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第二章 事故現場を探せ
 ☆群馬県警事故対策本部設置

 午後十一時半。群馬県上野村。黒澤丈夫村長自宅

 群馬県警の河村一男本部長より、長野県警の応援に千人程の警官が上野村に集結するので協力して欲しい旨の連絡が入った。
 既にテレビで事故のニュースを承知していたので話は早かった。嫌な予感がして寝るに寝付けずに、県警本部長から連絡が来る前に既に役場の職員に備えておくよう指示を出していた。
 この時間は真っ暗で閉まっている筈の役場は、自主的に非常出勤した職員によって煌々と明かりが灯っていた。

 同時刻。長野県川上村。

 目撃者が多かったこの村が現場に一番近く、証言インタビューも多く取れると確信した報道陣がこの役場に集結し、大騒ぎになっていた。
 村長を始め職員が出勤し報道陣の対応に追われた。
 事務フロアは職員のデスクと電話が報道陣に貸し出され、さながら報道フロアの様相であった。
 電話で村長が遠藤消防団長と相談をする。
 一方で北相木村に集結した陸上自衛隊・松本駐屯地・第十三普通科連隊や南相木村に集結した長野県警機動隊員達は、決定打となる情報が掴めず、動けずにいた。
 長野県警は、交通機動隊本部から災害派遣用トライアル・バイク隊員も派遣し、現場近くの林道をくまなく捜索したが、長野県内ではないことが分かっただけで、結局明け方まで山中を事故現場目指して捜索し続けた。
 航空自衛隊の提案でKV107Ⅱ型バートル救難ヘリの全てのライトを点灯し、それを目標に現場に向かうという方法も実行したが、結果は「車では行けない場所」という事だけがハッキリしただけであった。

 ☆混乱する情報

 八月十三日 午前二時。
 事故機の客室乗務員・松原幸子の夫・定雄は群馬県藤岡北中学校で、幸子の実両親と、妹・吉川明美と夫の和夫と合流した。
 両親達は日航がチャーターした空港リムジンバスで駆けつけていた。
 事故から七時間経過。未だにあやふやな情報ばかりが体育館に設置されたテレビから流れる。
 肉親にとって、事故原因やジャンボ機の説明よりも、安否の確認が欲しい。
 だが、発表されるのは墜落現場がTV局によっては群馬側もしくは、長野県北相木村でどっちつかず。
 そしてカタカナで書かれた乗客名簿とそれを読み上げる声。
 名前を熱心に聞く傍ら、いい加減墜落現場がハッキリしない事と、疲れで付き添いの日航社員に食って掛かる者も居た。
「なんで、あんな大きな飛行機が堕ちた場所がハッキリしないんだ!ヘリでもう分かってる筈だろうが!」
 日航社員が答える。「いや、民家も道路もない大変山深くなので、いまいち‥‥‥。」
 日航社員は怒る乗客の肉親に囲まれ怒鳴られ疲弊している。
 そういったやり取りを横目に定雄さんは只無言で、タバコをふかしている。山盛りになった灰皿に吸殻をねじ込んで、定雄は立ち上がった。
「もう、いいや、行ってきます。」
 幸子の妹・吉川明実の夫・和夫が聞き返す。
「どこにいくんだ?」
定雄が答えた。
「こんなとこでボケっとタバコふかしてたって何も解決しないよ。俺が直に現場に行く。」
 和夫は制止した。「?何?無茶云うなっ!」
 しかし定雄は突っ撥ねる。
「大体の場所が分かってるんだ!出来るだけ近くに行ってやりたいんだ!」
 和夫が力む。「警察や自衛隊が手こずってる位の山奥だぞ!無理だって!」
「‥‥‥。」定雄は顔を下に向け黙ってしまった。
 和夫は定雄の肩に手を置き説得する。
「なあ‥‥‥落ち着け。気持ちは分かる。でも無理なものは無理だ。警察に任せておきなよ。な!」
 幸子の父も間に入る。
「定雄君、和夫君の言うとおりだよ。君まで遭難したら世間様に申し訳が立たんだろう。」
 しかし、定雄は立ち上がり和夫の手を強く払った。
「こう話してる間でも幸子は傷ついた乗客を抱えて山を、助けを求めて彷徨ってるかも知れないんだ。夫として出来る限りの事はしてやりたいんだ‥‥‥もう行くよ。」
 定雄は一人、体育館の外へ出て行った。
 和夫が追いかける。「定雄君!定雄君っ!」
 定雄が突っ撥ねる。「止めても無駄だよ。それじゃ。」
 和夫がは大声で定雄さんを制止する。
「誰が止めるって言ったよ!俺達で行こう。それならいいだろ?」
 義父も後ろから心配そうに付いて来た。
「健常な野郎3人なら何とかなるだろ?」
「‥‥‥。」定雄さんは黙ってうつむいた。
 和夫が手を叩いて言った。「よし、決定だ!」 
 定雄達3人は何も装備も予備知識も無しに、あてもない救出行に出た。
 幸子用のタクシーを待たせていた定雄達が乗り込み、義父がメモしたテレビの情報とカーラジオの情報と地図を照らし合わせ、まずは、碓井峠に向かった。


