水 晶 の 不 思 議 な “ ち か ら ” ―――――――――――――――――― 水晶という石が何か不思議な“力”を持っていることは、この石が多くの神社・仏閣、お宮などで「お守り」として売られていることからも、ある程度は推測することが出来ます。実際にそうしたことが何も無かったら、いつしか人々から疎んじられて、もっと粗雑に扱われて来たことでしょう。装飾用のただの透明な石としてしか扱われなかったはずです。 ところがなぜかこの石は、「お守り」として大事にされて来たのです。それはこの石に、何か未知の不思議な“力”が働いているからであろうと考えることが出来ます。 しかし、なぜこの石にはそうした不思議な“力”があるのか、本当にそれはこの石が持っているものなのかといったことは、まったく分かっていません。 ある人たちは、この石が持つ特殊な波長が人に影響を与えるのだと言います。たしかにこの石は、電圧を加えると一定の周波数で振動するところから「水晶発振子」として使われており、時計を始めとする電子機器の心臓部には欠かせないものとなっています。しかし、人が「五感」でその振動を感じ取ることは、まず出来ないでしょう。 最近では音楽でも、人の耳に聞こえない周波数領域の音が見直されるようになりました。実際に音としては聞こえていなくても、その部分の音があることによって「癒し」になるというのです。つまり聞こえない音を、実際は聞いているというのです。 これと同じように、水晶が発している超々微細な周波数の振動が、人に何らかの影響を与えているということは、もしかしたらあるかも知れません。 また、水晶は、美しい七色の虹を創ります。同じ透明な物質でもガラスや、プラスチックは虹を創りません。従ってガラスやプラスチック、或いは、アクリルの窓を通過した太陽光線によって、部屋の中が七色の光で満たされるといったことは起こりません。 ところで、その虹は、透明な物質が光を屈折させることによって創り出されます。光は、波長の長短により、屈折率が異なります。波長の短いものほど大きく曲がります。つまり虹の七色の光は、それぞれの光の波長の長さを表わしているわけです。 また、物質によって、光を屈折させる能力に差があります。屈折率が高いほど、大きな虹が創られます。ダイヤモンドが美しく輝くのは、光を大きく屈折させるからです。ガラスやプラスチックはその能力が低いために、太陽光線がそのまま通過してしまいます。従って、虹は出来ません。メガネレンズに使われる高級クリスタルガラスは、屈折率がかなり高いために、虹が出来ます。それでも水晶には敵いません。 もう一つ、虹を創る最も代表的なものとしては、水が上げられます。雨上がりの空に架かる七色の虹は、誰が見ても美しいと感じるものです。厳かで、なにやら神秘的な感じさえします。この虹は、大気中に漂う水滴が、太陽光線を分光することによって創られます。 もし虹を創り出す能力と、その不思議な“力”とが関係するのであれば、水やクリスタルガラスやダイヤモンドが、お守りになったことでしょう。もしかしたら水をガラス管に封じ込めたプリズムが、神社のみやげ物店で売られていたかもしれません。また普段使っているメガネが、お守りを兼ねたものになったことでしょう。ダイヤモンドは装飾品として一番よく使われている石であり、多くの女性が身に着けていますが、しかしそれがお守りにもなるという話は、どこからも聞いたことがありません。実際にダイヤのネックレスや、ダイヤの指輪をしている人たちも、水晶のお守りは別に持っています。 従って、どうやら水晶という石が持っている不思議な“力”は、太陽光線を屈折させて七色の虹を創り出す能力、または加えられた電圧により超々微細に振動するという性質とは、直接的には結びつかないと考えられます。 しかし、科学的には証明されていないながらも、この石が、何らかの不思議な“力”を持っていることは確かなのです。そのことを説明するために、ある本の中から、次のような一節を、部分引用の形で紹介させていただきます。 「 ムーディが取り組んだのは、ジプシーの占い師がよくやる水晶玉占いである。占い師は、水晶玉をじっと注視しているうちに、未来が水晶玉の中に見えてきたといって、その内容告げる。一般にこれはただのイカサマだと考えられている。ジプシーは実は、水晶玉の中に何も見えていないのに、何か見えているふりをするのだと考えられている。 しかし、実はそうではないのだとムーディはいう。それが未来を告げるものかどうかはともかく(ムーディは占いは全く信じていない)水晶玉をじっと見つめているうちに、何かそこにイメージが見えてくるという現象は、実はポピュラーに起きる現象なのだという。 ムーディが相当数の学生やボランティアを被験者に何度も実験を繰り返したところによると、ほぼ二人に一人は何かを見たという。見えるものは人によってさまざまである。何か単純なものを見ることもあれば、登場人物が出現してストーリー性のある話が展開するということもある。 だから、ジプシー占い師の場合、本当に何かを見ていた例が多いのではないかという。 実は、水晶玉占いと同じようなことは、 ―― 略 ―― その目的によく使われたものの一つは鏡である。 ―― 略 ―― あるいはボールに汲んだ水がその目的に使われたこともある。チベットの僧侶は湖の澄んだ湖面を使ったし、 ―― 略 ―― 要するに、眠りと覚醒の中間のトロンとした状態になるのである。そこまでいくと、たいていの人に何かが見えてくるのだという。 私は、この話を聞いたときは半信半疑だったがこの原稿を書くために、試しに担当編集者に水晶玉を買ってきてもらって実験をしたところ、確かにみえたのである。私の場合は、何かの生物の受精卵が大きく成長して生きて動いているという状態が見えた。 担当編集者にも試してもらったら、小さな魚が見えたという。十歳の娘に試させたら、揺れ動く人の腕が見えたという。