朝鮮産・洋公主のヤミ歴史…朴正煕が設計した国家売春
在米朝鮮人も熟知する「洋公主」とは何か…それは南鮮に溢れた米兵向け売春婦だった。捏造慰安婦の謎を解くキーワードの急浮上。しかもパク・クネの実父が制度設計に深く関わっていた。
ニューヨーク市にほど近い米ニュージャージー州北部で9月2日、言語道断の暗黒マラソン大会が催された。その日は、対日戦勝利の記念日、VJデー。在米の不逞鮮人による反日イベントだった。
題して「Comfort Women Memorial Peace Marathon」。慰安婦を記念する大会だという。嫌なマラソンだ。南鮮で大きく報道された割に規模は小さく参加ランナーは約150人しかいない…
▼反日イベントの不逞鮮人9月2日(NJ紙)
一部にフィリピン系住民らも居たようだが、殆どは南鮮系だ。コースは8キロと短いが、そこに仕掛けがあった。スタート地は同州バーゲン郡ハッケンサックで、ゴールはパリセイズパーク市だった。
これまでに誕生した2つの腐れビッチ碑をつなぐ外道マラソン。旭日旗を毀損するゼッケンを装着するなど、端からスポーツとは無縁の政治的なデモンストレーションである。
▼配布された反日Tシャツ9月2日(NEWSis)
在米鮮人による断続的な慰安婦策動には充分な警戒が必要だが、実際は大手南鮮紙もスルーする小規模イベントだった。しかし、それをキッカケに南鮮が忌み嫌う禁断のキーワードが浮上した。
「大部分の米国人は従軍慰安婦が洋公主だということを知らない。洋公主は朝鮮戦争の時期に連合軍のために用意された売春婦だ」
▼パリセイズパークのビッチ碑
鮮人イベントを報じた地元紙に日本人有志が、そうコメントを添えた。洋公主=ヤンゴンジュとは聞き慣れない言葉だ。ところが、この意見にイベント主催団体の代表が敏感に反応したという。
「慰安婦と洋公主と一緒に論じてはならない」
聞き慣れない言葉を軸に議論が交わされている…南鮮人が「洋公主」を普通に知っているような口ぶりだ。急浮上した「洋公主」。それは捏造慰安婦と密接に関係している南鮮現代史の暗部であった。
【懐かしい洋公主の記憶】
洋公主の「洋」は、洋画・洋楽などで用いられる西洋を示す言葉だ。そして「公主」は、支那に由来するもので「天子の娘」「姫君」を表現。英語では「ヤンキー・プリンセス」と呼ばれることもある。
「洋公主論争」を伝えたのは、中共のタブロイド紙『環球時報』だった。なぜ米地方紙のコメ欄で起きた日鮮のやり取りをクローズアップしたのか不明だが、この支那由来の言葉に注目したのかも知れない。
▼実在する洋公主と米兵(ハンギョレ新聞)
参照:新華経済9月2日『従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディ』
「洋公主=ヤンゴンジュ 양공주」とは、日本人有志が指摘した通り、米兵向けの売春婦で、他に「洋セクシ 양색시」「洋ガルボ 양갈보」とも呼ばれた。
これが差別的な表現と指摘される一方、昔の南鮮紙には「洋公主」の漢字が踊る。高齢の南鮮人には聞き慣れた言葉でもあったのだろう。これこそ捏造従軍慰安婦の謎を解くキーワードのひとつだ。
▼南鮮紙の「洋公主」記事(年代不詳)
大東亜戦争の終結後、米軍は南鮮を支配下に置いた。駐屯する基地は、我が軍の司令部があった龍山(ヨンサン)や、滑走路が整った平沢(ピョンテク)など日本軍から奪い取ったものだった。
そして、米軍が駐屯する基地周辺に出現したのが洋公主だった。ドル目当てに集まった街娼がワラワラ登場したのではなく、日本時代にあった遊郭がベースになっていた模様だ。
慰安婦がそのまま洋公主(ヤンゴンジュ)に変わったのである。客が入れ替わっただけとも言える。そして洋公主は、朝鮮戦争を経て60〜70年代にかけて更に数を増やしていった。
▼東豆川の米兵向け歓楽街
ソウルの北方でDMZにも近い東豆川(トンドゥチョン)基地。最近の画像でも淫靡なネオン街が確認できるが、60年代の調査では、この東豆川周辺だけで1万人に達する洋公主が居たという。
