日記帳
SINCE 2000/ 2/ 1
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最近、BBSなんかに出入りしたりしてるんですが、そこで結構、自分のホームページでもご紹介したかった内容を、書き込んでいたりすることがあります。本当は改めてキチンとしたページを起こせばいいんですが、それだと時間が掛かり過ぎて、首が回らなくなっちゃったりするし‥‥。
と言う訳で、ホームページの更新が遅れ気味の時の助っ人の王様、日記帳を作ってしまいました(^-^)。一応無記名の日記は、香織淳士の物ということにしておいて下さい。どうせ、香明とは同一人物ですから。June
bride
氏の書き込みは、その都度名前を入れておくことにします。
ではでは、他コーナー共々、ご愛顧の程宜しくお願い申し上げますm(_
_)m。
日付は正確ではありませんが2013年8月10日を過ぎた頃、この数年間粘着している京都の人物の嫌がらせだと思われますが、http://www.geocities.jp/kaori_atusi/のアドレスが使用不能になりました。
こういうのは『このページのこの内容が不適切である』と言ったことをプロバイダに言い立てて潰すのですが、プロバイダ側は何が問題だったのか教えてくれることはありませんし、しかもどうすればホームページを同じアドレスで再建出るのかも教えてくれることはありません。以前嫌がらせで潰されたときはプロバイダ側ももう少し人間的な対応だったと思うのですが、方針が悪化したのか、以前対応してくださった方が親切に対応して下さっただけなのか‥‥。
ただ、少し馬鹿馬鹿しい気もするのですが、同じプロバイダに違うアドレスでホームページを建て直すことは可能な様です。ですので、いずれは前のアドレスに再建出来ることを祈りつつ、新アドレスで様子見することにしました。
本当は容量の関係で、人形関係の分だけ上げて様子を見ようと思っていたのですが──。古参の方はご存じの通り共通ルートページ下のコンテンツを行き来し易いように丁寧にリンクを張っていた関係で、『お人形さんの王国』だけを抜き出すとどうしても繋がっていないリンクが溢れだしてしまいます。やむなく容量の大きい一般の写真のページをだけカットして、トップページから昔ながらの構成で再アップすることに致しました。ホームページのアドレスが『kyuusai_doll_kingdom』となっているのは、その名残です。
はっきり言いまして、10年以上に渡り更新して来ましたホームページのアドレスというのは、それだけで貴重な財産であり宝物と言えると思います。これは、長い間ホームページを守り続けた方なら、誰でもご共感頂けるのではないかと思います。そう言ったものを説明や注釈も無く、何が問題だったのかや、再建の条件を示すことも無く平気でいきなり取り上げるやり方は、おかしいと思います。
10年以上に渡り(最近の人物に限っても数年)粘着荒らしから激しい嫌がらせを受けながらも裁判を起こせなかったのと同様、今回もお金がないので訴訟を起こす訳にも行きませんが、裁判を起こせばそのことはある程度以上は認められるのではないかと思います。いつかプロバイダの鼻を木で括った様な対応が、きっと改善するものと望みたいですね。
愚痴のようになってしまいましたが、元のアドレスで復活出来ない場合、友人の勧める容量の大きなFC2に移転する可能性もありますが、折角ここまで辿り着いて頂けました皆様には、引き続き遊びに来て頂けますと恐縮です。そして悪質な嫌がらせを続ける粘着荒し氏に付きましては、二度と見に来るな!と言いたい。
(2013年 9月 2日追加)
人の書き込みを見掛けたら、2ちゃんねるで荒らしの募集掛けて、掲示板の機能を悪用して片っ端から人の書き込みを削除して回るような糞を取り締まる法律って、何時になったら出来るのやら。
よく『荒らしは放置』と書いてる書き込みがありますが、あれの過半数を書き込んでいるのは荒らし本人です。荒らし放置で利益を得る人間は誰ですか?勿論荒らし本人です。荒らしがのさばっていて気分の良い人は居ません。
荒らしへの唯一正しい対応方法は、発見次第の削除以外全くあり得ません。これは、粘着荒らしの相手を何年も続けてきて辿り着いた、唯一正しい対処法です。
しかし現実には、何を考えているのか荒らしを放置したがる管理人は多いです(多分ページビューが増えて、注目度が上がるからでしょう。自分が荒らしの粘着対象になるのが面倒というのも、無いではないですけどね)。そういう時は、一人でも多くの人が荒らしへの不同意を明言することが、次善策と言えます。でなければ、その掲示板の平穏は保たれ得ません。荒らしは、放置しておくと増長するだけです。
荒らしは自作自演が大好きですが、結局のところ、自分が否定されることが大嫌いなのです。荒らしは『空気読め!』という書き込みが大大大好きですが、それって『俺の言う通りにしろ』って言う意味であって、何時でも一番空気を読めていないのは荒らしその人です。そして、荒らしは自分が否定される環境には長時間滞在できません。『空気読め』と言う荒らしの書き込みには、『お前が空気読め』と皆でレスを付けることも、対処法としては有効だと思われます。
IP表示のある掲示板を見ていると良く判りますが、荒らしは3つ程度のIPを確保している場合が多いです。そのうちリセットでIPの変わるものを使っている場合は、毎回リセットを掛けてきます(なんかそういうのに使えるサイトがあるという話もありますが)。そして、荒らしは知能が低いのかウッカリさんなのか、IPごとの役割分担をしょっちゅう間違えます。結局のところ、自作自演というのはIP表示掲示板では結構簡単に見抜けます。
二つ以上のIPで一人の人を攻撃している奴が居たら、そいつは常習的な荒らし野郎です。出先からと自宅からでIPが変わる場合もありますが、自作自演目的の場合はそれぞれのIPで交互に書き込んできますから、そういうのとの見分けは簡単に付きます。
そういうのを見付けた場合は、管理人としてアク禁にされることをお勧めします。常連書き込み者であったとしても、常習的に個人攻撃荒らしを繰り返しているようなメンバーは、その場には必要ありませんよね?
世の中から、荒らし野郎が撲滅されるといいですね(^-^)!
(2013年 1月18日追加)
晩婚化の原因は何?とかいうスレッドがどこぞの掲示板に立っていたんですが。
晩婚化の一番の原因は政府というより、バブル期に女性の多くが、無闇と高収入信仰に走ったせいだと思う。男の年収1千万が底とか、当時でもなかなか無理な要求でしたから。そこまで行かなくっても、金しか興味の無い女性達の欲求を不完全ながらも満たせるようになるには、部課長クラスくらいにはなれる年齢でなければ達成出来ません。となれば、嫌でも晩婚化は進行するわけで。
とは言え最近の晩婚化を引っ張る原因は、夫婦での可処分所得と教育費とのバランスもありますよね。と言うか共働きでなければそんな金は稼げない。しかし子供が出来たら妊娠数カ月で女性は会社をリタイアすることを事実上強要される──。だったら結局、子育て期を支える収入が無いやん?!
