夏目漱石の 『明暗』 の結末
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  夏目漱石著 『明暗』

  この作品は、作者である漱石の死によって、未完に終った作品です。ですからこの作品の結末は、漱石があちら側の世界へ持っていってしまったと考えるのが普通です。つまり、絶対に分かるはずがないということです。

  しかしこの作品は、特殊な書き方がされています。この作品は実は、漱石が晩年に唱えた、「則天去私」の思想を実現するものとして書かれたのです。
  では、その「則天去私」の思想に基づいて書かれると何が違うのかということですが、この作品は書き始める以前に、結末までのすべてのストーリー展開が出来上がっていたのです。つまり書かれる前に、作品として完成されていたのです。特殊な書き方というのは、そのことを指します。

  「則天去私」の思想というのを、現代的な言葉使いに改めて、小宇宙形成論として捉えると分かりやすいかと存知ます。つまり作品そのものを作者本人と切り離して、独立した小宇宙として存在させる技法ということです。
  そうした特殊な技法が用いられたために、この作品は作者である漱石の手を離れて、独立した作品世界を形成しているのです。それゆえに未完でありながらも、完成された作品と同等に扱えるのです。

  しかもこの作品は、新聞連載が百八十八回まで続きました。漱石が書いたものとしては、長いほうの部類に入ります。従って結末は、近かったことが予想されます。
  そして結末が近いということは、ストーリー展開として用いられる材料も、ほぼ出揃っていると考えることが出来るわけです。ですから、その材料を分析することにより、書かれるはずであった結末の部分を導き出すことが出来るかもしれないということです。

  これまではそうした発想が無かったために、たいていの人たちが最初から諦めていました。作者である漱石が死んでしまった以上、この作品の結末は、分かるはずが無いという考え方が一般的だったのです。
  しかし完成されている作品であるならば、結末もすでに決まっているわけですから、予測も可能であろうということになります。あとはどのようにして、その結末を探すかです。その方法さえ見つかれば、この作品の結末は、自動的に導き出されることになります。


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  細かい説明の手間を省くために、最初にまず要点を指摘しておきます。
  この作品は、漱石自身が実際に体験した三つの出来事が柱になって構成されています。それは次のようなものです。

   一つめは、いわゆる「修善寺の大患」といわれる出来事です。
   二つめは、妻の鏡子が最初の子を流産した時の出来事です。
   三つめは、初恋の原体験の女性に会いに行ったときの出来事です。

  以上の出来事が骨格となって、この作品のストーリー展開として使われているのです。つまり物語りの進行が、この三つの出来事の組み合わせによって行われているということです。ただし、まだ書かれていないものも含まれていますので、やや長くなりますが説明しておくことにします。

   ○ 一つ目の修善寺の大患というのは、漱石が明治四十三年八月に伊豆の修善寺温泉で大吐血し、一時、生死の境をさまよった出来事です。
  漱石はその数日前まで、胃潰瘍の治療のために長与胃腸病院に入院していました。そして小康を得たのを幸いとして、医者の許可を取り付けたうえで、保養のために修善寺温泉へ向かったのです。ところがそこで病状が悪化して、寝込んでしまいました。一時は、危篤状態にまで陥ったのです。

  これは主人公の津田が、痔の手術のあと医者の了解を取った上で、養生を兼ねて、ある温泉場に出かける展開として使われています。従って、このあと津田は、その温泉場で倒れることが予測されるわけです。

   ○ 二つ目の、妻の鏡子が最初の子を流産した時の出来事というのは次のようなものです。
  漱石夫妻が結婚したのは、明治二十九年六月のことでした。新婚当時の漱石夫妻は、九州の熊本に住んでいました。
  それからちょうど一年後の明治三十年六月に、漱石の父が亡くなりました。漱石夫妻は遠路はるばると上京しました。しかしその時の無理がたたって、妻の鏡子は、子供を流産するに至ったのです。もし妊娠していることに気が付いていれば、それなりの用心をしたはずですから、鏡子自身もそのことに気づいていなかったようです。鏡子は東京に着いてまもなくして、流産してしまったのです。

