元慰安婦たちが語る最後の「願い」

解放直後は推定10万人いた韓国人慰安婦、今では57人に
「日本が謝罪するまで死ねない」

■パク・スクイさん「日本からまた恥辱を受けないよう、若い人は勉強すべき」

(1)90歳(1923年)/慶尚南道南海

(2)16歳のとき、南海の沿岸で貝を採っていたら、日本軍が来て連行された。まず名古屋に行ったが、中国の満州や上海などに送られ、7年間慰安婦として暮らした。

(3)解放直後、釜山に戻り、他人の家で女中生活を送った。

(4)31歳のとき、釜山から故郷の南海に戻り、完全に定着。慰安婦生活が原因で子どもが生めず、3人の子を連れてきて(養子にもらって?)育てた。

(5)韓国が若い人をよく勉強させ、その若い人が大人になったら忠臣(官僚や政治家)になること。「なぜ韓国人が何度も日本のやつ(ウェノム)に頭を下げるのか。日本に頭を下げる理由はない。力があったなら、私が、私たちが、こうして慰安婦にされることもなかったはずだ。韓国の青年が大人になり忠臣になったら、こんなことは二度と起こらないのではないか。また、韓国が武器をたくさん持っていたらいいと思う。武器をたくさん持って、よその国に負けなければいいと思う。昔、韓国は武器がなくて負けた。韓国には剣と弓しかなかったのに、日本には大砲もあったし、全部あったではないか。だから負けたのだ。もうよその国の人間に頭を下げないでほしい」

京畿道広州=郭彰烈(クァク・チャンリョル)記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連ニュース