日記

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彼の骨折③(完結)

 土日、仕事が休みの知也はさすがにソファの上でクッションに脚を載せて、おとなしくしていた。手も極力使っていない。

「ごめんな、亜由。どこも行けなくて」

「いいよ。たまにはいいよね、こういうのも」

 レンタルDVDを見たり、コーヒーを飲みながらごろごろしておしゃべりをしている内に、あっという間に夜になった。

「もうこんな時間かあ…。夕食作るけど、何食べたい?」

「そこのファミレスでも行く?」

 知也の言葉に、亜由は首を横に振った。

「だめだよ、せっかく腫れも引いてきたのに」

「大丈夫だって、近くだし。2日間ずっと部屋の中だったから息詰まりそう」

「…それじゃあ、近くなら」

 亜由は渋々うなずいた。

「じゃあちょっと、出掛ける前にトイレ行ってくるわ」

 知也は立ち上がりトイレに入った。知也は室内では松葉杖なしで歩いている。亜由の脳裏に、ふとある考えが浮かぶ。

(どうしよう…でも成功するとも限らないし、やるだけやってみる…?)

 亜由は急いで台所に行き、キッチンペーパーにサラダオイルを含ませ、それを二本の松葉杖の先にたっぷりと塗った。水音がして、知也がトイレから出てくる気配がした。亜由は慌ててキッチンペーパーを捨て、松葉杖を玄関に持っていく。

「じゃ、行こっか」

 知也は亜由のしたことも知らず、松葉杖を持とうとした。亜由は慌てて言う。

「だめ!せっかく手首よくなってきたんだから、外までは使わないで!」

「え、大丈夫だって」

「でも心配だもん。脚だって心配だけど、ギプスしてるし」

 亜由は有無を言わさずに押し切った。もしも松葉杖を使えば、オイルが早々にばれてしまうかもしれない。

 亜由が松葉杖を持ち、二人は階段まで並んで歩いた。知也は脚をつくたびに少し痛そうな顔をする。

「あ!」

 階段を降りる直前、亜由は声をあげ、持っていた松葉杖を知也に渡した。

「ごめん、携帯忘れちゃった。取ってくるね。先行ってて!」

 言いながら走って部屋に戻り、鍵を開けた亜由は、ドキドキしながら扉を閉めた。携帯を忘れたのは嘘だ。ちゃんとバッグに入っている。

(きっと知也、松葉杖を使って階段を…)

 亜由がそう思った途端だった。

「うわあああああっっっ!!」

 扉の向こうから、知也の叫び声と何かが転げ落ちる気配がした。

(やっぱり!!)

 亜由は部屋を飛び出した。知也はオイルを塗った松葉杖を使って階段を降りようとしたのだ。松葉杖はついた途端にオイルで滑り、知也はきっと…

「知也!!」

 亜由は階段の上から叫んだ。知也が階段のいちばん下に倒れている。叫び声を聞きつけたらしいマンションの管理人が走り寄ってくる。

「大丈夫ですか!?」

「う…うっ…く…っ」

 知也は体を丸めて痛みに耐えている。亜由が「知也!」と腕に縋り付くと、

「うぁぁっ!!」

 と声をあげた。亜由の手の平にもはっきりと、折れた腕の骨の感触がある。

(いやだ…まさかこんな…大怪我になるなんて…!)

