2008年8月3日
対談するリービ英雄さんと楊逸さん=東京・築地の朝日新聞東京本社、郭允撮影
日本語を母語としない書き手で初の芥川賞に決まった中国人の楊逸さんと、英語を母語とし、西洋出身の日本文学作家の先駆けとなったリービ英雄さんに対談してもらった。非母語の日本語で書くことの意味や喜びについて縦横に語り合った。(構成・小山内伸、吉村千彰)
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リービ 16年前に『星条旗の聞こえない部屋』でデビューした時に、特にうれしかったのは在日韓国人作家の李良枝(イ・ヤンジ)からの電話でした。在日韓国人の先輩から、日本文学の書き手として「がんばれ」と言われた米国出身の後輩が、16年後、中国出身の新人作家に「受賞、良かったですね」と言うのは不思議な縁。北京五輪の年に東京で、もう一つの聖火が手渡されるようです。
楊 努力して、次に渡せるようがんばります。
リービ 国籍や民族は文学にとって最終的には関係ない。どんな文化や言葉を抱えていようが、どういう形で文学になるかということが重要。日本語で小説を書くことを「泳げないけど泳ごうとして水に浮く感じ」とあなたが表現しているのを新聞で読んだ時、作家として直感的に分かるものがあった。文学者の一つの姿勢として後に残る言葉だと思います。
楊 文学界新人賞をもらった時、選評で真っ先にリービさんのことが書かれました。日本語を母語としない作家の開拓者として、私にとっては怪物的な存在だった。
――日本語で小説を書いたきっかけは?
リービ デビュー作は日本に来たアメリカ人の主人公が日本語の世界に入り込むという内容の小説なので、日本語で表現したかった。
楊 私はまったく文学的ではなくて「仕事」として考えていて、時間に余裕ができたから書き始めた。日本で生活し、テーマとして日本を取り込み、日本人の読者に発信したかったんです。
リービ 楊さんの小説は、ジャーナリスティックに中国の事情を伝えるだけでなく、日本文化を通過したことで、複雑な表現として生まれたのだと思う。
楊 ジャーナリズムの根底にあるのは情報、文学の根底には人間性や社会性があると思います。人間性とは醜いものだとも思うので、人間の悪い面もいい面も出したい。
リービ 中国も日本も漢字文化圏ですから、やりやすい一方、だからこその葛藤(かっとう)もあったのでは。
楊 中国にあって日本にない四字熟語など、説明なしでは通じない言葉があります。日本語だと思っていたら日本語ではなかったり、その逆もあったり、区別があいまいになる時もありますね。
リービ 最近僕が書いた「仮の水」という小説は、中国を旅する主人公がミネラルウオーターを買ったら実はドブ水で腹をこわすという話ですが、ただの騙(だま)された話ではなくシルクロードの水を飲んだ喜びもある。中国語で「仮水(チアショイ=偽の水)」と言われた時に漢字が現れてきた。英語の「フェイク・ウオーター」では全然おもしろくない。意味の恵みとして私にやってきたものをいただいたんです。「時が滲む朝」の中に漢詩が出てきますね。日本語の説明なしで漢詩だけを引いた部分が輝いて見えた。異質な言語の導入は、文学者にとって究極の冒険にも思えます。
楊 同じ漢字文化圏なので、漢字を使える便利さもある。中国語を入れることで、多少なりとも日本文学を広げることができたら。
リービ 夏目漱石以来、欧米の影響や比較の中で近代日本文学ができたように、21世紀には別の比較対象が出てくると思っていた。あなたのデビューはその可能性をはらんでいて、大きな意味を持っていると思う。
楊 日本はこれだけオープンで外国人もたくさん入っているわけだから、私の受賞は自然なことと思います。
――小説を書くための日本語はどう取得しましたか?
