会社を辞めるタイミング、会社を変えようという想いについて

最近、いくつか出ている赤裸々な会社を辞めた記事が面白いなぁと思って見てるのですが、TISを1.5年で辞められた方のエントリーのコメント欄から、こんな話にたどりついた。


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ITエンジニアは定時退社の夢を見るか?
人形つかい(終) エピローグ

大手発注主のエースシステムと、下請けの主人公が所属する会社との関係のお話で、全部は読んでないけど、下請けに厳しい(都合の良い)発注主のリーダーの高杉と、サブリーダーの橋本。上級SE職として顧客と仕様だけを決めて、下請けに丸投げするビジネスのあり方の中で、橋本は果たして、この先このままでよいのだろうか?!と同社内の上級SEの技術力に対して不安を持ち、ベンチャーの現場に転職する、というお話。

この話に対するコメントはすごく冷静で、橋本は絶対後悔するハズという意見や、視点が開発者だ、橋下氏は会社に残って会社を変えるべきだ、などといろんな意見がありました。

一次受けのSIerに限らず、さまざまな業界における大手の発注主の存在意義とは資金繰りやトラブル時の保証というファイナンス面の話だとはよく言われますよね。

でも、お金だけを回すのではただの保険屋さんや金融機関と変わらないという話になってしまうので、それを実働として回す仕事が上級SEが所属するSIerの役割ということになるのでしょうか。

故に、実際にモノを作るのは下請けの会社ということになるのでしょう。

同じ日本人同士だからわかりにくくなっていますが、システムの作り手を海外の後進国に発注すると仮定するとわかりやすいでしょうか。一次受けのSIerさんのビジネスは、如何に安い労働力を回して、顧客の仕事を達成するか?!というのが成功のビジネスモデルになっているんじゃないかと思います。

ここから突然ミクロな話に変わりますが、

少なくとも誰かが頑張ってビジネスが成功している以上は、会社は変わらないです。変える必要はないというのが正解でしょう。
ホント昔からよく聞くんですが、「オレたちがどうにかしちゃってるから会社って変わらないんだよね」って、どこ言ってもみんな同じことを言ってますね。その通りなんです。

ところが会社辞めちゃうと、自分でお金を稼ぐのは難しいので、不満をいだいてもストライキを起こす人はいませんし、文句を言いつつ続けていくしかないんです。

そうこうしているうちに結婚して、子供ができて、家を買ってしまったら、大多数の人は、もう終わりでしょう。一生、このビジネスが安泰のまま定年を迎えることを希望するか、自分以外のスーパーな誰か手で「自分の給料は下げることなく」連続的な進化を祈るだけです。破壊的な進化は誰も望ましいと思ってないでしょう。

それに業界の誰もが何もしなければ、今成功しているビジネスモデルは、多分、安泰だと思います。

おそらくTPPを睨んで、最近農業だの漁業だのはもっと変わるハズだといろいろ言われていますが、まさにそういう症候群に陥ってるような感じです。

問題は、この「誰も何もしなければ」という部分なんですが、ITの場合はそもそも黒船にひっくり返されるケースもありますし、もし自分たちで何かをひっくり返したければ、黒船の力を借りて、「誰かが何かを成し遂げれば」変わっていくことが期待されます。ソフトウエア産業は、まだ技術でパラダイムをひっくり返す可能性がある稀有な世界とも言えます。ポイントは経済合理性であり、破壊的技術です。今までお金がもらえたものをゼロ円にしてしまって、新しい別の価値を作るということです。その変化についていけない組織は小さくなってどこかに吸収されてしまいます。そのタイミングでプロセスそのものの変化をもたらすのです。

ですがもちろん、それは一人では難しいですし武器も必要です。何かを成し遂げるまでには時間がかかります。だからこそ若いうちの方がいい。今いただいているお給料がどうやって生まれているのか?!を考えると、やっぱり現状のビジネスモデルの成果だと思うので、給料を維持したままビジネスを変えようってのが、そもそも無理な考え方なのではないか?!というのは考える余地はあると思います。

それと新卒で入社して数ヶ月とか1年ぐらいでやめてしまうと、既存企業でもっと学べることがあるじゃないか!早すぎるよ!という話はよくありますが、じゃぁ何年いればいいの?と言っても適切に答えられる人はいないでしょう。「3年ぐらいは」って人もいるだろうし、「10年はいるべし」って言う人もいるでしょう。しかしそこに大抵、妥当性はありません。まぁ確かに1年で学べる範囲なんて大したこと無いよってのは、僕も賛同するところです。慣れた頃に終了ってのが現実じゃないでしょうか。しかし、それよりも大きい問題はその職場に費やす時間の代わりに、新しい場所で得られる経験も捨てているということ。

自分の時間は交換できないので、ここぞというタイミングが自分にとって正しいと思ったことは、多分正しい。少なくともそう思っちゃった以上は、仕方ないと思うのです。

タイミングを一度逃しちゃうと、後から事態が悪化することもありますからね。年をとると、自分自身の考え方が変わっていく部分はやっぱり否めないですからね。

それに「たられば」で後悔する人生は送りたくない、そういう危機感こそ、自分自身の進化をもたらせる原動力だったりするわけで、危機感ドリブンで前に進んでいくのも一つの選択肢だと思います。

何書いてるかとりとめがないんですが、最近、文章書いては捨てというのが続いてて、ちょっと悪い習慣が続いているので、エイヤーとアップしちゃいますね。別に煽ってるつもりはなくて、自ら選択して、辞めちゃった人の応援という意味で捉えていただけると幸いです。