これに対する答えは、実はあります。簡単な話で、今の会社に頼った家族手当や年功序列型賃金に依存するのを止め、子供の育成・教育段階に合わせた国家助成による所得調整を軸に切り換えればいいのです。
そうすれば、会社で頑張れば所得は増えるかもしれないけれども、それは贅沢に回せば良い。勿論教育に回すのもありです。でも、所得の少ない家庭でも、所得の多い家庭でも、効率であれば安心して子供を学校に通わせることが可能になります。子供の数だって、別に二人と言わず、三人でも四人でも関係ありません。親の所得が月十二万でも、何人もの子供を養いながら教育の心配をしなくて済むようになるのです。
子供の養育費・教育費と所得の分離は、実は高齢出産の増加の問題の解決にも繋がっています。今どきの夫婦だと、三十代の会社員でも子供を持つのを躊躇するレベルです。しかし、別に学生結婚でお互い十八歳で無収入でも、これなら極端な話親に迷惑を掛けなくっても子育てが出来ます。
まあそもそも、核家族化で親の労働力支援を受け難くなったのも、小子晩婚化の原因の大きな要因なんですけどね。
何にしても、日本ではそんなドラスティックな改革は、やんないでしょうけどねー。世の中で100人に一人位は、同じ結論に達せる程度のヒントが転がっていた筈なんですけど。でも寡聞にして、そういう法案が提出されたというお話を聞いた記憶がございません。
(2013年 1月14日追加)
未だに政府は『インフレだ!インフレターゲットだ!!』と叫んでいるが、じゃあ日本の国際競争力が落ちた理由は?と聞かれて、『物価高』とか『高賃金』と認めない人は多分そんなに居ないんではないかと思う。
だったら、デフレは日本の敵なのではなく、平均賃金を下げる唯一の機会を作ってくれている好機と考えるべきなんではないかと思うんですけれどもね。正直、延々と円高が続いてデフレが続く様な機会、終わってからいくら望んでもあり得ないと思う。そして日本の平均賃金が下がったとき、いい加減デフレも収まってくるだろう。
そもそも日本のデフレは『円高=国際的な為替換算上の物価高』が原因であって、日本人が安くものを作った結果でもなんでもない。だから海外製品の安さを利用して、日本国民の分を過ぎた高賃金を是正しようと言うわけだ。
論理的には、インフレに転じるまでは日本の競争力は上がり続けるので、そこまでは円高が続く筈。その間外国製品を使ってデフレ基調を続け、それを原資に賃下げを続ければ、当然国際競争力が向上した結果として景気が上向き、いつかは賃上げ要求が突き上げてくるだろう。そもそも賃金は下がり続けているので、国内製品の価格競争力が高まるに従って、いつかは外国製品がデフレ要因から寧ろインフレ要因に転じる瞬間が来る。
賃上げ要求とインフレへの転換はどちらが先にせよ余り変わらないタイミングで来るのではないかと思われるが、このとき、円はようやくにして大幅な下落に転じるのではないだろうか。異様な円高にも、いい加減辻褄合わせ局面が訪れると言うわけだ。
まあ賃下げと言った瞬間に、『ナニ、賃下げだと?!?!そんなことしたら、生活が困難になるじゃないか!!』という大合唱が起こるだろう。ご尤も。それをやってくれたのが、所謂『小泉改革』という奴ですね。
景気は一時的に良くなりましたが、大衆市民の生活を破壊した結果として、今日の日本の不景気に終わりが見えない要因にもなっている訳です。何しろ大多数たる購買層が生活資金に事欠いているというのに、景気なんて上向く筈が無い。
企業栄えて市民生活廃るっていうのが、『小泉改革』の『果実』だと思います。
私の言う賃下げのメインターゲット層は、『小泉改革』とやら言う明白な『改悪』で割を食った新生派遣社員層ではなく、改悪の恩恵を一人啜ってきた正社員層のことです。勿論、役員や社長連中の賃金はもっとドラスティックに下げるべき。アメリカ式貴族制度から、企業内の搾取率を下げる方向に賃金政策を転換する訳です。
正規社員が高給取りばかりになり、多数派だった平凡な社員はクビを切られ、派遣社員に貶められてしまった。この派遣社員層の賃金は据え置く代わりに、社員から役員、社長と行くに従ってドラスティックに賃金をカットすることに拠って、高給取り連中が消耗していた企業競争力を価格競争力に転換するわけです。
アメリカ式賃金制度でカルロス=ゴーンに何億も支払う代わりに、もっと低賃金で働く社長さんを据えて自分自身の給料からコストカットして頂くわけです。平社員や、派遣社員のコストをカットするのではなく。
その先には、平社員と派遣社員の給料が横並びになったときに、派遣社員の正社員化を視野に据えなければ日本経済の長期的な安定はあり得ません。と言いますか考えてみれば明白なお話ですが、不安定労働者であり、且つ季節的労働力の調整要員として取り扱われる派遣労働者は、正社員よりも寧ろ高給で雇用されなければ理屈にあいません。何しろ、いつクビになるか判らないのですから。正社員は安定した身分と引き換えに、給与体系的には寧ろ低賃金であるべきでしょう(企業競争力的には年功序列なんて無意味。代わりに政府と合同で子供手当て、教育手当てという形で、子育てと教育を担保するのが妥当だと思います)。
但し、底辺階層もデフレが進むに従って、物価スライド方式で賃金を順当に下げていかなくてはなりません。日本の年金制度が加速度的に瓦解しつつある要因の一部は、予想以上の不景気から来る金利低下(正確には不景気対策からと言うべきか?)も勿論ありますが、デフレに対する物価スライドを避けたことから来るモラルハザードも大きいと思います。『物価が上がったから年金を上げろ!!』と叫びながら、物価が下がったのに年金を下げないのでは経済合理性に欠くとは思いませんか?この辺のことをバックレてきたことが、年金制度の崩壊を加速させていると思います。と言うか経済合理性を欠く一切の施策は、政府・企業を問わず長期的に成り立ち得ません。
以上書いてきたことは、日本の労働環境の常識からは著しく逸脱しているかもしれません。と言うか、それを承知で書いています。ただ、『給料は一方的に上がっていくべき。物価は一方的に上がっていくべき』という日本人の常識、いや、世界にはびこる常識の、そもそもどこに合理性があると言うのでしょうか?
人間に取って一番大切なのは、『今日を生きられ、多分明日も生きられるだろうという希望』だと思います。そこには、『明日は賃金が上がる』というのは別に含まれていないと思います。
日本企業の競争力が上がったわけでも、大当たり製品を出した訳でもないのに何故か賃金は上がり、景気が悪く業績が悪化しているのに、何故か物価スライド分と関係なくベアがアップする。このベアアップの部分が、日本を高人件費大国にした一番の癌だと思います。
なる程労働組合の役割は労働者の権利を守ることですが、一方的な賃上げ要求は会社を傾ける、即ち労働者の生活の安定性を破壊する方向には作用していなかったでしょうか?本来労働組合の役割というのは、出世を餌に会社に支配されるのではなく、会社の対等なパートナーとして経営と労働者の処遇のバランスを取りながら必要な提案をし、その中で社員の生活を守っていく、そういうものなのではないかと思います。
そしてその為には、今は物価スライド式で賃金を下げていき、また高給取り層には賃下げを飲んで頂くこと。それが日本が取りうる唯一の、『明日も多分生きていける』方策なんではないかと愚考する次第です。
念の為にもう一度書いておきますが、デフレと円高が続いている今、今このときしか、この処方箋は国民に優しくは機能しません。グズグズしていて前提が崩れてしまえば、今以上の生活苦の中での日本再建となってしまう訳です。どっちにしても、日本に取って賃下げ以外の処方箋なんて、天才的な企業家の大量発生等という非現実的な回答しかないのですから。
贅沢な暮らしなんてなくても、のんべんだらり安心して生きていければ、良いとは思いませんか?
(2012年10月15日追加)
実を言うと小学校か中学校の時だったか忘れましたが、苛めをやってる連中を告発する文章を用意してから自殺して、奴らを社会的に末節してやろうとかなり本気で考えたことがあります。結局『後の人生が思っているよりましなものになったとしたら、腐った連中の為に死んだら阿呆らしい』ということで、後の人生が好転することに賭けた訳ですが──。残念ながら、賭には大いに失敗しましたね(苦笑)。
それからしばらくして、丁度似たようなことを考えた子供の自殺事件の報道が相次いであったのですが、結局告発文は全て握り潰され、告発される筈だった子供達の名前が新聞・雑誌を賑わせることはありませんでした(今ならネットで名前がバラ撒かれちゃうかもですが)。そもそも新聞記者が事件を取り上げなかったら、その事件は最近あった事件と同様、隠蔽されていたでしょう。それ以降幾つもの自殺事件が同じ経緯を辿ったのを見て、あの時犬死にしなくて良かったと胸を撫で下ろしたものです(現状は寧ろ当時やらなかったことを後悔していますが)。
ところで一連の苛めによる自殺事件を見ていると、教育委員会と教師の動きが物凄く大きな影響を与えていることに気が付きます。子供達がどんなに過酷な苛めを行っても、何も言わなくても事件を隠蔽し、無かったことにしてくれる強い味方が存在している訳です。それは呼んでも叫んでも現れないスーパーヒーローと違って、どんなときにも現れる、それはそれは強い強い味方です。
そう、教育委員会と教師達は、苛めを行う糞餓鬼共を守り、絶対安全に酷い苛めを行うことが出来るよと示唆し、教唆し、苛めを行わせているのと同じことなのです。それは、苛めを行っている当人以上の凶悪犯罪とも言えます。
なので、今後苛め事件を隠す教育委員会や学校・教師が存在した場合、苛め事件の結末(自殺事件の場合は自殺ではなく、殺人と解釈すべきでしょう。実際、嫌がらせで追い詰めて殺しているのですから)から主犯に果たされる刑罰を、苛めの実行犯と同様に負わせるという法律を作るべきです。そうしなければ、苛め事件の凶悪化が止まる訳がありません。勿論、少年法ではなく大人向けの法律に従っての、適用です。
はっきり言えば、今まで教育委員会と教師達が苛め事件を徹底的に隠匿するという風習がなければ、苛め事件の実行者達は事件の露顕を恐れてあまりエスカレートはしなかった筈です。そういう意味で、苛め自殺事件の過半数に対して、教育委員会と教師達は責任がある。故にこそ、今後苛め事件を隠匿した者達には、苛めの実行者以上に過酷な刑罰を果たす必要があるわけです。
でもそれ以上に気になるのは、彼等がああすると判っている状況(今まで何度同じことが起きましたっけ?)では、いじめを行う方はノーリスクで、なんでもやり放題だっていうことです。事件が重大であればある程積極的に隠してくれる訳ですから、実は苛め事件を促進しているのは事件を隠匿する教育委員会と教師たちと思っていい。
なので今後はああいう事件隠しに対しては、事件を教唆し促進したものとして゛事件の主犯格と最低でも同等の懲罰を果たすべきなのではないかと思います。でなければ、自殺を伴うレベルの苛め事件はなくなる筈なんてありません。
(2012年 7月14日追加)
ふと某掲示板の某アニメに関するスレッドで起こった、楽しい出来事を思い出してしまいました。
そのスレッドはその掲示板で何度も立っているスレッドなのですが(回転が速く数時間で消えてしまうので、毎日の様に立て直す必要があるのです)、そこに毎回『その作品は詰まらない』と言って同じ内容を書き込む、熱心な粘着アンチ君が存在していたのです。別に一回書き込んで去っていく位なら誰も気にしませんが、スレッドが立つたびにしつこくしつこく何度も同じ様な内容を書き込みます。当然スレッド参加者はウンザリしていたのですが、どうすることも出来ずに困って下りました。
でそれは、いつもは深夜に立つスレッドが珍しく朝方立った時のことだったのですが、突如その粘着アンチ君を萌えキャラ化しよう!!という動きが産まれました。
『キャー、アンチ君格好いい!!萌え〜
』
『可愛いアンチ君いつも遊びに来てくれて有り難うね!!アンチ君ラブ
』
『嫌だわ、磨り潰してしまわなくては』
『ラブリー、ラブリー、ラブリーアンチ〜



』
とかまあ、記憶力の問題から内容の不正確さはどうしようもありませんが、ノリとしてはそんな感じの見事なまでの萌え殺し振りです。珍獣の出現を褒め殺しするような感じですね。以降そのスレからは粘着君が消えただけでなく、面白いことに以降のスレにもその人物はほとんど現れなくなりました(1ヶ月程経って、チラホラまた出て来たけど)。
でまあ、個人攻撃荒らし君に対して丁度いいネーミングを思い付きましたので、そのご提案を。その名も隅落(すみおとし)。
隅落は空気投げとも言われていますが、荒らしの行為ってネットの匿名性の陰に隠れてコソコソと、何もないところで相手に向かって柔道の投げを決める行為に似ていると思いませんか?相手も眼の前に居なければ、観客すら居ないのでブーイングの心配も無いのが何とも言いかねますが。
と言うわけで下らない荒らし君が現れたら、その空疎な強気っ振りを揶揄する意味で、
『キャー、隅落ちゃんキター(>_<)!!萌え〜。』
『今日も空気を投げているんですね、カッキー!!』
『尊敬しております、隅落ちゃん!