「救急車呼んでくださいっ!!」

 亜由は管理人に言った。管理人は慌てて立ち上がった。




 翌日。

「ゔぅ…」

「知也…痛むの…?」

 亜由は痛みに耐える知也の額の脂汗をタオルで拭きながら、病室のベッドに付き添っていた。

 知也は首にコルセットをはめている。右脚のギプスはそのままだが、更に右腕にも肘上からギプスをはめている。

 腕と脚を天井からから吊られ、身動きが取れない状態で知也は横たわっていた。

 病室のドアがノックされ、おそるおそる顔を出したのは岡田だった。

「亜由さん…作田さん、大丈夫ですか?」

「岡田くん、来てくれたんだ。ありがとう」

「いや、近くに来たんで」

 亜由は微笑んで知也の耳元で言った。

「知也、岡田くんだよ…?」

「作田さん、具合どうですか?」

「それが…あちこち折っちゃって…」

 亜由はうつむいて言った。

「無理して一人で階段を降りようとして、松葉杖をつきそこなっちゃったみたいで…」

「亜由、余計なこと言うなって…」

 知也が苦しそうな声で言った。

「別に、そんなひどい怪我じゃ…」

 そう言いながら起きようとし、

「っ痛…っ!」

と声をもらす。

「もう、動かないで!首の骨も折れてるんだから!」

 亜由は眉をひそめて、起き上がろうとした知也の両肩をベッドに押し戻した。岡田も言う。

「そうっすよ、作田さん。仕事は俺に任せてください!」

「それが一番…心配…」

 ぐったりとベッドに横たわり、知也は言った。

「仕方ないでしょ、脚だけじゃなく腕も折っちゃって、しばらくは絶対安静って言われてるんだから…。岡田くん、1か月は入院って言われてるの。仕事、よろしくね」

「任せてくださいっ!作田さん、ゆっくり休んでくださいね!」

 岡田は満面の笑みで帰っていった。

「知也、水飲む?お茶がいい?」

「ん…じゃ、お茶…」

 亜由は吸い飲みに冷たいお茶を入れ、吸い口を知也の口に入れた。

「いいって、普通にコップで…」

「何言ってるの。首動かすの厳禁でしょ」

 そう言って、亜由は吸い飲みを傾けた。

「1人で何でもやろうとしないでよね。脚も腕も、全然骨がついてないんだから」

「別に動いても痛くないって…」

 亜由は肘を少し曲げられた状態で、付け根から指先までギプスで固定された知也の腕を見た。腫れているために縦に割られ、上から包帯でぐるぐる巻きにされて吊られている。

 亜由はその腕を、ポン、と押した。バンドで天井から吊った腕がブランコのように揺れ、

「いだっ!いてえっ!亜由、痛いって!!」

 知也は大声をあげながら、慌てて左手で右腕の揺れを停めた。

「ほら、やっぱり痛いんじゃない」

 亜由は言った。

「退院してもしばらく車椅子だからね。もう、絶対無理しちゃダメだよ。これ、洗ってくるね」

 亜由は吸い飲みを手に立ち上がり、通りがけに吊られた知也の脚をポン、と叩いた。

「だっ!いだっ!」

 知也は思わず枕から首を上げ、

「…っ!!…痛っ…いてぇ…」

と左手で首を押さえてうめく。亜由は

「でしょ。ちゃんと安静にしてて!」

と言って廊下に出た。

(あー…もうっ!)

 廊下を歩きながら知也の痛がる姿を思い出し、亜由は下腹部を脈打つ熱さを押さえられなかった。

(知也…私が、ちゃんと面倒みてあげるからねっ…!)

 そう思いながら亜由は、自分の顔が微笑んでいることに気づいていた。

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彼の骨折②

 翌朝、朝食の時間に間に合うように亜由は病院に行き、知也に食事を食べさせた。午前中は検査と、経過が良ければギプスを巻くということで、亜由は一度外に出て買い物をし、知也リクエストの雑誌を買ったりした。

 昼食頃、亜由は病院へ戻った。

「知也、買ってきたよー」

 亜由は言いながら病室へ入り、知也の姿を見て尋ねた。

「あれ?手は?固定したりしなかったの?」

「ああ、だって固定したら松葉杖持てないし。脚は折れてたから仕方ないけど、手はまあいっかなって」

 知也は、脚にはギプスを巻いていたものの、手首は湿布と包帯をしているだけだ。

「もー、動かしたら悪化するだけじゃない」

「大丈夫だって」

「だって、スプーンも持てないのに」

「もうだいぶ腫れも痛みも引いたし、まあ脚は仕方ないけど、手は使えないと困るし」

「もう…」

 知也が言い出したら頑固なことを知っている亜由は、ため息をついて諦めた。

「でも、ほんとに無理しないでね。電車なんて絶対ダメだから。タクシー使って」

「金かかるよ、労災下りてるとはいえ」

「じゃあ、私がレンタカー借りて会社の近くまで送ってあげる。だったらいいでしょ?」

 渋々ながらも、知也は承諾した。




 翌日、知也は松葉杖をついて退院した。亜由も数日は知也の家に泊まることにした。

 家に帰って脚を見ると、指先が腫れて青紫色になっている。亜由は眉をひそめて「痛そう…」と呟く。

「見た目ほど痛くないって」

 知也は言ったが、立ち上がるとやはり右脚に体重は乗せていない。それなのに松葉杖を使わなかった。

(やっぱり手首痛いんだ…もう、どうして固定してもらわないの?仕事ってそんなに大事?)

 亜由は思ったが、言っても知也は聞くわけがない。

 翌朝、知也は手首に簡単なサポーターだけをした。スーツを着るとギプスもほとんど隠れ、怪我をしていることは一見わからない。

「最近のギプスって薄いんだね」

「うん、思ったより軽いし、裏に踵つけてもらったから歩きやすい」

 しかし部屋を出てマンションの通路を歩くときには、松葉杖もうまくつけず、何とか進むという状態だった。亜由は隣に付き添いながらハラハラしてそれを見ているしかなかった。

(どうしてこんな無茶するの…?痛いって言ってくれればいいのに…)

 やっと車の後部座席に座ったときには、知也の額には疲労と痛みのために汗が流れていた。

「大丈夫?脚、座席の上に伸ばして」

 亜由は車を出発させた。会社の近くに車を停め、

「迎えに来るからメールして」

と言った。

「うん、サンキュ」

 知也は亜由を安心させるように笑って会社に入っていった。




 その日の夜、知也は会社から出て亜由の車に乗った途端、痛そうに顔をしかめた。

「大丈夫?」

「大丈夫」

 そう言いながらも、顔をしかめたままだ。亜由は慌てて座席の上に伸ばされた脚を見た。爪先は朝見たときよりだいぶ腫れている。

(お医者さんから、まだ脚は床についちゃだめって言われてるのに、ついて歩くんだもん…。絶対無理しすぎだよ…)

