2013年09月01日

売られた喧嘩買います(追々記あり)

 まあ世の中にはいろいろな人がいるので仕方ありません。
 でもね、自分が腹が立ったからって、相手に何もいわず晒し者にして、
 友好関係を断ち切るってのはどうかと思うわけですよ。
 
 怒ってるのは誰の心、はいはい、わかっとりますがな、私の心ですよ。
 でもね、それとこれとは別なんです。はっきりさせときましょうや。
 人の振る舞いですよ。この部分でどっちがおかしいか、はっきりさせましょう。
 ついでに、信心の姿勢もね。

 まあ、ここを見てみてくださいな

 中盤にある文に注目してくださいね。

 はた京阪さん、なぜあなたは、他者への気づきと、自分のへの気づきを分けられてるんですか?

 申し訳ないが、仏法は内道なんですよ。
 ということは、気づきは全て自分の内側で起きているってことです。
 この一点をとって、あなたの信心の視線が外道になっていることがはっきりわかるんです。
 これ、修正されたほうがいいですよ。記事ってことじゃないですよ。信心の姿勢をです。

 日蓮仏法を信心していて、外道になるのは、普通に外道の宗教を信仰するより、不幸になるからです。
 嘘だとお思いなら、『開目抄』を拝読されるといいですよ。

 他者への気づきってなんですか?
 それは他者を見て、あなたの心の中で、あなたの心に湧いたことですよ。
 それを、あーこの人の心が読めたなどと、いい気になるのはおやめになったほうがよい。
 これこそ慢心のもとだからです。
 他者は縁であって、その他者への気づきとかいう因果はあなたの中で起っていることですよ。
 言っている意味、わかりますか?
 だから、人間は他者のことなど、これっぽっちも正確に知ることが出来ないのです。
 わかりますか?
 いいや、本当のことを言えば、人間は他者のことなど、何一つ知れないんですよ。
 おわかりですか?

 つまり、心ってのは、本当のところ、正報で起った因果を依報に見ているんです。
 つまりそれは、他者への気づきでも何でもないのです。自分の中の気づきなのですよ。
 わかりますか? ここ大事ですよ。

 私は、口は悪いです。言い方も配慮を欠いているかもしれません。まあ怒ってるから仕方ないです。
 でもね、そもそも喧嘩売ってきたのはあなただということを、お忘れなく。
 しかしですよ、私は慈悲心でこの記事を書いてるんですよ。
 信心を何十年やってきても、内道になってなければ、いつか不幸になるからです。
 嘘だと思うなら、『一生成仏抄』を拝読されるとよいですよ。
 
 私はあなたの記事をたびたび読んできて、すでに視線が外道になっていることは気づいていました。
 けど、ブログのリンクをしても、
 互いに信頼関係が深まるわけでもなく、まともな対話ひとつしてこれなかったので、
 ずっと黙って見ていたのですよ。

 でもまあ、これも縁でしょう。
 売られた喧嘩を慈悲で返すことにしました。

 さて、もう一点。
 ネット上のリンクなんてね、まあオマケみたいなものですよ。
 けどですよ、憶えてますか? 希望の春さんの事件があって、色々な悶着を乗り越えてリンクしあったんじゃないんですか?

 そりゃまぁ、私への批判記事ですか、書くにあたってリンク先のことを批判するのは……と考えたのでしょうが。
 ずいぶんとまぁ卑怯なやり方をしますね。でもまぁこれは私の妄想ですけどね(笑)
 なぜなら、どんなに情報を集めたって、私は私の心が感じているものしかわかりませんから。
 はた京阪さん、あなたの心など、何一つわからないからですよ。意味、わかりますか?
 批評の記事書いたから、リンク外したんですか? まあ、いまさらどうでもいいことですがね。

 ご自分のされた人の振る舞いがどんなことなのか、しっかりご自分と向き合われるといいですよ。
 ということで、こちらからのリンクも切らさせて頂きます。あしからず。

 これまで、あれこれと批判批評を書かれているようですが、
 それは、あなたの心にある不平不満です。そのあなたの心自体を変えない限り、
 永遠に、その不平不満はなくなりません。

 依報に吐き出せばスッキリ! 冗談ではありません。
 依正不二のこの仏法です。
 依報に吐いた怒りやら批判は、必ず正報に帰ってくるんですよ。

 だから批評批判をするなと私は何十回も記事にしてきたんです。
 それは紛れもない自己破壊だからですよ。一番不幸になることだからです。
 本当に、これを機に気づかれたほうがいいですよ。
 これを機に見思惑を断ち切られたほうがいいですよ。

 せっかく、荒波を乗り越えて繋がった絆でしたが、先に縁を切ったのはあなたですからね。
 私を恨んだりしないでくださいね。あしからず。
 しょせん、あなたは私の仏性を信じられなかっただけのことでしょう。

