復活の観光バス快走/バス会社社長・高橋武彦さん=石巻市飯野
 | 津波で公民館の屋上に乗り上げた大型観光バス=2011年7月、石巻市雄勝町 |
|
 | 車庫の前で従業員と談笑する高橋さん(右)=石巻市小船越 |
|
|
◎「地域の足」守り続ける
自慢の大型観光バスはしばらくの間、公民館の屋上に乗り上げたままになっていた。石巻市雄勝町で、東日本大震災の巨大津波の威力を物語る光景を目にするたび、持ち主の南三陸観光バス社長高橋武彦さん(62)=同市飯野=は自らを奮い立たせた。
「いつか必ず、同じカラーリングのバスを地上で走らせる」
被災した観光バスは東日本大震災から1年後の2012年3月10日、クレーンで撤去された。それから1年半、同じ青いラインのバスが東北の観光地を快走する。青は南三陸の豊かな海のイメージだという。
同社は石巻市雄勝町中心部の海岸から約200メートルの場所にあった。あの日に限って、青いライン入りの観光バス13台が全て車庫で整備中だった。
雄勝湾を襲った20メートルを超す津波はバスも事務所も自宅も押し流した。1000万円で購入した未使用の新車も含まれていた。全てを失い、内陸部を走っていた3台の質素な送迎バスと借金だけが残った。
妻で専務の真由美さん(52)は「20年以上かけて少しずつ増やしてきた観光バスなのに、なくなるのは一瞬だった」と振り返る。
震災当日は夫婦一緒に雄勝を離れていた。水が引いた翌日に戻ると、車庫から500メートル離れた2階建ての公民館の屋上に観光バスを見つけた。
「自然の力にただ驚いた」と高橋さん。「町全体が壊滅状態だった。観光バスを見て、悲しいとも悔しいとも思わなかった」と言う。
非番の従業員1人が亡くなった。残った十数人の従業員と送迎バスで、業務委託された通学バスや住民バスを運行し、事業の継続を図った。「地域の足に徹しよう」。夫婦で覚悟を決め、新たに借金をして送迎用の中古バスを2台購入した。
住まいは従業員が紹介してくれた内陸部の農家の倉庫を借りた。家族4人で暮らしている。新たに石巻市小船越に構えた会社事務所と車庫も、貸主の好意で安く借りることができた。
屋上の観光バスをめぐっては、震災遺構として保存を望む声もあったが、被災者感情に配慮した市が撤去を決めた。
1年ぶりに地上に降りたバスを見ると、風雪に耐えた車内は意外なほどきれいだった。いとおしさといたわりの情がこみ上げてきた。運転席にあった無線機は、取り外して別のバスに付け替えた。
旅行会社から受注して仙台空港やJR仙台駅で客を迎え、東北を案内する観光需要も回復しつつある。青いラインのカラーリングを施した新車の観光バスは、7台にまで回復した。
「借金しても命までは持って行かれない。『何とかなっぺ』と思っているんだ」と高橋さんは気負いなく語る。地域の足、あるいは旅の足として、青いラインのバスは被災地と観光地を駆け巡る。(阿曽恵)
2013年08月25日日曜日