我が母校が
今朝のニュースで、天理大学柔道部で暴行事件があったことが発覚したと報じていた。
四年生四人が一年生十人ほどを集め、平手打ちをしたらしい。 暴力はいけないが、これは果たして「暴行」なのだろうか。 柔道部の学生寮は田井庄寮といい、いわゆる自治寮である。 僕らが暮らしていたのは杣之内南寮といい、文学部と外国語学部の学生がいた。 学生は幹事五名と委員十名を選出し、スローガンを決め、学年会を行い、さまざまな行事を企画する。 その中で、先輩による「指導」は日常茶飯事的に行われていた。 幹事学年(三年生)が二年生と一年生をそれぞれ招集し、約半時間から一時間に渡り厳しい生活指導を受ける。 僕らはそれを「ストーム」と呼んでいた。 ストームのある日は玄関脇のホワイトボードにこう書いてあった。 「本日寮内一回生及び二回生、午後十時以降在寮のこと」 十時になると学生服を着て自室で待機する。 そして寮内放送が始まる。 「えー、寮内一回生。一回生、至急楼上まで。おらっ、早う来いよっ」 楼上というのは三十畳か四十畳ほどの広い場所で、入寮の時四泊五日でオリエンテーションを受けたところである。 普段は「ふるさと講」という名前で呼ばれている。 このストームには、あるルールがある。 呼ばれた下級生たちは全員正座して目をつぶる。 呼んだ幹事学年は、言葉は強く汚く果てしなく後輩を叱咤するが絶対に手を出さない。 だが、たまにストームを四年生が主催することがある。 四年生は抜き打ちでやるので、ストームは突然にやって来る。 寮には娯楽室という部屋があり、唯一テレビが見られる部屋だが、下級生は出入りしない。 テレビは見たいがこんなところにいたら先輩に用事を言いつけられ、テレビどころではなくなるからだ。 その部屋に呼ばれる。 しかも四年生はだいたい酒を飲んでいる。 ここで、手が出る。 平手打ちはもちろん、箒の柄で頭を殴られたこともある。 ただの竹の棒だから、これで殴られると、しびれるように痛い。 耐えられないくらい痛い。
それでも僕らの寮はまとまっていたし、楽しいこともたくさんあった。 繰り返すが、暴力を肯定することはない。 ただ、暴行と指導は違う。 先輩が生活指導を行うのは学生自治寮においては当たり前のことで、それが嫌ならアパートに住めばいい。 下宿すればアパートよりも安く借りられる。 僕らはこういう学生寮で団体生活を送り、先輩との縦の関係を学びながら絆を深めていた。 寮がああいうところだと知っていたら、入寮しなかったかも知れない。 でも、知らずに入寮してとても幸せだった。 後輩に怪我をさせたのは、殴った先輩に責がある。 謝罪し反省しなければならないと思う。 しかし、これは事件ではない。 ましてや、暴行では断じてない。 指導の末の事故だと思う。 運動部や学生寮では、平手打ち程度のことはあっても不思議ではない。 そういう厳しい環境で、後輩は礼儀や節度を学ぶことが出来る。 それをいちいち取り上げて問題を大きくし、何でもかんでも暴力を否定することにより、学校は荒れ、ルールもマナーも守れないクソガキが溢れ返る事態になってしまったのではないだろうか。 この問題はとても難しい。 普段から先輩後輩の人間関係がちゃんと構築されていたら、問題はななどならなかっただろう。 「昨日、兄貴に殴られてさ」 「親父に思い切りしばかれた」 こういう時、「殴られた自分が悪かった」という自戒があった。 それは、兄貴や親父に対する敬愛の情があったからだ。 僕らにはそれがあった。 殴られたことが僕らの勲章だった。 そこでしてはいけないこと、やらなければいけないことを学んだ。 だから僕らはそれを指導だと認識し、暴力だとは思わなかった。 人を叩くには、お互いの人間関係をが重要だ。 先生と生徒についても同じ。 殴った結果、その生徒が生きていられなくなるようなことになるのは、先生が指導ではなく暴行したからである。 こんなものは徹底的に排除されなければならない。 しかし、何でもかんでも暴力だ、暴行だと騒ぐのは少し違うと思う。 報道する側の良識を期待したい。 ゴシップやスキャンダルを扱うのと同じ手法、切り口で教育や政治を報しるのは控えてもらわないと、この国は進むべき方向を見失うのではないかと危惧して止まない。 |
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