元慰安婦たちが語る最後の「願い」

解放直後は推定10万人いた韓国人慰安婦、今では57人に
「日本が謝罪するまで死ねない」

■イ・オクソンさん「賠償せずに粘る日本、私が自決しないと分からないのか」

(1)86歳(1927年)/大邱

(2)16歳のとき、市場で買い物をしていたところ、夕方に日本軍が来て強制的に連れていかれた。2年間、満州で慰安婦として過ごした。

(3)解放後、ソ連側に捕らえられそうになり、韓国の人々に助けてもらい新義州経由で韓国に戻った。

(4)忠清北道報恩郡俗離山に戻り、寺で暮らした。今は俗離山に家を構えて暮らしている。日本から賠償を受けるため、自ら裁判所に行って訴訟を起こし、記者会見にも出席するなど、積極的に活動している。

(5)日本から賠償と謝罪を受けること。「世界の誰もが知っているのに(日本は慰安婦搾取を)しなかったと言っており、本当にあきれる。私は16歳で慰安婦になり、19歳で戻ってきた。日本人が最後まで賠償をしないのなら、どうするべきか。あいつらの前で自決すべきか。今でも、日本が賠償せず粘っていることを考えると、寝ている最中でも突然飛び起きることほどだ。私は日本人に抗議するために、日本にも何度か行って語ったし、そこに来た一部の日本人女性も泣いていたというのに。私の願いはとにかく、日本人からお金を受け取り謝罪してもらうことだけ」

京畿道広州=郭彰烈(クァク・チャンリョル)記者
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