研究者によると南鮮政府は当時、洋公主の総数を1万6000人と推計していたが、これは未成年の女性を含まない数で、実態を反映していない。南鮮国内では累計で30万人という見方もある。
年配の南鮮人なら誰でも洋公主という言葉を聞いたことがあるに違いない。そして、捏造された慰安婦と違って「洋公主の活躍」を撮影したフィルムもしっかり残っている。
【実録フィルムの中の洋公主】
北朝鮮サッカーチームの映画で金正日に気に入られた英国のダニエル・ゴードン監督が制作した北3部作の完結作品。それが本邦未公開の「クロッシング・ザ・ライン」だった。
ベトナム戦争中、ソ連亡命を企てて38度線を越えた米兵ジェームズ・ドレスノクの波乱人生を描いたドキュメンタリー映画だ。そこに実物の洋公主が登場していた…
▼米施設ゲート前に立つ女(BBC)
米軍施設のゲート前に立つ女性。これが歴史真実の洋公主の姿である。ゲートには不鮮明だが「レクリエーション・センター」と記されている。慰安所と変わらない米軍娯楽施設だ。
ゲートを潜ると、そこは怪しい店が立ち並び、米兵が正に闊歩する別世界。行き交う米兵に媚を売る洋公主たちの姿もバッチリ撮影されている。BBC所蔵のニュース映像が映画で使われたのである。
▼米兵を誘う洋公主3人組(BBC)
戦後の我が国に開設されたRAAと似ているが、南鮮の基地周辺にあるのは、大歓楽街だ。更に、RAAが批判を受けて半年で閉鎖された経緯とは異なり、南鮮の米軍歓楽街は歴史を重ねて今に至っている。
南鮮の米軍慰安婦に関しては橋下騒動の最中の5月に『米韓が作った兵士慰安街』と題して触れた。NYタイムズ紙の告発報道を手掛かりにした記事だが、そこで過去を語る南鮮女こそ典型的な洋公主だった。
▼洋公主時代を語る南鮮女09年1月(NYT紙)
蔑称である「洋公主」というワードがメディアに登場するのは稀で、大方は「慰安婦」に置き替えられてた。ややこしい。ちなみに「洋公主」の朝鮮語版Wikipediaで引用される資料も表現は「慰安婦」だ。
▼UN軍の慰安婦募集記事(東亜日報)
UN軍を相手にする慰安婦の登録実施を伝える記事で、出典もハッキリ判った。1961年9月14日付の東亜日報である。訪南経験の多い加瀬英明氏によると、こうした記事や広告は珍しくないという。
「日韓国交樹立の前年に、韓国をジャーナリストとして訪れてから、足繁く通ったが、『東亜日報』をはじめとする韓国の主要新聞に、米軍のための「慰安婦」を募集する広告を良く目にした」
概ね洋公主=慰安婦なのだが、旧時代の慰安婦と南鮮の洋公主には大きな違いがあった。南鮮政府が、洋公主の管理に深く関与していたのである。
▼南鮮で買春する米兵(BBC)
しかも、米軍向け売春システムを整備した人物が朴正煕だった。
【朴正煕が作った赤線地帯】
1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。
洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、政府間協議が行なわれた。
▼売春施設に群がる米兵(BBC)
米側の申し出によって南鮮政府は、社会保健部直轄の性病診察所を基地周辺に47ヵ所設置。洋公主を一定のエリアに隔離するなど国家による統制・管理を進めた。
米軍基地周辺の性病診察所付き隔離エリアは「基地村」と呼ばれ、東豆川やソウルに近い議政府(ウィジョンブ)は、急速に繁栄した。議政府は2002年に米兵の装甲車ひき逃げ惨事が起きた場所だ。
そして1961年、軍事クーデターで李承晩を追放した朴正煕は「基地村」の本格的な整備に乗り出した。朴正煕が制定した観光事業振興法は、ドルを稼ぐ洋公主を公式に認めるものだった。
▼基地村の洋公主1959年頃(ハンギョレ)
この観光振興法は、売春を禁じた「淪落行為防止法」に抜け道をつくり、いわゆる「赤線地帯」に法的根拠を与えたのである。朴正煕は梨泰院(イテウォン)など全国36ヵ所の基地村を赤線地帯に指定した。
