現役創価学会員から2013年6月23日の聖教新聞を手渡された。
またもや名誉会長に名誉博士号が送られたとのこと。
かつてフィリピンの州立大学を「国立大学」と偽る前科があるので実に疑わしい。
しかも一度や二度ではない。
そんな事を学会員たちは知らない。
疑ってさえいないのだから、なおのこと哀れだ。
つまり、聖教新聞の記事を鵜呑みにするようマインドコントロールされている。
もはや自ら思考することを停止しているのだから仕方あるまい。
かつての私もそうであったのだから。
では、調べてみることにしよう。
なになに「ウズゲン工科教育大学」。
で、場所はキルギス共和国のオシ州。
まずはGoogle先生に「List of universities in Kyrgyzstan」と入力してエンターキーをポン!
一番最初にWikipediaの結果が出てきたので開いてみる。
ああ、親切にも州別に記載されているじゃないか。
で、オシ州はと。大学は5つだけか。ふ〜ん。
で例の大学名は「ウズゲン工科教育大学」か。
ウズゲン。。。あれ、ないんですけど(笑)
では他の州も一応探してみよう。
やっぱりない。
創価学会の皆さん! そんな大学は存在しないのだよ!
もう少し調べてみよう。
そこでGoogle先生に「Kyrgyzstan university Osh」と入力してエンターキーをポン!と。
1ページ目該当なし。
2ページ目該当なし。
3ページ目該当なし。
4ページ目該当なし。
5ページ目該当なし。。。
はぁ、疲れた。もういいでしょ。
無いんですよ、そんな大学は!
この記事は一面のトップ記事として掲載されたものだ。
かつては州立を国立と偽る程度だったが、もはや架空の大学をデッチ上げ。
落ちる所まで落ちたな。
そして、それを疑うことのできない創価学会員の方々。
なにしろ「学会を疑う=弱い」と教え込まれている。
知らず知らず心まで支配されている事に気付かない。
これは創価学会による定期的なマインドコントロールの効き具合検査であろう。
「ニセ記事への反応なし。まだMCは効いてるよ」と学会中枢部の高笑いが聞こえる。
ニセ本尊を作れるほどの団体なのだから、ニセ大学なんて朝飯前だ。
ここまでされても気付けないとは、本当に哀れで仕方が無い。
創価学会員さんが大御本尊様から引き離されて20年以上の歳月が流れた。
確実に言えることは、大石寺に参詣すれば気付くことが出来る方は多い。
勇気を出して足を運んでみればいい。
真の求道心のある方ならば、必ず正法を感ずる事が出来るであろう。
またもや名誉会長に名誉博士号が送られたとのこと。
かつてフィリピンの州立大学を「国立大学」と偽る前科があるので実に疑わしい。
しかも一度や二度ではない。
そんな事を学会員たちは知らない。
疑ってさえいないのだから、なおのこと哀れだ。
つまり、聖教新聞の記事を鵜呑みにするようマインドコントロールされている。
もはや自ら思考することを停止しているのだから仕方あるまい。
かつての私もそうであったのだから。
では、調べてみることにしよう。
なになに「ウズゲン工科教育大学」。
で、場所はキルギス共和国のオシ州。
まずはGoogle先生に「List of universities in Kyrgyzstan」と入力してエンターキーをポン!
一番最初にWikipediaの結果が出てきたので開いてみる。
ああ、親切にも州別に記載されているじゃないか。
で、オシ州はと。大学は5つだけか。ふ〜ん。
で例の大学名は「ウズゲン工科教育大学」か。
ウズゲン。。。あれ、ないんですけど(笑)
では他の州も一応探してみよう。
やっぱりない。
創価学会の皆さん! そんな大学は存在しないのだよ!
もう少し調べてみよう。
そこでGoogle先生に「Kyrgyzstan university Osh」と入力してエンターキーをポン!と。
1ページ目該当なし。
2ページ目該当なし。
3ページ目該当なし。
4ページ目該当なし。
5ページ目該当なし。。。
はぁ、疲れた。もういいでしょ。
無いんですよ、そんな大学は!
この記事は一面のトップ記事として掲載されたものだ。
かつては州立を国立と偽る程度だったが、もはや架空の大学をデッチ上げ。
落ちる所まで落ちたな。
そして、それを疑うことのできない創価学会員の方々。
なにしろ「学会を疑う=弱い」と教え込まれている。
知らず知らず心まで支配されている事に気付かない。
これは創価学会による定期的なマインドコントロールの効き具合検査であろう。
「ニセ記事への反応なし。まだMCは効いてるよ」と学会中枢部の高笑いが聞こえる。
ニセ本尊を作れるほどの団体なのだから、ニセ大学なんて朝飯前だ。
ここまでされても気付けないとは、本当に哀れで仕方が無い。
創価学会員さんが大御本尊様から引き離されて20年以上の歳月が流れた。
確実に言えることは、大石寺に参詣すれば気付くことが出来る方は多い。
勇気を出して足を運んでみればいい。
真の求道心のある方ならば、必ず正法を感ずる事が出来るであろう。