2007年12月、ドラ1として入団した当時の白仁田(中)【拡大】
織田裕二似の端正なマスクが輝いた。大きな瞳は潤んで見えた。歓喜のシャワーを浴び、声援に応える白仁田。2008年のドラ1が苦しんだ日々を乗り越え、初先発初勝利を手中に収めた。
「信じられない気持ちです。非常に力みましたが、落ち着いて投げようって言い聞かせました」
6回6安打1失点。当初はスタンリッジが先発予定だったが、腰の張りを訴え登録抹消に。「きょうは2軍戦で投げる予定で」いたが、前日2日に急きょ、1軍先発を告げられ、快投だ。唯一の山場、8点を守る六回無死一、二塁のピンチも4番・中村を狙い通りの遊ゴロ併殺。暴投による1失点でしのいだ。昨年まで守護神を務めた藤川球児投手(現カブス)に助言された「真っすぐに立ち、シンプルに投げる」フォームを習得。左打者の内角カットを効果的に使い、最速147キロの直球でハマ打線を封じた。
ドラフト1位入団投手(希望枠、自由枠含む)では球団史上最も遅い6年目でのプロ初白星。チームは結果の出ないドラ1が続き、その渦中にいた右腕には紆余曲折があった。
右肩の故障を抱えて入団し、出遅れた。長い手足を持ち、潜在能力はダルビッシュ級と言われたが、問題は精神面。大事な試合ほど、腕が縮こまり、内角がつけない。周囲から「人がよすぎる」「強引にいけ」と厳しい言葉をかけられた。そのたびに「そうですよね…」と自責の念にかられた。育成枠の降格候補にすら、名前が挙がった。もう死に物狂いになるしかなかった。