだろう。
それについて前々から思っているのだが、創価学会を称賛している文化人に、選挙戦の活動家大会を見せてやったらどう思うだろうか。これまで客人用の和やかな雰囲気の集会しか見せられていないのだろうから、幹部が喚き叫ぶ選挙戦の集会を見せてやれば、口先だけは「いやー、素晴らしい雰囲気の集会ですねー」と心にもないお世辞の1つも言うかも知れないが、内心では「この連中は本当に仏教の信仰者なんだろうか?」と疑いを抱く事だろうと思う。それほど創価学会の選挙活動は仏教の信仰とかけ離れたものなのである。殊に、前回紹介した『現役学◯員の苦悩』を書かれた人のように純粋に仏法を学ぶつもりで創価学会に入ったような人にとっては選挙活動にはついて行けないだろう。『現役学◯員の苦悩』にも「疑問を持たず素直な信心の人のほうが幸せになれる」と学会幹部から言われたとあったが、矛盾だらけの創価学会について行けるのは、一切疑問を持たない会員だけである。
そう言えば聖教新聞に「信心は『素直』が一番じゃ」(2012年8月2日付)という見出しの記事が載っていた事があったが、これに頷ける者がどこまでも学会について行ける者達である。

学会活動に苦悩する学会員の本音

参院選もたけなわの今日この頃、創価学会の活動家は懸命に集票活動に邁進中だが、学会員の中には選挙戦を強要される事に疑念を抱いている者も数多く存在している。
つい先日、そんな苦悩を綴った現役学会員のブログを見つけた。

こちら⇒ 現役学◯員の苦悩

このブログ管理者は、日蓮仏法を学びたいという動機から、自分の意思で創価学会に入会したのだそうだが、入会してすぐに、それまで抱いてた創価学会のイメージと実際の学会の実態があまりにかけ離れている事に疑問を抱くようになり、その思いを綴る為にブログを立ち上げたのだという。特に、日蓮を宗祖と仰いでいるのに実際には池田名誉会長を師匠と仰ぎ、その師への恩に報いるように強要される事や、教義にもない選挙活動を強要される事など、困惑する気持ちが吐露されている。
このような現役学会員が学会活動への苦悩の思いを綴っているブログは他にいくつもあるが、現在更新されていないブログが多い。この『現役学◯員の苦悩』も現在更新されていないが、記事は昨年書かれていて比較的新しい内容なので紹介させて頂いた。
それにしても、創価学会の悪名がこれだけ轟いているのに、世の中にはその事を知らない人もまだまだ多いようだ。やはり、新聞社やテレビ局などの大手マスメディアが創価学会に都合の悪い内容の報道をしないからだろうと思われる。インターネットで創価学会関連の検索をすると学会に都合の悪い情報がいくらでも出てくるのだが、週刊誌の記事同様にネット情報を信用しないという人もいるから、創価学会の実態を知らない人も多いのだろう。
それはともかく、そもそも日蓮仏法を学ぶのに創価学会を選んだ事が大きな間違いだ。
勿論、池田名誉会長への報恩の仕方を学びたい人や、選挙活動の方法を学びたい人は創価学会に入会した方が良いだろう(笑)
いずれにせよ、創価学会の選挙活動に疑念を抱くのが普通の感覚だろう。選挙戦にも名誉会長を永遠の師と仰ぐ事にも疑問を抱く事もなくそれを当たり前だと思っている盲信的な学会員こそ異常だと言うべきだろう。


