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【芸能・社会】

福助「憧れであり目標」 七代目歌右衛門 襲名会見

2013年9月5日 紙面から

七代目中村歌右衛門の襲名が決まった中村福助(右)と、十代目中村福助襲名が決まった中村児太郎=東京・丸の内の東京会館で(高嶋ちぐさ撮影)

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 女形の大名跡・中村歌右衛門を七代目として来年襲名する歌舞伎俳優の中村福助(52)が4日、東京・丸の内の東京会館で会見し、「私は六代目歌右衛門の叔父を目標に女形の道を進んできました。憧れであり目標であるお名前を襲名させていただくことに身が引き締まる思い。歌右衛門の名跡に追いつける役者になれるよう頑張るのみです」と喜びと決意を語った。襲名披露興行は、来年3、4月の東京・銀座の歌舞伎座から始まる。

 会見には、福助の長男で、十代目福助を襲名する中村児太郎(19)、六代目歌右衛門さんの養子の中村梅玉(67)も同席。梅玉は、「やっと決まり、これで父やご先祖に顔向けができる。一門発展のために力を尽くしていきたい」と語り、児太郎は、「成駒屋が大事にしてきたお名前なので、それに恥じない役者にならなければ」と身を引き締めた。

 福助は2年前に亡くなった父の中村芝翫さんから、「歌右衛門」という名前の大きさ、五代目、六代目の芸の素晴らしさを聞かされて育ったという。この日は朝から雨模様で、「父は雨男でした。今日も父が天国からエールを送ってくれていると思い、雨を見ていた」と感慨深そうに語った。

 六代目の歌右衛門さんの思い出については、高校を中退し、本格的に歌舞伎の世界に入った頃、歌右衛門さんの舞台を見て、「ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた」と振り返り、「今、自分が女形としてやっていられるのも、歌右衛門の叔父のおかげ」と感謝した。一方で、「ただ一つ残念なのは、『歌右衛門』『勘三郎』と名前が並んでいるのをご覧いただけないこと」と、義兄でもある故・中村勘三郎さん(昨年12月死去)の不在を嘆いた。

 五代目・歌右衛門は明治末から昭和の歌舞伎界を支え、六代目は、戦後の歌舞伎界の頂点を極めた名女形。13年ぶりに、この大名跡を復活させる福助の肩には、新生歌舞伎座を拠点とするこれからの歌舞伎界への責任がのしかかる。「歌舞伎を一人でも多くの方に見ていただくのが私の使命」とますますの精進を誓った。

◆福岡や大阪、京都でも披露

 松竹によると、襲名披露は来年3、4月の歌舞伎座の後は、6月に福岡の博多座、7月に大阪の松竹座、11月末から12月に京都南座の顔見世興行と続き、再来年は地方公演を予定している。

 建て替え中の名古屋・御園座は調整中。

 演目は、五代目、六代目に縁の「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子、「金閣寺」の雪姫、「籠釣瓶花街酔醒」の八ツ橋、「本朝廿四孝」の八重垣姫を中心に決めるという。

 1911年の五代目歌右衛門の襲名は、第二期歌舞伎座、51年の六代目襲名は第四期歌舞伎座の落成興行の期間中に行われた。七代目は、新装歌舞伎座で初めて行われる襲名披露で、三代続けて新しい劇場と縁が深い襲名興行となる。

 

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