  これは温泉場で津田が倒れた後の、もう一つの出来事として使われる素材です。小説の中では温泉場に行き着くまでの軽便が、いつ脱線してもおかしくないように描かれています。実際に津田が乗った時には脱線してしまい、皆で車両を押し上げたのです。この上雨でも降れば、事故が起きるのは確実な状況です。それがお延が温泉場に駆けつける時の状況として準備されているのです。
  つまりお延には、九州からの長旅に匹敵するような肉体的、精神的疲労となる状況が準備されているということです。それにより妻の鏡子が流産したように、お延もまた流産することになるわけです。これまでのところお延には妊娠の兆候が何もありませんが、本人も気づかないうちに流産に至るのが現実に即した設定です。

  また小説の中では、その温泉場は流産後の婦人の保養に適した場所に設定されています。これは流産した後のお延を、その温泉場にしばらく逗留させるための準備です。
  現実には、子供を流産した鏡子はその後、しばらく静養のために鎌倉に留まりました。漱石は新学期が始まる九月に、一人で熊本へ戻りました。鏡子が熊本に戻るのは、その二ヶ月ほど後のことです。この事実関係が、そのまま踏襲されることになります。

  しかも小説の中では、墓碑銘に詳しい「老書家」が用意されています。これは流産した水子の供養のために準備されたと考えることが出来ます。つまり津田は、お寺なり水天宮なりに納めて供養をするために、その戒名の書かれた紙片を持ち帰ることになるのです。

   ○ 三つ目の、初恋の原体験の女性に会いに行ったときの出来事というの次のようなことです。
  津田が、かつての恋人であった女性、清子に会いに行くという展開も、やはり漱石の実体験がもとになっています。
  漱石は二十数年ぶりで、初恋の原体験の女性とあるところで遭遇します。そして後日、その女性の家まで訪ねていくのです。その経緯は『行人』の「帰ってから」に詳しく記されています。ただしこれは小説ですから、すべてが事実どおりに描かれているわけではありません。多少の脚色や変更が行われていますが、ほぼそこにかかれている通りのことが起きたと考えてよいでしょう。
  つまり実際の体験では、漱石はその女性の家を訪ねたのですが、小説の中では温泉場に行っている清子の許を訪ねる設定に変えてあるのです。その程度の違いがあるだけです。
  ただしその目的は、現実の漱石の場合も同じだったのです。

  「どうしてあの女は彼所へ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違いない。然しどうしても彼所へ嫁に行く筈ではなかったのに」(二回)
  という津田の疑問は、実は漱石自身の疑問だったのです。
  ですから温泉場へ行く途中で、津田が心に抱く、
  「彼女に会うのは何の為だろう。ーー 略 ーー では彼女を忘れるため? 或はそうかも知れない。ーー 以下、略 ーー 」(一七二回)
  といった感懐は、まさしく漱石自身のものなのです。
  これにつていは、初恋の原体験の女性との複雑な経緯を解き明かす必要があるのですが、ここでは省略します。

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   ○ 小林の役割

  さて、上のようなストーリー展開で物語りが進行するとしても、すべてが事実通りに進行するわけではありません。小説の中では登場人物が限られているからです。そこで重要な役割を担うのが、小林という人物です。

  修善寺の大患の際、漱石は約二ヶ月ほどの静養で、なんとか危機を脱しました。しかし、東京まで帰るのが一苦労でした。
  漱石はまだ立って歩けませんでした。そこで舟形の寝台に載せられて、寝たままの状態で人々に担がれての帰還となったのです。
  津田の場合も、状況はほぼ同じです。手術した痔の傷口が炎症を起こせば、自力で東京まで帰ることは出来ません。誰か手助けをしてくれる人間が必要です。
  そのために用意されたのが、小林という人物なのです。小林はむしろ最初から、そのために準備されていたと言えるのです。