創価学会の「信心の確信」は当てにならない

創価学会では「信心の確信」という言葉がよく使われる。
創価学会の信心で大功徳が得られ、大勝利する事が間違いないという自信を持つ事を「信心の確信」として使っているようで、「信心の確信を深める」とか「信心の確信を積み重ねる」「信心の確信に立つ」といった言い方をしている場合が多い。
しかし、いくら信心の確信を深めたからといっても必ずその通りになるという訳ではない。
古い話で恐縮だが、筆者の母は元々創価学会に入りたくなかったのだが、父に引きずられて入会させられたので、学会活動には嫌々ながら付いていってたのだそうだが、その母が、大B長(現在の地区部長)のS氏が家に訪問してきた時、「もう学会活動は一切しません」と宣言したのだそうだ。
するとS氏は「本当に学会活動しなくて良いんですかぁー? どうなっても知りませんよー」と脅すような言い方をしたのだそうだが、母は支部総会や記念座談会などの特別な会合以外には出なくなったそうだ。
その後、S氏は公明党議員になったのだが、間もなくして肺ガンである事が判り、闘病生活に入ったのだそうで、
それから程なくして死亡してしまったのだという。
S氏は仕事以外は殆ど学会活動しているような人物で、ろくに食事もしないで活動に出ていたのだそうだ。そういうS氏はいわゆる「信心の確信」に立っていたのだろう。しかし、信心の確信に立っていても、ガンに罹り、60代で死亡している。
こういった話は学会員の間ではよく聞く話で、「創価学会の信心にしか大功徳も崩れない幸福境涯もない!」と確信を込めて力説する学会員が早死したり事故にあったりしている例は多い。生活に困って泣きついてくるような学会員も見受けられたものである。
要するに、学会員が誇らしげに主張する「信心の確信」というものは当てにならないという事なのである。いくら信心の確信を深めたと言っても、それが創価学会が主張するような現実に反映されなければ単なるうぬぼれや自己満足の範囲でしか有り得ない。創価学会では「幸福とは単なる気持ちの問題ではなく、現実生活に実証として顕れなければ真実の幸福境涯とは言えない」と規定しているのだから、学会流の言い方なら早死したり事故に遭ったり生活に困ったりするのは真の幸福とは言えないだろう。
このS氏については「ガンで死亡したのは寿命だったからだ」と反論する学会員もいる事だろう。しかしそれを言うのなら、学会員以外の誰についても言える事で、学会員以外の人が早死にしてもそれは「寿命だった」のであり、学会員が「学会で信心しなければ不幸になる」という折伏のセリフも言えなくなるに違いない。
ちなみに、これも母に聞いた話だが、学会を脱会して日蓮正宗の信者になった人が間もなく病死した時、学会員が勝ち誇ったように「そら罰が当たった」と喜んだそうなのだが、その病死した人は80歳代になってる人で、それこそ「寿命」というものだろう。
それはともかく、「信心の確信」と言ってみても、本人がそう思い込んでいるだけの話であり、それによって創価学会が崩れない幸福を保証してくれる訳ではない。
生きる上で揺るがない自己を確立するのは重要ではあるが、間違ったものを盲信して行っても現実は不幸になるだけだ。その実証はすでに多くの学会員が実例を示してくれている。





学会活動家のブログ

普段、めったに創価系ブログは見ないのだが、創価学会の公式サイトに選挙戦や公明党関連の記事が1つも書かれていないのを見て、では学会員個人が運営しているブログでは選挙戦について書いているのだろうかと思い、活動家と思われる学会員の個人ブログをいくつか見てみたのだが、選挙戦について書かれた記事は意外に少なかった。過去の記事で「公明党大勝利!」という記事はあったが、さすがに今回の選挙についての記事は皆無だった。
やはり、政教一致という批判をかわす為と、選挙違反になるのを避ける為の予防はしているようだ。
ある創価系ブログには、選挙運動に関する表現は十分に注意するようにとか、書き方を間違うと選挙運動と誤認され、場合によっては選挙違反、逮捕もありうるとか、エフとかの表現もあまり使わない方が良い、といったようなアドバイスが「創価系ブログ運営の注意点」として書かれてあった。
ただ、それでも学会活動家は、選挙戦は単なる選挙戦ではなく信心活動の一環であり、広宣流布の為の法戦だと思い込んでいる事に変わりはない。活動家の学会員のブログを見ると、自分達は正しい仏法を実践しているのだという思い込みがあり、良く言えば純粋、悪く言えば脳天気若しくは単細胞であり、そこを創価学会の特権階級にうまく利用され操られているという感が伝わってくる。
学会活動家は信じこんでいる間はそれなりに幸福感を得ているのかも知れないが、創価学会の正体に気づいた時、どれほどの虚しさと不幸の思いに落ち込む事であろうか。所詮人ごとではあるのだが、無駄な人生だと思わざるを得ない。





