CV
東山奈央
史実情報
愛宕は高雄型2番艦として、呉海軍工廠で建造された。
本艦が
高雄より先に竣工したことから、高雄型を愛宕型とする資料も、一部に存在する。
竣工した愛宕は、第2艦隊第4戦隊に編入された。
開戦前、第4艦隊事件を受けて改装工事を実施。
高雄と同様、艦橋が縮小されている。
1941年には第2艦隊旗艦となり、南方へと進出。開戦に備えた。
以後、愛宕は南方での作戦に従事。1942年にはソロモン海の戦いにも参戦した。
1943年のラバウル空襲では、至近弾を左舷中央部の魚雷発射管付近に受け中破。艦長を含む42名が死傷した。
愛宕は日本に戻り修理を受けたのち、再び南方へと出撃。マリアナ沖海戦では、前衛部隊旗艦として活動している。
1944年10月22日、愛宕は第2艦隊(第1遊撃部隊)旗艦となり、栗田健男中将を迎えてブルネイを出撃した。
翌23日午前6時半、愛宕は米潜水艦ダーターの魚雷4本を右舷を受けた。魚雷が右舷全体に万遍なく命中したためか、愛宕は急速に傾斜。左舷への注水も効果なく、20分後に沈没した。
指揮官・仕官の多くは早々に退去したもののまさか20分程度で沈むとは思っておらず、総員退艦の指示が遅れ(軍艦旗が降ろされなかったため指示自体なかったとも言われる)360名もの犠牲者が出た。
なお、愛宕撃沈後のダーターは高雄を襲撃魚雷2発を命中させ、あわやまで追い込むも深追いしすぎて座礁。
曳航不能と判断し僚艦の潜水艦デイズ(同戦闘で
摩耶を金剛型と勘違いし撃沈した)に乗員は移乗し自沈している。
その際に艦長デヴィッド少佐は、日本軍がこの座礁艦の艦内調査を行うことを見越し、
腹いせに『これがあれだったのかい?』と艦型識別訓練模型の愛宕にメモを残した。
戦後、愛宕の名は、海上自衛隊のイージス艦、あたご型護衛艦のネームシップに受け継がれた。
(余談ではあるが、愛宕を含む高雄型の艦橋の形状は非常に特徴的でイージス艦の艦橋と似ている。
ジェーン海軍年鑑が、命名前の最初の国産イージス艦こんごうの建造中に艦橋を見て「日本が高雄型を建造中」と報じた程である。)
台詞一覧
状況 |
台詞 |
関連する史実や元ネタ、解説など |
自己紹介 |
私は愛宕、提督、覚えてくださいね。 |
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秘書クリック会話① |
うふ、どうしました? |
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秘書クリック会話② |
私が力になってあげるわ |
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秘書クリック会話③ |
んもぅ、意外と甘えん坊なのですね |
甘えたい。とても甘えたいです |
戦績表示時 |
提督、お手紙ですよ |
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編成選択時 |
愛宕、抜錨しまーすぅ |
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装備時① |
私、強くなってる!うふふ |
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装備時② |
改造終了しました・・・えっ?そこは改造して無いわ、自前よぉ |
そことはどこなのか、言うまでもない |
装備時③ |
ぱんぱかぱーん! |
盛大に何も始まらないがかわいいので何も問題はない |
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通) |
ドック入り |
ちょっとお休みを頂きますね |
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ドック入り(重傷) |
タンクが大きいと、肩も凝るのよねー |
バランスがとれた重武装ボディですものね |
建造時 |
あらあら、仲間が増えたようよ |
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艦隊帰投時 |
作戦完了よ、良かったわね |
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出撃時 |
ヨーソロー!うふふ |
ヨーソロー(ようそろ)とは直進という意味。「宜しく候(よろしくそうろう)」から変化した掛声である。 |
戦闘開始時 |
敵艦多数発見!攻撃開始ね |
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航空戦開始時 |
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攻撃時 |
主砲撃てぇー! |
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夜戦開始時 |
夜の戦い・・・私、得意なの |
意味深 |
夜戦攻撃時 |
喰らいなさい |
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MVP時 |
私の実力、分かってもらえましたか?うふ |
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被弾小破① |
やーん |
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被弾小破② |
あんっ!やめてったら! |
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被弾カットイン |
ちょっとぉ・・・やり過ぎじゃないかしら |
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撃沈時(反転) |
あらあら、仕方無いわ・・・高雄はちゃんとやってるかしら・・・ |
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コメント
- 史実情報の「中波」は「中破」かな? -- 名無しさん (2013-07-11 14:28:52)
- 因みに名称は現在の海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」に受け継がれている。 -- 名無しさん (2013-07-23 22:21:48)
- 特徴的なルックスとトークで一部の提督とpixivで大人気 -- 名無しさん (2013-09-04 11:41:01)
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