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■チュークの戦後68年:3
(南洋の記憶)飢餓の島 極限の句会【宮地ゆう】「日本人の友人と一緒に育ってねぇ。トノアス島(夏島)の入船町には、しょうゆやお菓子など、よく買いに行きましたよ」
オシエン・ベニアンさん(86)は、現在、ミクロネシア連邦のチューク(旧トラック)諸島のウエノ島(春島)に暮らす。日本統治時代に生まれ、「マサシゲ」という日本名を持ち、いまも日本語を流暢(りゅうちょう)に話す。
夏島は太平洋戦争中、ミクロネシアを統治した南洋庁の支庁が置かれ、連合艦隊司令部の中心でもあった。
当時の地図には「山本家具店」「佐藤すし店」「花森カフェー」「比嘉泡盛製作所」などの名前が並ぶ。その繁華街も、いまは見る影もなく、同じ通りにはバラックのような島民の家があるだけだ。