公式の教義にもない創価学会の選挙活動

創価学会の公式サイト『SOKAnet』を見てみると、選挙に関する記事や公明党に関する記事が1つもない。
政教分離を建前としているのだからそれは当然ではあるのだが、しかしここが創価学会の内情をよく知らない一般人が騙される点なのである。
創価学会の内情に疎い人であっても、創価学会と言えば「選挙戦・公明党」というキーワードを連想する事だろう。
それほど創価学会と選挙、創価学会と公明党というのは世間からも、切っても切り離せないものである事は知られているのであるが、しかし、それでも学会部外者の中には、創価学会が公明党を支援するのはあくまでも任意であり、強制される事もなく、支援したい会員だけが支援活動をしている、というようなイメージを抱いている人も多いのではないかと思われる。仮にそう思っている人が創価学会に入信し、学会活動の現場に直面したら、創価学会と公明党の一体化や当然のように公明党支援の選挙活動を強要される事に困惑する事だろう。何しろ公式サイトに一言も書かれてない事が実際には創価学会の信心活動の中心に据えられているのだから、新入信者の多くは納得できないだろう。
筆者の弟はまだ学生で未成年者だったのに、選挙活動として学会幹部から、友人の親や知人宛に公明党への投票依頼のハガキを夜遅くまで書かされた事が納得できず、また、学会内の人間関係にも不信感を抱いて学会組織から離れて行ったのだが、このように創価学会では、公式の教義にもない事を有無を言わさず強要されるという事を学会部外者は知っておく必要があるだろう。

哀れな集票活動家

この時期、学会員の活動家は盛んに友人知人に公明党への投票を頼んで回っている事だろう。本来信仰とは関係のない選挙活動なのに、多くの学会活動家は疑問も抱かず選挙活動に邁進している。中には、疑問を抱いていても学会の組織に引きずられて活動について行っている会員もいるようだ。
そうして十年一日の如く選挙活動を仏道修行だと勘違いしたまま人生を過ごしてしまうのであろう。人の勝手とは言え、愚かな生き方だと言うより他にない。ただ、本人はそれでも良いが、しつこく公明党への投票を依頼される相手にとってはこれほど迷惑な事もない。
以前、学会員だった頃、仕事も休んで選挙活動をしていた男子部員が、それが原因で職を失うという事態になっている時、それを聞いた学会幹部が「公明党が勝利したんだからそれでいいじゃないか」と切って捨てるような言い方をしていた事があったが、公明党が勝利さえすればそれを支えてきた学会員の生活がどうなろうと知った事ではない、というのが創価学会の本音なのだろう。日頃「学会員は1人ももれなく幸福に!」などと書いている聖教新聞の見出しが実に白々しく感じられる。それでも「功徳」を信じて懸命に公明党の集票活動に励んでいる学会活動家は実に哀れなものである。

金の力でマスメディアを支配する創価学会

筆者が住んでいる地域では、今週から創価学会関連のテレビCMが放送されている。少し前にも毎日のようにCMが続いていて、やっと終わったかと思っていたら、また始まったようだ。
放送している時間帯は夕方近くのワイドショーの時間帯と夜のゴールデンタイムだ。CMの内容は聖教新聞編もあれば創価大学編もある。
CM自体はどうという事もないイメージCMで、最後に「聖教新聞」とか「創価大学」というナレーションがなければそのまま見過ごして聞き流してしまうようなものばかりだが、創価学会関連のCMだと判って不快な気分になってしまう。
不快を感じるのは、単に自分がかつて創価学会によって不快な目に遭ったからというだけでなく、テレビ局が創価学会の金の力に屈服してしまった現代日本の有様に憤りを覚えるからである。
勿論、創価学会関連のテレビCMを見て創価学会に入信したり聖教新聞を購読するような人は皆無に近いだろうし、創価学会側もテレビCMによって信者が増えたり聖教新聞の購読数が増えたりする事を期待している訳でもないだろう。
創価学会の狙いは金の力でテレビ局を支配する事にあるのだろう。すでに大手新聞社も学会の金の力に屈服し支配されてしまっているし、ラジオ局も同様の有様だ。
創価学会の狙いは、新聞社とテレビ局とラジオ局を支配し、学会の不祥事が起きてもマスメディアに報道させない、金の力で黙らせるという事にあるのだろう。それもすでに実現している事であり、創価学会絡みの事件や疑惑は新聞でもテレビニュースでも全くと言っていいほど報道しなくなった。
創価学会の不祥事や疑惑を報じて批判しているマスメディアは一部の週刊誌くらいなものである。
テレビ局側は、創価学会はオウム真理教のような教団ぐるみの明確に立件された事件を起こしていないからとか、信教の自由があるからCMの依頼を拒否できないとか言い訳をしていると思うが、創価学会には犯罪疑惑や暴力団との癒着疑惑など数多くの疑惑が取り沙汰されている。たとえそれが創価学会の犯罪として立件されていなくても、疑惑まみれの宗教団体のCMを公共の電波で放送するなど許されない事だ。
それも深夜の時間帯ならまだしも、昼間やゴールデンタイムに堂々と放送している始末だ。
かつては報道の世界には「社会正義」という言葉があったが、今の報道の世界ではもはや死語になりつつあるようだ。疑惑まみれでも金さえもらえば宣伝の片棒担ぎも厭わないという事なのだろう。
このような社会が創価学会が言うところの広宣流布の姿だと言うのなら、理想社会どころか暗黒の社会しか現出できないだろう。

