【プレイバック芸能スキャンダル史】
一度は引退した藤圭子 改名して芸能界復帰
【芸能】
藤圭子が「歌うことに疲れました。二度と芸能界には戻りません」と引退公演で涙を流し、渡米したのは79年12月。しかし、81年7月に帰国し、“圭似子”と改名して芸能界復帰を宣言した。
藤(当時28)が引退を宣言したのは79年10月17日。記者会見で藤は「やめる理由はあくまでも私の内面の問題」と説明して、「まったく歌をやめます。間違ってもカムバックすることはありません」と決意を語った。前川清との離婚スキャンダル以降、人気が下降気味だったとはいえ、年収は5000万円以上。不可解な引退宣言に、阪神の小林繁投手との熱愛、事務所とのトラブルなどさまざまな噂が流れた。
同年12月、引退公演を終えた藤はハワイ大学留学を経て、ニューヨークへと旅立った。歌手時代に稼いだ銀行預金の金利だけで月に60万円以上の収入があったという藤は、3000万円余りを持って渡米したとされ、ニューヨークで悠々自適の生活を送っていた。
ところが、81年7月に突然の復帰報道が流れる。藤の熱烈なファンだった実業家が新たに事務所を立ち上げ、藤を再デビューさせるというのだ。81年7月29日に帰国した藤は会見で「広い世界を見て自分なりに充実した人生を送りました。でも、何度も何度も(復帰を)説得されて」と語った。引退時の涙は嘘か? との質問には「嘘でも何でもないし、2年間たてば世の中動いてますし」とかわした。
事務所は否定したのだが、藤には借金の噂もあった。米国でバカラ賭博にはまり、1億円の借金を負ったというのだ。金銭目的の復帰ではとの問いには「お金に100%困らないといったら嘘になりますけど、お金が目的でカムバックするのではありません」とコメントした。
復帰では芸名を“圭似子”と改名。その理由を聞かれて、「私は名前にこだわっていません」と回答。結局、本心は明らかにならないまま会見は約1時間で終了した。
2億円ともいわれる資金をつぎ込み、新事務所は藤の売り出しにかかった。自身の復帰を題材とした10月スタートのドラマ「新・海峡物語」(テレビ朝日)では主演とともに、主題歌「螢火」も歌った。しかし、ドラマは低視聴率で打ち切りになり、曲のセールスも伸びなかった。実業家出身の事務所社長の手腕を疑問視する声も出た。
そして翌82年1月、藤の同棲が発覚する。相手はニューヨーク時代に知り合ったという宇多田照實氏。これで事務所との関係が悪化し、藤側から契約解除を通告した。さらに相互に損害賠償を請求する泥仕合となった。その後、裁判では藤側に1800万の違約金支払いが命じられるなど不利な判決も下された。
一方、宇多田氏とは82年に結婚、翌年、ニューヨークで長女・光を出産するが、直後に離婚するなど再婚、離婚を繰り返した。ニューヨークで共に暮らした娘は98年、宇多田ヒカルとして日本でデビューした。
◇1981年7月3日、同性愛者から原因不明のがんを発見と報道。エイズの発見。17日、米国カンザスシティーのハイアットリージェンシーホテルで空中通路崩落。114人死亡。21日、千代の富士が横綱に昇進。29日、ダイアナ妃がチャールズ皇太子と結婚。