 ☆群馬県警出動

 同時刻 群馬県前橋市 国道17号線バイパス
 群馬県警の機動隊バスを始め、多数の警察車両が赤色灯を光らせ群馬県上野村に向け出発した。あらゆる警察車両が大名行列で並ぶ。
 一方で東京方面からは応援に駆けつけた関東管区機動隊バス、事故・災害レスキューの警察版である警視庁レンジャーの緑色の工作車両がパトカーを先頭に列をつらねてやってくる。沿道にはニュースを見た住民が出て遠巻きに見守る。
 この騒ぎは国道462号線に入ると益々激しくなる。
 狭い沿道なので警察車両だけで大渋滞が発生してしまった。  

 午前三時。群馬県上野村

 前橋の群馬県教育室長より、事故を知らずにいつものように寝ていた上野小学校校長・神田箕守氏に校舎を使いたい旨連絡が入り、校長は教職員を呼集し準備を始めた。

 午前三時半
 群馬県警機動隊の先遣隊がぶどう峠から現場に近いと思われる中ノ沢林道の行き止まりから長野県県境に向け、徒歩で前進。
しかし、群馬から長野の県境は急斜面や切り立ったガケが多く、明け方まで奮闘したが、何も発見できず、已む無く撤収した。
この頃、陸上自衛隊偵察隊や群馬県警機動隊の先遣隊だけではなく、多数の報道陣があちこちから登山を開始し山を彷徨い歩いている。

挿絵(By みてみん)

 午前4時
 東の空がうっすらと明るくなってきた。
 群馬県警察本隊の隊列の先頭が上野村に到着した。
 黒澤村長は、早起きして既に役場の陣頭指揮を取り始めた。
 まずは、大量の車両を受け入れる為に、建設中だった国道299号線バイパスの工事中路線を開放し、それでも入らない車の為に神流川縁に地元の土木会社をたたき起こして砂利で駐車場を大至急作るよう指示した。
 本部は役場とし、2階の大会議室を開放、警察宿舎として現場に比較的近い上野中学校を指定。上野小学校は乗客肉親の為の待機所として活用する為、農協や隣の中里村に資材を協力してもらい、道案内に猟友会、食事準備に婦人会、村中全ての消防団を呼集した。
 そして、役場に隣接する多野藤岡広域消防隊・上野出張所と準備が早かった一部の消防団が周囲の山を捜索しに消防車で思い当たる林道を走り回った。 

 ☆夢なら覚めてくれ

 定雄は気が付くと自宅のソファーで寝ていた。
「はっ!」と思い、台所を見ると幸子が料理をしていた。
 幸子が振り返り
「今日はカレーだよ。何か定雄さん、疲れてるみたいね。」  
「あ‥‥‥ああ‥‥‥疲れてた。」
 定雄は「ほっ」としてリビングのTVのスイッチを点ける。
 TV番組も通常どおりのようだ。テロップだって流れていない。
 タバコに火を点け、テレビを見始める。
 すると、番組が突然中断し、味気ない画面の「緊急ニュース」という画面に突然変わったかと思うと、報道番組に変わった。
 アナウンサーの後ろでスタッフが何かガヤガヤやっている。
『ここで、ニュースを申し上げます。本日午後七時頃、日航ジャンボ機123便、羽田発大阪行きが、墜落したもようです。』
「!‥‥‥正夢か?」幸子に話しかけた。
「おい、幸子!テレビ観ろ!お前の会社の飛行機がまた墜落したぞ!」
 返事が無い。「おい、幸子っ!テレビ観ろって!‥‥‥。」
 振り向くと、台所に幸子さんがいない。
 いや、元から居なかったように、さっきまで料理していたのに、その形跡が無かった。
 幸子の存在を否定するがごとく、水道の蛇口からポツリと雫が垂れる。
「幸子‥‥‥?」
 テレビは乗客乗員の名前を読み始めた。
『日本航空・客室乗務員の松原幸子さん三十歳』
 定雄は、それを聞いて慌てて起きると、そこは自分の家ではなく、タクシーの後部座席だった。
 タクシーは止まっており、外は薄明るくなっていた。時計を見ると朝4時半だった。
 車のラジオが乗客・乗員名簿を読み上げていた。
「夢‥‥‥か‥‥‥。いつの間にか寝てしまったのか‥‥‥。」
 座席についていた後頭部は汗でビッショリ濡れ、会社から帰宅してきたままのYシャツの背中と脇が濡れていた。
 しかし、タクシーには自分以外誰も乗っていない。
 よく見ると、外の道路脇にある24時間販売所の自動販売機で和夫と義父とタクシー運転手がタバコを吸いながら缶コーヒー片手に喋っている。
 定雄は車を降りて、彼らの所に向かった。
 外は関東の住宅街と違い涼しい。「ここはどこだ?」
和夫が答えた。
「おう、起きたか。長野県の佐久だってさ。」
 定雄は長野の地理が全く分からずピンと来ない。
「佐久?」
「軽井沢を、ちょっと進んだとこだな。」
 和夫は隣の山梨県出身なので長野の地理は大体把握していた。
 和夫は大体察していた。定雄はたとえ一人、未知の山中で遭難しても、幸子の傍で死ねるなら‥‥‥。という気持ちが見えていた。
 和夫は結婚してからは辞めたが高校・大学とオートバイが趣味で、オフロード・バイクとオンロードバイクを2台所有し、ツーリングや林道トライアルに運用した実績があり、半径三百キロの国道と地理は頭に入ってる上、事故現場と言われる地域の林道は大体制覇しており、ニュースで言っていた目撃証言の多い川上村や三国峠は比較的、山梨の実家に近く、よく知っていた。
 逆側の群馬県上野村も国道299号線を通じて知っていた。
 だが、三国峠から三国山の入り口は、登山口は知っているがオートバイでも入れない場所なので行った事が無い。
 つまり、徒歩で行くしかない場所は全くの未知だったが、「全く知らないよりはマシ。何とかなるだろう。」そんな感じで同行した。
 義父は健康の為に山登りが趣味だった。
 だが、山登りとは言っても重装備を必要とするものではなく、ハイキング感覚の登山で、しかも地元九州の近所の山しか知らないが、登山経験は一応あり、少なくとも、何とかなりそうな感じであった。
 その二人に対して、この「救難登山」の発起人の定雄は、同じ九州でも都会育ちで、山の事などさっぱり知らず、せいぜい高校の時の登山遠足が「唯一の登山経験」でしか無かった。
 ただ、妻の幸子への思いは相当なものである事は誰もが認めていた。


