終戦の翌年、復員した山陰の港で、よれよれの新聞を手にした。日本国憲法草案が載っていた。戦争を放棄し、軍隊を持たない―。中国の最前線で悲惨な経験をしてきた品川正治さんは、涙が止まらなかった
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9条との出合いと感動が、財界に身を置きながら護憲運動を進める原点になった。その品川さんの訃報である。89歳。右足に銃弾が残り、戦友を亡くした心の痛みを抱えつつ、だからこそと言うべきか人間の視点から国家や経済を語り、反戦を訴えてきた
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日本は戦後、軍産複合体を権力構造に組み込まずに経済大国に成長した。だが、9条改正や武器輸出緩和は、軍需産業と組むところを技術の先進地帯にする。国立大を含む研究機関が引き寄せられていく―と警鐘を鳴らした。「戦争はすべてを動員する」。体に染み込んだ経験則だ
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品川さんの一人息子とその妻は早くして亡くなり、孫娘を養女にした。息子は娘に、この年齢になったら読んでほしいとノートを書き残した。17歳のノートには「おじいちゃんから戦争の話を聞きなさい」とあり、戦争をテーマに孫との対話を探り続けた
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折しもシリア問題で日本の対応が問われている。「日本の行動で米国が変わる」が持論だった品川さん。大学の講演では学生に自ら判断する大切さを訴えた。判断の軸は人間の目と孫娘に言い聞かせた。私たちも遺言として受け止めたい。