 亜由は運転席に戻り、せめて早く家に戻ろうと車を走らせた。

 マンションに着いたが知也はやはり手が痛いらしく、ちゃんと松葉杖を握ることができない。亜由は遠慮がちに支えようとしたが、

「いいって」

 知也に拒否され、仕方なく横に付き添いながらゆっくりと部屋に戻った。

 部屋に入った途端、ソファに倒れ込んだ知也のスーツを脱がせ、クッションや枕を重ねてそこにそっと脚を載せると、少しして知也はだいぶ楽になったようだった。

「まだ痛い?」

「いや、大分よくなった」

 知也は体を起こそうとした。すると脚を載せていた重ねたクッションの1つがずるっと滑り、知也の脚はソファに叩き付けられた。

「いっ…てえええ!」

 知也は叫んで脚を抱えた。亜由は思わず駆け寄る。

「大丈夫!?」

「うーっ…いっ…つぅっ…」

「痛み止め飲んだ方がいいよ!」

 亜由は錠剤と水のペットボトルを台所から持ってきた。

「ほら、飲んで」

 錠剤を渡し、ペットボトルの蓋を開ける。しかし、慌てて蓋を回したために手が滑り、「きゃっ!」落ちたペットボトルは知也の脚を見事に直撃した。

「いでえええっ!いだっ!だっ!痛っっ…!!」

 知也が絶叫する。

「ごめん!ごめん知也!!大丈夫…?」

「大丈夫…っつー」

「だよね!?だよね!?あー、もうっ!ごめんっ!」

「いってえ…」

 知也はふたたびソファに倒れ込んだ。苦しむ知也をおろおろしながら見つつ、

(あれ…?)

 亜由は不思議な気持ちになった。

(なんだろ、私…知也が苦しんでるの…なんか…きゅんってなる…)




 翌日もその翌日も、亜由は知也を会社まで送り迎えした。無理をしている知也の怪我は全く良くならず、かえってひどくなっているようにも見えた。

 亜由は帰ってくるたびに激痛に苦しむ知也を心配しながら、不思議な気持ちを抑えられない自分を発見していた。

(私…どうしたんだろ?知也が苦しんでるのに…変だよね。でも…)

 退院して一週間目。会社からマンションに帰ってきた知也の隣を歩きながら、亜由は知也をそっと見上げた。何とか松葉杖を持っているものの、両手首の捻挫がまったく良くなっていない知也は、きちんと松葉杖をつくことができていない。

(両手が痛くて松葉杖をちゃんと持てないから、右脚も床についちゃうんだよね)

 松葉杖を使いつつも、痛そうに右脚を進める知也を見ているうちに、亜由は自分の下腹部のあたりが熱くなっているのを感じた。

(ごめん、知也…)

 亜由はとうとう、その気持ちを確かめてみることにした。

 知也が右脚を床についた瞬間、

「きゃあっ!」

 亜由はつまづいた振りをして、知也にぶつかった。バランスを失った知也は、

「うわっ!」

とそのまま転倒する。折れた右脚に一気に体重がかかり、知也は

「いだぁっ!」

と声をあげて、その場に倒れ込んだ。

「知也!知也ごめん!」

 亜由は慌てて知也に縋りついた。知也は目をぎゅっと閉じ、脚を抱えて「ぐぅ…っ…」と痛みに耐えている。

「いてぇ…っ…!」

「知也!痛いの…?」

「大したことない。…あ、痛…っ…!」

 立ち上がろうとして、知也はギプスの脚を抱えてうめいた。亜由はおろおろする。

「どうしよう…救急車…」

「大丈夫だって!」

 痛みに顔を歪ませながら、知也は言った。

「少しすれば…良くなるから…」

「でもっ…」

「大丈夫…」

 荒い息をして痛みに耐える知也を見ながら、

(間違いない…)

 亜由は思った。

(私…怪我をして苦しんでる知也を…もっと見たい…)

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彼の骨折①

 幼稚園の昼休み、園児たちをお昼寝させた亜由は携帯をチェックした。

「あれ、何だろ…」
 つき合って3年になる作田知也から電話が入っていた。亜由がかけ直してみると、コール5回ほどで聞き慣れない男性の声がした。

「はい、もしもし」

「あの…さっきお電話を頂いてたようなんですけど…」

「あ、亜由さんですよね?俺、作田さんの後輩の岡田です。覚えてますか?」

「あ、はい。お久しぶりです」

 岡田は、知也の職場の後輩で同じチームを組む部下でもある。お調子者だが憎めない子で、亜由も一緒に飲んだことがあった。でもなぜ知也の携帯に岡田が出るのかと、亜由は不思議に思った。