 ☆日本航空の衰退の始まり

 定雄が夢の中で幸子に「また墜落した」と言っているが、その件について説明しよう。
 日本航空の2011年現在の衰退は、今はこの123便事故がきっかけと云われているが、実はこの事故のさらに3年前の事故が本来のきっかけであった事が忘れ去られている。
 1982年2月9日。羽田空港滑走路手前で福岡発羽田行350便が墜落した事故だ。
 この事故は精神的に追いつめられ、幻覚症状を起こす症状を持つ機長が着陸寸前に故意にエンジンを逆噴射させ失速し墜落させた事故だった。
 理由は機長の孤立化政策で追いつめられた事で精神的に参っていた事だった。
 1960年代は、日本はとても心が熱い時代で、学生運動全盛期であった時代、労働者も過激に組合運動を行っていた時代で、1973年には国鉄組合(現在のJR)が首都圏の鉄道をストで止めた為に通勤客が激怒し暴動に発展した事件があった他、全日空組合も航空機を滑走路に並べて封鎖するというような過激な労働組合活動が行われていた。
 その中で日航も例に漏れず、組合活動は過激だったが、当時、政府専用機が日本に無い時代、政府チャーター便を扱っていた上、国策で45/47体制が制定され、国際線及び国内幹線専門航空会社としてこの市場を独占した為、それら重要な路線を止められたら国際問題になりかねないので、組合を4つに強引に分断。
 組合同士を社内で競合させることにより、会社に直接組合運動が波及しないようにした。
 その中で、機長を先頭に他のクルー達は「1機の旅客機のチーム」という方向性を破壊する為、機長は上級職として、他クルー達の組合から外させた。
 そうなると、組合運動の先頭を機長が行う事が無くなる代わりに、機長とクルー達の「本音」の話が出来なくなり、必然的に機長は唯一人、機内で孤立する事になる。
 この「チーム破壊政策」が機内の連携プレーを破壊して、この事故に至ったのだという事が世間に認知され日本航空は批判にさらされた。
 当時の高木社長は、この状態を改善すべく、国策にとらわれない完全民営化を目指し、そのプランを作成。発表しようとした日が、偶然にも1985年8月12日夜。123便が墜落した時であった。
 その当時の日本航空のイメージを表すように、当時はお盆の最盛期、しかも最も旅客が多い時間にも関わらず、全日空の同時間帯の便は常に満員御礼の状態なのに、日本航空は空席があり、全日空からはみ出した乗客を拾って乗せていた状態だった。
 123便で犠牲になった俳優で歌手の坂本九氏は全日空や新幹線の席が取れず、已む無く123便に搭乗し犠牲になっている。

 因みに、123便の機長、高濱氏は1979年に発生したイラン革命で邦人救出便の操縦を志願したが、各組合に他クルーに危険が及ぶと否定され、日本は救出機を出さなかった。
 その時、世界各国は独自で各国のフラッグキャリア(国を代表する航空会社)の便を急遽派遣。
 イランにいた日本人はその各国の便に便乗、事なきを得たが、西ドイツ(現ドイツ)のルフトハンザ航空の機長達に「日本には航空会社が無いらしいね。」と皮肉を言われ、この事を聞いた高濱機長は非常に悔しがっていたという話がある。


 ☆長野県警ヘリ「やまびこ」出動

挿絵(By みてみん)

長野県警ヘリ「やまびこ」ベル222型 (小諸市懐古園 蔵 撮影・筆者)