  ただし小林という人物が、いつもたかりや強請り(ゆすり)しかしないような人間では、そうしたことはとうてい期待できません。しかしそのための準備も作者漱石は、ぬかりがありませんでした。
  小林は貧しい青年画家の原に、津田から貰ったばかりの金を遣ってしまいます。それは小林自身が必要な金だったのです。実際、金を貰ったときには、ポタポタと涙さえ落としたのです。
  しかしこれによって、小林という人間の別の一面が垣間見えました。それは小林という人間は、他人に対する同情心というものを失っていない人間であるということです。また他人のために、あえて自己犠牲の精神を発揮することを辞さない人間であるということてす。
  もしこの一件が起こらなければ、小林が津田との別れ際に言った「−−− 暇乞いに行くよ」(百六十七回)という言葉は、単なる口先だけのものになったでしょう。しかしこの一件が起きたことによって、小林の言葉は、予告を含んだ言葉となったのです。

  原という青年は、小林が一声掛ければ付いて来るでしょうから、荷物持ちとしては最適です。
  従って、まだ足取りのおぼつかない津田が、小林の肩につかまりながら東京への帰路に就き、その懐には水子供養のためのお札が収めてあるというのが、この作品の最終場面に見えてくる一風景です。

  そして、その時に津田は、小林の朝鮮行きの日取りが数日後に決まったことを知らされます。津田の嫌っていた小林ですが、旧友には違いありません。そして、一たび大陸に渡ってしまえば、もう二度と会うことは無いかもしれないのです。小林の最後の親切に、感謝の念がこみあげます。
  しかも、もう一人の友人である関との関係を思ったときに、その感慨はひとしおです。なぜなら突然、津田から清子を奪った関は、今回もまた病に臥す津田を横目に見ながら、清子を連れてさっさと帰って行ってしまったからです。

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   ○ 関という人物

  これまでのところ、作品の中には一切登場していないのですが、極めて重要な役割を担っているのが清子の夫である関という人物です。なぜならこの人物があってこそ、今の清子があるからです。
  清子は実は、津田が知るかつての清子ではなくなっているのです。従って、関は、清子を変えてしまった人物でもあるのです。
  ただし同様のことは、他の登場人物たちにつていも言えます。

  津田は、お延と結婚して変わりました。そのことは、
  「津田君は近頃大分大人しくなったようですね。全く奥さんの影響でしょう」(八十二回)
  と小林が、明言しています。

  そして、妹のお秀も、
  「兄さんこそ違ったのです。嫂さんをお貰いになる前の兄さんと、嫂さんをお貰いになった後の兄さんとは、まるで違っています。誰が見たって別の人です」(百回)
  と指摘しています。

  さらには、当のお延までが、
  「その時の彼は今の彼と別人ではなかった。といって、今の彼と同人でもなかった。平たく云えば同じ人が変わったのであった」(七十九回)
  と思っているのです。

  しかし、その津田と同じように、お延もまた変わったのです。
  「この子は嫁に行ってから、少し人間が変わってきたようだね。大分臆病になった。それもやっぱり旦那様の感化かな。不思議なもんだな」(六十五回)
  これがお延に対する、叔父の岡本の評価です。

  さらには、津田の妹のお秀でさえ、
  「お秀、お前には解らないかもしれないがね、兄さんから見ると、お前は堀さんの所へ行ってから以来、大分かわったよ」(百回)
  と津田から言われているのです。

  要するに男も女も結婚することによって、お互いに影響しあって知らず知らずのうちに、相手に合わせて変わっていくということです。従って、それと同様のことが、今の清子にも起きていることになります。
  ただし津田は、まだそのことに気づいていません。

  「些ももとと変わりませんね」
  という津田の言葉に対して、清子は、
  「ええ、だって同じ人間ですもの」(百八十四回)
  と答えますが、実は以前とまったく同じ人間ではないということです。すでに津田が知っている「単純で」「優悠(おっとり)していて」「緩慢(かんまん)な」かつての清子ではなくなっているのです。

