解決済みのQ&A
ベストアンサーに選ばれた回答
教師がなめられてるからです。
リーダーシップがとれていない集団ではみんなが勝手なことをやりだします。
たとえ、家でちゃんと躾されていても、教師のリーダーシップが甘いと、子どもは気が緩んじゃうんですよ。
下の回答者さんが、子どもの教育の一義的責任は親にあるとか言ってますけど、親は学校のクラス集団に干渉することができません。
親としての子どもに対する責任を教師に預けているんです。
法律的に、「預けない」という選択肢はないんです。
預かったからには、当然、学校に第一義的な責任が生じます。
親の躾は「いじめ」に100%無関係ではないとしても、別問題です。
というより、教師の逃げです。
親が頑張っても今ある「いじめ」はなくなりません。
そう、学校で起こるいじめは学校の責任です。
学校のいじめは教師に第一義的な責任があります。
教師の指導力の不足がいじめの最大の原因です。
>法律的には、親権者の目が届かないところであっても子供が起こした責任は原則的に親権者にあるという事になります。自分の与り知らぬ所で起こった事であってもそれらをしない様に普段から公共の場でのマナーや態度を教育する責任があるのです
これは、あくまで法律論です。
いじめは法律論で語りきれるものではありません。
わざわざ、目の届かないところにいる人間の責任として投げるよりも、学校でクラス集団をまとめている教師が責任を持つのが筋でしょう。
(追記)
c_desk_overさん は保護者の「第一義的責任」という言葉について拡大解釈をしています。
少なくともそれは、教師の責任を都合よく狭めるための言葉ではなく、また、学校での集団生活の結果責任を保護者に転嫁できる口実となりえるものではありません。
>親権者の目が届かないところであっても子供が起こした責任は原則的に親権者にあるという事になります
>「普段から人間としてのルールやマナーは親権者によって教育されている事が”当たり前”であり、その為に公共の場や他人に対して粗相がないように常日頃から教育する義務と権利を与えます」という事だと考えています
教育基本法第10条において家庭に「第一義的責任」として具体的に課されているものは、
①生活のために必要な習慣
②自立心を育成
③心身の調和のとれた発達
この3点です。
主に、保護する生徒個人の“発達”に関するものであり、
「他人に対しての粗相」などということは一切書かれていません。
>学校を含め第三者に対して、親権者の代わりに第一義的責任を課す事はできません
>第一義的責任は学校側で持つ事はできず、またその権利や義務も学校側にはありません
親権者に課された第一義的責任とは自分の子“のみ”です。
A君の親権者は同じクラスのB君に対しての責任は“皆無”です。
それに対し、学校は生徒全体に対し、責任があります。
いじめとは集団心理上の理論で起こるものであり、集団をとりまとめ、安全を保証する第一の責任は「学校」に帰属されます。
それなのに教師のいじめに対する意識があまりにも薄いから、親は「自分の子どもがいじめられないこと」を考えることで精一杯になるのではないでしょうか?
集団で、リーダーがしっかりしていなければ、いじめは起こります。
学校がいじめを断固なくしていく意思と態度を明確に示さなければ、家庭はいじめに対して、どんな態度をとればいいかわからないでしょう。
いじめが悪いこととするならば、まずは学校、教師が変わらなければなりません。
いじめは悪であることを明言し、"責任"を持ってなくしていくことを宣言し、そのうえで家庭に協力を求めるべきです。
そういった学校の確固たる意思と責任意識があれば、家庭は自分の子どもがいじめられることはないと安心し、「いじめ」そのものをなくすための心のゆとりができるのではないでしょうか?
c_desk_overさんのように、「第一義的責任」という言葉を逆手にとって、「いじめ」の責任を家庭に投げていれば、絶対に「いじめ」はなくなりません。
>第一義的責任は学校側で持つ事はできず、またその権利や義務も学校側にはありません。そして、権利や義務が無いものに対して、責任を取る事は出来ません。学校が持てる責任は、「安全配慮義務」「いじめ回避義務(予見・対策)」「専門教育義務」に対する責任だけですね
学校の責任はそれだけですか?
文字数が足りないのでここに書きませんが、指導要領や教育基本法を確認してください。
それから、「いじめ」の責任は特定の個人に帰属できるものではありません。
教師、加害者、傍観者、被害者・・・
場合によって順番は前後するでしょうけど、「学校にいる人たち」によって繰り広げられる集団心理の表現であると言えます。
また、教師の、「いじめ」に対する曖昧な態度、リーダーシップの欠落、生徒との対話不足、そして責任転嫁・・・
これらが「いじめ」の原因となっていることは、誰かが屁理屈を並べたところで変わりません。
- 編集日時:2012/12/25 12:12:49
- 回答日時:2012/12/24 04:18:27
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ベストアンサー以外の回答
(16件中1〜5件)
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俺はc_desk_overさん ↓とは違う意見です。
①道徳教育について
>学習指導要領はあくまでも「助言」であり「法律」ではありません
もともと、俺も法律だなんて思っていません。
こんな答えが返ってくるとは思いませんでした。
教師は学習指導要領を無視できますか?