 午前四時半頃。
 朝日が眩しく照りつける朝焼けの中、長野県松本空港の長野県警航空隊のヘリコプター「やまびこ」が出動開始。
 パイロットの定塚全広氏・丸山栄幸氏の二名と整備士、カメラを持った鑑識の四名が乗り込んだ。
電源車が接続され、パイロットは整備士の合図でエンジンをスタートした。
 ジェットエンジンの始動音と同時にメインローターがゆっくり動き出す。
 静粛に包まれた松本空港にジェットエンジンの咆哮が徐々に響き渡る。
 誘導員の振る誘導灯に合わせ滑走路にゆっくり移動し、しばらく滑走しながら緩やかに飛び上がる。
 ローターの音が一面にバタバタ響き、どんどん回転を速める。
「やまびこ」は銀色の機体を朝焼けのオレンジ色に輝かせ、佐久方面に向かっていった。


 ☆現場目視確認

 午前五時半。
 夜明け早々に飛び立った長野県警ヘリ「やまびこ」は現場付近の空域に到着。
 長野県境山麗の稜線を越し、群馬県圏内に入る。
 すると、霧の中に白い煙が充満しているのに気が付く。
 煙が充満する山を跳び越すと墜落現場が見えた。
 斜面が真っ黒に焦げ、カラマツの林が山の頂上目掛けて規則的になぎ倒されている。
 焦げた斜面にはハッキリと「JAL」(japan air lines・日本航空の略)の文字が書かれた主翼らしき物体が転がり、そのさらに向こうの埼玉・山梨方面の尾根の林がV字に切り欠けられていた。
 その間の林には銀色に光る大きな板状の物体が転がる。水平尾翼だ。
 焼け焦げた墜落現場をよくみると、日本航空の当時のカラーである白い機体に赤と青のラインが、かすかに残る残骸がチラホラ見受けられ、周囲の林の枝には色々な色の残骸が引っかかっていた。
 とりあえず、人が生きて動いてる気配は全く無かった。
「やまびこ」はその後、整備士と燃料補給車両が待機する臼田グラウンドまで帰還できるギリギリの燃料になるまで、一時間余り旋回飛行を続け、詳細を撮影・調査し続けた。
午前五時三十七分、「やまびこ」は墜落現場目視確認の一報を伝えた。
「群馬県御巣鷹山と三国峠の中間地点。御巣鷹山から南東約二キロ、長野県境より約七百メートル群馬県内。残骸は全て群馬県側に散乱。」
 これで、ようやく墜落地点は群馬県と確定し、墜落場所と思われた山火事現場の残骸から「確実に日航ジャンボ機123便の墜落現場」である事が確認されたのである。墜落から実に十時間半経過していた。
 その一報を受けた、南相木村の林道で待機していた長野県警機動隊が動き出す。
 本部付けの管区機動隊と、各署から集結した警察官からなる第二機動隊が二手に分かれ入山を開始。
バスの中で仮眠してるところを起こされ地元消防団と猟友会の案内の元、前進を開始した。
 その際、本部より水筒が支給された。
 だが登山用ではなく子供用のセルロイド製のもので、人気アニメのキャラクターが描かれたチープなものだった。
 彼らは紺色の威圧感のある出動服に、白い旭日章のバッジが付いたGI型ヘルメット、出動ブーツという厳つい服装に、子供用の水筒を肩からぶら下げている姿は何とも滑稽であったが、緊急出動ゆえに止むを得なかった。

挿絵(By みてみん)

長野県警機動隊の車両 (川上村・村政だより)

挿絵(By みてみん)

当時の南相木村消防団の車両 (撮影・筆者)

 午前六時。
 定雄達は、深夜のニュースで言っていた長野県北相木村の御座山周辺を確認する為、ぶどう峠に入った。
 だが、見晴らしの良い場所から見ても何も見えない。
 パトカーも自衛隊の姿も無く、報道陣らしき車両が路肩に何台かあるだけで人の気配も無く、静まり返っていた。
 ただ、埼玉方面のずっと向こうの方でヘリコプターがちらほら飛んでいる。
 和夫がつぶやいた。
「‥‥‥どうも川上村、三国峠の方っぽいな‥‥‥。」
 定雄が聞いた。
「三国峠‥‥‥って遠い?」
 和夫が一呼吸おいて答えた。
「‥‥‥いや、そんな‥‥‥でもこの先は群馬県上野村で、川上村には行けないから‥‥‥。一旦国道141号線に戻って行くしかないな‥‥‥。」
 定雄達はタクシーに乗って再び戻った。
 カーラジオを点け情報を確認しようとするが、山奥故に電波が届かない。
 義父が思いついた。「そうだ、確かね、山近くの文房具屋行けば、地形図が売っているぞ?」
 和夫が助手席から言葉を返す。
「地図ならあるよ。タクシーで使っている奴。」
 この移動に使ったタクシーの備品の日本道路地図を見せる。
「違う、地形図って深山登山用のがあるんだよ。」
 和夫も定雄もタクシー運転手も、義父の言う「地形図」がいまいち理解出来なかった。
 それは泊りがけの登山に慣れているいわゆる「登山マニア」向けの物で、普通の人が予備知識無しに見ても分からないものだった。
 義父も使った事は無いが、地元の山小屋であった山男が使ってるのを見て聞いたことがある程度だった。
 地形図というのは国土地理院が発行しているもので、日本では一九一〇年~八三年にかけて作られた地図で、二万五千分の一サイズで文字通り地形の詳細が描いてあるので、読み方さえ覚えてコンパスと併用すれば地形だけで自分の居場所が把握出来る。 
 つまり、元から道が無い深い山に行く場合に使える。


