「いまでもあのときの場面を夢に見ます。母の着ていたトレーナーのプリントまではっきりと憶えています。いつも自分の叫び声で夢から醒めるんです」
事故死だと信じ切っていた寛人少年は父と二人での生活をスタートさせた。だが、翌'01年に父が経営する会社が倒産。家賃を滞納し、電気もガスも止められ、父に黙って食べ物を万引きしては空腹をしのぐ日が続いたという。
「'02年1月のある日に、父が帰宅するなり『最近、寛人に親らしいことをしてやれてないから、ゲームを買ってあげよう』と声をかけてきました。昔に戻ったようでうれしかったのを覚えています。でも、ゲームショップから出た瞬間、僕の目の前で父は警察に逮捕されました」
引き取られた親戚の家のテレビで見たニュースで、寛人さんは父が犯した罪を知ることになった。
「ブラウン管に映る殺人犯が父だとは信じられませんでした。次第に、養父や母の葬式で見せた涙はウソだったのか、次は僕が殺されたんじゃないか、と怒りや憎しみ、恨みが湧き上がってきました。周囲には『お母さんを亡くしてかわいそうに』と慰められることもありましたが、『人殺しの息子』とバカにされることのほうが多かったですね。非行に走って、補導されて、また白い目で見られる。そんな毎日がイヤで、手首を切りつけたり、睡眠薬を大量に飲んだりもしました」
荒れた生活を続けていた17歳のとき、新聞記事で父の一審死刑判決を知る。「なんでお母さんを殺したんや」と問い詰めるつもりで広島拘置所に向かった寛人さんだが、3年半ぶりに会ったアクリル板越しの父は、「ごめんな……」と涙を流しながらただ謝るだけだった。自分の手で殺してやりたいと思うほどに憎んだ父のやつれきった姿に、寛人さんは何も言うことができなかった。
「3年半分の反省と後悔が、ひと目で伝わってきました。父が死刑になったからといって母は帰ってきません。週に一度の面会を重ねるうち、死んで終わらせるのではなく、生きて反省し続けてほしい、それが母と僕に対する償いになるのではないかと思うようになりました」
その後、寛人さんは証人として出廷し、減刑を訴えたが、重罪を犯した父の判決が覆ることはなかった。
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