鉄人? アイアンマン(IRONMAN)は直訳すると「鉄人」となる。トライアスロンが日本に紹介されたのはアイアンマンレースが最初だ。そこでトライアスロンは「鉄人レース」と呼ばれるようになった。そしてアイアンマンレースは確かにハードだ。だからといって全てのトライアスロンレースを「鉄人レース」と銘打ったり、「過酷な」と形容するのはよろしくない。普通の体力なら高齢者や子供でも完走できる「優しい」レースは沢山ある。そもそも「アイアンマン」はワールドトライアスロンコーポレーションの登録ロゴなのだ。 競技志向? トライアスロンが日本に入って来たのはハワイアイアンマンを通じてであった。スイム3.9キロ、バイク180.2キロ、ラン42.195キロ、その距離に驚き圧倒された。そんなレースに出てみようなどと考えるのは常人じゃない、よほどの変わり者、奇人狂人の類と考えた。チーム名にクレージーを入れている老舗クラブがあるぐらいだ。奇人変人は人を呼べる。町興し村興しの担当者はそこに目をつけた。日本中でトライアスロンレースが旗揚げし、「限界への挑戦」「過酷」「鉄人レース」が常套語となった。耳目を集めるのに急で殊更にハードさを強調したのだ。もちろんその多くは元祖アイアンマンに比べればはるかに短い距離のレースであったが、参加者達は完走しただけで、自分は鉄人だとばかり胸を張った。主催者も参加者もトライアスロンを「競技スポーツ」と見る視点を欠いていた。だから、真面目にトレーニングを積んだとは思えない、しまりのない体で参加し、だらだらとやっているわりにはヨレヨレになってゴールして満足する人が後を絶たない。 一方、あたりまえのことだが、競技スポーツとしてトライアスロンに取り組んでいる人も少なくない。彼等は寸暇を惜しんで練習に励み、レースではもてる力を出し切ってゴールする。彼等こそ限界への挑戦者と呼ぶにふさわしい。 競技スポーツとしてトライアスロンに取り組む人々や競技会として大会運営するのを批判する根拠は何か。真面目にトレーニングしたり、レースで精一杯頑張って苦しい思いをするのがいやな人がいるのだろう。タイムが悪くても、順位がビリに近くても、完走しさえすれば、鉄人と賛えてくれるのが望みなのだろう。しいんどいのは嫌で、楽して褒められようとは見下げた根性だ。 順位にこだわるあまりルール違反をしたりマナーを欠いたりするのは勿論良くないことだ。また好成績を鼻にかけるのも頂けない。プロなら成績が全てだ。しかしエージグルーパーの場合はそうではない。先天的な素質、社会的経済的条件が全く違ったなかでレースをしている。条件のいい選手が上位に来ても単純に自慢出来ることではない。各々の条件の中で最高のパフォーマンスをした人こそが褒められるべきなのだ。 「競技志向」ではなく「成績至上主義」と言えば納得出来ることが多い。この場合でも自己の成績向上を目指してたゆまぬ努力を重ねるひとを誹ぼうしてはならない。ライバルは常に自分自身だ。トライアスロンの楽しみとは、その努力を通して得られる肉体および精神の好ましい変化であり、それにともなう自尊心の確立であるからだ。 |
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