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【社会】再び吉祥寺で「一歩」 劇団前進座 地元に新拠点
歌舞伎や時代劇などを上演する劇団前進座が今秋、東京・吉祥寺(武蔵野市)に新たな活動拠点となる「劇団前進座ビル」を開設する。もともとの本拠地だった吉祥寺の「前進座劇場」をことし一月に閉館した後、移転先を探したが、同じ街に落ち着いた。背景には地域の人たちとの強い絆があった。 (小田克也) 劇団が新拠点として購入した鉄筋六階建ての新築ビルは、JR吉祥寺駅から徒歩一分程度。閉館した「前進座劇場」からも約十分と近い。劇場機能はないが、けいこ場、事務所、養成所などを備える。九月後半に事務所を開き、十月にけいこ場を披露する。公演は当面、他の劇場で開催する。 旧劇場閉館後の移転先をめぐっては「地価が安いところを探そうかとか、いろいろ意見が出た」(藤川矢之輔幹事長)。ある劇団関係者も「都心からもっと離れようとか、議論を重ねた」と話す。だが、吉祥寺に決めたのは、この地で活動を始めた一九三七年以来の地域との関係を重視したためだ。 井ノ頭通り沿いの旧劇場周辺には、熱心な前進座ファンが多い。中村梅之助代表が散髪に訪れる理容店「カットスタジオ フジ」の鈴木茂夫さん(73)は、ほぼすべての公演を見ており「芸が上手。一生懸命けいこされているのが分かる」と魅力を語る。 閉館に驚いた鈴木さんだが、前進座が吉祥寺にとどまると聞いてほっとしたという。「劇団の方が商店街の新年会で踊りを披露してくれたり、小学校で子供向けの芝居をしてくれたり。昔は託児所のような役割も果たしてくれた」。中村代表や藤川幹事長は、この小学校の卒業生でもある。 演劇界の低迷の影響もあり、十五、六年前には年間六百〜九百あった劇団の公演数は近年では約三百に減少。前進座も所属俳優は約六十人いるが、テレビなどで活躍する人は少ない。経営は楽ではないようだが、中村代表は八月末の記者会見で「創立の時の気持ちに返り、一歩前進から始めたい。将来は小劇場をつくりたい」と述べ、新拠点づくりを浮上のきっかけにする考えを示した。 <劇団前進座> 1931(昭和6)年、歌舞伎界の門閥打破などを掲げ、歌舞伎役者の中村翫右衛門(かんえもん)、河原崎長十郎ら32人の同志によって旗揚げされた。翫右衛門は中村梅之助代表の父。三七年、吉祥寺に劇場を建設し稽古と集団生活の拠点とした。古典歌舞伎のみならず、現代劇、大衆演劇、児童演劇など多様なジャンルの演劇作品を上演し、「演劇のデパート」という異名がある。今年一月に劇場を閉館していた。 PR情報
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