今日も鋭いエア投げ、決まり捲くりですね?!』
『エア投げだけに、空気が滑った?!』
『やーん投げがマンネリになってますよ?隅落ちゃん。
流石は隅落ちゃんだけあって、技がエアー投げ一本槍だね萌え〜。』
『隅落ちゃんモエモエ。』
『嫌だわ、早く磨り潰さないと』
まあこんな感じで萌え萌えして差し上げることをお勧めします。数十コメントもそういうのが並んだときは、流石に可哀相になってきましたけどね(もっとやれー!!)。瞼の裏には、彼が涙目になっている姿がくっきりと眼に浮かぶようでした。
あの時は皆スレを保存すると口々に言っていたのですが、ログが上がったという噂も耳にしないので残念なことです。正直荒らし対策としてこの萌え殺しが生まれたスレは、伝説に残り得る素晴らしいスレだったのですが(’-’)。
(2011年12月 2日追加)
眼の前に女の子が居ます。時間を掛けて口説けば和姦ですが、有無を言わせずいきなり押し倒せば強姦です。
ってな話を主語を付けずにしていたら、いきなり勝手に『強姦』という言葉を付けて吹聴する人が居ました。相手はあなたと対立する立場に居るために悪意を持っています。あなたはあっと言う間に世間で吊るし上げられ、仕事を失って日本国民の敵となってしまいました。
なんてなことを主張している人が居る訳ですが、いきなり『強姦する前に予告する奴が居ますか?』と説明する奴が居るというのよりは、お話としては信憑性を感じます。
でも問題は、どっちが取り敢えずその場の事実として、正確なことを言っているか、でしょう(どちらも正確でも正しくも無いことを言っている可能性もあり得ます)。なぜなら人間はきちんと言ったつもりでも、言い間違えていることもありますし、聞いた方も聞き間違えることがありますから。眼の前で言われている内容を、全く全然違う意味に取られる様な状況も、10年以上も生きていれば何度も目撃する機会はあることでしょう。
勿論、後から証言を捏造しようとすることだって多々あります。
ただ別の論点として、酒場で話し合おうっていう時点で、腹を割って話し合おうという前提は明らかにあるのでしょう。『完全にオフレコでな』と言うというのは、相手のことを信頼すればこそです。
もし『どうとでも取れる内容』で現場で聞き返せば訂正されてしまうから、こっそりこのまま持ち帰って悪い方向に曲解してやろうというのであれば、それはマスコミの仕事ではなくアジテーターか詐欺師の仕事の領分でしょう。カス取り雑誌を自認しているならともかく、世論に関わる報道に携わるものがそれをやってしまったとしたら、首を括って国民に詫びるレベルの問題だと思います。
居酒屋での会合とは言ってもお仕事としての取材なら、取材側はお酒を飲んでいないかもしれませんが、会社に持ち帰って緊急招集を掛けて報道するかの相談をしたのなら、他の記者は既にホロ酔い気分であった可能性も無いではありません。そうなったら、記者が主語を勝手に丁稚上げたことについて、確認する人が一人も居なかったかもしれません。まあ、素面で聞いててもそんな可能性には思い至らなくっても不思議がない位、事前に見抜くのは難しい問題ですが。そもそも話を聞いてきた人物が、皆に説明する前に頭の中で無意識に記憶の細部を改竄してしまい易い状況でもありますし
頭の中で意訳した内容を、相手がそのまま話していたと誤謬するのは割とよくあることですよね?
この辺の一つ一つの事象が検証されて初めて、『強姦話』をしたとされる人物が本当に『強姦』と付けて話していたのか、話の内容は『女の子とエッチをしたい男』の話だったのか、そもそも話者は下らなくも致命的な言い間違いをしたのかしなかったのか。そして新聞記者は聞き間違えたのか悪意を持って話を捩じ曲げたのか、オフレコを公開するというマスコミと民主主義に取ってとても重大決断を、素面でやったのか酔っぱらってやったのかといったことが、少しでも解明出来る前提が整うのではないかと思います。
親と話していて感じましたが、気分的にヒートアップした民衆は既に、『事実はどうでもいい』という状態の様ですので、今更検証しても全くの手遅れなんですが、それでもきちんと検証をすることが大切なのではないかと思います。下手をすると、一記者と新聞社による一大スキャンダル事件である可能性も、政府の役人が下衆びた失言をした可能性と同じように、そこに存在しているのですから。
だって考えてもみてください、彼等のやったことを考えれば、今後政治家や役人は一切のオフレコ会見を、取り止める危険性すらあるのですよ?その原因が故意の曲解であったという結論に達したならば、世界のマスコミ業界(それは民主主義を支える根幹です)を揺るがす程の、大スキャンダルであるという自覚を、当事者も、他のマスコミも日本人も持っていない様に感じるのはとても危険なことであり、残念で且つ不思議でなりません。
ということでこの事件の綿密な真相究明は、日本の政治とマスコミ史にとってとても大切なことだと感じる次第です。感情に訴える、市民の判断力を奪う誘導記事ほど、危険なものは無いのですから。
ところでどうでもいいですが、私個人は基地移転反対派です(だって環境破壊を広げるだけでしょう?)。残念ながら中国の海洋大国化に伴って米軍のプレゼンスの必要性は増すばかりですが、外交の力で中国の空母配備をポシャらせた上で在日米軍に日本からご退場頂けるよう、環境を作るのが政府の仕事だと思っています。
だからって、誤った報道で世論を誘導するようなやり方は無しだという思いから、事実はどこにあるかの検証を求める所存です。そんなやり方は、政府にも、一新聞社にも認められるものではありません。
(2011年11月30日追加)
私は普段自分ではテレビをほとんど点けないのですが、民放とNHKで地震速報の速さが全然違うじゃないかというネタを見ていて、ふと思いました。ネットでも地震発生時はサーバー側で、表示ページの先頭に避難警報を自動的に付加するよう義務付けるといいんじゃないかなと。そうすればネットを見ている人もせめてはページの切り替わりの際に、たまたま地震速報を眼にするチャンスが増えると言うものです。
世の中、誰もが四六時中テレビやラジオを聞いているものではありませんから(増してや今のご時世ですからね〜)。
機能的に見て、強制表示付加は避難警報だけにして、同時に政府の自動速報ページに対するリンクが表示されると良いでしょう。リンクの飛び先では短時間に何千万のアクセスが予想されるので、テキストだけの非常に軽いページにすることが必須でしょうね(その方がブラウザ側でページ内検索を掛け易いですし)。そうでなくてもとんでもない回線処理能力が要求されるのですから、グラフィックだPDFだで思いページにする必要は全くない(何かでそういう酷いことをやっているページがあったと聞いた記憶が)。そういうのは別のページ、別のサーバーでってことです。
まあ何をやろうが結局即パンクしそうなページですが、やるのは政府ですからね。もし仮に実現するものならば、何とか回線とサーバーの確保くらいは頑張って頂きたいものです。でも2〜3KBの重さでややこしい処理の無いシンプルな構成のサーバーであれば、10分間で数百万アクセスなんていう負荷に堪えるシステム構築も、全く不可能という訳ではないんではないかと思うのですが(可能だといいな〜)。
でもし実現するならば、ですが、政府のサーパー負荷を分散させる為に、各プロバイダのサーバーが速報でリンクするアドレスは、クライアントのアドレスを見て自動選別で地域ごとのサーバーアドレスを指定し、クライアントのアドレスが取れない場合はプロバイダ毎に割り当てられたデフォルトアドレスを表示することにします。これで政府側のサーバーがパンクするリスクをかなり減らせるんではないでしょうか?