  ではその清子は、どのように変わったかですが、それを探る手がかりとなるものがあります。
  その一つは、この日の朝、いつもの時間に風呂に入りに行かなかったことです。
  そしてもう一つは、津田が朝風呂に漬かっているときに見た女の奇妙な行動です。これは百七十九回で説明されています。
  この段階ではまだ、これが清子であったと断定できるものにはなっていません。それはあとになってから、やはりあれが清子の行動であったかと津田に気づかせるためです。そのために翻った着物の裾の色で関連づけてあるのです。わざとぼかしてあるわけです。
  そして、そこに書かれている内容から、現在の清子の性格を次のように分析することが出来ます。
  ○ その日、故意に風呂へ行く時間をずらす周到さ。
  ○ いったん降りてきた階段を、途中から引き返すような用心深さ。
  ○ 通常の歩行ルートから外れて、屋外にまで出てしまうことが出来る大胆さ。
  ○ 人から話し掛けられているにもかかわらず、一切返事を返さないでいられるようなある意味での厚かましさ。

  現在の清子には、こうした側面が附加されているのです。これは関という人物からの感化によって変えられた部分です。従って、清子の言動にもすべて裏があると考えなければなりません。そして、それはまだ津田の知らない清子像なのです。


  これまでは「清子聖女説」というものが、けっこう広く支持されて来ました。漱石は、聖女のような清子と接することによって津田を改心させようとしたのだ、という見解が広く伝えられてきたからです。
  しかしそれは、この作品の表面しか読んでいない人の意見です。関という人物と結婚した清子は、もはやかつての清子ではなくなっているからです。

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   ○ 結末へのプロローグ

  今後の展開を、清子の言動から探ってみることにします。
  まず百八十六回に、津田が前夜、廊下の階段の上と下でばったり清子と出会ったことについて、
  「−−− けれども知らなかったのも事実です。昨夕は偶然お眼に掛かっただけです」と説明したのに対して、清子は、
  「そうですかしら」と答えます。これに対して津田は、
  「故意を昨夕の津田に認めているらしい清子の口吻が、彼を驚かした」という感想を抱くのです。
  つまり津田は清子から、故意に待ち伏せをしていたと思われていたのです。それは津田にしてみれば、あまりにも心外な誤解であるということになります。
  そして、そのことを抗議すると、清子は、
  「−−− 理由はなんでもないのよ。ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ」と答えるのです。
  要するに清子の津田に対するイメージは、待ち伏せくらいは平気でするような人物として固定されているのです。
  これは、予想外の評価です。津田が知っているかつての清子の認識ではありません。より具体的に言えば、一年前に、突然別れるまでの清子は自分に対して、そのような見方はしなかったということです。
  清子は、関からの影響によって、それだけ変わってしまったのです。そして、その清子が次に、どのような行動を取るかがここでの問題です。

  またその段階で、津田が不可解に感じたのは、今朝の清子の態度です。清子は前夜の驚きようとは打って変わった、まったく落ち着き払った態度を示したのです。
  津田はその点を確認しようと、清子に次のように尋ねます。
  「昨夕そんなに驚いた貴方が、今朝は又どうしてそんなに平気でいられるんでしょう」
  これに対して清子は、
  「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」と答えます。

  この言葉が、清子の天然自然な性格から出たものでないことは、先ほど説明した通りです。従ってこの言葉の裏には、何か隠されたものがあると考えなければなりません。つまり、まったく別の角度から検討する必要があるということです。
  そして気が付くのは清子のこの言葉には、熱心な説明の態度がまったく無いということです。つまり清子は、津田の質問に対して、どうでもいいような答え方をしたにすぎないということです。より明確に言えば、津田とこれ以上話をしたくないという態度です。

  そしてこのことは昨夕、階段の上と下で鉢合わせしたときの、清子の驚きようとも関連させて考える必要があります。
  「驚きの時、不可思議の時、疑いの時、それ等を経過した後で、彼女は始めて棒立ちになった。横から方を突付けば、指一本の力でも、土で作った人形を倒すより容易く倒せそうな姿勢で、硬くなったまま棒立ちに立った。/ ーー 中 略 ーー /清子の身体が硬くなると共に、顔の筋肉も硬くなった。そうして両方の頬と額の色が見る見るうちに蒼白く変わっていった。―― 」(百七十六回)