>したがって学習指導要領は文部科学省の作成する指導助言文書である
国は道徳教育などを、指導文書として、学校教育領域として求めているということです。
「職務命令」といっても過言ではないでしょう。
「法律」じゃないなんて開き直るのはあなたぐらいのものです。
まともな先生なら、学習指導要領を無視しません。
「道徳心」「協調性」「人間性」といったものは「学校教育領域」と言うことに変わりはありません。
②ご提示の資料について
http://kohoken.s5.pf-x.net/cgi-bin/folio.cgi?index=bun&query=/lib/k...
この資料のソースは1990年頃のものです。
それから、現在までの間に、教育基本法の改正や中央教育審議会答申もあり、今使う資料としては古すぎます。
教育基本法10条改正がされる前のものであり、まだ、その中に「不当な支配」や「直接責任」という文言があった頃のものです。
当時の学校には自治体のような空気があり、親が学校の教育内容に意見するといったことは認められていなかったので、「親の権利」を強く訴えかける資料として、まとめられたのです。
それを、c_desk_overさんはご自分の持論に都合のいい部分だけを抜粋して用いています。
モンスターペアレントなどという言葉を使う教師まで出てきた現在の状況と照らし合わせれば、あまりにも時代背景が違いすぎます。
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「教育の信託」論の観点から両者の関係を考察してみると、親の教育権は教師の教育権を導き出すための単なる媒介物ではないのであるから、親は信託によって、「監護教育義務を喪失したり、免除されたりすることはない」
のであり、信託に反する教育が行われている場合には、親は何らかの介入ができると考えるべきである。
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c_desk_overさんは抜粋を途中で止め、親の責任を強調していましたが、この資料が訴えかけたいことは、そういいうことではありません。
この資料は、あくまで、教師の学校教育の信託に不信を感じた場合、親は何らかの形で意見できる権利を持つべきだと言っているのであり、学校教育の責任を親に投げているわけではありません。
つまり、親が学校に子どもの教育を信託しているのであるから、学校の教師は親の意見を反映した学校教育を行っていかなければならないという理論を、c_desk_overさんが、「全部親の責任」と曲解しているわけです。
俺は子どもの教育に対して、親に全く責任がないとは言っていません。
教育基本法10条には「生活に必要な習慣」「自立心の育成」「心身の発達」という“3点”において、「努力義務」が課されており、また、学校教育に不信を感じた場合意見する「権利」があるでしょう。
しかし、教育基本法6条にも明記されている通り、「いじめ」といった学校(集団)生活に関する規律、あるいは、学習指導要領に明記されている道徳教育といったものは、学校が「信託」を受け、その実行に対して、第一義的な責任を負うものなので、現状、親はそこに意見することはできても、直接介入することはできません。
だから、まず、担任教師が事実関係を感知、確認し、状況を報告する義務が発生すると言っているのです。
そのうえで、その解決を司る役割を果たしていく責任があります。
③懲戒について
>法的効果を伴う(停学・転校など)ものに対しては、懲戒処分相当の理由が無い限りには行う事ができず職員会議などによって判断されます
法的効果を伴わないものでもいいし、出席停止や、「言って聞かせること」も大切でしょう。
それをしないなら教師を辞めるべきです。
「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm
>懲戒行為が「不当な権利の行使」と親権者が判断した場合には、「拒否権」や「請求権」を行使出来ます
それは、最終的に親権者が判断することではなく、裁判所が判断することではないですか?
>これにより、教師の懲戒権や教育権は制限されると考えられます
いいえ、制限されません。
それが正当な教育、懲戒であれば、親権者が何と言おうと、制限されることはありません。
>私は、そもそも”子供”の意見ではなく、”genitirou5647さん個人”の意見だと思っていますから
そういうことじゃなくて、あなたの話聞いてると、ガキが嫌いなようにしか思えないんですよ。
また、俺は俺個人の意見を言っているのではありません。
「当たり前」のことを言っているだけです。
- 編集日時:2012/12/27 01:03:07
- 回答日時:2012/12/26 20:05:17
いじめっ子の親って、大抵きちんとしていない親ですよ。私の知っているいじめっ子の親御さんも、不理屈な人で、まともな話しはまず通じません。近所の評判も悪い。ふてぶてしい態度が反感をかっているようです。
- 回答日時:2012/12/26 18:10:52
私も昔に経験があったという事で解答しますが、学校が対応するとかなんとかは遅い段階であり。現実はいじめは複数の人間でなく最終的には一人=クラスなんだとという事です。
この変が、一人対複数と言っているような「言い訳」がゆるされない!
現実は一人=クラスだと・・・
この変が複数の人間とか言い訳しているような学校が許せないと同時に、学校側が気づいていたがとかと何かと言い訳しているからはっきりいって対策とか出来ていないのと本気で聞きいれていないのですよ!
本当にいじめにあった人はコメントで代表の複数の名前とか言いますが本質はクラス全体でいじめにあっているのですよ!
私は経験で言うので本質と思います。
このクラス全部という話がおさえているかどうかわかりませんが「いじめ」という本質は一人=クラス全体とはっきりいいます。
だからこそ「自殺」もしますよ!