ちなみに、創価学会はかつてこんな事を言っていた。
     
     ↓   ↓   ↓

「或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ・・・と。
何と、浅墓な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。
それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。
正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである」
(池田大作著/人間革命 第二巻)

かつては神社の鳥居をくぐったり町内会の祭りに参加しても謗法だとか、日蓮正宗の本尊にしか功徳はないなどと言っていたのに、今ではその主張も変わってしまっているように、言う事がコロコロ変わるのは創価学会の特徴の1つであるが、創価学会の教典とさえ言える『人間革命』に書いてある事も簡単に変えてしまっているようだ。
自分達の権力欲を実現させる為なら自己矛盾など何ともないのだろう。




創価学会におけるカルト式人材育成法

創価学会では今でもそうだと思うが、筆者が学会員だった頃、男子部にしても女子部にしても、本部単位で「◯◯会」とか「◯◯塾」といった名称の人材育成グループがいくつも作られていた。筆者は自分から志願した事はないが、幹部から勝手に任命されて参加させられたものである。それもいくつかのグループに掛け持ちで参加させられていた。ただでさえ学会活動で忙しいのに、その上人材育成グループをいくつも掛け持ちさせられて全く忙しかった。ただ、このような人材育成グループは「発展的解消」をする事が多く、しばらくグループの会合が続いたと思っていたら、そのうち連絡が来なくなり、いつの間にかグループが消滅していたという事もしばしばであった。しかし、1つのグループが消滅してもしばらくするとまた新しいグループが結成され、そこへ勝手に任命されて参加させられる事も多かったから、結局忙しい目に会わされる事に変わりはなかった。
要するに創価学会の人材育成グループというのは結局は創価学会と池田名誉会長を守り抜く人材を育てるのが目的なのであり、グループの会合での内容もその一点に絞られたものばかりであった。
あるグループでの会合では、幹部が、今創価学会がいかに危機的状況にあるかという事を訴え、その創価学会と名誉会長から我々がいかに大恩を受けているか、そしてその学会と名誉会長を守り抜く事が恩に報いる事であり、仏法保持者としても人間としても重要であり誉れ高き事であり正義であり使命であるかという事を感情に訴えかけるような激しい調子で指導をし、その後で1人ずつ前に立たせて創価学会と池田名誉会長を守るという決意発表をさせていたものであった。
男子部員達は皆、やる気を漲らせて決意発表していたものであったが、中でも1人、幹部の指導に感極まって涙を流しながら決意発表する者もいた。この男子部員は日頃から「趣味は学会活動」と公言しているほど創価学会にのめり込んでいる人物であったが、この時も感涙にむせびながら「必ず創価学会を守り抜きます!」と叫んでいたものであった。その様子は学会部外者から見れば実に異様な雰囲気に映った事だろう。
その頃はカルトという言葉さえ知らなかったが、後になって思えば正にカルトそのものと言える一場面であった。
そもそもいくつものグループに参加させて忙しくさせ、考える暇をなくして思考停止状態にし、命令通りに動く人間にしてしまうというのはカルトの常套手段である。
筆者はその時には創価学会を脱出するタイミングを計っていた頃だったので、そういう様子を見ても感激する気も起きず、気持ちは引くばかりであった。それでも筆者の番が回ってきた時は、当たり障りのない決意発表をしておいた。勿論、少しでも元気のない様子ややる気のない態度を見せると幹部から罵倒されるので、表面上はいかにもやる気があるような態度を示しておいた。なかなか演技力が必要であった(笑)
このように、学会員がいかに創価学会から恩を受けているかという事を植えつけ、身を捨てて学会を守る事こそが恩に報いる事であり、学会に恩を返さない者は犬畜生よりも劣るというような事を指導して洗脳するのが目的なのである。
池田名誉会長の指導に 「宗教は『人間の幸福』のためにある」というのがあるが、本音は「池田名誉会長の幸福と創価学会の特権階級の幸福の為に人間(学会員)がある」という事だ。結局は名誉会長と創価学会を守らせる為の人材育成なのである。このような人材育成グループで学んだとしても創価学会に都合の良い人間になるだけで、人間的成長は望めない。

