「飲んだら乗るな」というのは飲み屋からでて運転するなということで、「昨日、飲んだのですが、大丈夫ですか」と言うときには測定が必要だということを先回にかきました。必要なデータは二つで、
1)血中アルコール濃度と事故率の関係
2)血中アルコール濃度の経時変化
です。
第一のデータはかつて警察署やネットなどで見ることができたのですが、どうも探すことができませんでした。ある酒造メーカーのページにあったのですが、今は削除されています。
アメリカやイギリスが0.38(mg/L,呼気、以下省略)であり、多くの国が0.25以上であることから、これらの民主的な国では、血中アルコール濃度と事故率の関係が明示され、先回、説明した「我慢できる数値」を決めたものと考えられます。
これに対して日本がなぜ0.15なのか? まさか雰囲気で決めたのではないと思いますが、国民が知ることができません。どんなことも同じですが、「規制値」というのは人の人生を制限します。
だから、憲法の基本的人権を制限することになりますから、その根拠は国民が常に見て納得できる形にしておくのが役人の大切な義務ですが、日本では「役人が法令や規制を決めて庶民に守らせる」という気分で、「法令は国民同士の約束で、役人はそれを国民の公僕として実施する」という本来の姿ではないのが原因していると思います。
私が0.15という規制に疑問を持っているのは、もともと日本も0.25でしたが、2002年に、0.15に変わりました。0.25の時、それなりの根拠があったと思いますが、変更の意味についてはほとんど広報されていないからです。
ところで、もともと「酒酔い運転」というのは、「アルコールの影響で正常な運転ができない場合」で血中アルコール濃度とは関係がありません。関係があるのは「酒気帯び運転」で読んで字のごとく、「酒気を帯びている」という「状態」だけで、まったく運転上の問題がなくても「酒気帯び運転」になります。
厳密に言えばおかしな事ですが、現実的に「酒酔い運転」というのが判りにくいので、血中濃度で制限するのは妥当でしょう。制限は妥当ですが、0.15の根拠を知りうるのが「国民の基本人権」の一つであることをハッキリさせたいと思います。
(平成25年9月4日)
武田邦彦