おなじ「自殺」でも複数ぐらいでは出来ませんよ!
過去に経験しているから言えます。
複数からの「いじめ」でなくクラス全体の「いじめ」という事です。
- 回答日時:2012/12/25 23:46:36
俺はc_desk_overさん とは違う意見です。
①学校側に第一義的責任を課すことを法律は明記しておりません
⇒教育基本法、学校教育法、指導要領などを見てください。
教師の責任、義務はここに書ききれないほど書かれています。
特に教育基本法には、明確に「家庭教育」と差別化して「学校教育」が負う責任が明記されています。
「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない」
という6条の条文は、教師の義務は、生徒の学校生活(集団生活)の指導や協調性の育成であることをはっきり示しています。
それに対し、保護者に対して、「学校生活の指導」を義務付けている法律はありません。(当たり前ですね?)
いじめとは学校生活(集団生活)の中で起こるものであり、その責任は学校の領域です。
②第一義的責任は、親権者のみに課される責任でそのための教育優先権があります
⇒いいえ、違います。
教育基本法第10条における「第一義的責任」とは、「生活習慣、心身の発達」といったもので、学校(集団)生活における責任を含めたものでは当然ありません。
保護者が学校生活について干渉できることは限られています。
③学校側には、学校の「教育権」が行使できる範囲に対して責任があります
⇒教師の義務は上にあげた教育基本法をはじめ、色々な法律に明記されています。
④学校を含めた第三者に「第一義的責任」を課す事は出来ません
⇒学校教育の第一義的責任は、学校にあります。
法律で明文化するまでもない責任です。
⑤「権利」と「義務」と「責任」は常にセットです
⇒省略
⑥A君の行為の責任はA君の親権者が持つ事が基本で、これはB君・C君・・・(以下略)でも同じ事が言えます
⇒そう、保護者は他の生徒の教育に対して権利も義務もないんです。
A君にも、B君にも、C君にも・・・教育の権利、義務を持つのは、教師“のみ“です。
⑦(他人への粗相は)「①生活のために必要な習慣」と「②自立心を育成」に含まれると私は思います
⇒いいえ、違います。
学校生活の中で起こる「いじめ」は、上に書いた教育基本法6条の「学校教育」の領域に含まれます。
⑧「親権」で行使できる「教育権」に掛かる責任は「親権者」が取るべきです
⇒日常関活の習慣(箸の持ち方、歯を磨く習慣など)、自立心の育成(家事の手伝い、持ち物の管理)、心身の発達に関することに関しることですね。
⑨学校は学校が行使できる「教育権」に掛かる責任を取るべきです
⇒各種法令の基づいて、学校教育をつかさどっていくのが「学校教育」の役割です。
特に教育基本法では、上で書いたように家庭教育と差別化をして役割を示しています。
学校で起こるいじめは学校教育領域に含まれます。
⑩「いじめ」に対して学校側が「責任」や「義務」を持つには、学校側に優先的な「権利」を保障するべきです
⇒一体、どんな権利がほしいのでしょう?
法律上も教員の身分は保証されており、生徒への懲戒の権利までも認められています。
この上、何を望むのでしょうか?
>他の子の責任は他の子の親権者に責任が問われますね?
⇒そうです。保護者は自分の子“のみ”に対して、責任があります。
それに対して、学校は“すべての”生徒に責任があります。
>「道徳心」「思いやり」「協調性」などは、原則的に家庭教育の範囲だと私は考えています。
⇒「道徳性」、「協調性」、「人間性」は学校教育の範囲です。
根拠は学習指導要領です。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%81%93%E5%BE%B3%E6%95%99%E8%82%B2/
>この2つの条約においても「学校側に第一義的責任がある」とはどこにも書かれておりません。つまり、学校側には優先的な権利が与えられていないので…
「第一義的責任」とは、自分の子“のみ”に対する心身の発達や、生活習慣についての基本的責任を表したものであり、その言葉自体を逆手にとって、教師の無責任を正当化できるものではありません。
>学校側がこの条約通りに指導を行っても、親権者が拒否すればそれ以上の事は学校側が行う権利が無いのです。
⇒これは、「不登校」とか、「転校」とか、そういうことですか?
学校を選ぶ権利は生徒や保護者にありますけど、これは全然違う話ですよね?
>「安全保持義務」や「いじめ回避義務」はあると申し上げています。
それは”優先的”な権利、義務ではありません。
⇒優先的も何も・・・これは学校の義務ですよ!
>加害者本人への指導を加害者の親が拒否するのです。
⇒加害者本人への指導を加害者の親が拒否するとは、どんな場合でしょう?
指導に問題があった場合ですか?
>学校側は権利が行使できないのですから、その分の義務も責任も第一義的責任を持った「親権者」が負うべきです。
⇒何の権利の行使ですか?
>躾に対する考え方が甘過ぎです
子どもの性格によっても違います。
何が「甘い」と言えるものではありません。
もしかして、ガキ嫌いですか?
- 回答日時:2012/12/25 23:00:47
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