仏にならずに鬼になれとはこれ如何に?
以前にも当ブログに書いた事があるが、特に男子部や壮年部の活動家は、学会活動の後に飲み屋に繰り出す事が多かった。筆者は酒が飲めない為、酒の席が苦手だったのだが、学会活動後、地区幹部に居酒屋などに引っ張り出され付き合わされる事が多かったものである。そこでは、同席していた地区部長が他の地区幹部達と、その場にいない支部長の陰口を叩き、愚痴やら悪口やらを言い合っていたものであった。
そして、そういう酒席では活動家達は公には言えない事をよく喋っていたものだった。ある地区幹部は、自分の部員が学会を辞めたいと言ってきたので殴ってやった、と当然の事のように喋っていたものだった。その殴られた男子部員は結局学会を辞めていったそうだが。殴られた方からすれば、ますます創価学会を嫌になるのが当然だろう。殴った地区幹部は暴力行為で訴えられなかったのが幸いだったと言える。
また、その地区幹部は筆者に「受け持っている部員から”仏の◯◯”なんて言われるようになったらしまいだぞ。”鬼の◯◯”と言われて恐れられる存在になれ」と言っていたものである。
実際、男子部には、活動家達から”鬼の◯◯”と呼ばれてカリスマ化されていた圏幹部もいた。そうして活動家達の畏怖と尊崇の対象になっていたようだ。
それにしても、本来創価学会は仏になる事を目指している宗教なのに、仏にならずに鬼になれとはこれ如何に?
鬼になる事を目指すのなら仏教を名乗らず鬼教(?)を名乗るべきだろう。
この辺りにも創価学会が本来の仏教からかけ離れた存在である事が窺える。原始仏典には、釈尊は武力と威力に依らずしてその人物的威徳に依って弟子達を従わせていると賛嘆されたとあるが、それが仏教の目指すべき原点だろう。創価学会では「仏罰」の脅しと幹部達の有形無形の威力によって信者達を従わせようとしている。これは仏教とは言えない。鬼教と名乗るべきだ。
そして、そういう酒席では活動家達は公には言えない事をよく喋っていたものだった。ある地区幹部は、自分の部員が学会を辞めたいと言ってきたので殴ってやった、と当然の事のように喋っていたものだった。その殴られた男子部員は結局学会を辞めていったそうだが。殴られた方からすれば、ますます創価学会を嫌になるのが当然だろう。殴った地区幹部は暴力行為で訴えられなかったのが幸いだったと言える。
また、その地区幹部は筆者に「受け持っている部員から”仏の◯◯”なんて言われるようになったらしまいだぞ。”鬼の◯◯”と言われて恐れられる存在になれ」と言っていたものである。
実際、男子部には、活動家達から”鬼の◯◯”と呼ばれてカリスマ化されていた圏幹部もいた。そうして活動家達の畏怖と尊崇の対象になっていたようだ。
それにしても、本来創価学会は仏になる事を目指している宗教なのに、仏にならずに鬼になれとはこれ如何に?
鬼になる事を目指すのなら仏教を名乗らず鬼教(?)を名乗るべきだろう。
この辺りにも創価学会が本来の仏教からかけ離れた存在である事が窺える。原始仏典には、釈尊は武力と威力に依らずしてその人物的威徳に依って弟子達を従わせていると賛嘆されたとあるが、それが仏教の目指すべき原点だろう。創価学会では「仏罰」の脅しと幹部達の有形無形の威力によって信者達を従わせようとしている。これは仏教とは言えない。鬼教と名乗るべきだ。
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