森田実氏の寄稿に思う

近頃、政治評論家の森田実氏が公明党と創価学会を絶賛しているようだ。先日の聖教新聞第一面にも「聖教新聞創刊記念日に寄せて」と題する森田氏のコメントが大きく掲載されていたが、手放しで絶賛する内容であった。
聖教新聞も2年ほど前から購読しているそうだが、例の対立者への罵詈雑言記事も気に入っている様子で、「聖教新聞には、非常に強い光と、強いパワーと、強いエネルギーがあります。それは、人間を大事にする、人間尊重の魂がこもっているということです。長年、活字に埋もれて生きてくると、新聞や雑誌、書籍のもつ「活字の力」を感じるのです」とこれまた大絶賛している。
ただ、創価学会部外者の文化人が創価学会を称賛する度に思うのは、「そんなに創価学会を素晴らしいと思うのなら、自分も学会に入ればいいではないか」という事である。
森田氏は「「百聞は一見に如かず」です。私は、私が見た、私が感じた、創価学会という優れた人間の集団が日本国民から正当な評価を受けるように努力したい。創価学会の真実の姿を広く国民に伝えていきたいのです」と述べているのだが、それなら尚更、自身が学会員となって創価学会を実体験するべきであろう。
こういう思いを抱いている人は他にもいるようで、「森田実氏が本日の聖教新聞に寄稿。そこまで創価学会を絶賛されるのなら自分も入会して行動すべき! また外部に向かって訴えるべき!」というつぶやきをツイッターに書いている人もいる( ⇒ https://twitter.com/katsu3847/statuses/325393711242543104)。

更に森田氏は「創価学会の皆さんは礼儀正しい。男性は紳士ですし、女性の方たちは淑女で、エレガントです。人間にとって一番重要な謙虚さと誠実さと一生懸命さを持って生きておられます」と称賛しているのであるが、森田氏は創価学会にとって客人なのであるから丁重なもてなしを受けるのは当然ではあるだろう。客人と内部の会員に対する態度が違うのは当たり前である。そういった事も創価学会に入って実体験しなければ判らないだろう。
そういう意味で、自衛隊の体験入隊と同じく、森田氏も創価学会に2~3年ほど体験入会してみてはどうだろうか。
その際、特権階級としてではなく、一般会員として入会すべきだ。そうでなければ創価学会の実態を知る事はできないだろう。
そして、一般会員として学会活動の最前線に立ってみる事である。森田氏は高齢ではあるが、同じような高齢者の一般会員の中にも学会活動の最前線に立って今でもがんばっている人も多い。
創価学会・公明党ファイル」というブログに書かれてあったのだが、昨年12月の衆院選で学会員が選挙違反で略式起訴されており、その選挙違反した学会員の中に83歳の老婦人もいたという。そういう高齢者でも学会活動の第一線でがんばっているのである。しかも勢い余って選挙違反までしているのである。
だから森田氏も学会活動の最前線に立つ事は出来ない事ではないだろう。是非、実体験してみられる事をお勧めしたい。
いずれにせよ、今回の森田氏の創価学会を絶賛するコメントは、創価学会にとって外部の広告塔として最大に利用できる材料となるだろう。これから学会員も折伏する時「あの政治評論家の森田実氏が創価学会を大絶賛しているんだぞ。それほど創価学会は素晴らしい集団なんだぞ」と言って勧誘して回る事だろう。
それで創価学会の実態に疎い人などは「そんなに素晴らしい所なのか」と勘違いして入会し、一般会員と森田実氏との扱いの違いに驚く事だろう。その時はもう遅いのだが。
そういう人にとって、森田実氏の今回の公言は実に罪なコメントとなる事だろう。







お礼申し上げます

当ブログに訪問していただきありがとうございます。
本日はお礼を述べさせていただきます。

創価学会という冷酷無比な悪』のシバ様

木花のブログ』の木花様

真実と幻想と創価学会』のクロ様

白バラ通信 パンドラの箱』の髙倉良一様

拙ブログをブログ上でご紹介していただきまして誠にありがとうございました。
また、リンクしていただきましてありがとうございました。
失礼ながら、この場を借りましてお礼申し上げます。ありがとうございました。

なお、私のブログは悪質な嫌がらせや誹謗中傷に対処する為、現在コメントとトラックバックは封鎖しております。また、メールアドレスの記載も控えております。
ご不便をおかけすることになりますが、どうかご理解ください。

また、私のブログはリンクフリーですので、リンクされたい方はご自由にリンクしていただいて構いません。
私も気に入ったブログやサイトは次々と勝手にリンクさせて頂いております。その点、ご了承ください。