朴正煕は、セマウル(新しい村)運動の提唱で知られるが、それ以前に売春村を開発してたいたのだ。64年には米軍向け施設の売り上げは、900万ドルを超え、国家の外貨収入の10%に及んだという。
▼クーデター直後の朴正煕ら
また70年代になると京畿地方だけで年間800万ドルの外貨が洋公主の収入になったという京畿道観光運輸課の公式調査も存在する。基地村は、南鮮経済を支える巨大売春産業であったのだ。
朴正煕は70年代に基地村浄化運動に取り組んだとされる。しかし、それは性病検査を徹底し、行政組織が洋公主の英会話教室を開くなど、性産業の発展に寄与するものだった。
▼南鮮国家売春の父・朴正煕
朝鮮の伝統産業をシステム化した中興の祖が朴正煕である。この偉大な父親の“功績”を無視し、捏造慰安婦問題で我が国に因縁を付ける資格など、パククネにはないのだ。
【敵女性兵を生け捕りで娼婦に…】
吉見義明ら捏造派は、慰安婦の軍関与も、強制的な連行も立証できなかった。そこで今時は、慰安婦が「施設に監禁され、奴隷状態にあった」と非難する。すなわち、性奴隷だ。
それが実際どのような状態なのか…解き明かしてくれるのも洋公主だ。洋公主は、性病を発症すると「モンキーハウス」と呼ばれる窓に鉄格子が付いた監禁施設に押し込まれる。
▼貴重な基地村報道77年6月(毎日経済)
これは、NYT紙で告発した南鮮女も明かしている事実だ。そして、基地村問題の研究者によると、罹病した洋公主は抗生物質が過剰投与され、突然死するケースが多かったという。
一方、リクルートに関しては捏造慰安婦も裸足で逃げ出すレベルだ。初期の段階では、北朝鮮シンパと見なした女性を連行したり、北の女性ゲリラを拉致して売り飛ばすこともあったと伝えられる。
▼UN軍に拘束された北看護婦(file)
敵軍兵を捕らえて娼婦に仕立てるのだ。ジュネーブ条約を持ち出して議論している場合ではない。南鮮で流布される捏造慰安婦の“悲劇”よりも醜悪。完全にアウトだ。
洋公主の物語は、慰安婦捏造ストーリーの元ネタであることは確実だが、歴史の表舞台に突然登場した時期も極めて近い。80年代、南鮮で反米・反軍政ムードが高まる中、基地村の問題が浮上した。
▼基地村闊歩する米兵と洋公主95年(東亜日報)
親北左派の連中が、反米闘争の新テーマとして提起したのである。その過程で90年代初頭、挺身隊を意図的に歪曲した“従軍慰安婦”がクローズアップされる。
その流れか、我が国の左派系組織やフェミ系団体が基地村問題を指摘するケースも目立つ。韓国軍慰安婦の公的資料を発掘したのも、南鮮のフェミニスト女性学者だった。
【語り始めた基地村の洋公主】
「固定式慰安所-特殊慰安隊」
そうした記述が、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公文書『後方戦史(人事編)』に残っていた。実績統計として、4ヵ所89人の慰安婦が1年間で20万回以上の“慰安”を行なったと記されている。
参照:朝日新聞アーカイブ『朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表』
河野洋平の顔面に叩き付けたくなるような資料だが、加瀬英明氏によると約10年前、研究発表に慌てた南鮮政府は、国防部資料室の韓国軍慰安婦資料を閲覧禁止にしたという。
▼置屋前に並ぶ洋公主(LIFE誌)
確かに青瓦台にとって致命的な歴史資料。特に陸軍将校だった朴正煕の娘は言い逃れできない。しかし資料を隠蔽しても「洋公主」の存在は、NJ州のマラソン主催者が受け答えたように一般に知られている…
南鮮国内に米兵向け慰安婦がウヨウヨいたことを知りながら我が国を罵倒する精神構造は異常だ。日本時代の慰安婦が「20世紀最大の人権侵害」で、洋公主については「ノーコメント」など許されない。
▼物色中の米兵と洋公主(LIFE誌)
捏造慰安婦が第三国の地方都市でスパークする一方、洋公主は歴史の陰でひっそりした印象だ。実在の洋公主は、海外巡業に励むこともなく、実名で告発を始めたのも最近である。
▼昨年7月邦訳版出版『基地村の女たち』