まあ少なくともその地域に合わせた情報が表示されるとすれば(その記載内容の振り分けと自動作成は、閲覧用の政府サーバーを統括するサーバーが一括して行い、そのサーバーは閲覧用には使用しない)見ている方としても、地元の適切な情報に誘導される可能性が高くなります。例えば今回の地震だと、和歌山辺りだと最初に知るべきは津波警報だったでしょう。そのあと福島県を中心とする地震情報が表示されれば知りたい情報は大体得られます。
勿論福島県の方がアクセスするサーバーでは、地元の地震情報と津波警報(そのタイミング次第で重要度・緊急度は変わる)が優先されます。今なら、原発の危険度や避難情報も含まれます。但しこのシステムの第一義は地震計や津波観測と直結した速報なので、図表を使ったような重いページは、基本的に他のシステム・サーバを使って表示するようにします。
って今ふと気が付きましたが緊急速報の方で、地域毎のリンクを示してもいい訳か‥‥。でもそれをやると特定サーバーに負荷が集中するから、やっぱり止めておいた方がいいですよね。
勿論上記の様なシステムを実現するためには、速報システムを各プロバイダに搭載させるよう法律の改正やシステムの開発が必要ですが、今回の惨事を見ていてそれはやるだけの価値があるのではないかなと私は思いました。この考えに賛同される方は、積極的にこちらにリンクを張る等、何らかの働き掛けをしてみてもいいのではないでしょうか?
尚、本当にシステムを構築した場合は、数時間でトータル1千万アクセスを余裕で超えると思いますので、くれぐれも表示側は軽快なページでなくては話になりませんので、この点だけは改めて強調しておきます。画像情報の方が判りやすいのは事実ですが、だったら色数を減らして最小限のサイズにして、数KB程度まで抑える努力は必須ですよね。多分それでも、データが重過ぎて肝心なときにサーバーがパンクするんじゃないかのかな。
兎に角。原子炉の格納容器が吹っ飛ぶか?(それ即ち、即数千万人が重度の核被爆を被る、超チェルノブイリ級の大惨事。アメリカが日本政府以上に慎重な安全領域を設定しているのは、多分これを想定しているせい)という瀬戸際で放射能汚染された蒸気の屋外排気を恐れ、建屋内に爆発性気体を排出する(この時点で外気を入れた時点で爆発しない方が不思議な状態で、格納容器に重大被害が無かったとすれば、これはただの僥倖です)ような国民性の国のやることなので、優先順位の付け方を判っているのかはかなり不安ですが‥‥。
とまあ、余りにも緊急な提言なので、ちょっと時間を取って、久し振りに真面目に更新をしてみました。いやまあ、余所の掲示板とかに書いた内容を、編集し直して見直しただけだったりもするのですが。
(2011年 3月20日追加)
耐震強化型の木造建築と、従来基準の木造建築を地震発生台に載せて比べた映像がテレビで流れていましたが‥‥。あの壊れ方を見て、何やかやと言い訳をするのは、奇怪しいと思った。つーか『今のやり方』の耐震補強が考え方から間違っていることを、あの動画は証明してくれていると思う。潰れているのを見ての後知恵ではあるものの、逆にああいう潰れ方をするのは必然だよなと。そのことを、あれを見た後になってまでも否定し続けようとするならば、それはもう科学者とも技術者とも言えないだろう。
元々補強金具を使った木造建築の耐震補強の考え方というのは、想定した震度・地震波の性質内『では』壊れないという考え方。しかし耐震補強用の金具を見たことがあれば判ると思うけれども、あれって限度を超えると、一気に強度を失ってしまうよね。それについては、振動台の実験を見るまでもなく一目瞭然な筈だ(見て判らないならば、センスがないから耐震建築に関する舞台から下りた方がいい。鉄の薄板素材は、一定以上変形すると強度がガタ落ちして戻らない)。
また斜交い。これは『剛性』を上げる発想な訳だけれども、元々日本式の家屋設計というのは『免震』であって、だから斜交いを増やすということには昔から違和感はあった。どうして日本家屋が免震構造を取っているかと言えば、『過負荷が掛かれば軸である木材が折れてしまうから』。斜交いの存在は、この考え方を否定している。
日本の家屋の柱の太さは、元々剛体構造を前提としていない訳だ。そこに斜交いを持ち込むことは、強度計算を一度ふいにするということである。多分斜交いを重視する人達は、このことを全く意識していない。そこに疑問を感じる訳です。確か昭和何年かの耐震基準の変更で柱材が太くなった記憶はあるんだけど、結局それでも剛体構造で支えられるのは、せいぜい二階建て位までなんではないかと思う(生憎と強度計算の専門化ではないので、式を組んで算術上の証明を出来ないのは残念だ)。
そういう意味では、今回の振動試験が三階建て以上だっだのは、見かけ上木造住宅メーカーには不幸だった様に見えるかもしれないが、寧ろ極めて幸運だったと言えるだろう。私にとって不幸だったのは、住宅メーカーに対して木造家屋に関する免震型構造について売り込みをしようかと企んでいたのに、その前にあんな映像が出てしまったことだが──。私が売り込んだ後だったら、とても有り難いタイミングだったのに(笑)。まあ、ズボラこいて売り込みの実行はしないままだろうけどね(声掛けて貰えたら、行きますが)
木造高層建築(三階建て以上)の構造についてのヒントは、五重の塔や城郭建築に、千年以上も前から既に答は示されている。弱点は、設計が難しいことと、施工技術が要求されるであろうこと、そしてコストか。あと、下の階よりも上の階の方が細くなくてはならないことかな。軒が重いことが耐震性から不思議だと言われることがあるけれども、寧ろ軒は重くなくてはバランスが取れない訳で(何しろ上の階の全てとバランスしなくてはならないのだから、瓦の載ったあの重い軒の方が寧ろ機能的ですらあるかもしれない)。寺社の建築は極めて高度で恐らく城郭の数倍の耐震性があるのかもしれないけれどもコスト的に今のチープな建築に転用するのは難しく、もう少しシンプルな城郭建築の考え方でも充分に利用価値はあるだろう(基本構成は一緒みたいだし)。
一方現在行われている木造建築の耐震補強の考え方も、改善すればもう少し使えるものになるかとも思ったけれども‥‥。結局のところ、そんなものは捨て去ってしまった方がより合理的で、明らかに効果的だろう。少なくとも木造という時点で材質の強度上、上にも書いたけど通用するのは二階建てまでが精一杯だろう。特に、一階の端(この端というのが最悪な訳だけれども)に駐車場を設けた建物では、木造で剛構造というのは論理的にもあり得ないと思う。トイレか階段室位の幅が取れれば、話も変わってくるだろうけど(敷地に依っては、その時点で反対側には風呂場が置けたらいい方だよな)。
上屋が剛体として振る舞うのであれば、建物の足元に近いところほど剛性を上げざるを得ない。なんでそんな常識が建築業界には存在しないのか不思議で仕方がないが、その常識の欠如が『足元が折れました』というあの倒壊の答えなのは一目瞭然だろう。免震・いなしの考え方に戻らないと、日本の伝統的木造建築物は地上から消え去るしかないと思うし、斜交いの数を規定した建築基準法は廃止して改定すべきだろう。構造を規定すべきは、柱の組み合わせ部位の柔軟性と折れ難さだ。柱そのものの太さを増やすのは、柔軟性を持たせた上で柱の垂直を確保する上でも、意味があると思うが。最悪、クレーン車かパワーショベルで横から押して戻したときに、元の形に戻ってくれればそれでいいんだけどね。
ところで私が住宅建築会社に売り込もうとしたそもそものアイディアの一つの柱は、壁面を緩やかに壊すことによって構造を守ろうというもの。日本の建築は元来、竹を編んだものに稲藁を練り込んだ土壁で覆うものだ。実はこの構造は鉄骨鉄筋コンクリートに近いが、一番の違いは壁には壊れて頂いて柱のみ再利用し、大きな地震の際には全体が倒壊するの防ぐのを前提としていること。鉄筋コンクリートでは壁そのものの強度が建物の強度だから壁を大切にするが、日本家屋は完璧に柱構造である。壁の存在は風雨を防ぐと同時に、地震の際にはゆっくりと壊れてエネルギーを吸収する緩衝材でしか無い(テレビで変形エネルギーを熱に変える素晴らしい発想を宣伝しているが、果たして何度もの地震のエネルギーを吸収できるのかどうかは疑わしい気が‥‥。となると一度作動してしまうと、結局壁ごと交換なのではないかという疑問が。また一度の地震の途中で容量をオーバーしてしまったときどうなるのか。実際どうなんだろう?)。
壁は塗り直せるが、柱の壊れた家は土台から立て直すしか無い。だったら、木造プレハブにして壁はユニット化して地震の度に取り替えればいい。地震保険や積み立てをするにしても家全体を立て直すよりお互い低コストで済むし、家はより安く、地震に対して『安心』になり(勿論『無傷』ではないが、その変わり失われもしない)、住宅屋は早急に補修を済ませるというサービスを提供することが出来、それが商売にもなる。あわよくばこのユニット化された壁面を規格化出来れば、壁面の性能を競った上で施工業者以外のメーカー品でも壁補修に使用出来ることになるだろう。これはメーカーに依る修理の囲い込み化よりも、全国民的に大きなメリットになる。そして大きな地震があったときには、全国の業者から必要な壁材を早急に取り寄せることが可能になるのだ。工期自体も短くなるので、施工の順番待ちも短くなる。性能の良い壁面を提供できたメーカーは、極めて高い評価と受注を得ることも出来よう(品質の悪いものしか作ることの出来ないメーカーに対して気づかう必然性は、私は知らない)。