当ブログは頻繁に更新する事はできませんが、これからも創価学会への批評を続けて参ります。
これからもよろしくお願いいたします。

創価学会の組織で生き抜く秘訣

日本最大の宗教団体・創価学会は信者数日本一を誇っているが、その中でどれだけの信者が創価学会の組織の中を生き抜いているだろうか。いくら信者数の多さを誇っていても、多くの信者は学会の組織について行ってない。というよりついていけないという方が正解だろう。
そこで今回は創価学会の組織を生き抜く秘訣について考えてみたい。

創価学会の指導に「愚直の信心たれ」というのがある。言い換えれば「馬鹿のように素直に創価学会についてこい!」という事になる。なるほど、確かに馬鹿にならなければ学会活動を続ける事はできないだろう。裏を返せば賢い人間には無理だという事になる。だから世の中の学者や文化人など賢い人間は創価学会を称賛する事はあっても決して自らは学会には入らないのだろう。

そしてもう1つ学会の組織の中を生き抜く秘訣としては、厚かましくなる事だ。創価学会では厚かましい人間になる事を「人間革命」と言っているようだが、確かに創価学会の組織の中を生き抜くには厚かましくならなければ無理だろう。

馬鹿になって厚かましい人間になれれば創価学会の組織の中を生き抜く事ができる。学会教学など知らなくても心配しなくてよい。殆どの活動家は学会教学をよく知らずに学会活動を続けているのだから大丈夫だ。

という訳で、馬鹿になれない人と厚かましい人間になれない人は創価学会の組織には向いてないという事になる。

創価学会という組織は弱者に寄り添うような事はしない。創価学会という組織は弱肉強食の世界だから馬鹿のように単細胞で厚かましい人間でなければ生きていけない世界なのだろう。






格差組織の創価学会

創価学会を「相互扶助団体」として評価している学者や評論家もいるようだが、創価学会自体には相互扶助機能は存在しない。創価学会に相互扶助機能があるというのなら、学会員が死亡したり生活に困窮した時などに、学会員から徴収した広布基金などの寄付金を還元するべきだが、そういう事は一切なく、学会員が納付した寄付金は学会の本部職員の給料になったり学会の資産になっているだけで、学会員には還元されていない。
創価学会での相互扶助というのは仕事上での取引の時、同じ学会員である方が仕事も得られやすいとか、商売をしていれば、学会員がよく買い物に来てくれるとか、あくまでも学会員個人間での相互利用といった方が正しいだろう。あくまでも会員個人間での事であり、学会の組織にそういうシステムがある訳ではない。
それよりも、創価学会の組織に存在するのは格差である。創価学会の実態は格差社会・格差組織であると言ってよい。
創価学会は北朝鮮との類似性をよく指摘されるが、北朝鮮の社会をそのまま宗教組織にしたものが創価学会であると言える。
学会上層部の本部職員即ち職業幹部は創価学会から給料を貰って生活している特権階級であり、一般会員は別に仕事を持ち、創価学会に寄付をしてこれらエリート階層を支えている。しかもそれだけではなく、折伏にしても選挙での票獲得にしても聖教新聞等の販売拡大にしても一般会員が行なっている。特権階級は号令を掛けているだけである。
創価学会はよく「庶民の宗教」とか「庶民こそ王者」とか「創価学会こそ平等な組織」などと喧伝しているが、実態は特権階級が一般会員を支配している格差組織なのである。
本来の仏教でも、在家信者が出家修行者に食事などを供養してその生活を支えていたが、大衆に直接説法し導いていたのは出家修行者であった。欲を抑え質素な生活に徹して解脱の為の修行に励み、直接大衆に法を説いて導びくという事を実践していたからこそ当時の出家者は在家信者から尊敬され、供養を受けていたのである。供養を受けるだけの資格があったからである。
それに対して創価学会の職業幹部は一般信者から寄付を徴収していながら自分達は号令を掛けるだけで、折伏も選挙での票集めも聖教新聞等の販売拡大も実践していない。これでは供養を受けるだけの資格もない。
そもそも供養・寄進・布施とは信者が自発的に行うものであり、強制されて行うものではない。だから創価学会の場合は供養・寄進・布施ではなく寄付の徴収または会費の徴収と呼ぶべきである。
このような格差組織の創価学会で救われたと思い込んでいる熱心な一般会員も多数存在しているようだが、客観的立場から見ると学会から良いように利用されているだけだと言える。特に地区幹部や支部幹部に借金している者が多いという事実がそれを示している。
「本人が創価学会で救われたと思ってるんならそれで良いじゃないか」と言う人もいると思うが、この問題は学会員本人だけに留まらない。いつも学会活動と学会への献金で生活を圧迫されている活動家は他の会員や学会部外者からも借金して迷惑を掛ける事になり、被害が拡散される事になる。
一般会員は特権階級の支配下で一般会員同士と金銭トラブルを起こしたり部外者ともトラブルを起こしたりしている訳で、そういう事を考えたら我が身を犠牲にして学会活動に励むのがバカバカしくなってくるはずである。
少なくとも正常な思考力を有しているのであれば、そうでなければならない。

