【ブエノスアイレス=五輪招致取材班】二〇二〇年夏季五輪・パラリンピックの開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が七日(日本時間八日)、当地で開かれ、東京が一九六四(昭和三十九)年大会以来、五十六年ぶり、二度目の開催都市に選ばれた。日本での開催は冬季の札幌(七二年)、長野(九八年)に次いで四度目。
東京は、IOC委員九十四人による一回目の投票で一位となった。マドリードとイスタンブール(トルコ)が同数となったが、再投票の結果、イスタンブールが通過。二回目の投票で東京が勝った。
開催計画によると、五輪の開会式は七月二十四日。同二十二日に一次リーグを始めるサッカーを除き、競技は八月九日までの十六日間で、東京都心部や臨海部を主会場に行われる。競技会場の85%が中央区晴海に新設される選手村から八キロ圏内に配置される「コンパクトな大会」となる。
首都圏以外では、札幌や仙台でサッカー一次リーグを実施。東日本大震災の被災地で聖火リレーを行い、世界に向け、震災直後の支援への感謝や復興をアピールする。
パラリンピックは八月二十五日に開会、九月六日に閉会する。
一六年大会に続いて立候補した東京は、強固な財政基盤による「安心、安全で確実な五輪」の開催能力を強調。福島第一原発で続く汚染水漏れを不安視する声もあったが、スポーツ界だけでなく、政府、経済界を挙げて熱意を訴え、二度目の挑戦で大会招致を実現した。
五度目の挑戦で、イスラム圏初の五輪開催を目指したイスタンブールは「欧州とアジアの懸け橋」をアピール。六月にトルコ全土に広がった反政府デモや、隣国シリアの内戦による安全面への不安が影を落とした。
三大会連続で名乗りを上げていたマドリードは当初、経済危機の影響が懸念され、王室が先頭に立った招致活動で終盤に巻き返しを図ったが、及ばなかった。
(東京新聞)