 では、さようなら☆

 あ、それからもう一点。
 希望の春さん事件のとき、あなた、私にこう言いましたよね。
 「そんなことは知っている、まさかお前さんなんかに教えられるとは思ってもいなかった」とね。
 選挙戦の意味で、そういう会話あったの、憶えてますか?
 これ、この上から目線。
 これもあなたの心なんですよ。
 私は縁しただけです。
 縁した私を見下して、あなたは上記のようなことを言ったのです。
 あなたの心がいかに人を見下しているか、私はあの時点で気づいてましたよ。
 けどまぁ、その後、お話する機会もなくこういう結果になったのは残念ですよ。

 いまだから言えますが、希望の春さんは病気だったとご自分で言ってましたよね。
 だから、これ以上責めたら、本当に潰れるから、やめてください、私はそうお伝えしたはずです。
 でも、はた京阪さん、あなたはその忠告に耳を貸さず、希望の春さんに止めを刺したんですよ。
 あんな無慈悲な行為、はじめて目にしましたよ。正直呆れました。
 くだんの方が、その後、ブログ村を退会して、ブログを削除した。
 でもね、その後また新たにブログ立てて頑張ってたんですよ。
 彼女にとっては、ブログが自分を支える何かだったかもしれなかったんですよ。
 そういうとこ、気付いてましたか?
 だから、私は最後まで見守ってましたよ。あなたはどうだったんですか?
 人様に手厳しいことを言うなら、しっかり最後まで責任を持たれたほうがいいですよ。

 そもそも、この信心は、相手を潰すためにやってるんじゃないんです。
 その点も、今回あわせて反省されるとよいかと思いますよ。
 私は最後の最後まで、題目を送ってましたよ、あの方にね。
 だいたいにおいて、婦人部を虐める壮年て何なんですか?
 師匠の心踏みにじってないですか?

 何にしても、外道の信心。いつか気づかれるだろう……そう思って静観していたんですけどね。残念です。
 ま、この記事をお読みになれば、多分激怒されることでしょう。
 でもね、誰かが言わないことには気づけないんですから仕方ないんですよ。
 だから私はあえて声をあげたんです。憎まれるのを承知でね。
 あなたご自身が散々言ってきたように、自分に手厳しい人こそ善知識であると本当に確信できているなら、
 キチンと受け止められるはずですよ。

 よし憎まば憎めですよ。はいどうぞ、バリバリバンバン憎んじゃってくださいな。

 私の言っている意味が全くわからん! そういう状態であるなら、カントを学ばれるといいですよ。

 では、SAYONARA!



 【追記】自分の言っていることは全て正しい。
 ほんとうですか?
 文言の問題じゃないんですよ。心の機微の問題なんです。
 すべては縁起によって起こってます。関係性です。
 どんなに正論、正しいことを言っていても、相手がそう受け取るように振る舞わなければ、善意は届きません。
 直接言えるものを、陰でいう、そういうことを普通悪口というのです。
 少なくとも、私はそういう風に物を見ます。
 見に来たのはお前だ? 見に来るのわかってて言ったんだから悪口じゃない。
 そういう理屈は通用しません。
 いいや、そもそも見に来るのわかって書いたという、私はそういう卑劣な行為こそ悪だと思うのです。
 それではやっていることは某氏と同じです。

 しかもなんですか、おふざけですか、某氏のように、私のHNを愚弄するような行為。
 真面目に向き合うつもりもないのに、親切心に見えることをされても、善意など感じ取れません。
 自分の立場でしかものを言わない。自分は全部正しい。
 違いますでしょ。ものごと関係性があるんですよ。全ては相対的なんですよ。
 どんな親切心で優しい言葉を言っても、相手が不愉快になれば、相手にとっては悪口なんですよ。

 仮令強言なれども人をたすくれば実語・軟語なるべし、設ひ軟語なれども人を損ずるは妄語・強言なり

 さきに我慢できないで発信したのはどちらですか?
 あなたでしょうが。
 別に私はあなたに向けて記事を書いたのではないのです。
 それが気になったのはあなたです。スルーすれば良かっただけの話です。
 どんな形であれ、それにわざわざ反応したのは、あなたです。おわかりですか?
 自分の心が因になって(記事を書いた)こと、きちんとご自分と向き合って気づかれるといいですよ。
 あくまでも私の記事は縁です。縁ですよ。わかりますか?

