年月
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MSXマガジンの歴史
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MSXハードウェアの歴史
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1983年6月 |
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MSX1の仕様発表 |
10月 |
MSXマガジン0号発売 |
11月 |
MSXマガジン創刊号発売。
初代編集長は田口旬一氏。
表紙イラストは本田年一氏。この頃のMマガは中閉じで右開きスタイル。 |
1984年1月 |
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各社のMSXマシン出揃う |
5月 |
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ソニーと東芝からディスクドライブ発売 |
10月 |
表紙が大野一興氏のCGに(1988年5月号迄)。 |
カシオから29800円のMSX登場 |
11月 |
Mマガ平閉じ左開きスタイルになる。 |
ソニーからMSX初のディスク内蔵マシン登場 |
1985年5月 |

編集長がかわると表紙もかわる〜。
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MSX2の仕様発表 |
6月 |
東芝から初のMSX2マシン発売 |
10月 |
MSX100万台キャンペーン |
1986年7月 |
NAPLPS端末にMSX2が採用される |
10〜11月 |
パナソニックとソニーより低価格MSX2登場 |
12月 |
アスキーネットMSX運営開始(現在は終了) |
1987年6月 |
通信モデムを内蔵したMSX2登場 |
10〜11月 |
ディスク内蔵型の低価格マシン登場 |
1988年6月 |
編集長小島文隆氏に。 |
9月 |
表紙は佐久間良一氏のイラスト(1990年8月迄)1989年1月号まで中閉じ左開きスタイルになる。また、この辺りから通巻番号が入らなくなる。 |
MSX2+の仕様発表 |
10〜11月 |
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MSX2+マシン3社
(パナソニック・ソニー・サンヨー) から登場 |
1989年2月 |
Mマガ平閉じ左開きスタイルに戻る。 |
FDがMSXに普及。 |
7月 |
Mマガの付録にあったソノシート。
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アスキーがMSX HD Interfaceを発売 |
1990年1月 |
MSX出荷台数が国内外で400万台を突破(いえーい) |
9月 |
MSX turbo-Rの仕様発表 |
10月 |
編集長宮野洋美氏に。
表紙イラストは加藤直之氏
(1991年10月迄) |
MSX turbo-Rマシン(FS-A1ST)発売。
価格は99800円。
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1991年11月 |
表紙イラスト奥平イラ氏に
(1992年3月号迄) |
91年末、MSX
turbo-R最後のマシンFS-A1GT発売。 |
1992年3月 |
 MSXマガジン通巻100号
本誌は薄いがプレゼントは大盤振る舞い。
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全号積んでみたらこんな感じ。
綴じ込み付録がカセットレーベルからFD用のラベルに変わっている号などは時代の流れを感じますね(って時々用途を限定してないキャラクターのシールがついていたこともありますが)
ミスMSXを募集していた号もありましたがどうなったんでしょう、ところで。Mマガは長いことしまわれていたためか、読んでいるうちに手がまっくろけになりました。 |
4月 |
表紙イラスト
Technoicanlaboratoryに |
5月 |
この号をもってMマガ休刊。後にムックの形で1992年夏号が発行される。 |
〜沈黙期間に突入〜
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2002年10月 |
MSX MAGAZINE及び
「MSXPLAYer」先行デモが行われる。 |
『MSX MAGAZINE
永久保存版』
ISBN:4-7561-4210-9
発行:株式会社アスキー
価格:2500円+税
発売日:12月24日(火)
付録:CD-ROM1枚
(Windows対応)
特製シール
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2002年12月 |
『MSX MAGAZINE永久保存版』発売 |
※年表はMSXマガジン100号および'92夏号に掲載された記事を元にしています。
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■MSXの基礎知識
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アスキーとマイクロソフトの共同開発による初の統一規格パソコンとして1983年に発表。メーカーによってパソコンの規格がバラバラだった当時、このアイデアは歓迎され、1985年に100万台を突破。多くのメーカーから次々に新機種が発表されました。最後のMSXが発売されたのは1991年末。その頃には対応ハードの出荷は全世界で累計400万台以上(輸出・海外生産を含む)を記録。それから10年以上経った今でも、MSXファンは今なお多く、インターネット上でも多くのMSX関連のHPが存在します。東京・秋葉原で開催された「MSX電遊ランド」というイベントには国内外から2日間で6,500人以上(昨年実績)の人が詰め掛けるという白熱ぶりです。
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