一日に最終日を迎えた、伊勢市の伊勢神宮の式年遷宮関連の「お白石持(しらいしもち)行事」。この日は明倫校区など地元の十奉献団の市民らと、全国各地の特別神領民合わせて一万八千人が参加した。浦口二などを出発して「エンヤー」と特別な夏の終わりを惜しむかのように大きな掛け声を響かせ、外宮まで奉曳(ほうえい)車を引いた。延べ二十二日間にわたった行事は、にぎやかに幕を閉じた。
◆大湊奉献団、最大級の車に誇り
四番目に浦口二を出発した大湊奉献団(井村貴志団長)は五千人の大行列。巨大な奉曳車と太い引き綱が自慢だ。
奉曳車の車輪は直径一・七メートル、幅五十センチで全奉献団の中でも最大級。長さ三百十メートルの引き綱のうち、車に近い綱元の八十メートルには太さ八センチもある丈夫な麻の綱を使っており、男性中心で引く。
車指導者を務める井坂益水(ますみ)さん(80)、綱部の越谷好行副部長(72)らベテランの団員は「大奉曳車は団の象徴で誇り」と声をそろえる。漁師町らしい勢いある奉曳も団の持ち味。太い綱を自在に操って大通りいっぱいに練りながら、一丸となって外宮を目指した。
◆吹上町奉献団、子どもらの甚句で高揚
吹上町奉献団(野村剛弘団長)は千五十人が六番目に浦口二を出発。道中の休憩時には子どもらが地域に伝わる「吹上甚句」を披露し、行事への士気を高めた。
江戸時代の地元ゆかりの関取から伝わる相撲甚句に由来する。団員の法被の背中にも相撲にちなみ、行司の軍配が描かれている。
甚句は約四十人の子ども連と女性三十五人の茜連、木やりの十七人がそれぞれ輪になり、拍子木や手拍子でリズムを取って踊りながら歌った。
一人が「吹上自慢のものは〜相撲甚句と〜木やり歌」などと歌うと、周りから「どっこい、どっこい」と合いの手が上がっていた。
大声を張り上げた成尾柊人君(明倫小四年)は「ここに来て良かった」と満足そう。子どもに甚句を指導してきた西川勉さん(45)は「二年半前から練習してきた。次のお白石持まで楽しかった記憶が残ってくれれば」と話していた。
◆地元ボランティア「多くを学び次の遷宮支える」
期間中に伊勢を訪れた延べ七万三千人のお白石持行事の特別神領民を、延べ一万人以上の地元ボランティアが迎えた。伊勢市宮町一、飲食店員平松俊哉さん(18)と、河崎二の高校一年生浜口翔太さん(16)は二〇〇七年のお木曳(きひき)で、当時十二歳と九歳の「少年コンビ」ボランティアとして活躍。今回も一緒に行事を支えた。
二人はボランティアで知り合い、他に子どもはいない中で年齢が近いため仲良くなった。お木曳の後は連絡が途切れていたが、今回のボランティア準備で対面。六年ぶりの再会を喜び「毎日来ような」と誓い合った。
約束通り平松さんは全部の日参加し、浜口さんも体調不良などで二日休んだのみ。前回と同じ進行係を担当し、大きな掛け声で奉献を盛り上げた。
「将来のため、遷宮行事に関するいろいろなことを吸収したい」(平松さん)「人との接し方から神宮への奉仕の心まで、ボランティアの先輩から多くを学べた」(浜口さん)と、すっかり大人びた表情で語る二人。今後は交流を持ち続け、ともに次の遷宮を支えようと決めている。
(中日新聞)
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