 【追々記】私は別に喧嘩がしたくて記事をアップしたわけではない。
 私が伝えたい「こころ」はきちんと、記事の中にある。
 もちろん、それ以外に不必要な枝葉を書きすぎたことは認めるし、そこはきちんと反省もしている。
 でも、それは私のあなた、はた京阪さんへの思いやりであり、気持ちなのですよ。
 
 今はもう議論めいたことをするつもりはありません。
 私に出来ることは、ひたぶるに私の「こころ」を伝えようと努めること、それだけです。

 ですがね、ひとつふたつわかって頂きたいことがある。
 たとえあなたが、善意であの記事をアップされたとしても、そう思えないこともある、そういう「関係性」という部分のお話です。

 某氏からはじまり、色々あったんですよ、この1か月間。
 めたくその生命力が衰えて、言われたくないセリフってのにも過剰に反応して嫌な気分になること、そういうことはあなたにはないのですか?
 ない、信心してるし、そんな弱い奴はゴミカスアホバカシネだ。
 そう仰るなら仕方ない。でも私はそんなに完璧じゃないんです。

 人の心の機微っていうのは、そういうことを言うのではないですか?
 そこを見極めて物を言い、振る舞っていかなければ、善意すら悪意に受け取られる、そういうことじゃないのですか?

 確かに、私が弱いのかもしれない。いかなるものでも善知識に変えていけばそれでいいのですからね。
 でも、もう一度言いますよ、私は完璧ではないんです。
 と、同様にあなたもそうではないんですか? そこはもう少しで結構ですよ、自分を見つめて欲しく思います。

 最近あった名字の言。カントについて。
 求めるべきは「自分への完全性」であり、「他者の完全性」ではない。
 そういうことですよ。相手に完全性を求めるということは、これ「支配欲」であるんですよ。
 そこをお気づきになってくださいよ。

 我々が信心しているのは、「自分の完全性」を培っていくためです。
 他者に対しては、支えであることであり、他者が完全であろうとする支えたる自分になることではないのですか?
 なぜ相手に完璧であることを要求するのですか? それはあなたの支配欲でしかないのです。
 そこに気づいてくださいよ。
 私が自分で書いた記事を削除しようが訂正しようが、そんなのは私の自由。
 「あの記事は消したからよかったようなものの」でしたっけか、そういう心理が、あなたの中にある支配欲だということですよ。
 「あたらしく記事は立てない云々かんぬん」それだってあなたの中にある支配欲(相手をコントロールしたい)という心じゃないですか。
 支配ってなんですか? 人間を自分の思い通りに使おうとする、これはなんですか? 人間を道具としか見ない。こういうのを権威権力の力というんじゃないですか? 
 こういえば、「いや、あれは提案だ」、とあなたはそう言うのかもしれませんがね。
 だから、議論はしたくない、そういうことなのです。
 だって私はあなたの思い通りになるロボットじゃないですもん。あなたの子分でもなんでもないですもん。

 つまり、あなたは、他者に完全性を求めているのですよ。そして他者を自分の支配下に置こうとしているのですよ。
 それをもって私は信心が外道になっている、それではいつか心の病になる……そう判じたのですよ。
 だって仏法は内道ですからね。自分を支配して自分を律するための実践法ですからね。
 だって、これは私自身の経験体験であり、御書にもそうあるんですもん。
 黙ってスルーなどできませんよ。だから慈悲だと書いたんです。
 その気持ちに嘘なんて何ひとつないんですよ。
 信じないかもしれませんが、私は凄まじい完璧主義だったのですよ。
 で、それを人に求めたことによって、最終的に私は自己破壊に至ったのです。
 そうなって欲しくない。それが私の思いやりの「こころ」なんですよ。

 ともあれ、これで終わりにします。
 私は言うべきことは言ったつもりですから。

 それと表面上のことをいくつか。
 伏字、文責とおっしゃっていましたが、それはあなたの中のルールですよね。
 そこはもう少しお考えになったほうがよろしいかと思いますよ。
 どんな表現法をしようがそれはこっちの責任だ、そういう思想かと思いますが、
 ネットであれ、リアルであれ、匿名であれ伏字であれ、相手が誰か推察できてしまえば、伏字には何の意味もないのですよ。それで十分に裁判の証拠にすらなるのです。
 であるなら、堂々と主張なさるがよい。それが私の思想です。
 押し付けはしませんが、相手からすると、馬鹿にしてるのか!? と受け取られるということです。

 それと、私が削除した記事の文言をコピーしておいて、引用する。
 これは著作権の侵害にあたります。
 どんなアホカスボケクソシネの書いた文章であれ、著作権は存在します。
 正しいことを主張するなら、何をやってもいい、どんな手段を取ってもいい、そんなことはありませんからね。
 押し付けはしませんが、以後、お気をつけになられたほうがいいですよ。

