若新の反省
2013.06.01
若新ワールドをリニューアルしてから早一ヶ月、今年は例年より10日ほど早い梅雨入りのようで、大好きな春の季節も終わってしまいました。
さて、先月は11日に民主党の「公開大反省会」なるものをお手伝いさせていただいたのですが、
- なぜこの仕事を引き受けたのか?
- この企画の目的はなんだったのか?
- なぜこの時期に民主党であの3人だったのか?
- 進行がグダグダすぎる、稚拙すぎる!
- 若新の振る舞いがダラしない…
- 全然「反省会」になってない!
など、イベント終了後から質問・感想・批判・苦情等をたくさんいただきました。
来場者約600名(うち報道関係者100名)、ネットでの視聴者10万人以上と企画した本人も焦るほどの反響を呼んでしまい、その上若新の未熟さや稚拙さをふんだんに露呈することになってしまったわけで、本来ならもっと早く「総括」すべきだったのですが、自分の中で整理するのにもなかなか時間がかかってしまいました。
先日運営メンバー間での反省会も終わったところで、もう今更な感じもありますが、完全に風化してしまう前に「若新の反省」をまとめておきたいと思います。
若新の反省
一言で言うと、
想定以上の反響を呼び大きな注目を集めることになってしまった企画に対して、それを十分に消化できる進行や演出(およびその準備)ができなかった
というのが若新の大きな反省です。様々な要因やタイミングなどが重なって企画当初のプランよりもはるかに「おおごと」な催しになってしまったのですが、それでも企画に携わった以上はその加熱した注目や期待に耐えうる準備や対応をしてしかるべきで、とにかく未熟でした。
何がしたかったのか?
そもそもこの企画は民主党の「青年委員会」というセクションが主催で、若新としては
“大人の失敗”を若者向けのオープンなコンテンツにすることで、従来なかった新しい議論やコミュニケーションの場をつくりたい
というのが狙いでした。もちろん、相応の実績になるという自己顕示的な打算も含めてです。そういう意味では、国家運営という規模での大きな「失敗」を経験した元総理や閣僚経験者に登場してもらい、若者限定という条件での場づくりを実験できるというのはとても魅力的なことでした。
青年委員会としても「どうやったら若者に対して今の民主党の活動やコンテンツに興味を持ってもらえるか?」ということが課題だったために、あえて「反省会」という自虐的な切り口で打ち出し、口コミで話題にしてもらうことで一人でも多くの若者に参加してもらえるようにしようと提案しました。民主党内部でも賛否両論あったものの、最終的には企画実施をOKしてくれたわけで、若手の地方議員さんを中心とした運営チームと一緒に張り切って準備を進めていきました。ところが、ネット上などで想像以上の話題になり、規模がどんどん膨らみ、最終的には「若者向けイベント」ではなく「一大政治(政党)イベント」へと発展し、未熟な若新にはずいぶんと手に余るものとなってしまいました。
若新の稚拙さ
あたりまえの話ですが、なんでもかんでも振り切ったコンセプトで思い切ってやれば面白くなる、というような単純なものではありませんでした。しかも今回扱ったテーマはものすごくヘビーだったわけで(だからこそあえて軽いノリに演出したかったのですが…)、稚拙で浅はかだったと言われてもしかたありません。
容易には「正解」が見つからないと言われる今の日本で、
- 大人だって失敗する
- 失敗してもそれをどんどんネタとして開示してみんなで改善していけばいい
という新しい価値観というか、柔軟な議論の可能性が見出せたらいいなというのが企画の狙いだったわけですが、集客の視点からも話題を呼んで盛り上げるということに欲を出しすぎて、本来の意図や目的を伝えられなくなってしまった上に、肝心の議論も十分に深められませんでした。開催直前の段階では「政治(政党)イベント」としての注目が過剰に高まっていたことは分かっていたことなので、それに応じて専門的なレベルで議論を深めることができる別の論客にセッションに参加してもらうなどの工夫もできたはずで、今となってはそれも大きな反省点です。
細かいことを今さらグチグチ悔いても仕方ありませんが、その他にも、
- 投稿システムの動きなどもっと事前にシミュレーションをしっかりするべきだった(最初これがグダグダになってしまったために、前半若新が勝手に議論を進行することになってしまった)
- パネリストの話がそれぞれ長くなることは予想できたことなので、できるだけ簡潔に述べてもらうよう注意すべきだった
- 「反省」という切り口を打ち出し過ぎたため、「謝罪」をイメージさせてしまったのではないか?だったらせめてもっと「厳しく追求する」という進行が必要だったのではないか
などというようなことをイベント終了後からぐるぐる考えていて、とにかく反省すべき点が多々ありました。
なんだこの不審者!