因みに、『壁を緩やかに壊す』と書いたけれども実は壊れる必要は特に無い訳で、理想的にはカーボンファイバー、その他柔軟性を維持したファイバー(ロープを含む)レジステッド素材を使った免震壁を提供する業者があっても良い。と言うか元々こちらを軸に売り込もうかとも思ったのだけれども、よく考えてみると住宅価格がベラボウになるので諦めたと言いますか‥‥。ただ、壁面のユニット化が達成されるのであればそういう差別化された高級壁材を作る会社も当然出てくるし、お金に余裕があればそういう壁材を選ぶ人も出てくるだろう。実際問題として、地震の後の壁面補修費用を考えれば、その部材が充分な性能を持っているならばそれに投資する意味はあると思う。何しろ今はお金があったとしても、二十年後はどうか判らないもんね‥‥。
因みに、『緩やかに壊れる』素材としては、ロープやナイロンネットの様な物で補強されたコンクリートパネルの様なものを考えています。砂利の様な骨材だって、別に耐候性さえあれば樹脂系で軽くしたり柔軟性を増やしたりとか、色々と選択肢はある訳で。
なんだったら難燃性の樹脂素材の井形を斜めに入れて、両側をFRPのパネルで覆って井形の隙間にグラスファイバーを詰め込み、表面を紫外線防護塗料で覆ったり、FRPの代わりに合板で覆ったって良いのだから。要は強度は柱に持たせている訳で、後は2×4の壁としての機能だけあればいい。
あと高層木造建築についても姫路城の骨格模型を見て、昔見た五重の塔の構造図を思い出した訳だけれども、図で示さないと説明し難いかなと。手っとり早く言うと、軒を使って振動をバランスさせて、しかもそれより上に伝わる振幅を低減して(多分1/3位が目標なのではないかと)、しかも上の階と下の階の揺動タイミングをずらして、いろんな振動周期に対して上階に於ける最大振幅が最小限になるようにセッティングしているのではないかと思う。
恐らく設計時には模型を使った検証・検討もしたことと思われるが、軒を使ったオフセット量の設定とかはかなり山勘だったろうと思われ(でなきゃいつまで経っても設計が終わらない)、各建築物の動体解析みたいなことをやってみると面白いことになると思う。もし結果にバラツキが大きかったり不適切な設計もあるようであればただの『山勘』でオフセット量を設定していたことになるし、高度な結果に安定するようであれば模型を使ってきちんとした検証をする習慣があったか、若しくはオフセット量の設定に関するノウハウが伝授され続けてきたということなのだろう。実を言えば、宮大工さんにその辺をインタビューしてみたいのだが。
この考え方は現代の高層建築物でも応用可能であって、建築重量は増えるけれども、肝腎な時に故障していたらどうなるんだ?という機械駆動の釣り合い重りを必要としないという点では、有益なんではないだろうか?どうせ地震があれば上屋の揺動は避けられない訳だから、許容揺動量を予め設計に反映させて強度を決めて、考えられる全ての地震振幅・周期に対してその強度内に揺れ幅を納めることは、今の計算能力では充分に演算可能なのではないかと思う。
ところで折角なので五重の塔の心柱について触れると、最上階以外の軒が上階を重しとして支えられているのに対し、最上階ではそれが無いことを補うと同時に、仮想の最上階をもう一段上に積み増していると考えれば簡単に説明がつく。同時に、地震の際に最上階に対する空間アンカーみたいな役割も果たしていたことだろう。各階を通して地震の振動は軒で緩和され、吸収された挙句、心柱で仮想的に空中に固定された五階の屋根で強制的に収束させられる訳だ。当然、理想的な設計に成功していたならば、心柱をアンカーとしなくても元々五階の屋根は振動周期と関係なくほぼ揺動の平衡点となっている筈である(私がそこまで見事な設計が可能なのであれば、それを四階か四階と三階の間に置くが)。実際にそこまで見事に設計がなされていたのかは地震が起きてそれをビデオにでも録ってみないと確認は難しいが(でないと専用の動体解析ソフトでも作らないと無理だろう)、でなければ心柱は塔内で暴れて寧ろ建築的にはマイナスになり、とっくの昔に多くの五重の塔は倒壊していた筈である。
何にしても、経験と様式の積み重ねがあったにしても、あのような構造をバランスさせ、いや、それ以前に考案した大昔の建築家は、稀代の天才と呼ぶより他は思い浮かばなくはある。中学か高校の時に教科書に載った図面を見て設計の考え方は理解は出来たけれども、仮に同じ発想が出来たとしても私に具現化はとても不可能だなと肝を潰したものだ。二十年前ならコンピューターを使っても同じレベルで設計出来たかは怪しいだろうし、今作るとしても向上したCPUパワーを活かして、パラメータを適当に打ち込んで解析結果を収束していく様な方法でないと到底正解には辿り着けまい(あいや、それを自動化すればいい訳か?)。先人、恐るべし(>_<)


現代の和風建築は、そこから千年以上遅れているとは思うけれども、まあ予算天井知らずの芸術品と普及品ですからねー(レーシングカーと軽自動車の開きよりも、遥かに差は大きいですよね)。城郭建築は、その良いバランス点を教えてくれているのではないだろうか。もっとも簡略化の分、部材の強度に頼ってる気もするけど。
(2009年10月30日追加)
推敲の関係で以前書いたPHOTOHITOとかいうサイトの利用規約ページ(http://topics.photohito.com/sitepolicy)を改めて見てみると‥‥(って言うか、三ヶ月前に書いた内容すら、まだアップ出来て無かったのか自分
)。投稿写真に関する著作権のほとんどを自動的に没収しますと称する割には、その写真が元で起こる全ての厄介事は投稿者に責任持てと要求してるのねん。
自分の権利は無限大で、但し全く責任は負わない。こんな凄い内容を読んでも投稿し続ける人って‥‥多分山ほど居るんだろうなー。だって、明示的にそこに書いてある内容すら、『そんなことある訳無いじゃないですか(『さよなら絶望先生』の前向き少女風に読もう)』って黙殺してしまえるのが、日本人のメンタリティーですから。ありとあらゆる契約書に書いてある内容でも、似た様な信じられない読み方をするのが、日本人ですよねー。
って、全く笑えねー(T_T)〜。
しかし裁判沙汰になったら、多分この利用規約は余りにも不平等過ぎて、『無効だ』ってことになるだろうな(消費者契約法では『理不尽で余りに消費者に不利な契約内容は無効』ってことになっている様だけど、この規約は消費者契約法の取り扱い範疇に入るんだろうか?そこが問題だ)。だからって裁判に掛けなければそういう見解は取れない訳で、そうなると触らぬ神に祟り無しって路線を選ばざるを得ないと思う。
『自分の撮った写真なんて、何の価値も無いし
』って思うのもいいけど、だからって揉め事が起こったときに無限責任を要求されるのは、堪らないでしょう?それが相手からの見返りは何にもないとなれば、尚更、ね。
(2009年 3月25日追加)
そう言えばパレスチナ情勢。ハマスの糞共がイスラエル側にチャチいロケット弾を撃ちまくって侵攻を促し、『状況』を創り出して支持がグラついた閉塞状況を突破、支持を獲得。イスラエル側はイスラエル側でその『状況』を利用して『父系的で力強い政府』を演出して国民の支持獲得(今、選挙前なんだよ)。今度はファタハ系が白々しくガザ内部からロケット弾打ち込んで再度のイスラエル側の侵攻を挑発。イスラエルからガザへの侵攻がまたあればハマスへの信頼が崩れるという読みらしいんだけど
。
オイオイ、犯人がお前らと判ったら、意図バレバレだろう‥‥。市民の犠牲無視してそんなコスい真似して、本気で支持が得られると思ってるんかいな(イスラエル側は、支持を集めるのに成功したらしいが(T_T)〜)。
結局戦闘も侵攻も『止むなく起こる』んではなく、当事者の都合で『起こされる』ものなんだなーと、今回の動きを追っていて凄く良く理解出来ましたよ。
ところで基本的にハマスがやっている方式は『便衣兵』であって、『一個の市民がテロリストとして行う』分には判るんだけど、『大掛かりな武装闘争組織』がやることとしては、どうなんだろう?正に、『市民を楯にした愚行』と取れないこともない。というか、話し合いを潰すためにやっている面が強く、やっぱり愚行としか取りようが無い。だってハマスは、ガザにおいて『政府』なんだから。
正直ハマスが今後も武装闘争路線を維持すると言うのであれば、市民のスカートの影に隠れるのではなく、また志願者を唆して自爆テロという名の自殺特攻させるのでも無く、『正規軍』としての組織を作り上げるべきだろう。んで、せいぜい軍隊として、イスラエル人の入植地でも潰して回れば良い。そして死ぬときは市民のスカートの影で街ごと巻き添えではなく、軍人として勝手に犬死にすればいい。
これであれば、イスラエルは『報復』と称して、ミサイルが飛んできた地元を街ごとブルドーザーなんかで踏み潰す口実が無くなる。だって、『テロリストと市民の区別がつかない』という、お決まりの言い訳が通用しなくなるからだ。
別に、ハマスの『軍隊』が百回負けたってどうってことはない。新しい部隊を随時組織して、同じ様な(はっきり言えば愚行だが)行動を繰り返せば良い。一般市民の腹に爆弾括り付けて特攻させる覚悟があるならば、自殺覚悟の戦闘に加わる猛者は幾らでも居るだろう(勿論、居る訳は無いが)。