 ☆夜明けの川上村

 午前六時。長野県川上村 川上村営グラウンド
 ここに川上村全集落の消防団が集結した。
 しかし、現場が群馬県と確定し、消防団は管轄外に当たる為、その場で解散となった。
 川上村は丁度高原野菜の最盛期で、特に夏場は無休で夜の一時から夕方8時まで働くので群馬側には申し訳ないが、助かったという気持ちもあった。
 因みに消防団をご存じない地域(主に都市部)の方もおられると思うので説明すると、「消防団」は「消防職員」ではない。主に過疎地等、消防署が遠い場所や消防職員の補佐に値する「特別公務員」という立場だ。彼らは普段は民間人で各々自分の本職を持っており、いざとなると呼集の上、出動する。しかし公務員に値する消防職員と異なり、「ボランティア」に近い存在で、地域によって変わるが月の報酬は無料~2万程度で、本職を放棄してまでの出動等の強制力は無い。 
 遠藤消防団長も帰ろうとすると、村長が呼び止めた。
「これから航空自衛隊が来る。川上第二小学校を使用するから面倒みてやってくれないかね?」
「おう、分かった!」
 川上第二小学校は、遠藤消防団長の自宅の近くにある。
 鉄筋3階建てのモダンな作りのこの小学校は、この年から二年前の一九八三年に建て替えられたばかりの新築であった。
 小学校が、夏休みなのが幸いし、貸し出しには支障はあまり無い。
 小学校に着くと、既に国防色の小型トラックやジープが到着していた。航空自衛隊浜松基地・浜松救難隊のヘリコプター整備車両である。
 遠藤消防団長が近寄ると、不動の姿勢と敬礼で答えてきた。
「すみません、この校舎を使わせて戴きます。」
「あいよ、オレんちはすぐそこだからさ、オレは朝から晩まで農作業してるずれ、何かあったら聞きに来てよ。」
家に帰って農作業の支度をしようと戻ると物凄い大きな音が空に響いた。
 航空自衛隊救難隊のKV107Ⅱ型バートル大型ヘリである。救難用の白地に黄色の塗装が目立つ機体を学校のグラウンドに着陸させた。
 息子や甥が慌てて出てくる。子供達がはしゃぐが遠藤氏は注意した。
「おい!邪魔になるずれ、近くに行くんじゃねえぞ!」
 子供達が喜ぶ顔を苦笑いで見つめた。

 ☆墜落現場詳細判明

 一方で群馬側の上野村役場では、村長室で黒澤村長が消防団長達とテレビを注視していた。
 テレビでは事故現場上空から生中継を行っていた。
 山に詳しい職員がつぶやいた。「わかった‥‥‥。」
 場所は、高原天山と御巣鷹山の真ん中辺り、上野村を流れる神流川支流と判明。その支流の名は「スゲの沢」。
 群馬県警察幹部がそれを聞いて沸き立った。
「現場に行く方法はありますか?」
 職員は頭を傾げ、考えながら話した。
「‥‥‥ぶどう峠に行く手前の浜平鉱泉のある林道を行くと、スゲの沢沿いにトロッコ線路があるんさね。そこまで行けば何とかなるかもしんないね。」
 何だ!事故現場へ近づける道があったのか?
 しかし、そう話はうまくなかった。
 上野村にあるトロッコ線路とは、戦前に作られた林業の伐採の為に作られた線路で、戦時中は物資不足で鉄や燃料の代替品として大量の木が伐採された。
 例えば軍用トラックの荷台や運転席、飛行機の材料・特攻船の船体や薪と大量に使われた。
 しかし戦後も落ち着くと日本各地でハゲ山が問題となった。
 ハゲ山を放置すれば、地盤を支える木の根が無くなり、地盤が弱くなり、土砂崩れの原因となる上、土が流出すれば岩盤がむき出しになり、非常に無残な岩盤だらけの山になってしまう。栃木県・足尾銅山付近がいい例だ。
 そうなると、建築などの需要に必要な木が生えなくなる。
 そこで国を挙げて植林が始まった。
 現在の「杉花粉」はその頃植えられたものが原因である。
 植えられたのは主に杉とカラマツであった。
 その後、林がある程度育つと、事故現場周辺は「保護林指定地域」なので、あとは自然に委ねられた。
 それから二十数年。
 トロッコ線路は役目を終え、以後放置されていた。
 現場はハッキリしたが、困難な道のりになることは目に見えていた。
 その後すぐ、黒澤村長は消防団を集結させていた上野中学校に向かう。
 校庭は、機動隊車両の列をバックに消防団が待っていた。
 ここで全員にオニギリが二個づつ配布された。
 明け方から総出で上野村婦人会が役場二階の厨房で作ったものだ。
 黒澤村長は全員整列の上、出動の依頼を宣言し出動を見送った。
 第六消防団が先頭でポンプ車が先導する筈で第六消防団副団長・今井靖恵氏が出発しようとしたところ、団長がポンプ車を止めた。
「今井さん、悪いけどポンプ車ごと何人かで村に残っていてくんねえかい?」
 今井氏が返す。「ん?どした?」
「消防団が皆、集落から出て行ったら、村を守るモンが居なくなるがね。だから残ってて欲しいんさね。」
「あ~‥‥‥そうだいね。」
 今井氏は後続の機動隊バスに道を譲り、代わりに第六消防団長がバスに乗り込んで道を指示した。
 バスには機動隊だけではなく、消防団も便乗した。  