自称慰安婦が適当なウソを並べるのと違い、まだ証言も少なく資料は封印…学術的な研究も滞りがちだ。しかし、証拠写真どころか活動中の映像まで残っている。反日陣営を攻撃する恰好の歴史事実だ。
しかも洋公主の相手は朝鮮戦争・ベトナム戦争世代に遡る米兵だ。グレンデールなどでやりたい放題の在米朝鮮人に鉄槌を下し、米国務省を怯ませることも出来る。
▼米兵と戯れる洋公主(BBC)
慰安婦捏造派の妄言に反論することも重要だが、洋公主や韓国軍慰安婦をキーワードに真正面から反撃する姿勢も欠かせない。
知られざる洋公主の実像は、捏造慰安婦の壮大なウソを暴く可能性を秘めている。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓
参考動画:
ダニエル・ゴードン監督作『Crossing The Line』パート2(6'30"過ぎから洋公主が断続的に登場)
参照:
■立命館言語文化研究23巻2『日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」(PDF)』
■東アジア歴史文化研究会7月13日『韓国がひた隠しする韓国軍「慰安婦」関連資料(加瀬英明氏コラム)』
■ぼやきくっくり6月8日『韓国人が告発した韓国軍慰安婦の実態』
■続・慰安婦騒動を考える2011年11月27日『韓国政府は情夫だった [韓国の慰安所とキーセン観光]』
参考記事:
■ノース・ジャージー紙9月2日『First 'comfort women' run marks suffering by sexual slavery victims』
■新華経済9月2日『従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディ』
■J-CAST9月3日『韓国系団体が「慰安婦マラソン」米国で開催 「日本が謝罪し、旭日旗が消えるまで走る」』
■ハンギョレ新聞2012月11月30日『[土曜版] ハン・ホングの維新と今日<20>基地村浄化運動』 (魚拓)
関連エントリ:
■5月18日『米韓が作った兵士慰安街…和製R&Rの実像と捏造』
ニューヨーク市にほど近い米ニュージャージー州北部で9月2日、言語道断の暗黒マラソン大会が催された。その日は、対日戦勝利の記念日、VJデー。在米の不逞鮮人による反日イベントだった。
題して「Comfort Women Memorial Peace Marathon」。慰安婦を記念する大会だという。嫌なマラソンだ。南鮮で大きく報道された割に規模は小さく参加ランナーは約150人しかいない…
▼反日イベントの不逞鮮人9月2日(NJ紙)
一部にフィリピン系住民らも居たようだが、殆どは南鮮系だ。コースは8キロと短いが、そこに仕掛けがあった。スタート地は同州バーゲン郡ハッケンサックで、ゴールはパリセイズパーク市だった。
これまでに誕生した2つの腐れビッチ碑をつなぐ外道マラソン。旭日旗を毀損するゼッケンを装着するなど、端からスポーツとは無縁の政治的なデモンストレーションである。
▼配布された反日Tシャツ9月2日(NEWSis)
在米鮮人による断続的な慰安婦策動には充分な警戒が必要だが、実際は大手南鮮紙もスルーする小規模イベントだった。しかし、それをキッカケに南鮮が忌み嫌う禁断のキーワードが浮上した。
「大部分の米国人は従軍慰安婦が洋公主だということを知らない。洋公主は朝鮮戦争の時期に連合軍のために用意された売春婦だ」
▼パリセイズパークのビッチ碑
鮮人イベントを報じた地元紙に日本人有志が、そうコメントを添えた。洋公主=ヤンゴンジュとは聞き慣れない言葉だ。ところが、この意見にイベント主催団体の代表が敏感に反応したという。
「慰安婦と洋公主と一緒に論じてはならない」
聞き慣れない言葉を軸に議論が交わされている…南鮮人が「洋公主」を普通に知っているような口ぶりだ。急浮上した「洋公主」。それは捏造慰安婦と密接に関係している南鮮現代史の暗部であった。
【懐かしい洋公主の記憶】