「実は亜由さん、作田さん、今病院にいまして…」

 岡田の言葉に、えっ?と亜由は聞き返した。

「病院?風邪か何かですか?」

「いや、あの、それが…今日現場だったんですけど、倒れてきた資材に作田さんが下敷きになって…」

「えぇっ!?」

 亜由は思わず立ち上がった。同僚が一斉にこちらを見る。

「あの、それで?」

「まだよくわかんないんですけど、あの、かなり重傷です。なんか、手術とかするかも的な…」

「重傷!?手術!?」

「はい。あの、亜由さん来れますか?」

「え、あ、あの、はい…抜けられるかどうか聞いてみます。えっと、病院。病院は?」

 岡田は市内の総合病院の名前を言った。亜由は電話を切ると、混乱しながら園長のところへ急いだ。




「もー、死んじゃうかと思ったぁ」

 亜由は知也の顔を見るなり、へなへなとベッドの隣の椅子にへたり込んだ。

「死んじゃうってなんだよ。勝手に殺すな。亜由、早退までしなくてもよかったのに」

「だって、手術とか言うから…」

 知也が亜由の隣に立っている岡田をにらんだ。

「岡田、お前大げさすぎ」

「だって…作田さん全然動かなかったし…頭打ったりしてたら…」

「ヘルメット被ってただろうが」

 知也は大手建設会社の設計士だ。普段は現場には赴かないが、大きな仕事とかで最近は現場に出入りしていた。

「でも、大変だよ。早退してきてよかった。こんな大怪我…」

 亜由はベッドの足元を見た。知也の右脚は膝下をシーネと包帯で固定され、脚台に載せられている。亜由は心配そうに聞いた。

「骨…折れちゃったんでしょう?」

「まあ折れてるけど、腓骨だけだし、大したことないって、このくらい。一応他の部分の検査とかもあるけど、2日で退院」

「でも、会社はしばらく休まなきゃ」

 亜由は心配そうに言ったが、知也は首を横に振った。

「今は休めない時期だから。俺が行かないと進まないこともあるし」

「しばらく家で安静にしてた方がいいってば」

「こんなの大したことないから、全然大丈夫だって。今は大げさに固定してるけど、別に痛みもそんなにないし」

「無理しないでよ、もう…」

 亜由は泣きそうになりながら言った。はあー、と岡田が大げさにため息をついた。

「いいなあ、作田さん。亜由さんみたいな彼女いて。俺も欲しー」

「お前は黙ってろ」

 知也は軽く岡田をにらんで言った。

「っていうか亜由、仕事よかったの?」

「早退してきた。園長先生も行ってきなさいって。明日から夏休みだし、長くお休み取ってもいいって」

 亜由は言った。

「入院になるんだったら、買い物とかもあるでしょ。退院しても、いろいろ不自由だろうし…。何でも言って」

「いいよ、そんなの適当にやるって。コンビニとかあるんだから、何とかなるよ」

「私がやりたいの。やらせて」

 知也はため息をついた。

「まあ、助かるっちゃあ助かるけど」

「いっつも甘えてばっかりだし、私」

 2人の会話を聞きながら、あーあ、と岡田が言った。

「俺、もういらないっすね。邪魔ですね」

「うるさい、岡田。俺が休んで一番心配なのは、お前が何かやらかすことだってわかってる?」

「えー、任せてくださいよ。ゆっくり休んでくださいって」

「絶対嫌だ。仕事が二倍になるから」

 その会話を聞きながら、亜由はくすくすと笑った。




 亜由は一度病院を出て、知也の部屋から着替えを取ってきたり、歯ブラシなどの買い物をして戻った。

 知也の部屋には合鍵をもらっていつも出入りしているし、洗濯をすることも多いから、どこに何があるかはわかっている。手際よく紙袋に詰め、勤め先の幼稚園で有給休暇の手続きをして、亜由は夕方には病院に戻った。

 病室に戻ると、知也は眠っていた。

(いっつも帰り遅いもんね…疲れてるんだ…)

 亜由は知也の顔を覗き込んだ。少し汗をかいていて、呼吸もやや苦しそうだ。

(痛いのかな…痛いよね、骨折だもん…)

 いつも頼りがいのある知也の弱っている姿を見て、亜由は胸が締め付けられた。

(知也、人に甘えるの下手だし…無理ばっかりするんだよね。こんな時くらい甘えてくれていいのに)

 亜由は持ってきたタオルを洗面台で濡らして絞ると、知也の額を拭いた。

(熱あるのかな…骨折って、熱出るのかなあ…)

 亜由は知也を気にしながら、持ってきたものを棚にしまった。

「亜由」

 名前を呼ばれてはっと振り返ると、知也が目を開いていた。

「あ、ごめん、うるさかった?」

「いや、あれからすぐ寝たから…3〜4時間寝たし、起きないと」

 知也は起きようとして、

「痛っ…」

と顔をしかめた。亜由は慌ててリクライニングを起こす。知也は言った。

「忘れてた、怪我してるの」

「なんで忘れちゃえるの?骨が折れてるんだよ?」

 亜由は思わず笑ってしまう。

「亜由、水とかお茶とかない?」

「うん、買ってきてあるよ」

 亜由はそう言って小さな冷蔵庫からペットボトルの水を出し、蓋を開けて渡した。知也は手を伸ばして受け取ろうとしたが、

「知也、それ…」

 亜由はその手を見て思わず声をあげた。両方の手首が腫れ上がっている

「あぁ、ちょっと捻ったかも。別に、ちょっとの捻挫でもこのくらいには普通に腫れるよ」

「でも…痛そう…」

「大丈夫」

 知也は言ったが、ペットボトルを握ろうとして、「つッ…」と声をもらした。

「やっぱり痛いんじゃない!本当に捻っただけ?」

「折れてたらこんなもんじゃないって。亜由、心配しすぎ」

「でも動かさない方がいいよ」

 亜由はそう言って、ペットボトルを知也の口元に持っていった。

「いいって」

 知也は不機嫌そうに言ってペットボトルを持とうとしたが、やはり握れない。結局、手を添えながらも亜由に飲ませてもらった。

「ごめん」

「謝らないでよ。だって私いっつも、知也にしてもらってばっかりだもんね。ご飯もおごってもらっちゃうし、誕生日にはケーキとかお花とか買ってくれたし、クリスマスはティファニーまでもらっちゃったもんね」