はっきり言えば、イスラエル人の入植者達は『自覚的な侵略者』として参加している『半軍人』である。あんなのは『市民』でもなんでもない。まあ言えば、便衣兵みたいなものである。彼等を幾ら殺したところで、『市民』の死者とは言えないだろう。
『戦闘』で兵士が殺されたことに対して『報復』するなどと言うことが、果たして言い訳として通るだろうか?イスラエルが便衣兵退治と称して百人単位でパレスチナ『市民』を殺し続けていることを考えれば、到底そういう言い訳が可能だとは思えないな。
(2009年 2月 3日追加)
某写真系個人掲示板に書き込んだ内容を編集したものですが、皆に理解して欲しい内容なので、一時的で消えてしまうご挨拶だけでなく、ここにも転記しておきます。アメリカのビッグスリーの衰退と、客は値段の多寡だけでなく、多少なら高くてもいいもの、欲しいものは買うのだとかなんとか、そういう内容の書き込みに呼応してのものです。アメリカは品質向上やお客さんのニーズに応える努力もせず、出来の悪いものを高い値段で漫然と客に売りつけてきた。そんなメーカーが、今後生き残れる筈が無いといった感じでの内容ですね。
以下私の書き込みを掲示板向けからホームページ向けに編集したものです。掲示板の文毎に段落を入れるスタイルって、そのままだと他で使えないのが面倒臭いですよね。
結局メーカーの宿命というのは、努力して他社よりもその条件を満たす製品を作ることに尽きると思います。その結果として製品は売れ、企業は栄える。
ビッグスリーは燃料電池車の時代になったら起死回生が成るという見解の様ですが、多分その根拠は、『開発には金を掛けずに、日本製部品を組み合わせることによって楽ちんにものを作るから開発コストの分安く作れる。俺達の作るものはハイセンスだから、日本製の下らない陳腐なデザインの物よりも物としてなっていくなとも、格好で売れるんだよ』ってことなんでしょう。
しかし開発過程に於けるノウハウが無いから、『より良い製品』は作れません。多分あっと言う間に技術レベル的に立ち遅れて、現状をもっと悪化させた状態になる筈。
これではせいぜいがとこ、性能の悪い低価格製品を作る二流企業という位置取りしか狙えません。しかしそういう位置取りは中国の様な腐っても安い労働コストの国だから成り立つものであって、日本以上に労働コストの高い米国内の生産では成り立ちません。ということはビッグスリーの選択肢は潰れるか海外生産への移行であって、結局今回の救済措置は『自動車産業の空洞化』を生み出すだけと考えるのが合理的でしょう。そもそも目的は、雇用の確保だった筈なんですが‥‥(今ではオバマ大統領も平気で変節していますね。まあ、仕方ないですが)。米国車がプレミアムクラス(まあ、デザインブランドですね)となり得るかどうかは、果てし無く疑問ですし。
今日本ではアメリカ式の株主主権主義が横行していますが、本来この株主というのは企業経営を監督し、将来を含む戦略性を以て企業に投資する者を差します。『投資』というものは、本来そう言うものです。投資者と言われる者の利益は、企業の利益と完璧に合致する存在な訳です。
ところが最近幅を利かせている投資ファンドと言われているものは、企業の経営には全く興味が無く、企業を使い潰しの乳牛の様に捕らえているものがほとんどです。この場合彼等は企業が持っている価値を切り売りして、使い潰したら放り出すのが前提です。投資ではなく投機と収奪が目的ですから、その立ち位置は企業経営と一体で無いばかりか、利益背反しています。
この様な収奪者を『株主』と呼んでそこに主権を与える様な物の見方をしているのですから、アメリカ企業が没落するのは、理の当然ですね。勿論、それに倣っている限りは日本企業も、いつか同じ道を辿るでしょう。
本来株主の存在というのは『投資家』を指すのであって、しからば株券というのはすべからく会社と遣り取りすべきであって、株が市場化して兌換性のみが期待されている株の市場化そのものが、実は資本主義を歪めているのだと思います。だって株券の発行は本来会社が資金調達する為のものであるのに、現実の株式への投資資金のどう見ても九十パーセント以上は、投資(出資)とは全く関係のない株主同士の株券の遣り取りに費やされているのですから。
あと時価会計の考え方も、資本主義を歪めていると言えます。本来発行済みの株券が全部一円の価値も無くなろうとも、投資家が投資したお金は会社に投資されたままです。会社の実態的運営にとっては、全ての株式市場の株式が全部紙になっても、本来的には何の関係も無い訳です(現に株式を全て自社で買い取ってしまった会社も、普通に存続しています。だって株式を発行するのは、本来資金調達の為なのですから。外部資金が必要なければ、株式を発行する必要すらない訳で)。損をするのは、株を他人に譲ることによってお金を得ようとする株主のみ。
これだって本当は、株式を持ち続けることによって損失を繰延べ出来ますし、持ち続ける限りはそもそも損失とすら言えません。株式の価値が下がって大損をするのは、銀行に金を借りて運用している『投機家』だけです(一時資金を株式に回しているのは、投機家と同じ)。長期株主にとって、本来的には株式市場の動き等というものは何の価値も無い他人事なのです。
ところが近年では保有株式に課税したいアメリカ政府の都合によって時価会計が導入され、発行済み株式が貨幣化されてしまいました。結局、株式市場の発生が資本主義社会を投機化し、アメリカ政府が資本主義市場を歪めてしまったということなんでしょうね。
何時までたってもここに書いた二つの観点を以て経済が語られないという事実に、経済学者達は何をやっているのか、とんと首を傾げてしまいます。まあ、現状追認を立脚点に成立する学問が、ことの本質に興味が無いのは当然なのかもしれませんが。
無限の増殖を目標に行動したって、地球が受ける太陽からのエネルギーは一定ですし、地球上の生物代謝量も鉱物資源量も限界があるのですから、すべからく経済発展には限界が伴うと考えるべきだと思うのですがねー‥‥。
(2008年12月22日追加)
ねんちゃ君、わざわざ家のサイトの宣伝をしてくれるのは嬉しいんだけど(いや、現実にはそれすらも嬉しくないんだが‥‥)、自分で2ちゃんねるにスレッド幾つも立てといて『ほら、2ちゃんねるにもスレッド立ってる』って書かれても、ねー(苦笑)。『荒しの火種を付ける』って言われても、荒らしてるの全部あんたやん。しかも自作自演し放題だし(ウチの掲示板では、IP取り違えてそのことを見事証明してくれたよね?)。
かような自作自演のマッチポンプ野郎に付きまとわれるのがどれほど苦通なことであるのかは、多分経験していないとなかなか理解出来ないでしょうね。本音を言うと出来れば想像位は、出来て欲しいんですが‥‥(T_T)〜。まあだからって、他の誰かに同じ思いをして欲しいとも思いませんけれどもね。だって『人を呪わば穴二つ』よりも、『人の幸せを願えば、自分も幸せになれる』ってノリの方が魅力的でしょう(笑)?
何にしても、偏執的な異常行動を伴った人物が何を考えているのかを理解するのが難しいのは、私も認めます。強迫神経症で苦しんでいるだろうことはほぼ確実だと思うんですが、その強迫観念に囚われた原因をどうしても話そうとしてくれないので、困る‥‥。
正直ストーカー事件と同じで、この手の嫌がらせには警察も警察も役に立ってはくれません。だからって後ろから刺された後に犯人が検挙されたって、嬉しく無いんですがねー(T_T)〜。
(2007年 3月20追加)
何か自分で下に書いていて、ねんちゃ君がいつもオプション(ビットとも言う(-_-)v-〜)を二〜三人引き連れて書き込んでる理由が、よく判った気がする‥‥(-_-
)。
因みに下に書いた悪い風評を広める方法って、結局井戸端会議で悪口を吹いて回る手法のアレンジでしかないんですよね。井戸端会議では普通一人のシンパを自分の意見で洗脳して、その人に悪口を吹いて回らせ、自分は頷く役に回るんですが‥‥(自分が能動的に悪口をバラ蒔いていると、バレない様にするため)。ネットでは別IPを一つ確保すれば、その『シンパ』の存在すら必要ありません。自分一人で悪口をばら蒔いて、自分で頷く訳です。
現在のネット関連の法律はネットを使った犯罪者を保護するためにある様な代物で、今の日本では事実上悪意に満ちた中傷はローリスク且つ自由です。しかし本来法律は、『犯罪者を保護するためにあって、被害者の権利を疎外するためにある』なんてことは無い筈です。悪意ある中傷には、掲示板の管理者がIPだけでなく、犯罪者の氏名公表を義務化する法律が欲しいところですよね
(苦笑)。勿論、ショボい個人に対する中傷犯と、思想犯や政治犯とは別ですが(-_-)v-〜。
取り敢えず、自作自演は犯罪であるっていう法律を作るだけでも、かなり違うんじゃないですかね(-_-)?誹謗中傷と自作自演は、とっても仲がいいですから。
プロバイダや掲示板の管理者は、自作自演が判明した時点で書き込み者のIPを曝し、国家機関に通報します。そして被害者が居る場合は、通報があった時点で自動的に、自作自演者の連絡先が被害者に伝えられる訳です。これだけで、民事裁判が物凄く楽になると思います。何せ今は、誹謗中傷の犯人が誰かを知るだけでも、物凄く大変ですから。被告が誰か判らなければ、裁判の起こしようもありません。プロバイダと契約するときは、ネットカフェの使用も含めて身分証明を義務化すれば、法律の実効性も高まります。
え何々、政府は丁度弁護士の数を増やしたがってるって
?おおっ、こりゃー丁度時流にも乗っていますな(○
。○)(苦笑)!!