 ☆地形図を探せ

 午前七時。長野県小海町。
 人口五千人程の小さな町だが、長野県佐久市と山梨県韮崎市の丁度中間地点の町で、周囲には人口の少ない村が多く、重要な生活拠点で大型の病院や商店街がある。
 まだ朝早いため店は殆どが閉まっている。
 その中の一件、文房具店があった。
 店主がパジャマ姿で大あくびをしながらシャッターを開けて外に出る。
 新聞を広げ読み始める。
 第一面には大きく「日航ジャンボ機行方不明」の記事と、新聞社の航空機が撮影した燃え盛る夜の事故現場の写真が大きく掲載されていた。
「‥‥‥。」店主が記事を読んでいると、目の前に品川ナンバーのタクシーが停まった。定雄達のタクシーである。
 和夫は車を降りると店主に「三国山近辺の地形図」が無いか聞いた。
 すると、店主は、ピンと来た。
 品川ナンバーのタクシー、どう見てもハイカー(登山客)に見えない連中、しかも今、三国山近辺は全国的に大騒ぎになっているあの‥‥‥。
 店主は新聞の第一面の日航機事故が絡んでいると見た。
 だが‥‥‥彼らはどう見ても素人。
 試しに聞いてみた。
「地形図は、あるだよ。でも読み方分かるずれ?」
 和夫は困った顔で返した。
「や‥‥‥いや‥‥‥見れば何となく‥‥‥。」
 明らかに登山のド素人丸出しだった。
「本当に何とかなりそうかい?ホントに?」
 和夫は、ちょっと悩んだが「はい。」と答えた。
 すると店主は、まだ明かりも点いていないシャッターも半開きの店の中に消えていった。
「‥‥‥大丈夫?買えそう?」
 定雄が後ろから聞いてきた。
 和夫は小さな声で返した。
「あ~‥‥‥あぁ!任せろ!大丈夫だよ!待ってろ!」
 店主が地形図を持って出てきた。
 和夫に地形図を手渡す。
「あ、ありがとうございます。幾らですか?」
 店主が真顔で答えた。
「とりあえず、ここで広げて見てみなさい。」
 和夫さんが地図を広げた。しかし、中身を見て和夫は固まった。
 店主が「やっぱり‥‥‥。」という顔をしてため息をついた。
「全くの素人じゃんな!読めねぇずら!無茶すんなぁ‥‥‥あんたら新聞社の記者かテレビのモンかね?」
「いえ‥‥‥あの飛行機に乗っていた者の家族でして‥‥‥。」
 店主が少し考えて、困った顔で云った。
「‥‥‥気持ちは分かるずれ。でも、何の予備知識もなく道無き道行けば必ず遭難するずら。悪い事は言わん、ここは警察に任せて、現場に行くのはやめなさい。」
 和夫は黙ってしまった。
 すると、後ろで見ていた定雄が店主に食ってかかった。
「地形図の見方、教えてください!お願いします!簡単でいいので!妻が、私の妻が!」
 必死の形相で迫る定雄に店主はたじろき、腕に掴みかかれたので手を払い怒鳴った。
「ちょっと!待つずら!落ち着きなさいっ!」
「‥‥‥すみませんでした。」
 定雄は冷静になって謝った。
 しかし店主はタバコに火を点け一吸いした後、定雄達を店に招き入れ、地形図の簡単な説明を始めてくれた。
「まず、地形の線は高低差を示しているずら。この線と線の幅が狭い程急斜面って事ずら。地形図はその場で見るってもんじゃなくって常に自分の先の行く地形を把握‥‥‥ていうか、先を読んで行くずれ。」
 次にコンパスを取り出した。長方形の短い定規みたいな形で両側に目盛り、本体に等間隔で線が3本入り、線の中心に合わせて方位磁石とレンズが付いている。
「登山用コンパスを地図に置いて、方角(上が北)を合わし、その方角の地形を把握して、次はその状態で自分の行きたい方向に姿勢を正して向いて、自分の腹にコンパスと地図を固定して、目標を見て、自分の行きたい方向の地形を読むずれ。この繰り返しで進んでいけばいいずら‥‥‥分かったかね?」