洋公主の「洋」は、洋画・洋楽などで用いられる西洋を示す言葉だ。そして「公主」は、支那に由来するもので「天子の娘」「姫君」を表現。英語では「ヤンキー・プリンセス」と呼ばれることもある。
「洋公主論争」を伝えたのは、中共のタブロイド紙『環球時報』だった。なぜ米地方紙のコメ欄で起きた日鮮のやり取りをクローズアップしたのか不明だが、この支那由来の言葉に注目したのかも知れない。
▼実在する洋公主と米兵(ハンギョレ新聞)
参照:新華経済9月2日『従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディ』
「洋公主=ヤンゴンジュ 양공주」とは、日本人有志が指摘した通り、米兵向けの売春婦で、他に「洋セクシ 양색시」「洋ガルボ 양갈보」とも呼ばれた。
これが差別的な表現と指摘される一方、昔の南鮮紙には「洋公主」の漢字が踊る。高齢の南鮮人には聞き慣れた言葉でもあったのだろう。これこそ捏造従軍慰安婦の謎を解くキーワードのひとつだ。
▼南鮮紙の「洋公主」記事(年代不詳)
大東亜戦争の終結後、米軍は南鮮を支配下に置いた。駐屯する基地は、我が軍の司令部があった龍山(ヨンサン)や、滑走路が整った平沢(ピョンテク)など日本軍から奪い取ったものだった。
そして、米軍が駐屯する基地周辺に出現したのが洋公主だった。ドル目当てに集まった街娼がワラワラ登場したのではなく、日本時代にあった遊郭がベースになっていた模様だ。
慰安婦がそのまま洋公主(ヤンゴンジュ)に変わったのである。客が入れ替わっただけとも言える。そして洋公主は、朝鮮戦争を経て60〜70年代にかけて更に数を増やしていった。
▼東豆川の米兵向け歓楽街
ソウルの北方でDMZにも近い東豆川(トンドゥチョン)基地。最近の画像でも淫靡なネオン街が確認できるが、60年代の調査では、この東豆川周辺だけで1万人に達する洋公主が居たという。
研究者によると南鮮政府は当時、洋公主の総数を1万6000人と推計していたが、これは未成年の女性を含まない数で、実態を反映していない。南鮮国内では累計で30万人という見方もある。
年配の南鮮人なら誰でも洋公主という言葉を聞いたことがあるに違いない。そして、捏造された慰安婦と違って「洋公主の活躍」を撮影したフィルムもしっかり残っている。
【実録フィルムの中の洋公主】
北朝鮮サッカーチームの映画で金正日に気に入られた英国のダニエル・ゴードン監督が制作した北3部作の完結作品。それが本邦未公開の「クロッシング・ザ・ライン」だった。
ベトナム戦争中、ソ連亡命を企てて38度線を越えた米兵ジェームズ・ドレスノクの波乱人生を描いたドキュメンタリー映画だ。そこに実物の洋公主が登場していた…
▼米施設ゲート前に立つ女(BBC)
米軍施設のゲート前に立つ女性。これが歴史真実の洋公主の姿である。ゲートには不鮮明だが「レクリエーション・センター」と記されている。慰安所と変わらない米軍娯楽施設だ。
ゲートを潜ると、そこは怪しい店が立ち並び、米兵が正に闊歩する別世界。行き交う米兵に媚を売る洋公主たちの姿もバッチリ撮影されている。BBC所蔵のニュース映像が映画で使われたのである。
▼米兵を誘う洋公主3人組(BBC)
戦後の我が国に開設されたRAAと似ているが、南鮮の基地周辺にあるのは、大歓楽街だ。更に、RAAが批判を受けて半年で閉鎖された経緯とは異なり、南鮮の米軍歓楽街は歴史を重ねて今に至っている。
南鮮の米軍慰安婦に関しては橋下騒動の最中の5月に『米韓が作った兵士慰安街』と題して触れた。NYタイムズ紙の告発報道を手掛かりにした記事だが、そこで過去を語る南鮮女こそ典型的な洋公主だった。
▼洋公主時代を語る南鮮女09年1月(NYT紙)
蔑称である「洋公主」というワードがメディアに登場するのは稀で、大方は「慰安婦」に置き替えられてた。ややこしい。ちなみに「洋公主」の朝鮮語版Wikipediaで引用される資料も表現は「慰安婦」だ。
▼UN軍の慰安婦募集記事(東亜日報)