リービ 僕は日本語を読み始めて20年以上たってから小説を書き始めた。
楊 私はゼロから学んで21年。
リービ それくらいの時間は必要ですね。母語としない言葉は教科書で学んで書くのではない。生活や文化の違いに体当たりし、葛藤や喜びがあった上で書き出すものでは。僕が最初、日本語で書いたのは30代。断片を書いて人にみせたら、全然だめだけれど面白いものがあるから続けなさいと言われた。大江健三郎さんなどの文章も模倣した。読むから書きたいという欲望がわく。断片をつなげて一つの場面になり、場面がつながって一つの章になる。日本で生まれた作家たちとあまり変わらないと思う。
楊 私は書く時にはまず人物像が頭に浮かんで、それに沿って話を進めてゆく。日本語で書くわけだから、構成も日本語で考える。私は会話で日本語を学んだので、話し言葉と書き言葉の違いが一番難しい。「ワンちゃん」を書き始めた時には慣れてなくて、書き言葉と話し言葉が混在していました。ストーリーを成立させた後に、話し言葉を全部直す作業でした。
リービ 全米図書賞を取った中国出身のハ・ジンは80年代の中国のとても面白い話を流麗な英語で書くわけです。ノーベル文学賞を取ったフランスの高行健もすごいものを持っている。楊さんにはハ・ジンと似ている部分もあるが、似ていないところが僕には面白かった。楊さんは中国を内部の記憶で書いているし、僕は外部から入ってその衝撃を書いている。中国大陸はなかなか現代文学にならなかったが、秘められた文学の可能性が、いろんな言語で内部からも外部からも現れてきた。
楊 そこからさらに異文化を採り入れ、型を破ってゆくことが大事だと思う。
リービ 中国ではまだ非母語の作家が登場していない。歴史的には中国は多民族国家だったが、近代に入って排他的になった。文学に関しては、日本は中国より進んでいる。歴史的な逆転です。僕は大陸に行って中国語の話し言葉を聞いて、日本語で書くことが一番面白い。これまで35回、中国に旅行した。地方の労働者・農民としゃべって、それを日本語で書くことが、僕にとって一番現代性がある。自分の体験を翻訳するという形で、しかも日米ではなく日中を書く、というのが僕が到達した領域です。
楊 私は日本語文学という意識を持ってなくて、多くの人に読んでほしいと思ってます。中国語でも小説を書いてみたい。中国語的な形容を採り入れることもあれば、あえて大げさに表現したところもあります。日本語って日本人と同じように控えめな言語だと思う。味を出したくて不自然な表現を使うこともある。
リービ 自然な日本語というものはない。ただ、間違っているのか、新しい表現なのかという判断は難しい。
楊 私の味わいというのは、日本料理を中華風に作る感じです。私の小説を読んでトウガラシが入っていると感じる読者がいるかもしれませんが、創作料理なんだと思っています。
リービ 中国語的な日本語を書くとか、英語的な日本語を書くのは、その国の先入観を持ってきているだけであって、本質的に新しいものではないと思う。むしろ、越境作家はネイティブではないから、日本語を常に意識的にとらえなければならないということが共通点でしょう。
楊 日本文学は長く日本語を母語とした人たちに守られてきた。在日の作家はそこに、違う価値観を持ち込んだ。私の受賞で、価値観だけではなく言語においても新しいものを受け入れようとしている。それが私にとってありがたいことです。人種や環境にこだわらず、多様な価値観や人間の本能を書きたい。
リービ バイリンガルとか越境は言語学の領域であり過ぎた。我々は文学者であって、感性の問題なのだと思う。中国語と日本語がぶつかった時に別のおもしろみが出てくる。楊さんが中国語で書くのと日本語で書くのとでは全然違うはず。すごく新しいし、必要なことだと思う。
楊 私の場合、日本語がわかるようになったことで頭の中に窓が開いた感じで、新しい風景が見えてきた。その風景を小説に採り入れながら、文学にも新しい風景を見せることができたらと思う。
著者:リービ 英雄
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