「モノばっかじゃん」

 知也が笑いながら言う。

「他になんかないの?」

「うーん、あるけど言わない」

「なんで」

「照れるよー」

 亜由は笑って言った。

「でもさ、ほんと、早く良くなるといいね。知也が頼ってくれるのは嬉しいけど、やっぱり痛そうな姿見てるのはつらいから」

 そのとき、ドアがノックされた。

「作田さん、お食事の時間でーす」

 看護士が知らせてくれる。亜由は廊下に出て行き、食事のトレーを取って戻った。テーブルをセットし、持ってきたスプーンを出す。

「何から食べる?」

「じゃあ…味噌汁から」

「オッケー」

 亜由は味噌汁をスプーンにすくい、少し吹いて冷ますと「はい」と口元に持っていった。

「熱くない?」

「うん、ちょうどいい。…でもやっぱ、介護されてるみたいで嫌だな」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。食べないと良くならないよ?」

「亜由、いっつも幼稚園児にそんな感じで接してんの?」

「園児にはもっと優しいよー。知也は大人だからスパルタで行くの。はい、次何食べる?」

 亜由は冗談めかしながら食事を知也の口に運んだ。

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思惑④(完結)

 聡との同棲生活はそれからも続いた。

 退院の翌週には仕事に復帰し、大歓迎で迎えられた。車椅子と松葉杖を使って仕事をする真由子に、みんなが優しかった。同僚が聞いてくる。

「ねえ、聡くんが送り迎えしてくれてるんでしょ?」

「うん、まあ時間合わないことも結構あるけどね。電車に乗ると怒られちゃうから、タクシー使ってる」

「うわー、大切にされてるわね」

「まあねー」

 さすがに仕事に穴は開けられない聡は、やはり帰るのは遅い。真由子はできるだけ掃除や洗濯をしたりネットで買った食材で夜食を作ったりして待っていた。

「いいって、そんなことしなくても。松葉杖つきながら掃除なんて危なすぎ」

「だってやりたいんだもん。大丈夫、もう足もつけるように、ギプスも巻き直してもらったし」

 真由子の脚のギプスは、膝を伸ばされた状態で巻き直されており、ゴムの踵もついた。

「経過どうなの?」

「うん、骨もけっこうついてきたし、靭帯も手術しないで済みそう。ギプスとれても、しばらくは装具つけなきゃいけないみたいだし、松葉杖とれるまではもう少しかかるみたいだけど」

 そう言いながら、真由子は思っていた。

(この怪我が治ったら…また元の冷たい聡に戻っちゃうのかな…)

 もちろんいつまでも迷惑はかけたくなかったが、やっぱり少し寂しかった。真由子は聡を眺めながら、ふと考えた。

(もしまた怪我したら…聡はこのまま…)

 ううん、と真由子はその考えを打ち消した。

(ダメだってば!また怪我なんて、虫がよすぎるよ。会社にだって迷惑かけちゃう!)

 でも、という考えが真由子の頭からは消えなかった。




 怪我をして2か月半が過ぎた頃、真由子のギプスは外れ、膝には装具がはめられた。

「なんか大げさすぎて、ギプスより恥ずかしい…」

 聡の家から自宅に戻った真由子は、休日、家に来た聡を玄関で出迎えながら言った。

「ギプスしてたときより歩きづらいし…」

 左脚の筋肉はすっかり落ち、真由子は松葉杖に頼ってやっと歩ける状態だった。足首もほとんど曲がらず、歩くたび痛みが走る。

「あんまり動かない方がいいって。まだ回復途中だろ?」

「でも、動いた方がリハビリになるって言われたし…いたた…」

 よろけながら歩く真由子に、聡は言った。

「あ、俺、来週から出張なんだよね」

「そうなんだ…」

「ま、マユもギプス外れたしさ、俺も心配しないで仕事できるかなって感じ」

 聡の何気ない言葉に、真由子は心の中でびくっと反応した。

(まだ脚、痛いのに…松葉杖なしじゃ歩けないのに、やっぱりギプスをしないとダメ…?)