最後に、格差組織の創価学会を端的に示した一例としてここをご覧頂きたい。

↓   ↓   ↓   ↓    

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n18525

守られない学会員

1月30日付聖教新聞の第3面に「何があっても皆さんを守る」という大見出しがあり、壮年の頃の池田名誉会長の写真が大きく掲載されていた。こういう記事を書いておけば、おめでたい学会員は名誉会長に守ってもらえるとでも思って感激し、ますます学会活動に励むのだろう。
だが、名誉会長は次男を早死にから守ることもできなかったし、長男の離婚も防ぐ事はできなかった。自分の息子も守れなかった者が赤の他人の学会員を守れる訳もない。
それどころか、学会員が学会活動の為に生活を犠牲にして困窮しても「それはお前の信心が足りないからだ」と突き放すし、学会員が不祥事を起こせば、いち早く除名して「もう創価学会はお前とは関係ない」と冷たく言い放つ。
それが創価学会である。創価学会にとって利用価値のなくなった学会員はゴミでしかないからだ。

勝利実現できない活動大綱

創価学会の今年のテーマは『青年学会勝利の年』だそうだが、ここ数年、テーマに「青年」を入れているようだ。
それは裏を返せば、青年部員の減少に歯止めをかけたいという願望の現れなのだろう。
その青年部の中の男子部について、1月8日付聖教新聞に『2013年男子部活動大綱』と題して、【男子部「勝利」3項目】なるものが掲載してあった。その内容は以下の通り。
①折伏・弘教で勝利!
②人材育成で勝利!
③社会・地域で勝利!
例によって「勝利!」の文字が並んでいるが、これらを全て実現させる事は不可能だ。
創価学会の場合、男子部に限らず【折伏・弘教で勝利!】する事と【社会・地域で勝利!】する事は両立できないからだ。折伏・弘教に熱心な学会員ほどその勧誘も強引でしつこく非常識になっていく為、必然的に近所・地域・職場でも迷惑者扱いをされる事になる。社会・地域・職場で信頼されようとするならば、強引且つ非常識な布教はできなくなり折伏・弘教で勝利する事もできなくなるだろう。たとえ学会員個人が近所や地域社会から信頼されるような人物であってもそれが即折伏・弘教の達成にまでは繋がらない。学会員1個人が信頼されるような人物でも創価学会の悪名が世の中に知れ渡っている現在、学会に入信したいという者は稀であろう。
また、熱心な学会活動家のよくある行動パターンとして、学会活動費の捻出や学会への献金でいつも経済的圧迫を強いられている活動家は、職場の同僚から借金をする事が多いようだが、これでは職場の信頼も得られないだろう。そして、若者の創価学会離れが進む中、【人材育成で勝利!】するのもあり得ない。故に男子部活動大綱の【「勝利」3項目】は全て達成できないという事になる。これからは青年部の拡大は諦め、老人パワーに期待した方が良いのではないか。


ごみ処理施設で1000万円見つかる  - またもや創価学会か!?

今月17日に広島のごみ処理施設から1000万円 が見つかったそうだが、「また創価学会か!?」と思ってしまった。創価学会の捨て金庫事件以降、大金が捨てられている事件がいくつも起きているが、その度に「また創価学会か!?」と思ったものである。それほどあの事件はインパクトが大きかったし、大金をゴミに出すほど創価学会には金が余っているんだろうと再認識したものであった。さすが創価学会、宗教団体でありながらその俗っぽさも一般の世俗人に勝っている。


注)
  • 創価学会の捨て金庫事件


  • 新政権の真価が問われるのはこれから

    衆院選が終わり、「大勝利! 大勝利!」とはしゃいでいる創価学会・公明党だが、真価が問われるのはこれからだ。前回の自民・公明連立政権時でも大した政治はできていないし、緊急世論調査でも明らかなように、不甲斐ない民主党政権への失望から自民・公明へと票が流れただけで、特に期待をされている訳ではないようだ。
    学会員も公明党が勝利して「良かった、良かった」で終わりではない。公明党支援の選挙戦を純粋に政治活動と捉えている者や人生の生きがいの為のイベントと捉えている者は別として、大半の学会活動家は選挙戦も信心活動として捉えており、選挙で公明党が勝っても、その後の自分の人生に実証を示せなければ選挙活動は無意味なものになるだろう。

