三陸鉄道 震災発生直後の状況と対応
(1)震災発生時の列車運行状況と営業列車への影響
震災時、2本の列車が走行中だった。南リアス線盛発釜石行き(213D 列車 お客さま2名)は、吉浜駅を発車した直後。北リアス線久慈発宮古行き(116D 列車 お客さま 15 名)は、白井海岸駅を発車した直後だった。南リアス線の列車は、盛駅に隣接する南リアス線運行部の運転指令から、北リアス線の列車は、久慈駅に隣接する北リアス線運行部の運転指令からの指示により緊急停止した。
停止場所は、213D 列車が大船渡市と釜石市の境の吉浜駅~唐丹駅間の鍬台トンネル内。116D列車が普代村の白井海岸駅~普代駅間の山中だった。この時点では、無線が通じていたため運転指令と運転士の連絡がとれ停止位置は把握でき安全な場所であることから移動しないよう指示をした。この後、津波の襲来により停電や通信ケーブル切断等が発生。運転指令と列車との連絡手段が断たれた。
震災時以降、全ての列車が運転できない状況となった。
(2)乗客等の救済、避難誘導
北リアス線 116D 列車の下本運転士は、緊急停止後 15 名のお客さまに対し、大地震により緊急停止命令があったこと、津波の恐れがあるが停止場所は高台であり安全なこと、外は寒いので要請している救援が来るまで車内にとどまることを告げた。お客さまも運転士の説明に従った。乗車していた女性自衛官が運転士に身分証明書を提示し、何か手伝えることがあればと協力を申し出た
南リアス線 213D 列車の休石運転士は、2名のお客さまに状況を説明した。余震が続きトンネル内でもあること、外部との連絡がまったくとれないことから停止してから2時間後に状況を確認するためトンネルを出ることにした。釜石方の出口は見えていたが、距離は盛方が短いと判断。単独でトンネルを出て吉浜の民宿で三陸沿岸が大津波で壊滅的な被害を受けたという情報を得、トンネル内の列車に引き返しお客さまとともにトンネルを盛方に脱出することにした。
宮古市にある本社では、地上電話が途絶し連絡・情報収集手段が限られた中、平成 22 年8月に導入していた災害優先携帯電話により北リアス線運行部に 116D 列車のお客さまの救援を消防に要請するよう指示した。普代への直接の連絡が通信途絶で困難であるため久慈、盛岡の消防本部経由で連絡を取ろうとした。しかし消防無線も混信で各消防本部から普代消防署への通信も困難を極めた。夕刻にやっと連絡が取れた普代消防署の車両により、お客さまを午後7時 30 分に普代村の避難所に送致した。なお、保線作業に出ていた社用車が、このお客さまのうち近隣の4名を自宅までお送りした。下本運転士はその後、施設担当社員と野田玉川駅付近で一夜を明かし、翌日(12 日)久慈駅に隣接する北リアス線運行部に帰着した。
南リアス線の 213D では、お客さま2名と運転士が懐中電灯の明かりを頼りにトンネルを 1.4Km歩いて吉浜駅側に脱出。通りかかった車に乗せられて大船渡市内の避難所にお客さまを送り届け、運転士は午後7時 49 分に盛駅に隣接する南リアス線運行部に帰着した。
震災後、各駅は閉鎖したが、南リアス線運行部では避難してきた住民9名を運行部事務所内に収容。宮古駅では行き場を失った旅行者5名を列車内に収容。社員とともに車内で一夜を過ごした。