  清子のこの驚きようは尋常ではありません。突然の再会が人を驚かすとしても、清子はその範囲を超えた驚き方をしているのです。これには当然のことながら、それなりの理由があったはずです。そして、それにはやはり、夫の関が関係していると考えられるのです。
  また今朝になって清子が、完全に落ち着き払っているのも、それなりの理由があるに違いないのです。むろん津田の質問に対して、ろくな答え方しかしないのも、それなりの理由があってのことです。
 つまりこれ等を要約すると、清子は津田との関わりを、一切拒否する態度を取っているということです。昨夜の驚きは、絶対に会ってはならない人と突然会ってしまったためであり、また今朝の会話が、適当に受け流しておくだけの会話になっているのもそのためです。すべては津田に対して、一線を画した拒絶の姿勢から来ているのです。

  そのことが、
  「−−− これ等のものを綜合して考えると、凡てが警戒であった。注意であった。そうして絶縁であった。」(百七十七回) という言葉で表現されているのです。

  そしてさらに、それ等のすべてを説明するものとして、次の一文があるのです。
  津田が清子に対して、いつま頃までここにいるのかと訊いたのに対して、
  「−−− 宅から電報がくれば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
  という答えが返ってきます。津田が驚いて、
  「そんなものが来るんですか」と言うと、
  「そりゃ何とも云えないわ」と答えて微笑するのです。

  要するに清子が今朝になって、それほど落ち着いていられるのは、すでに打つべき手が打ってあるからなのです。昨夜のうちに、夫の関に連絡が取られており、ここからさっさと引き上げる手はずが整っているからであるということです。

  そのことが、
  「清子はこう云って微笑した。津田はその意味を一人で説明しようと試みながら自分の部屋に帰った。」
  というふうに、清子の微笑に特別の意味があるようにして書かれているのです。

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   ○ 作品の結末

  この作品の結末を簡単に紹介しておきます。
  津田はこの後、清子や他の客たちと一緒に、「滝の方」へ散歩に行くことになっています。(百八十八回)
  ここで「滝の見物」となっていないことに注意する必要があります。長逗留している清子たちは、これまでに何度も、その滝を見ているからです。従って気分が変われば、いつでも引き返すことが出来ます。そのための準備です。
  しかし津田だけは見ていませんから、今後の話題作りのためにも、ぜひこの機会に見ておく必要があります。それに他人がいますから、清子と個人的な会話は出来ません。
  そこで津田は、途中から一行と分かれて、一人で滝まで行くことにします。そして正式な見方をするために、滝壷まで降りて行きます。滝は下から見上げてこそ、その雄大さが実感できるからです。

  その頃、天候の急変があります。津田が東京を発つときに降っていた雨が、ここまで移ってきたのです。しかも風が、嵐を呼んだのです。津田が滝から帰る頃には、大雨になっています。苔むした石は、雨に濡れて滑りやすくなっています。
  足を滑らした津田は、尻餅をついて、完治していない傷口を広げてしまいます。しかし、その場ではまだ大事には至りません。多少の違和感を感じる程度です。
  ようやく宿に帰り着いた津田は、冷え切った身体を温めるために、さっそく風呂へと向かいます。効能の弱い方の風呂には、昨夜と今朝と、二度続けて入っています。そこで今度は、効能が強いほうの風呂に入ります。
  熱い湯に漬ったとたんに、開いている傷口に湯が染み込みます。しかも強い薬効成分によって、患部が炎症を起こします。こうして津田は倒れます。
  このストーリー展開は、漱石が修善寺で倒れたときの経過と同じです。漱石自身は、温泉の湯が原因で胃潰瘍が悪化したと思っていたようです。実際にそうだったのかもしれません。その時の経緯が、そのまま踏襲されているのです。