 それと、ちゃんと会話したいという意志があるなら、「動執生疑」のような問いかけはお止めください。
 何を聞きたいのか、知りたいのかをはっきり表現されないかぎり、誤解のうえに誤解を生み、物事が面倒になるだけですので。
 ともあれ、これも押し付けはしませんよ。すべてに自由はあるのですからね。

 あと一点、なにやら、あなたは閲覧者に判断やら裁きを求めているようですが、それはとんだ勘違いですよ。
 これは当事者間の問題ですからね。
 周囲はいい迷惑だと私は思ってます。
 見せられたくもない喧嘩を見せられて、まあ喜ぶ人もあるでしょうが、大半の方はそうではないでしょうね。
 だから怒ったというのもその理由のひとつですよ。
 晒し者にしたんじゃない、公共の場で決着をと仰るのかもしれないが、それは違いますよ。
 当事者で話がつかないから第三者が必要となるのです。
 はじめに第三者ありきではないはずですよ。

 言いたいことがあったなら、ここにコメントくださればすんだ話だという事です。
 そうされている方、たくさんいるじゃないですか。
 思いやりであの記事を書いたのであれば、そうできたはずですよ。

 もっとも、今回のような件で、当事者同士が激怒して話にならない場合は、すぐに第三者が必要な場面もあるでしょう。
 しかし、大切なのは、当事者どうしで、しっかり向き合うことじゃないですか。
 でも、先に晒したのはあなたですからね。それだけは間違いないことです。
 そこはしっかり、認識して欲しく思いますよ。
 とはいえ、これもまた押し付けはしませんよ。あくまでも私の意見です。

 最後に僭越ながら、先生のご指導をば。

 悪なくして善はなく、善なくして悪なし――両社は、相対的であるとともに相補的な実在である。
 決定的に重要なことは、善も悪も互いに(善なら悪を、悪なら善を)「他者」として、その関係性の上に「自己」を成り立たせているということである。
 ゆえに、悪も、対応のいかんによっては善に転じ得るのだという点では、可変的実在なのである。


 私はこの一点に関して、猛反省してますよ。
(ああ、もしあれがどんな意味で書かれていたとしても、善として「善知識」として自分の中で転換できなかったのは、私だ……)とね。

 ですが、私からすれば善意に受け取れない晒し方をされた一点をもって、どんな記事内容であっても、悪意と感じるしかなかったこともまた事実なんですよ。
 関係性、振る舞いと私が何度かそういう言葉を使った意味はそういうところにあるのです。
 人は内容云々より(私の場合はかもですが)、そのやり口(振舞いのいささか汚い言い方です)に腹を立てるものだということ、知って欲しいところです。

 例えば、物凄くよい物件(家屋)を嘘みたいに安い値で販売できることになりました。これは多くの人にとっては朗報でしょう。では、とばかりに、そこいらじゅうの電柱にチラシを貼りまくった。
 貼られたものを見た人の気持ち、これを想像してみてください。
 適切な例えではありませんが、どんな善意でも、振る舞いによっては迷惑であり、悪意にすら感じるということです。それが人間の心の機微ってものじゃないですか。

 ですから、私としては、文言がどうのの問題じゃあなかったということです。
 ともあれ、この件に関しては今後一切やりとりをするつもはありません。
 先に、その点にふれて苦言を呈させて頂きましたが、これとてあくまで私の意見です。
 どう受け取られて、どう反応されるかは、はた京阪さん、あなたの自由です。
 私は削除も訂正も、何も要求などしません。なぜなら、私はあなたを支配しようなどは夢にも思ってないからです。ご自由にしていて頂くことをむしろ選びます。思う存分叩きたいなら、過去のことから、あることないこと全て書きだして叩かれても構いませんよ。そんなことで私は自分を見失いませんからね。
 ともかく、私にはあなたに伝えたいことが、伝えたい「こころ」があっただけです。

 ということで、私はもうこの件については、一切口を開きませんので。あしからずに。

 「大切なものは、目に見えない」 サン=テグジュペリ



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ipsilon at 03:25コメント(2)トラックバック(0)仏法「言葉と同志誹謗について」  

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コメント一覧

1. Posted by ちよ   2013年09月01日 06:23
いよっ
もーれつア太郎ーかい?
2. Posted by イプシロン   2013年09月01日 11:24
ちよさん、おはようございます^^

黙って引き下がった方が良い時もあります。
でも今回は違いますよ。
私は、あくまでも慈悲で怒ってるんです。
「あの一点」に気づければ大きく変われる。
それを心底知っているから、喧嘩になろうが
なんだろうが言ったのです。
もとより喧嘩は覚悟して記事書きましたからね。

そこは理解してくださいね。
よろしくお願いします。
何でも笑いにできないこともあるんですよ。

ありがとうございます(^ー^)

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