UN軍を相手にする慰安婦の登録実施を伝える記事で、出典もハッキリ判った。1961年9月14日付の東亜日報である。訪南経験の多い加瀬英明氏によると、こうした記事や広告は珍しくないという。
「日韓国交樹立の前年に、韓国をジャーナリストとして訪れてから、足繁く通ったが、『東亜日報』をはじめとする韓国の主要新聞に、米軍のための「慰安婦」を募集する広告を良く目にした」
概ね洋公主=慰安婦なのだが、旧時代の慰安婦と南鮮の洋公主には大きな違いがあった。南鮮政府が、洋公主の管理に深く関与していたのである。
▼南鮮で買春する米兵(BBC)
しかも、米軍向け売春システムを整備した人物が朴正煕だった。
【朴正煕が作った赤線地帯】
1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。
洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、政府間協議が行なわれた。
▼売春施設に群がる米兵(BBC)
米側の申し出によって南鮮政府は、社会保健部直轄の性病診察所を基地周辺に47ヵ所設置。洋公主を一定のエリアに隔離するなど国家による統制・管理を進めた。
米軍基地周辺の性病診察所付き隔離エリアは「基地村」と呼ばれ、東豆川やソウルに近い議政府(ウィジョンブ)は、急速に繁栄した。議政府は2002年に米兵の装甲車ひき逃げ惨事が起きた場所だ。
そして1961年、軍事クーデターで李承晩を追放した朴正煕は「基地村」の本格的な整備に乗り出した。朴正煕が制定した観光事業振興法は、ドルを稼ぐ洋公主を公式に認めるものだった。
▼基地村の洋公主1959年頃(ハンギョレ)
この観光振興法は、売春を禁じた「淪落行為防止法」に抜け道をつくり、いわゆる「赤線地帯」に法的根拠を与えたのである。朴正煕は梨泰院(イテウォン)など全国36ヵ所の基地村を赤線地帯に指定した。
朴正煕は、セマウル(新しい村)運動の提唱で知られるが、それ以前に売春村を開発してたいたのだ。64年には米軍向け施設の売り上げは、900万ドルを超え、国家の外貨収入の10%に及んだという。
▼クーデター直後の朴正煕ら
また70年代になると京畿地方だけで年間800万ドルの外貨が洋公主の収入になったという京畿道観光運輸課の公式調査も存在する。基地村は、南鮮経済を支える巨大売春産業であったのだ。
朴正煕は70年代に基地村浄化運動に取り組んだとされる。しかし、それは性病検査を徹底し、行政組織が洋公主の英会話教室を開くなど、性産業の発展に寄与するものだった。
▼南鮮国家売春の父・朴正煕
朝鮮の伝統産業をシステム化した中興の祖が朴正煕である。この偉大な父親の“功績”を無視し、捏造慰安婦問題で我が国に因縁を付ける資格など、パククネにはないのだ。
【敵女性兵を生け捕りで娼婦に…】
吉見義明ら捏造派は、慰安婦の軍関与も、強制的な連行も立証できなかった。そこで今時は、慰安婦が「施設に監禁され、奴隷状態にあった」と非難する。すなわち、性奴隷だ。
それが実際どのような状態なのか…解き明かしてくれるのも洋公主だ。洋公主は、性病を発症すると「モンキーハウス」と呼ばれる窓に鉄格子が付いた監禁施設に押し込まれる。
▼貴重な基地村報道77年6月(毎日経済)
これは、NYT紙で告発した南鮮女も明かしている事実だ。そして、基地村問題の研究者によると、罹病した洋公主は抗生物質が過剰投与され、突然死するケースが多かったという。
一方、リクルートに関しては捏造慰安婦も裸足で逃げ出すレベルだ。初期の段階では、北朝鮮シンパと見なした女性を連行したり、北の女性ゲリラを拉致して売り飛ばすこともあったと伝えられる。
▼UN軍に拘束された北看護婦(file)
敵軍兵を捕らえて娼婦に仕立てるのだ。ジュネーブ条約を持ち出して議論している場合ではない。南鮮で流布される捏造慰安婦の“悲劇”よりも醜悪。完全にアウトだ。
洋公主の物語は、慰安婦捏造ストーリーの元ネタであることは確実だが、歴史の表舞台に突然登場した時期も極めて近い。80年代、南鮮で反米・反軍政ムードが高まる中、基地村の問題が浮上した。
▼基地村闊歩する米兵と洋公主95年(東亜日報)
