劇団俳優座に在籍していた10人の準劇団員が一斉に脱退したのは1954年初夏。気鋭の彼らは当時の流行作家、椎名麟三が書き下ろした「第三の証言」で同年12月19日に旗揚げ公演を行った。後に映画、舞台、テレビで活躍する多くの役者の供給源となる「劇団青年座」の誕生である。
この青年座を山岡久乃や初井言榮らとともに立ち上げた創立メンバーの1人で、劇団の中心的存在として活躍した女優、東恵美子さんは1月8日、急性心不全のため亡くなった。享年85。
1980年に青年座の文芸部に入団した演出家の宮田慶子さんは「最初は近づきがたい存在で、ましてや会話をするなんて…。でも、あこがれていました。とにかくカッコよかった」と振り返る。
この「カッコよさ」は、どんな役柄を演じても失われることのない「凛としたたたずまい」にあり、無比な演技力とともに高く評価された。71年には舞台「写楽考」で芸術祭優秀賞。97年には舞台「黄昏」「ジャンナ」で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。テレビ視聴者に印象深いのは78年のドラマ「白い巨塔」の東教授夫人・政子役だろう。鼻持ちならない上流階級夫人を演じ切った。
私生活でも「凛とした」姿勢は変わらなかった。心理学者の南博氏と結婚。夫婦別姓婚の草分けとして「自由結婚」「別居結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」などと言われた。大の嫌煙家でもあった。
青年座の後輩、西田敏行はこう語る。
「東さんもたまに舞台の上で急にトチることがあって。『ははん、今日はご主人の南先生がきてんだな』って」
最後に公の場に顔を見せたのは昨年12月25日、劇団恒例のクリスマスパーティーだった。青年座映画放送の取締役、相沢昭雄氏は「全然変わった様子はなく、元気にしていました。年明けに亡くなったって聞いたときは、そりゃ信じられなくて…」と、突然の訃報に驚きを隠さなかった。
「凛とした女優」は、最後の最後まで独特な存在感に意外性を合わせて去っていった。(細田マサシ)