トライアスロン小史
 さて、トライアスロンという競技は何時、何処で始まったのだろう?スイム、バイク、ランはどれも、歴史の古いごくありふれた競技スポーツで愛好家も多い。又トレーニングとして、これらのうち二つあるいは三つを行うことは珍しいことでは無い。例えば、私は高校で水泳部に所属していたが、当時は今のように温水プールが普及していなかったので、冬の練習といえばランニングがメインだった。ヨーロッパでは、自転車はサッカーと並ぶ人気スポーツだ。だから、ランナーがまたバイクの選手であっても少しも不思議でない。だけど三つの競技を一人で連続して行う新しい競技は、まさしく「コロンブスの卵」と言える。
 アメリカ軍人の酒の上の議論から案出されたという、アイアンマンレースは1978年ハワイオアフ島で始まった。三種目の距離は、それまでオアフ島で別々に行われていたワイキキの水泳競技2.4マイル(3.9Km)、オアフ島一周の自転車競技112マイル(180.2Km)、ホノルルマラソン26.2マイル(42.195Km)が採用された。第一回大会には15人の男性が参加し、12人が完走した。酷暑の中での長距離複合レースというハードさがマスコミの好餌となって、アイアンマンレースは一躍世界中に知れわたった。以後、距離の長短、規模の大小はあるものの、スイム、バイク、ランからなるトライアスロン競技は遼原の火の如く各国に飛び火し、エアロビックブームにのって、トライアスリート人口は爆発的に増加した。
 I.T.U.(世界トライアスロン連合)ではトライアスロンの起源について異なった見解を持っている。彼等は、1974年サンディエゴ陸上クラブがスイム、バイク、ランからなる競技会を開催したのをもってトライアスロンの創始と主張する。アイアンマンレースを忌み嫌うI.T.U.(アイアンマンレースがワールドチャンピオンシップを詐称しているとして訴訟を起こしている)としては、アイアンマンがトライアスロンの起源とは認め難いのであろう。
 日本ではどうだろう。1981年鳥取県米子市で開催された第一回全日本トライアスロン皆生大会が日本で最初のトライアスロンレースだ。ハワイアイアンマンに日本人として初めて出場した故堤先生や熊本の永谷さんらの熱意が皆生温泉組合を動かした。以後、日本でも雨後の竹の子の如く沢山のレースが誕生した。しかし、その多くが町おこし村おこしを企図したものであった。そのことが日本でのトライアスロン競技の正常な発展を妨げた、といえる。レースのハードさを過酷、鉄人などの形容でことさら強調したため、トライアスロンは奇人変人のやるキワモノ、のイメージを作った。レース前日に、カーボパーティーと称して肉や魚の豪勢な食事を大量の酒と供に振る舞うなどレースとは何ら関係ないバカ騒ぎにしてしまった。選手のほうもオダテられて勘違いし、傍若無人なマナーの悪さは顰蹙を買った。
 一方、新しい複合競技として正常に発展したトライアスロンは2000年シドニーオリンピックで正式競技として採択されるまでに成長した。アイアンマンレースも世界中に熱心な愛好者が数多く生まれ、アイアンマンファミリーは膨張を続けている。そんななかでアイアンマンジャパンが消滅したのは残念と言うほかない。