親北左派の連中が、反米闘争の新テーマとして提起したのである。その過程で90年代初頭、挺身隊を意図的に歪曲した“従軍慰安婦”がクローズアップされる。
その流れか、我が国の左派系組織やフェミ系団体が基地村問題を指摘するケースも目立つ。韓国軍慰安婦の公的資料を発掘したのも、南鮮のフェミニスト女性学者だった。
【語り始めた基地村の洋公主】
「固定式慰安所-特殊慰安隊」
そうした記述が、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公文書『後方戦史(人事編)』に残っていた。実績統計として、4ヵ所89人の慰安婦が1年間で20万回以上の“慰安”を行なったと記されている。
参照:朝日新聞アーカイブ『朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表』
河野洋平の顔面に叩き付けたくなるような資料だが、加瀬英明氏によると約10年前、研究発表に慌てた南鮮政府は、国防部資料室の韓国軍慰安婦資料を閲覧禁止にしたという。
▼置屋前に並ぶ洋公主(LIFE誌)
確かに青瓦台にとって致命的な歴史資料。特に陸軍将校だった朴正煕の娘は言い逃れできない。しかし資料を隠蔽しても「洋公主」の存在は、NJ州のマラソン主催者が受け答えたように一般に知られている…
南鮮国内に米兵向け慰安婦がウヨウヨいたことを知りながら我が国を罵倒する精神構造は異常だ。日本時代の慰安婦が「20世紀最大の人権侵害」で、洋公主については「ノーコメント」など許されない。
▼物色中の米兵と洋公主(LIFE誌)
捏造慰安婦が第三国の地方都市でスパークする一方、洋公主は歴史の陰でひっそりした印象だ。実在の洋公主は、海外巡業に励むこともなく、実名で告発を始めたのも最近である。
▼昨年7月邦訳版出版『基地村の女たち』
自称慰安婦が適当なウソを並べるのと違い、まだ証言も少なく資料は封印…学術的な研究も滞りがちだ。しかし、証拠写真どころか活動中の映像まで残っている。反日陣営を攻撃する恰好の歴史事実だ。
しかも洋公主の相手は朝鮮戦争・ベトナム戦争世代に遡る米兵だ。グレンデールなどでやりたい放題の在米朝鮮人に鉄槌を下し、米国務省を怯ませることも出来る。
▼米兵と戯れる洋公主(BBC)
慰安婦捏造派の妄言に反論することも重要だが、洋公主や韓国軍慰安婦をキーワードに真正面から反撃する姿勢も欠かせない。
知られざる洋公主の実像は、捏造慰安婦の壮大なウソを暴く可能性を秘めている。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓
参考動画:
ダニエル・ゴードン監督作『Crossing The Line』パート2(6'30"過ぎから洋公主が断続的に登場)
参照:
■立命館言語文化研究23巻2『日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」(PDF)』
■東アジア歴史文化研究会7月13日『韓国がひた隠しする韓国軍「慰安婦」関連資料(加瀬英明氏コラム)』
■ぼやきくっくり6月8日『韓国人が告発した韓国軍慰安婦の実態』
■続・慰安婦騒動を考える2011年11月27日『韓国政府は情夫だった [韓国の慰安所とキーセン観光]』
参考記事:
■ノース・ジャージー紙9月2日『First 'comfort women' run marks suffering by sexual slavery victims』
■新華経済9月2日『従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディ』
■J-CAST9月3日『韓国系団体が「慰安婦マラソン」米国で開催 「日本が謝罪し、旭日旗が消えるまで走る」』
■ハンギョレ新聞2012月11月30日『[土曜版] ハン・ホングの維新と今日<20>基地村浄化運動』 (魚拓)
関連エントリ:
■5月18日『米韓が作った兵士慰安街…和製R&Rの実像と捏造』