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宮崎駿監督引退会見「僕の時代終わった」

満面の笑みを浮かべながら質問に答える宮崎駿監督(撮影・松本俊)
満面の笑みを浮かべながら質問に答える宮崎駿監督(撮影・松本俊)

 映画「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などの製作で知られるアニメーション作家の宮崎駿監督(72)が6日、都内のホテルで会見し、長編映画製作からの引退を発表した。これまで何度か引退発言を撤回してきたが、「今回は本気です」「僕は自由です」と明言。長年の製作活動で、体力と気力の限界に達したことを強調した。今後は東京・「三鷹の森ジブリ美術館」での仕事に従事することなどを希望。長編アニメ製作の第一線から退く。

 監督としての最後の仕事場は、通い慣れたアトリエではなく、ホテルの宴会場だった。グレーのジャケットにピンストライプのシャツ姿で、マイクを握った。

 宮崎監督 何度もやめると言って騒ぎを起こしたので、まただろうと思われているだろうけれど、今回は…本気です。

 満面の笑みで頭をかき、覚悟の言葉を発した。質疑が始まると、「僕は自由です。やらない自由もあるんです。加齢はどうすることもできない。僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わったんだと思います」と加えた。

 引退を打ち明けたのは、「風立ちぬ」の完成試写会後の6月ごろだった。「『鈴木さん、もうダメだ』と言った覚えがある」。「風の谷のナウシカ」から約30年、タッグを組んできた鈴木敏夫プロデューサー(65)に伝えた。「もののけ姫」(97年)の公開時などにも、引退発言をした。そのたびに周囲の説得で翻意したが、鈴木プロデューサーは「今回は本気と感じざるを得なかった」と、ただならぬ雰囲気を感じていた。

 体力も、気力も限界だった。メガネを外し、紙に顔を近づけた姿勢で、何十年も絵に命を吹き込んできた。若いころは半日は描き続けられたが、最近では7時間がやっと。かつて約4カ月で製作できた長編が、「風立ちぬ」では5年かかった。節制を重ね、ハリ治療にも通った。それでも、限界は訪れた。

 宮崎監督 次の作品を考え始めると、5年じゃ済まない。6年かかるか、7年かかるか。7年かかると80歳になってしまう。僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わった。

 完全に第一線を退く。後進の作品への監修、アドバイザー就任も「ありません」と言い切った。「重しがなくなったのだから、『こういうものをやらせろ』という声が(鈴木)プロデューサーに届くようにならなければ。何でもやるという気持ち、意欲、能力にかかっている」と若手の奮起を期待した。

 「風の谷のナウシカ」の幻想的な世界観、人と自然の共存がテーマの「もののけ姫」など、子供たちに夢と希望、考える意識を与える作品を描き続けた。その中で、「この世は生きるに値するということを伝えるのが、仕事の根幹にならないといけない」という思いを貫いた。

 生粋のアニメ屋気質だった。「いい風、光が描けたら、2~3日は幸せになれる。でも、監督は最後に判決を待たねばならない」。今後は「三鷹の森ジブリ美術館」の展示品の修整などに興味を持っている。「車を運転できる限り毎日、アトリエに行こうと思う。やりたいことがやれれば」。作品の責任を負う重圧から解放された宮崎監督は、少年のように瞳を輝かせた。【森本隆】

 ◆宮崎駿(みやざき・はやお)本名同じ。1941年(昭16)1月5日、東京都生まれ。学習院大卒業後の63年に東映動画に入社。アニメーターとして活躍。71年に退社し、79年に「ルパン三世~カリオストロの城~」で初監督。84年の「風の谷のナウシカ」で注目され以後、ヒット作を連発。01年公開「千と千尋の神隠し」はベルリン映画祭金熊賞、米アカデミー賞長編アニメ賞を受賞。興行収入304億円は日本映画歴代1位。

 [2013年9月7日7時23分 紙面から]

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