このようなブロガーさんの書き込みを見ました。

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戦争をつくるのは、その傲慢な権力者であり、戦争で命を落とすのは、権力によって駆り出される多くの庶民だ。

戦争によって私腹を肥やす構造があるのだ。武器屋と金融屋と政治屋が、戦争によって利益を得るのだ。

戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから。なぜ、平和解決を絶対の目標と定めず、安易に戦争を肯定し、そして、戦争を美化するのか。その裏に、戦争によって私腹を肥やす構造があるのだ。武器屋と金融屋と政治屋が、戦争によって利益を得るのだ。

あるのは、戦場で傷つき命を落とす前線の兵士と罪なき住民がある傍ら、安全な場所に身を置く戦争主導者との対比だけだ。彼らは決して危険な戦場に身を置こうとしないのだ。戦争は、権力者の傲慢がつくり出す絶対悪だ。



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まぁ、大体こういう感じである。

この方の記述を拝見し、何度も読み直してみたが、何かシックリとしない。何故なのか考えてみたが、要するに、この方は戦争というものを簡単明瞭に「悪」、「権力者が金儲けの為に起こすもの」、「戦争を美化するものを信用するな」・・・等々と断言されている。その思考回路が単純すぎるということだ。戦争とはこのブロガーさんが思うほど単純なものではない。

恐らくこの方は、商人の目線でしか戦争というものを見ていないのであろう。

商人目線で見れば戦争を金儲けの機会と取らえられる面も確かにある。
戦争になれば物資の供給、軍備拡大の為に武器の生産等々・・・、確かに金もうけにはなる。しかしこれは平和時であろうが同じであろう。

この方にすれば、平和時であっても「政府が土木工事を発注し高速道路や、インフラを整備するのは政治家が金儲けをするためである」とでもいうのであろうか?

子供が玩具を買えば、おもちゃ屋が儲かる。我々信仰を持つものが、仏壇を買えば仏壇屋がもうかるのは当たり前のことである。

銀行を始めとする金融業者が我々の金を預かり、そのお金を企業に貸し出し金利を取る。当たり前のことである。儲けなければ企業というものは成り立たない。

高速道路が出来、インフラが整備され、最終的にその恩恵を被るのは他でもない庶民ではないのか?

誰かが何かをしなければ世の中は成り立たないことを知りなさい!

ましてや平和時と異なり戦争というものは例え商人であろうが、負ければ無一文になる可能性がある。今、BSで「おしん」が再放送されている。おしんの旦那は街の魚屋を止め、連隊に魚を納入する業者となり、更に軍に頼まれ縫製工場の経営を計画している、という場面である。・・全て「お国の為に」ということだ。いずれ終戦となり、無一文となる。

このように戦争というものは、この方の言う様な単純明快なものではけっしてない。商人ならまだしも、政治家ともなれば、死を覚悟して「国益の為」に戦争を決断するのではなかろうか?

敗戦後東京裁判で多くの首脳がA級戦犯、B級戦犯として犯罪者となり、拘束、または死刑を言い渡されたのは国民周知の事実である。

戦争とは単純なものではなく「正義と正義のぶつかり合い」であり「国益の為に死を覚悟して臨むものである」と私は思う。