政治に対する専門性や知識が乏しく稚拙な若新が、これほどの大規模な政治(政党)イベントを進行することになった背景やその反省は前述のとおりです。そもそもの企画趣旨としては、なんだかよく分からない若者が、大して政治に詳しいわけでもないのに元総理や元大臣と話し合いの場をつくろうとしていることで、「政治家と国民」という硬直した関係や距離感を崩していければいいなぁというのもありました。
もちろんそんなものは企画者サイドの思惑にすぎず、パネリストに対しても、「会場に来ているのは若者なので、3人が僕の親戚のおじさんだったとしたら、というような雰囲気で柔らかく進めたいと思います」と説明して了承してもらっていたのですが、そもそもネット上では全世代に公開しているわけであり、演出の準備不足もあって、そのあたりについてもものすごく中途半端になってしまいました。
力なき正義は悪
主に枝野さんや長妻さんからあった、
- 理想的な政策を提案しても法案を通す段階で行政(官僚)との調整が必要で、それがちゃんと出来る体制(というよりも力関係)が築けていなかった
- 組織が縦割りになっていき相互に十分な連携がとれず、重要なことを打ち出すタイミングや足並みが揃わなかった。また、問題が起きても素早い対応がとれなかった
- 自民党にはそれらをカバーできる長年の蓄積や裏テクニック(行政・官僚との力関係や党内を統治する調整力)があった。民主党はそれを同じ方法ではやりたくないが(だから「クリーンな政治」を目指したということなのでしょうが)、今はまだその代わりになる方法は見つかっていない(つまり綺麗事は言えるが、再度政権を握れる状態にはない)
というような「組織」としての青臭さというか、未熟さが、一度は政権までも握った政党としてまさに最も反省すべきというか、致命的なところだったんだろうと思います。若新なんかが言うのはおこがましすぎますが、「力なき正義は悪」ということでしょうか?いやむしろ、結果としてはこのイベントの若新による進行そのものも、(別に正義は掲げていませんが)そのようなものになってしまっていたのかもしれません…。
一人称への問いかけ
いずれにしても、それらが閣僚経験者の口から直接聞けたということはなかなか有意義だったと思っていたのですが、結果としては「反省ではなくただの言い訳だ」と評されたわけです。もちろん僕の企画や進行・演出が未熟で不十分だったことは言うまでもありませんが、終了後に動画を一通り見て強く感じたことは、
3人とも「発言に主語がない」
ということでした。それは政治家特有のものなのか、それこそ一定の立場にある大人に自ずと染み付いてしまうものなのか、様々な要因を整理しながら現象や事象を客観的に述べようとすることは大切なことだと思いますが、それにしても「私は」とか「私が」といった一人称の主語がほとんど存在しないというのは問題のような気がします。そもそも「日本語はよく主語が省略される」などと言われたりもしますし言語学的なレベルの話なのかもしれませんが、「正解」のない時代、僕たちが求めているのは客観的な説明や情報などではなく、問題の主体である「私」なる人物がどう考え、そしてその「私」なる人物がどう思っているのかという一人称への問いかけであり、それと向き合っていくことなのかもしれません。
そもそもは、それらをうまく演出して形にすることも若新に課せられたテーマだったわけであり、本当に浅はかさを痛感した反省の多い催しでした。せめて今後に活かしていくためにも、自分自身の未熟さや稚拙さと素直に向き合っていくことが今の若新にできることであり、やるべきことなのだと思っています。