  一方、お延は、吉川夫人から足止めをくっています。お延はすでにこの段階では、夫である津田の過去の秘密を、何が何でも探り出したい心境になっています。しかし誰からも、その情報を得ることが出来ませんでした。小林には適当にあしらわれました。津田の妹のお秀も、意外にガードが固かったのです。あと残されているのは、吉川夫人だけです。そこでついに強敵の吉川夫人に対して、技巧対決を挑むのです。
  ただし、もし最初から敵わないと分かっている相手であれば、あえて勝負を挑むまでもありません。結果が分かっている戦いなら、しないほうがよいからです。

  ところが、そうならないための用意がされているのです。五十三回には次のようにあります。
   「 率直と無遠慮の分子を多量に含んだ夫人の技巧が、豪も技巧の臭味なしに、着々成功して行く段取りを、一歩ごとに眺めた彼女は、自分の天性と夫人のそれとの間に非常の距離があることを認めない訳に行かなかった。然しそれは上下の距離でなくって、平面の距離だという気がした。では恐るるに足りないかというとーーーー 」

  たしかに吉川夫人は、強敵です。しかし、その力の差が上下の距離でなく、平面の距離の差であれば、捨て身で掛ればなんとか突破口が開けるかも知れません。そうした可能性が残してあるのです。お延のうぬぼれが、その可能性を試すように仕向けられているわけです。

  そして、その技巧対決でお延は、吉川夫人に勝つことが出来ます。それによって、津田の過去の秘密を知ります。しかもその津田が今、温泉場で昔の恋人である清子と会っていることまで、それとなく知らされます。
  しかし実は、ここには吉川夫人のさらなる策略があります。二人の対決で吉川夫人は、わざと負けるのです。ただし今、お延が温泉場に乗り込んで行って、もし二人が離縁することにでもなればすべて自分の責任になると言って、お延に、温泉場へは行かないように釘を刺しておくのです。
  そうしたところへ津田が、清子への思いをすべて断ち切って帰って来るなら、吉川夫人が立てた策略の筋書きは完了します。すべては善意から出たこととして、誰にもとがめられることも無く笑って済ませるべき事態です。
  そして一度は、吉川夫人に勝ったと思い上がったお延も、上にはさらに上があることを思い知ります。それにより、お延の “再教育” は終了するのです。

  この一件は、こうしてめでたく落着となるはずでした。しかし津田が温泉場で倒れることによって、お延には、看病のために、夫の許へ駆けつけるという大義名分ができます。吉川夫人が立てた筋書きは、それによって破綻します。
  お延が乗った軽便は、大雨によって脱線します。お延は途中から、歩いて温泉場まで行きます。雨の山道は、女性の足ではかなり困難です。肉体的な疲労は、相当なものになります。
  つまり温泉場までの道のりが、九州からの長旅に匹敵するような、かなり過酷な状況に設定されているわけです。それによってお延は、現実の鏡子と同じく、子供を流産するに至るのです。


  津田は小林のところにだけは、絵はがきを出しませんでした。(百八十一回)  しかし小林は、津田が温泉場で倒れたことを、関から知らされます。それには次のような経緯が想定されます。
  小林は、津田から貰った紙幣の一枚を、貧しい絵描きの青年原に遣ってしまいました。それは小林にとっては、ぜひとも必要なお金ですから、その分を補充しておかねばなりません。
  小林は津田の友人であったように、関とも知り合いです。小林は、関が清子と結婚するに至ったいきさつを、あるところからすでに聞き込んでいます。実は関は、傾きかけていた清子の実家に援助を申し出ることによって、清子の歓心を買ったのです。
  これは津田の知らない裏の事実です。清子が突然、津田の前から身を翻したのは、そうした家族からの説得があったからです。しかも単純な清子は、関から吹き込まれた津田のよからぬ噂を、頭から信じてしまったのです。それ故に「−−− ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ」 といった一方的に決め付けたような言葉になったのです。

  関は、津田と清子が接触することによって、そのことが知られるのを恐れていたのです。そこで清子に今後一切、津田に近づくことを禁じたのです。
  その絶対に禁じられていたことが、昨夜の突然の再会で、破られる結果が生じたのです。清子が必要以上に驚いたのは、そうした過去のいきさつによるものだったのです。