挿絵(By みてみん)

国土地理院の地形図と登山用コンパス (イラスト・筆者)

 定雄と和夫は交代で地計図の使い方を練習した。
「ま‥‥‥短時間だけど、これで使い方分かったずら?」
 二人は今度こそ自信を込めて「はい。」と答えた。
 地計図とコンパスの代金と支払うと2人はタクシーに乗ろうとした。
 タクシーの中で待っていた義父と運転手はイビキをかいて寝ていた。高齢ながらも夜通しで疲れていたのだ。
 すると、店主がやってきて、ナイロン袋を渡した。
「これ、少ないが持っていきなさい。」
 中身は人数分のオニギリ二個ずつとあんぱんに缶コーヒー、新品の手ぬぐいが入っていた。
おにぎりは店主の妻が地形図を教えている間に作ってくれたものだった。
 定雄が聞いた。「い、いいんですか?」
 店主が返した。
「なに、遠慮することねェや。だけど、オラほに約束してから行け!」
「え?」
「必ず、無事に家に帰ることずれ。約束してくれるだか?」
 定雄は笑顔で「はい!」と答えた。
 運転手が気配を感じて目を覚ます。2人はタクシーに乗り込むと窓を全開にして店主にお礼をした。
「ありがとうございます‥‥‥。ありがとうございました!」
「おう、じゃ、気をつけてなぁ!」
 タクシーが走り出した。
 助手席に座った定雄は、バックミラーを見ると、店主がずっと、心配そうにこちらを見ていた。
 街から出て国道141号線に戻る。
 タクシーは川上村目指して走っていった。


 ☆第一空挺団出動

 午前七時半。千葉県船橋市・陸上自衛隊第一空挺団
「出動命令!」
 待機していた空挺団員が個人装備を装着し、駆け足で宿舎から飛び出す。
 駐車場に並ぶ軍用大型トラックの前で全員が整列する。
 班長の号令がかかる。
 全員揃ったのが確認されると命令内容が告げられる。
「これから日航機墜落現場、相馬原駐屯地に分散して日航機墜落事故における災害派遣活動を行う!全員出動!」
 全員駆け足で大型トラックに分乗する。
 駐屯地内敷地に木更津の第一ヘリコプター団のKV107Ⅱ型バートルが六機、指揮官用OH6型観測ヘリ二機が、ローターを回しながら整列して待機していた。
 各々の班のトラックがヘリに横付けし、隊員が続々とリアゲートから乗り込む。
 KV107Ⅱ型大型輸送ヘリは一九八三年から随時、従来のテカテカ国防色の巨大な日の丸カラーから、迷彩塗装に変わっていた時期で、この集合した六機だけでも三種類の塗装パターンが見られた。
 従来のテカテカ塗装の機に迷彩の機、そしてテカテカ塗装から更新が間に合わず、とりあえず目立つマーキングが一時的に黒塗装で塗り潰されたものがありユニークだった。
 乗り込み終わったヘリから随時離陸。殆ど同時だった。
 ヘリのローター音が周囲に響き渡る。
 KV107Ⅱバートルヘリは大型ヘリ特有の重たいローター音、OH6は小型ヘリ特有の甲高いローター音を響かせ離陸していった。
 途中で、日航機墜落現場に三機、待機要員として相馬原駐屯地に三機と二手に別れ各々の目標に飛んでいった。

挿絵(By みてみん)

陸上自衛隊 川崎KV-107Ⅱ型ヘリ(山梨航空学園所蔵・筆者撮影)
挿絵(By みてみん)

陸上自衛隊 川崎OH-6型ヘリ(山梨航空学園所蔵・筆者撮影)


 ☆長野県警山岳救難隊降下

 午前七時五十五分。
 長野県警「やまびこ」は臼田グラウンドで燃料補給を行い、山岳救助隊二名を乗せ、墜落現場近くに降下地点を探した。
 現場は火災がまだ燻っており、直接降りるとローターの強力なダウンウオッシュ(風圧)でまた火災が広がる恐れがあった。
 その為、現場から二キロ程離れた沢の砂防ダムに降下した。
 隊員のホイスト降下(ウインチで降りる)可能高度まで落とすのに深い谷に入り込む。
ヘリの側面にカラマツ林が壁のようにそそり立ち、木の枝ギリギリのところを降下していく。
 ウインチが唸りを上げ、隊員をゆっくり降ろしていく。
 長野県警山岳救助隊・柳沢隊員と深沢隊員は砂防ダムの上で地形図を確認。現場まで三十分と見積もり、二人は沢沿いに現場へ向かった。
 だが、思ったように進めない。沢も高低差が激しく、とても降りられない場所は迂回して通るしかない。