 真由子は不安になりながら、聡を見た。




 翌週。

「あー、CD-R切れてた。悪いけど誰か買ってきて、その辺のコンビニでいいから」

 オフィスでの上司の言葉に、真由子は立ち上がった。

「あ、あたし行ってきます」

「羽鳥さんはいいよ、まだ怪我治ってないだろ」

「大丈夫ですよー。もう全然歩けるし、リハビリ代わりで」

「そう?じゃあ…」

 真由子は松葉杖をついてフロアを出た。エレベーターに乗って下に下りながら考える。

 昨日病院でとうとう、松葉杖は徐々に使わないようにと言われた。確かに痛みもなくなってきているし、可動域も広がってきたから当然だ。でも…

(やっぱり聡はまた、前の聡に戻っちゃうのかな?)

 聡は少しずつ、前の聡に戻っているような気がする。仕事を優先して真由子の家に来ない日も多くなっていた。もちろんそれは当たり前のことだが、真由子は寂しかった。

(でも、仕方ないんだよね、きっと。怪我してから今まで、ずっと仕事よりあたしを優先してくれたんだから、それで充分じゃない)

 真由子はコンビニでCD-Rのパックを買って、店を出た。しかし、横断歩道で信号待ちをしながらぼんやり車の通りを見ていたら、やっぱり寂しくなってきた。

(やっぱり…嫌だ…聡が前みたいに戻っちゃうなんて…!)

 そのとき、通行人の肩が真由子の松葉杖にドン、と当たった。軽い当たりだったが、真由子は迷わなかった。

「あっ…!」

 真由子は大げさによろめき、車道に飛び出した。そのタイミングと、横断歩道を横切る車が通過するタイミングとがぴったりと合った。

「きゃああっ!」

 通行人が叫んだ。真由子の体は、走ってきた車に跳ね飛ばされた。




「なに、また泣いてんの?」

「…だって…」

「痛い?」

「ちがう…あたし…もうほんと、バカなんだもん…せっかく治ったと思ったら、また…」

 ベッドに横たわってめそめそと泣く真由子の涙を、聡は手で優しく拭った。

「だから無理するなって言ったのに」

「ごめん…」

「脚に力入らなかったんだろ?」

「うん…人がぶつかってきたところに、車がちょうど来て…ごめんね、ごめんね聡…」

「いいって、こんな怪我人に謝られたら、こっちがきつい」

 真由子は再び入院していた。むち打ちの症状のために首にはめられた白いコルセットに、聡はそっと触れた。

「痛いだろ」

「うん…痛い…」

 真由子は頷くこともできない。ベッドに横たわったまま、ギプスだらけの体の痛みをこらえていた。

「右脚、粉砕骨折だって?」

「うん…」

 車に直接接触し、腓骨、頸骨、膝、大腿骨と脚全体に渡りひどく折れた真由子の右脚は、緊急手術され、何か所も折れた骨がボルトで留められた。

 今は脚全体をシーネや大きな脱脂綿や包帯で、以前の左脚以上に頑丈に固定されたまま、脚台に載せて縛り付けられている。

「手術の傷がよくなったら、ギプスだって…でも、前みたいに2か月じゃ外れないって…もしかしたら半年近くになるかもって…」

 言いながら、真由子はまた涙声になる。涙を拭こうとしたその両手も、手首にギプスが巻かれていた。特に右手は手首だけでなく、中指、薬指、小指までギプスで固められている。

「両手も折っちゃって…あたし、もう、どうしたらいいの…?」

「心配するなって」

 ギプスをはめた真由子の両手を握り、聡は耳元で言った。

「マユの面倒は、俺が見るから」

 真由子は潤んだ目で聡を見上げた。

「脚…半年もギプスなのに…?」

「うん」

「折れちゃった箇所が多いから、治らないかもって…右脚、不自由になるかもって…」

「いいよ」

「左脚だって、良くなるかどうかわかんないんだよ…?」

 左脚には骨折はなかったものの、全体的に打撲のために腫れがひどい。脚全体に湿布を貼って包帯で巻き、その上から装具をつけていた。

 聡は、真由子の包帯でぐるぐる巻きにされた右脚をそっと撫でた。「うぅっ」と真由子が顔をしかめる。

「うぁっ…痛い…痛いよ…聡…っ」

「ごめん。ここ、折れてるとこ…?」

 真由子は痛みにあえぎながら答える。

「わかんない…だって、折れてないとこなんて…ないくらい…折れちゃったから…っつ…っ」

「そっか」

 聡はそれでも撫でるのをやめない。

「かわいそうにな、マユ。脚の骨が何か所も折れるなんて、痛いだろ」

「痛い…痛いよぉ、聡…脚が…あぁっ!!」

 脚を撫でる聡の手にほんの少し力が加わり、真由子は思わず体全体をびくっと動かし、

「いたい…いたぁい……痛いよぉ…っ!」

 横になったまま、ギプスをはめた両手で固定された右脚の太ももを押さえながら、ヒクヒクと泣いた。

「いたっ…いたいっ…脚が…っ…うぇっ…もぉやだ…っ」

「動いたらますます痛いって。ほら、ちゃんと安静にして」

 聡は真由子の涙をタオルで拭き、ギプスに包まれた両手を優しく持ち上げ、お腹の上に載せてくれた。上半身にタオルをかけてくれる。

「マユ…どんな大怪我でも、大丈夫だよ。俺が守ってやるからさ…」

 聡は包帯に包まれた脚をやさしく撫でながら言った。

「聡…痛いの…脚が…痛い…」

「よしよし。かわいそうにな。…安心して。どんなひどい怪我でも、俺がちゃんと、看病してやるから…」

「うん…聡…ありがとう…」

 真由子は心の中で思った。

(痛いけど…やっぱりよかった…ギプスしてれば、聡はあたしから絶対離れていかない…)