  ただし関は、外見上は金回りがよさそうに見えながらも、一歩奥へ入ると、台所は火の車といった状態です。津田に対してはうまくいった小林の強請り(ゆすり)も、金にうるさい関とでは、トラブルに発展します。
  「金を遣るかわりに、もう二度と近寄ってくれるな。君とは、絶交だ!。」
  おそらくこれが小林に対する、関の最後の言葉となります。

  小林は関とのこの時のやり取りで、津田が温泉場で倒れたことを知ります。それによって、「−−− 立つ前にもう一遍こっちから暇乞いに行くよ、−−−」(百六十七回)
  という言葉が、実行に移されることになるのです。
  小林のところにだけ絵葉書を出さなかったのは、すでに関とのそうしたやり取りが設定されていたからです。つまりすべてが計算され尽くした筋書きであったということです。
  小林の突然の出現は、東京へ帰れずに困っている津田を驚かせるには十分です。その驚きが大きい分だけ、感謝の念もより大きなものとなります。


  津田は最終的に、お延を養生のために温泉場に残して、自分は小林の肩につかまりながら、東京へ帰って行くことになります。その時に初めて、清子が関の策略によって奪い取られたことを知ります。そして同時に、今の清子が、かつての清子ではなくなっていたことに気がつくのです。
  また津田が朝風呂に漬かっていた時の、清子の奇妙な行動の意味を、この時、初めて理解するのです。それによりかつての清子への未練は、まるで意味の無いものとなります。今の清子は、もはや以前の清子ではあり得ないからです。一年前と同じ姿、形の女性でありながら、まったく同じ女性ではないからです。

  では、そのような関という人物と結婚した清子は、果たして幸せだったのでしょうか。答えは、否です。
  夫の関は、日々の金策のために、
  「ーー 朝から晩まで忙しそうにして」(百八十八回)いるのです。
  しかし清子の性格では、そうしたやり繰り算段の手助けは出来ません。却って邪魔になるだけです。
  従って、
  「ーー 閑暇な人は、まるで生きていられないのと同なじ事ね」
  という言葉は、そのまま清子自身に撥ね返ってくる言葉だったのです。またこれは、夫の関の思いでもあるのです。友を裏切ってまでして、役立たずの女房を持ってしまったという意識につながります。これでは夫唱婦随の円満な夫婦関係は、とうてい成立しません。

  もし子供でも出来れば、そうした状況も多少は変わってくるでしょうが、その子供は、流産してしまいました。しかもその流産が、
  「津田が自分と同性質の病気に罹っているものと−−−」(十七回)
  とあるように、夫の関の病気に関係したものであったとすると、もう子供は望めないかも知れないのです。

  津田は、これ等のことを、小林との会話を通して知ることになります。
  これによって、第二回から引き続き興味をつないできた「どうしてあの女は彼所(あすこ)へ嫁に行ったのだろう」という疑問に対して、一つの答えが与えられることになります。
  つまり、この作品の最初の段階で提示されたこの疑問が、最終段階できっちりと解き明かされるように構成されていたのです。そして、このような結末によって、この作品は大団円を結ぶのです。


  ところでお延の一件に関しては、吉川夫人にも、その責任の一端があります。多少の負い目を感じているに違いありません。そこに付け込んで、原青年の絵を買わせることくらいはできそうです。
  「原君。こんど君の絵を見せてくれたまえ。ある人を紹介してあげよう」
  こうした言葉が、津田の口から出ることが期待されます。

  もう一つ付け加えておくなら、このストーリー展開は津田とお延を、結婚してから半年と少しの若い夫婦と設定した時点で、すべて決まっていたということです。現実の漱石夫婦の出来事に合わせて、子供の流産という展開を取り入れるためです。つまり、作品として書き始められる以前に、結末までのすべてのストーリー展開が出来上がっていたわけです。
  特殊な書き方がされているというのは、このことを指します。今更ながらに、漱石という人の偉大さが感じられる作品です。完結しなかったのが悔やまれます。


                               2001. 1.16.        店主記す




 
  



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