 ☆第一空挺団降下

 午前八時半。
 第一ヘリコプター団のKV107Ⅱ型大型ヘリが、OH6型観測ヘリの詳細指揮の元、焼け爛れた斜面に直接降下、ホバリングを開始した。
 ヘリの中では空挺隊の見守る中、リアゲートがゆっくり開き始めた。
 ゲートから地面が見える。
「JAL」と書かれた主翼らしき物体が目に入ってきた。
 同時にモワっと焦げ臭い匂いが入ってきて思わず咽る。
 まだ地面には誰もいない。斜面は結構きつそうだ。
班長が号令をかけた。「降下!よーい!」
 ヘリ内部にあるウインチからロープが伸ばされ、フックをロープに取り付け一人ずつ、リペリング降下を始めた。
 地面に着地すると、コンバット・ブーツの底を通じて熱さが伝わってくる。
 周囲は蜃気楼が起こり周囲の風景が歪んで見える。
 角度四十五度はある斜面で次から次へ降りてくる隊員のサポートを行う。
 熱気で、汗が全身から湧き上がり、ヘリの風圧で舞い上がる埃が体中に付着し、早くも全身埃まみれになった。
 三機が順番で隊員を降ろし終わると、焦げた斜面が、あっという間に自衛官でにぎやかになる。
 しかし、まだ彼ら空挺隊員だけで、他には誰も居ない。
 上空は、KV107Ⅱがいなくなったとたんに色とりどりな報道ヘリが集まってくる。
 風が強くて吹き飛ばされそうだが、山の風なのか報道ヘリの風圧なのか判断つかない位、空はごちゃごちゃしている。
 中には乗っている人間の表情が分かる位接近するヘリもいる。
 風圧で邪魔なので班長がヘリの向かって怒鳴りながら身振り手振りで追い返そうとしていた。
迷彩服の班長がヘリの轟音と風圧の中、「捜索開始」の号令を上げる。
 だが、何を捜索するのか分からなかった。
 確かに航空機が堕ちた場所だというのは分かるが、JALと書かれた大きな翼以外、原型を留めているものが全く見当たらない。
 せいぜい車輪と窓が分かる位で木っ端微塵になった上に燃え尽きたようにしか見えない。
 何を目標にしていいか分からないまま、トボトボと歩くと人影が見えた。
 どうも黒焦げになった遺体のようであるが、たまたま燃えた木がそう見えるのか?
 わずかに残った肌色の部分で遺体‥‥‥なのか?と思う。
 よくみると、炭化した人間の一部らしいものが所々に刺さっている。いや、燃えた機体の一部か木の枝か?
「生存者」がいるなんて到底考えられず、もはや「救難」というより「遺体捜索」と言った方が早かった。


 ☆航空自衛隊地上部隊

 午前八時半。長野県川上村。
 川上村の唯一の大動脈である県道68号線を、レタス畑で働く住民を横目に国防色のボンネット・トラックが隊列を組んで走ってくる。
 目標は航空自衛隊現地対策本部が置かれた川上第二小学校。
 乗っているのは航空自衛隊・熊谷基地の隊員達。
 彼らは航空自衛隊でも新人教育課程中の隊員達である。
 彼らも、もちろん「災害派遣」出動で、陸上自衛隊同様、作業服に雑具・水筒等の個人装備を施している。
 まず、生徒隊。彼らは主に中卒で入学試験を受けて入隊し、陸上自衛隊同様の厳しい野外戦闘訓練を叩き込まれ、そして通信・電子関係を学び、卒業後は適正を照らし合わせてから整備士、基地管理・基地防衛・警備、資材輸送等に配属される。
 一般で、高校・大学卒で入隊した第二教育群や、航空機指揮・管制を教育する第四術科学校の生徒も同様の装備で派遣された。
 彼らの外観の違いは使っている車両と階級章と帽子だけで、普通の人から見ると陸上自衛隊員と区別は付かない。
 その他、航空自衛隊の地上の災害派遣を支援する為同じく熊谷から第一移動通信隊が派遣され、現場上空に入間基地の三菱MU2J型救難捜索機と富士T3型練習機を交代で上空監視を行い指揮・通信を行った。
 対策本部で命令を受理した隊員達は、早速三国峠の三国山登山口から現場を目指して出発した。

挿絵(By みてみん)

航空自衛隊・熊谷基地の隊員達の車両郡 (川上村・村政だより)

 午前九時半。
 定雄達の乗ったタクシーが三国山登山口に到着した。
既に航空自衛隊員達も出発した後で、登山口入り口周囲には報道陣の車と自衛隊のトラックがあるだけで誰も居ない。
 登山口入り口には三国山の標識の他、ラジオで放送していた「御巣鷹山」の標識もある。
 タクシーの運転手は「ここで待っていますか?」と尋ねたが、いつ帰るか分からないので、運転手も高齢で気の毒なので帰ってもらうことにした。
 ここからは車どころかオフロード・バイクでも通れるような道ではないが、岩場が多く見晴らしが良かった。
 頭上を航空自衛隊のKV107Ⅱ型救難ヘリが飛んでいく。
 定雄達はまず、三国山を目指して進んで行った。

挿絵(By みてみん)

三国山登山口(埼玉側) 撮影・筆者

~第三章に続く~








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