ま、こういう提案をしたくもなる位に、ネットを使った匿名の嫌がらせは簡単でローリスクだっていうことですよ、現状では。そこには性善説は、何の役にも立っていません。
(2007年 3月10追加)
昨日最終回をやっていた京都の新聞社の記者のお話のドラマ。それの主人公の橋爪ひろし(字、忘れました
)が『新聞の記事になったものは、それが本当のことだろうが嘘だろうが、それが真実になるんだ』とかそういった内容の台詞があったんですが‥‥。
確かにお話としては、『大人として無責任なことは出来ない』というニュアンスの悪くない落ちがあった。でも、『本当は何があったのか?』は結局確かめもしないし(女の子の言っている事を信じたからだろうし、多分事実だったという設定なのだろう)、悪足掻きも何にもしない。『無責任なことは言わない』からと言って、『何をしない』のが大人の取るべき態度なのか?
勿論、学校の権力と恫喝に負けて脱落した生徒達を非難するつもりはないが(だって大抵の日本人がそうすることを知っているし、『大多数がそうであること』を非難しても仕方がない)、男気も何にも無い展開もまた、どうかな〜とか思ったり。だって橋爪氏演ずる主人公が『実はね、あの学校の事件の真相はこうだったんだよ』と書けば、それもまた『真実』になるのだから
。
なんて思っていると、『エイリアン9(私の知る限りでは、史上最高傑作級のSFコミックです)』関連で見つけたサイトに、何か落合由香里さんとかいう声優さんのブログのことが書いてあった。まあ、食生活が何とかという内容です。で、ちょっと興味本位で見に行ったのですが、そしたらネットの掲示板に於ける誹謗中傷に関して書いてあるじゃないですか。
悪口の恐いところは、十人の内九人は誹謗を信じなかったとしても、一人位は信じる人が出てくるということです。そして悪意に感染した一人は、また十人の人に悪口を吹いて回ります。これがネットの掲示板では、千倍の規模で平然と行われます。そして掲示板から掲示板へと、悪意の連鎖は続く‥‥。
『十人に一人』の閲覧者の母数が千人ならば、一つの書き込みで百人の悪いイメージを持った人が生まれてその内の十分の一が連鎖を続ければ、あっと言う間に悪いイメージは広がります。勿論、最初に誹謗中傷しようとした人間は、そのことをよーく知っています。
なんか、『荒らしの相手をする奴が荒らしなんだよ』なんて他人事だからと平然と書く人が居ますが、笑えることに、そう書いているのは最初に誹謗中傷した人物であるかもしれません。と言うか、その可能性は物凄く『大』です(苦笑)。だって自分で火を放っておいて、しかもそれに対するレスポンスを持って相手を『荒らし』扱い出来るのですからね、これ程便利なお話はありません。
で、『荒らしの相手をする奴が荒らしなんだよ』という言葉を真に受けて放置するとどうなるか?誹謗中傷したがっている人物は、延々誹謗中傷を続けます。そういうことをする人は往々にして偏執狂的な気質がありますから、それは毎日の様に何年でも続きます。まだ管理人削除がある掲示板ならいいですが、世の中には無管理を標榜する掲示板は結構ありますので、その様な行為も意外と簡単に放置されます。
結果として、『十人に一人』は沢山生まれます。しかも、その『十人に一人』は、割と人の悪口を言ったり書いたりするのが大好きな人が多いかもしれません。
結局、『一々あいつの相手をしてもな』なんて思っていると、気が付いたら『あいつが反論しないのは、誹謗が本当だからだ』なんていう書き込みが付いて、それを見た中に『やっぱりあの悪口は、本当だったんだ‥‥』と思い込む人が出てくる訳です。それも結構沢山。
あさて、ここでキーになるのは、こうやって『やっぱりあいつは悪い奴だったんだ』という母数は増えることはあっても減ることは無いことです。『あいつが反論しないのは、誹謗が本当だからだ』と書き込んだのは誹謗中傷した本人かもしれませんが、その台詞を何度も見掛けると、人はそれこそは善意の第三者の証言であると思い込む様になります。
ネットの掲示板で中傷書き込みがあると、それを補強する意見がバンバン張り付けられたり、また後からそれが全部自作自演であったことが露顕することがよくありますが、結局そういう効果を狙っている訳です。中にはそこで刷り込まれた意見を元に、わざわざ『そうそう、あいつは酷い奴だからハブにしよう』なんて書き込むおめでたいシンパも出て来ますからね。
結局、ネットの悪意に満ちた悪口なんかは放置すべきでも無いし、鵜呑みにするべきでも無い。寧ろ積極的に排除していくべきだと思いますね。人間、二人の人間が悪口を言っているのを聞くと、『あいつは悪い奴だ』と先入観を持ってしまうのですから。
ネットの荒らしが自作自演が大好きなのも、要はそういうことです。考え様によっては自作自演で無理やりその誹謗中傷を『正当だ』と思い込ませないといけない程、その意見には正当性が無いということですね。
(2007年 3月10追加)
自分は掲示板の住人の質問とかに手助けしようとかいったソサイエティーに資することを一切せず、逆に嫌がらせ書いて荒らしてるだけ
。そんな輩が意味不明な難癖付けて、他人のことをアク禁だなんだと叫んでいるのを見ていると、気持ち悪くなりますな
(T_T)o。
いい加減、件の人物はアクセス禁止にはならないんだろうか?つーか、ネット社会から排除されて然るべき人物だと思うのだが‥‥。どういう面の皮、ないしトチ狂った頭の構造をしていればああいう厚顔無恥な言動が可能なのか、一度本人に伺ってみたいものである。
しかしああいうのが許されるのは2ちゃんねるだけかと思っていたのだが、法律とか色々と整備された関係で、実は2ちゃんねるですら『公認』という訳でも無いらしい
(苦笑)。
(2007年 3月 9追加)
前から思っていたんですが、2ちゃんねるなんかによく、誰それをこき下ろす為のスレッドって感じの個人攻撃スレッドを立てている人が居ますよね?あれって要するにねんちゃ君で私怨君臭い奴が一人で頑張ってるパターンが多いみたいなんですが、粘着されている相手をウォッチするよりも、ねんちゃ君がどういう奴なのかを推理する方がよっぽど面白いと思うんですが
?
だって考えてもみて下さい。先ず第一に、粘着されている相手を一緒になって苛める気分を味わうよりも、倫理的な引け目を感じる必要がありません。しかもねんちゃ君が何者なのかを探っていく方が、リアルに推理ドラマの世界に潜り込んだ様な知的快感が味わえます(強制的に味わわされるのは、正直阿呆らしくてやってられませんが‥‥
)。これは、とてもエキサイティングなお遊びですよ(>_<)!!
ま、第三者の立場なればこその、素敵なお楽しみって奴ですね。『ねんちゃ君の〜って何者?!』って推理スレッド作って盛り上げたら、結構受けると思うんですけれどもね〜。
この推理ドラマ(?)のターゲットですが、例えばEOSデジタル板とニコンデジタル板とデジカメジンの各板を中心に暴れている人が居る様に見えるのですが(勿論、私の知らない別の板にも出入りしているかもしれません)、同じ人物っぽい人が2ちゃんねるに幾つもスレッドを作っていたりする気配があったりする訳です。はてさて、この人物は一体何者なのか
?!
別に自宅とか電話番号を調べる必要はありませんが、IPを追跡してどの書き込みの人物とどの書き込みの人物が同一人物か掲示板を横断して特定出来たら、その人物の基本的スタンスの嘘(幾つもの違う人物像があったり)が露顕したり、どんな事情からねんちゃ君をやっているのかが見えて来たり、結構面白いと思いますね。
ま、そこら中の掲示板で誹謗中傷を繰り返したり、自作自演で板を混乱させて馬鹿みたいに喜んでいる人がどんな人なのかという、そういう好奇心で言ってるだけですけれどもね、私としては。でも、匿名性を傘に着て全能感を享受している人物が、自分の発言が追跡されて何をして来たかが丸裸になった時、どう思うのかっていうことについては興味津々だったりします。
まあ今までどんな酷いことをして来たかが丸裸になった後に、どこかでやり過ぎて、その書き込みから情報開示命令が出た場合にどうなるか。そこまでは、私は知りませんけどね‥‥(-_-)v-〜。
あさて、名探偵は何処?