    選挙戦モード突入の創価学会

    この時期、外出すると、道沿いの家から「ナミョーレンゲキョー、ナミョーレンゲキョー」と聞こえるおばさん達の独特の早口による題目の声が耳につく。目をやると公明党のポスターが貼ってある。さっそく創価学会婦人部が公明党必勝祈願の題目闘争をやってるようだ。
    筆者が男子部員として学会活動を始めた時、最初に連れて行かれた会合が公明党支援の男子部活動家大会だった。会場内では前方に支部幹部が数人立っていて、「Fを取れー!」「Fを取らない奴は蹴り倒すぞー!」などと得意げな顔つきで喚いていたものだった。今時こんな事やっていたら大半の学会員は帰ってしまうのではないか。
    また、選挙期間中は仕事も無理やり休まされ、朝から晩まで選挙活動をやらされたものであった。
    それにしても、聖教新聞のセールス活動にしても選挙戦での票取りにしてもそれが仏道修行とは、拡大解釈すれば何とでも言えるものだ。学会幹部は「選挙戦を通じて人間革命するんだ」などと言っているが、選挙戦は選挙戦でしかない。選挙を戦ったからといって人格が向上する訳ではないし人間としての質が高まる訳でもない。当然ながら福運など積める訳もない。筆者はこれまで、公明党支援の選挙活動によって人間革命して人格が向上したとか、福運を積んで人生が良くなったという学会員にお目にかかった事がない。選挙戦の為に何日も仕事を休み、勤務先をクビになりかかり、思い余った奥さんが本部幹部だか圏幹部だかに直訴したという学会員の話なら聞いた事がある。選挙戦を「法戦」と称して無理に仏法にこじつけていても所詮仏道修行とは無関係な政治活動でしかない。
    尤も、選挙戦をお祭り騒ぎの一大イベントと捉えて、それを生きがいにしている学会員もいるにはいるようだ。筆者が学会員だった頃、「選挙はムードで戦えるから楽だ」と言って嬉しそうにしていた地区幹部や、選挙戦になると俄然張り切って活動する婦人部のおばさんなどがいたが、これらの学会員は選挙戦を仏道修行だと思う前に、人生の生きがいとして捉えていたのだろう。そういう学会員には勝手にやってくれと言っておきたい。
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    サヨナラ私の池田大作 女たちの決別/創価学会・公明党を糾すOB有志の会

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    池田大作と暴力団 独占スクープと内部資料が明かす創価学会ヤミの裏面史+跡目争いの行方! (宝島NF)/西岡研介/ほか著 乙骨正生/ほか著 森功/ほか著

    池田大作と暴力団 独占スクープと内部資料が明かす創価学会ヤミの裏面史+跡目争いの行方! (宝島NF)/西岡研介/ほか著 乙骨正生/ほか著 森功/ほか著


    池田大作・幻想の野望 小説『人間革命』批判/七里和乗

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    「きもカルト」撃退記 創価学会員やシンパとのお笑い真剣バトル全記録/黒田大輔

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    創価学会の研究

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    公明党=創価学会の真実/乙骨正生

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    創価学会Xデー/島田裕巳

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    創価学会・公明党の政権乗っ取りの野望 池田大作、市川雄一、神崎武法…の次なる戦略/山村明義

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    創価学会/島田裕巳

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    創価学会は「破仏法」の新興宗教/島田正人

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    公明党=創価学会の深層/乙骨正生/フォーラム21

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    カルトとしての創価学会=池田大作/古川利明

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    創価学会もうひとつのニッポン/島田裕巳/矢野絢也

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    システムとしての創価学会=公明党/古川利明

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    藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証 人権侵害・政権簒奪・歴史改竄 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない

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    乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント/矢野絢也

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    創価学会=公明党が政権の“オーナー”でいいのか 『政党・マスコミ』は沈黙していてはいけない/遠藤欣之助

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    司法に断罪された創価学会/乙骨正生

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    【送料無料選択可】創価公明党との決別 OB議員の赤裸々な体験集/創価学会・公明党を糾すOB有志の会/編(単行本・ムック)

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    イケダ先生の世界 青い目の記者がみた創価学会/ベンジャミン・フルフォード

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