 真由子はやがて眠りについた。聡は痛々しい真由子の姿を眺めながら折れた脚を撫で、ひとり微笑んでいた…。

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思惑③

 それからも、聡は毎日来てくれた。特に脚にギプスをはめてからは、来る頻度が多くなった。一日三回来てくれることもある。

「聡、仕事優先していいよ」

 さすがに真由子も心配になって何度か言ったが、

「大丈夫。そっちは手抜いてないから。マユは俺の仕事の心配なんかしなくていいの」

 聡は言う。

「でも、こっちに来てくれてるせいで、仕事遅くまで無理してるんじゃないの…?」

「まあ多少遅くはなるけど、そんなの大したことじゃないって」

 聡はいつも通り、真由子の脚のギプスを撫でながら言った。

「ギプス、まだ当分取れないって?」

「ん…巻き直しとかもしながら、最低あと6週間はこのまま」

「退院は?」

「もうすぐ。ギプスしてもう3日だし、そろそろ松葉杖の使い方練習して、来週には退院できるみたい」

「そっか、よかったな」

「うん。あたしも大分仕事休んじゃってるし…」

「この怪我で仕事は、当分無理じゃない?せめて車椅子借りれば?」

「うーん、そういうのもありかなあ…」

 真由子は天井を見上げながら考えた。

「確かに松葉杖って、両手ふさがるもんね。でも車椅子じゃ通勤できないよ」

「あ、それ気にしないで。俺、車買ったから」

「ええっ!?」

 さらりと発された言葉に、真由子は驚愕した。

「なんで!?」

「どうせいつか買おうと思ってたし、いい機会だからさ。だって、ギプス取れたってしばらく歩けないだろ?」

「そうだけど…でも…」

「俺、わりと貯金あるから」

「それはそうかもだけど…」

「マユ、怪我してるときくらい甘えろって」

 聡は真由子を見て言った。

「彼女がこんな大怪我したら、放っておけないのが普通。俺も、甘えてほしいし」

「聡…」

 真由子は思わず目を潤ませた。聡が笑う。

「なに、泣いてんの?」

「だって…聡…優しいんだもん…」

 目元を拭いながら、真由子は言った。聡が真由子の頬に触れ、キスをする。真由子も聡の肩に手を回し、それに応えた。キスを繰り返しながら、聡が言う。

「マユ…大丈夫。俺がずっと…大切にしてやるから…」

「ん…」

 聡は真由子の唇から首筋にキスを繰り返し、手で胸を触りながら、ギプスに包まれた脚にも何度もキスをした。

「…脚、痛い…?」

「痛い…けど…大丈夫…」

「もう…行かないと…」

 聡はそう言いながらも、真由子のギプスからなかなか離れなかった。

(聡…?)

 真由子は首を傾げた。

「聡…時間…いいの?」

「ああ…」

 聡はやっと真由子の体から離れ、真由子の耳元で囁いた。

「マユ…今夜、してもいい…?」

「えっ…ここで?」

 聡は頷く。真由子はドアを確認した。鍵はついている。

「いい…けど、でも…ばれたら恥ずかしいよ…」

「バレないようにするから」

 真由子は拒否したい気持ちもあったが、

(でも…考えたらもう1か月近く、してないんだよね。聡だって我慢してるんだろうし…あたしとしたいってことは、浮気なんかしてないってことだもん、させてあげなきゃ…)

 そう思い、頷いた。

「わかった。待ってる」




 その夜、夕食が終わった頃に聡はやって来た。

「消灯時間には看護士さん来ちゃうから、1時間くらいしかないよ」

「わかってる」

 聡は病室のドアに鍵をかけたかと思うと、乱暴に真由子の病院着の前をはだけた。

「ちょ…っ、聡、焦り過ぎ」

「我慢できない」

 聡は真由子の口を塞ぐようにキスをした。

「…ん…っ!」

 真由子は抗えない。聡は自分もスーツやネクタイ、ベルトを外しながら、真由子の体を愛撫していく。

(なんか…今日の聡…いつもと違う…)

 どことは言えないが、良く言えば真由子の体に没頭する感じがいつもより高かったし、悪く言えば一人よがりな感じだ。

(でも…久しぶりだもんね…)

 真由子も目を閉じ、聡に身を任せた。脚を吊っているため、うまく動けない。聡の動きが激しくなってくると、脚を吊っているバンドが激しく揺れ動き、

「痛…っ」

 真由子は思わず押さえた声をあげた。聡が尋ねる。

「脚…痛い…?」

「うん…でも、いいの…」

 そう言いながらも、本格的に下を攻められ、脚がピクっと動くたびに、

「…っ…いっ…っ!」

 折れた部分がはっきりわかるほどの激痛が走り、真由子は声をあげた。聡は真由子のギプスで固められた脚を撫でながら愛撫を続ける。

 真由子は自分が濡れているのを感じながら、聡のギプスに包まれた脚を撫でる手が愛撫なのだと気づき始めていた。

(今日だけじゃない…あたしが怪我をしてからずっと…聡…もしかして…?)