なるほどムーディのいうとおりである。興味のある方はご自分で試してみられるとよい。 ―― 以下、略 ―― 」 ( 『臨死体験』立花隆著 文芸春秋社刊 第十六章 水晶玉物語 「水晶玉占いの科学」 より ) 上の文中に登場するムーディ博士の略歴については、この本の前の章、「第十五章 心理と論理の間」で、次のように紹介されています。その経歴から、決して怪しい人物でないことが分かります。 「 一九四四年生まれで、現在、四十八歳。私より四つ若いはずなのに、かなり老けて見える。バージニア大学で哲学を学び、哲学博士となる。卒業後、イースト・カロライナ大学の哲学科教授として三年間教えたあと、バージニア大学の医学部に戻って精神医学を学び、医学博士となる。この間に臨死体験の研究を開始し、その結果をまとめた『かいまみた死後の世界』で一躍有名になる。その後も臨死体験について、『続、かいまみた死後の死後の世界』(1977.原題『Reflections On Life』評論社刊)、『光の彼方に』(1988.原題『The Light Beyondo』TBSブリタニカ刊)などを著している。 現在は、ウェスト・バージニア・カレッジの心理学教授をしていて、法精神医学(精神病と犯罪の相関に関する学問)の講座を受け持っている。」 さて、上に引用した文章の中にあるように、立花隆氏自身はもとより、氏の娘さんや編集担当者やまでが実際に、何かの映像(イメージ)を見ているのです。またムーディ博士の実験結果では、二人に一人が何かを見ているというのです。それが果たして何んなのかは分からないながらも、通常では起こらないことが起きていわけです。その実験結果の正当性については、ムーディ博士の経歴から判断して、まず間違いはないと言えるでしょう。 つまり、少なくとも二人に一人が、そうしたものを見るということは、水晶という石が、そもそもそうした能力を持っているからであると考えて差し支えないわけです。 こうした事実が、確かに存在するということを認識する必要があります。世間一般の人たちは、このような事実があることさえ知らないのです。自慢にもなりませんが、かく言う私自身も、つい最近まで知りませんでした。 ところで、人に何らかの映像を見せる能力と、水晶がお守りになる能力とは、どのようにつながるのでしょう。もしそのことが分かれば、この石が持つ不思議な“力”の解明に、一歩迫ることが出来そうです。 ただし、このことを科学的に解明するためには、莫大な費用と多くの人材とが必要になるでしょう。しかもそれだけの経費を掛けても、必ず解明されるという保証はありません。結果的には、何も実績を上げられないかもしれないのです。 しかしながら、もしムーディ博士がやった実験結果が、もう少しプラスの方向に変化したら、話は違ってきます。 ムーディ博士の実験では、二人に一人がその映像を見るということでした。これは微妙な数字です。科学的な研究に多数決の原理は関係が無いと思われるかも知れませんが、実際はそうでもありません。 見える人がもっと少なければ、この現象は、否定される方向へ傾きます。逆にもっと多ければ、肯定される方向に傾きます。つまり大勢がどちらに傾くかで、現象そのものが肯定されたり、否定されたりするのです。なぜなら人数の多いほうが、世間一般の常識というものになるからです。つまり、それは知っているのがあたりまえの現象であるということです。 ですから、この二人に一人という数字を、何とかしてもう少しアップさせて六割、七割の人たちがそうしたものを見えるようにすれば、それはれっきとした物理現象として広く認識されることになります。そうした物理現象は、科学的に調べられる必要性があります。そして人々に広く周知の事実で解明されていない現象は、科学者の恰好の研究材料になります。もしかしたら、そのために国家予算が獲得できるかもしれません。 これを読まれた方で、もしこの現象に興味のある方は、ぜひ調査してみてください。研究の成果によっては、将来、ノーベル物理学賞があなたのものになるかもしれません。 それにしても不思議なのは、その映像(イメージ)の見え方です。精神分裂病の人たちは、普通の人には見えない映像、即ち「幻覚」を見ます。健康な人でも、寝ているときには「夢」を見ます。また、起きている時に見るものは、「白日夢」と呼ばれます。 立花隆氏が見た『何かの生物の受精卵が大きく成長して生きて動いているという状態』、 また担当編集者が見た『小さな魚』、 十歳の娘さんが見た『揺れ動く人の腕』 は、それ等の何に該当するのでしょう。 この人たちは完全な覚醒状態で見ているわけですから、夢でも白日夢でもないことは確かです。むろん全員が一時的に、精神分裂病に罹ったなどということもあり得ません。従って、彼等には、これまで知られていない現象が起きたことになります。しかも、それと同じことがムーディ博士の実験では、二人に一人は起きるというのですからけっこうたいへんな事態です。 この現象の中には心理学や、精神医学の分野での大きな研究課題が含まれていることになります。こうした方面からのアプローチもぜひとも必要です。 また、その映像の意味も解明される必要があります。もしそれが夢と同じようなものであれば、その映像には、本人の無意識的な願望が投射されていることになります。ジプシー占いでは、その人の未来が見えるということですが、もしかしたらそれは、その人の願望が実現された形で現れるのかもしれません。それ等の映像(イメージ)に対して、フロイト、ユング流の夢の解釈が成り立つかどうかも確かめる必要があるでしょう。 このように考えてみると水晶という石は、なかなか魅惑的な要素を持った石です。ただの不思議な石で済ませておくのは、あまりにももったいない気がします。 ぜひとも遠くない将来に、この石の不思議な“ちから”の正体が解明されることを願う次第です。 2000.9.21. 店主記す |