 聡が本格的に体勢に入り、真由子は痛みに備えて目をぎゅっと閉じた。




 翌日も聡は真由子の病室に来てセックスをした。

 聡は自分のギプス姿に興奮しているのかもしれないと思いながら、真由子はあまりそれを追求しないことにした。

(それならそれで、いいよね。それで聡のあたしに対する愛情が深まるなら…ほんとに怪我の功名かも)

 本当のところ、骨折した脚を吊ったままのそれは、体には負担だった。翌日には脚が本当に痛み、久々に痛み止めを処方してもらったくらいだ。でもその痛みも、聡の心が自分に向かっている証拠だと思えば耐えられた。

 退院の日は土曜日だった。聡は車を運転して真由子を迎えに来てくれた。車椅子と松葉杖を借りて、真由子は病院を後にした。

「腹へってない?」

 後部座席にギプスの脚を伸ばして座った真由子に、聡が聞く。

「うん、ちょっと空いたかも。っていうか、久しぶりの外っていうのが、もうテンション上がるよー」

 ちょうど道路沿いに駐車場とカフェがあり、そこに入ることにした。

「車椅子使う?」

「ううん、松葉杖で行ってみる」

 車を停めると聡は助手席から松葉杖を出して車に立てかけ、後部座席のドアを開けてくれた。真由子がギプスの脚をまず外に出すと、聡は前から真由子を抱いて立たせてくれた。松葉杖も持たせてくれる。

「痛くない?」

「うん、大丈夫」

「足つくなよ、まだ全然治ってないんだから」

 ギプスをはめた脚を少し上げ、慣れない松葉杖を使いながら進む真由子の速度に合わせて歩いてくれる聡に、真由子は胸があたたかくなった。

(聡…ずっと優しい…)

 店に入ってからも、聡は松葉杖を置いて座るとき支えてくれたり、脚を上げておくための椅子を借りてきてくれたりと、ずっと真由子の脚を気遣ってくれる。

 カフェを出て聡のマンションに着き、地下の駐車場に車を入れると、聡は後部座席から車椅子を出した。

「いいよ、松葉杖で行く」

「でも部屋までだいぶ距離あるし、無理しない方がいいって」

「ん…」

 真由子は松葉杖を持って車椅子に座った。聡が押してくれる。

「マユ、仕事はいつから行く?」

「今週まではお休みもらってるから、来週からね」

「行ったら無理するんじゃないか?」

「みんな優しいから、この脚で無理させてくれないよ。それより、行くの恥ずかしいなあ。あたし、大泣きして救急車で運ばれてるから」

「当たり前だって。脚が曲がるほど折れたら、普通の男でも泣くよ」

「でも階段落ちだよ?すごいドジじゃない。もー、ほんと恥ずかしい」

 エレベーターに乗ってボタンを押す。途中エントランスで停まり、2、3人の住人が乗ってきた。ギプスの脚を伸ばして車椅子に乗っている真由子を、みんなちょっと驚いたような目で見て無関心を装う。しかし気にしていることは気配でわかった。

(あー、これから2か月もこんな思いをするのか…)

 真由子はちょっとブルーになった。

 聡の部屋に着き、玄関を入ったところで、あ、と真由子は言った。

「ね、雑巾とかウェットティッシュとかある?」

「なんで?」

「松葉杖、外で使ったから、家の中でこのまま突けないよ。汚れちゃう」

「ああ…そっか。いや、ないな」

「じゃ、ケンケンでお邪魔しまーす」

「ダメだって。転んだらどうすんだよ」

 そう言って聡は、よいしょ、と真由子の背中と腿に手を入れ、抱き上げた。

「聡、重いよあたし!」

「重くないよ。仕方ないだろ。今だけ」

 真由子はぎゅっと聡の肩に抱きついた。

「こら、抱きつくなって、前見えない」

 そう言って居間に入ろうとした途端、真由子の脚がドアの枠にゴン、とぶつかった。

「痛い痛い痛いーっ!」

 真由子は思わず泣き声の混じった悲鳴を上げる。

「だから抱きつくなってば」

「うー、痛いよぉ…」

 聡は真由子をソファに寝かせ、クッションを足元に置いてギプスの脚を載せてくれた。

「聡…」

「なに?」

「ありがとう。あたし、怪我してから聡に迷惑かけっぱなしだね…今日だって、本当は仕事行きたいでしょう?」

「だから、そういうこと気にするなって。何回も言うようだけど、マユの脚は超がつくくらい重傷なんだから、迷惑かけんのは当たり前」

「うん…」

「それに俺は、普通に嬉しいし」

「え、何が?」

「これでマユと、存分にできるから」

 聡はそう言って、真由子の髪を根本から優しく掴んで撫で、キスをした。そうしながらも、もう片方の手はやはりギプスを愛撫している。

(やっぱり…)

 真由子はキスを受け入れながら思った。

(聡、あたしの怪我に…ギプスに欲情してるんだ…)

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