(2007年 2月19追加)
日本人と言うのは、とても『空気』なるものを大事にする。要は大方周りの意見がそっちに偏って来たら、それに流されろや、って言うことだ。
ところが日本人は、往々にして権力に従う。そして権力というのは、一人一人の市民の利益にとっては、不利益なことを平気でやろうとする訳。
日本人は企業に対して『お客さんに悪くないように物事を行うもの』と期待しがちだけれども、生憎と現実の企業はそんな人の良いものではなく、『お客さんにとっては不利益にしかならないけれども、自分達だけが儲かること』っていうことを平気で行う。それに耐えられずに会社を辞めた人の投書をたまに見たりするけれども、要は日本人の期待と信頼というのは、その程度のものに対して向けられている訳だ。それは、権力についても同じ。
だから私は、『空気』なるものにホイホイと付き従おうとは、全く思わない。と言うか、あなた方にも安易に空気に付き従わないで欲しい。『空気読め』の一言で切り捨てられる時、多分そこにはあなただけではなく、より多くの日本人にとって『致命的な裏切り』が含まれているかもしれないからだ。『企業減税、その減税の原資は、消費税アップで個人の消費から補填させて頂く』というのも、同じこと。
そもそも政府は『自分に献金してくれる誰か』の為にだけ動いている。日本人の個人一人一人が政党に献金をすることはほとんど無いから(つーか、政治家への個人献金禁止されなかったっけ?忘れた
)、『献金してくれる誰か』というのは大抵は企業の事であって、少なくとも絶対に『あなた』の事ではない。組織選挙という言葉を挙げるまでもなく、日本の政治は初めから『市民』の利益を反映しない、そういう仕掛けが存在している訳だ。
そして企業は往々にして、社員であり市民であるあなたと、利益を反している。だってあなたの給与を一円でも引き下げることに依って安易に利益が上がり、福利厚生、年金の費用を切り下げることによって経営がより安易に安定するからだ。『顧客と企業の関係をwin−winの関係に、社員と企業の関係をwin−winの関係に』というのが理想だが、現実にそれを謳っている企業は、日本では数える程しか無いだろう。要するに、一部経営者の都合と利益の為に動いているのが、ほとんどの日本の企業の実態な訳だ。
その様な状況で、『空気を読め』という言葉は自殺の為の凶器にしかならない。考えてみると判るが、日本のありとあらゆる集団の中で『空気を読め』と言う言葉が出るのは、あなたが組織や集団の決定の不備を指摘した時な筈。
そしてだからこそ、自分の身の安全を守るのには、『空気を乱す』ことに依ってのみ可能なのである。私はそう指摘したい。
(2006年12月 7追加)
つまんないけど、大きな発見。あいや、政府が何か『企業は減税。その財源は、消費税を使って一般市民の懐から補填』等という意味不明、無味蒙昧で市民を舐めたふざけたお話の解釈ですわ。
普通に考えたら、企業が幾ら利潤を儲けたところで、社員にそれが還元されない限りは、景気は良くならない。企業が利潤を上げる一番手っとり早い方法は社員の給与カットで、実は企業は景気に対してとてもマイナスな行為をこの何年か続けて来た訳。勿論そんな状況で、景気が良くなんてなる筈もない。現に政府は口先で『いざなぎ超えの好景気』と言っているけれども、私の知る限りでは『世間の景気がいい』と本気で思っている人間は見当たらない。
そもそも企業減税と言ったところで、企業に掛かっている税金は未だに外形課税(売り上げに対する課税)ではなくって利益に対する課税だった筈。銀行への外形課税を東京都がやろうとしたが、結果はどうなったっけ?何か失敗した様な気がするんだが‥‥。
と言うことは、企業に対する税率が百パーセントになったところで、実は企業は潰れない。内部留保の必要性を考えたって、まあ八十パーセント位課税したって、企業は潰れないと言えるだろう。勿論株主への配当は流石に、影響を受けるだろうけどね‥‥。
そもそも日本の企業は今まで利益が出そうになっても、課税を逃れる為に経費を多めに申告したりして黒字は敢えて『出さなかった』筈。赤字はあっても、黒字が無いのが日本の企業だと言われて来た訳だ。だから企業への減税は実は、日本の景気には全くに近い形で、好循環を生まないのではないだろうか?
一方一般消費者である市民への課税は、可処分所得を押し下げて、ストレートに大きな景気減速要因になる。消費税が三パーセントから五パーセントになった時のことを考えてみれば、その効果の巨大さの程は皆、実感大とするところだろう。
じゃあ何で政府は市民に対する消費税率アップ等という、『福祉目的税限定』の約束(古
)をかなぐり捨ててまで、異様で逆効果な政策をなそうとしているのか?ここに『公務員の天下り』という言葉を投げ掛けると、いきなり物事が鮮明に見えてくる。
企業は天下り先になり得るが、一般市民に対しては天下りは成立しえない。そりゃーそうだ、給与カット、不定期雇用の推進の波に揉まれて生活アップアップの個人である市民が、公務員の給与を丸抱えして飼うなんて芸当が、出来る筈も無い。結局天下り先は、企業『だけ』なのである。
と言う訳で、派遣社員の待遇切り下げ推進と裏表一体でなされた天下り自由化に備え、天下り先にでっかい飴をブラ下げた訳だ。減税すれば、全ての企業に対して『公務員天下りの原資』を与えることになる。
ところで一つ一つの企業の経理担当者、役員、社長諸氏に聞きたいのだが‥‥。企業が利益を増やしたところで、結局何の役に立つ訳?君の給与は増えるのか?節税したいんだったら、企業減税して貰うよりも、君の給料を上げた方が効果的だろう?しかも給料を上げた分は、君『個人』の利益にもなる訳だ。余祿として、社員の士気も上がるだろう。
おまけに企業の半分以上は業種的に見て、別段天下り受け入れの結果としての余祿(仕事の口利き)に預かれる訳ではない。しかも会社が利益を増やしたところで、社長といえども一旦家に帰ればただの個人である(そもそも会社の業績としての利益は、税引き前で評価される)。そう考えてみると、公共事業『だけ』で食っている企業の従業員以外は、企業減税よりも市民への課税強化の方がよっぽどの重大な問題であることが理解出来る筈である。
はっきりと言おう。一部天下りを利用して儲けている会社の為に、どうして『全ての市民』が、消費税アップを受け入れなければならないのか?それで本当に利益を得るのは、天下り公務員だけである。こんな意味不明の財政政策を上げて来た連中を政府から叩き出して、こんな政策が出てくる原因となった公務員の一切の天下りを即刻全面廃止すべきではないか?と私は言いたい。
他にも今の政府は、市民の立場から見ると異様な程に企業寄りの政策を、ガンガン行っている。例えば、派遣労働者の条件を悪化させる法案を、現在準備中だとか。
そもそも考えてみるに、派遣社員は全て『派遣元会社の社員』として、派遣会社側が福利厚生を全て保証&負担すべきではないだろうか(これはひょっとすると、現行法でもそうなっているかもしんない)?そして派遣されている期間だけでなく、派遣と派遣の間の期間の給与を、派遣会社側に派遣社員に対して保証させる訳だ。そうすれば『派遣先で三年間経ったら正規雇用しなければならない』という制限が無くっても、派遣社員の生活も身分も福利厚生も全て安定する。
これは派遣社員本人だけでなく、派遣先企業にとっても好都合だろう。現状では、全ての不利益は派遣社員本人に押し被せられ、派遣会社も派遣先企業も都合の悪いところは全て派遣社員に押しつけて万々歳である。しかし保護されるべきは社員であって、悪徳企業ではない。そういう原則が、自民党政府の作る政策の中には欠けている。それを改善し、今まで派遣社員本人が追わされていた不利益の可能性を、派遣会社が保証する形にしようという訳だ。少なくとも、派遣を受ける側の企業に取っては、文句はあるまい。
『そんなことをしたら、派遣会社は成り立たないではないか』と言うのであれば、初めから社会的不正義を前提として成り立っていた業種であったということであり、企業の存在その物が間違いだったということだろう。社会正義とは、そういう事ではないのか?また、そのような条件の元で派遣社員の仕事をコンスタントに取ってくることこそが、派遣会社の経営・営業としての腕の見せ所である筈だ。
『そんなことでは企業が成り立たない』と言って法律を企業寄りにすることではなく、『そんなことでは成り立たない企業は社会にとって必要ない』ということを明確にするのも、法律の役目の一つだろう。勿論、その法律を作っているのは、政府や議会である訳だ(その点では、野党が責任を免責されることは無いと思う)。
本来的には、競争力の無い会社は淘汰されていく。それこそが『自由主義経済』の根幹である。社会的不正着や天下りを前提にして存在する企業は、存続その物が明確に間違いであると言えるだろう。であれば、企業減税をする位なら寧ろ天下りを禁止して企業増税を実施し、それで増えた税収と公共事業費減額分を原資として、競争力不足から淘汰された企業の社員の草鞋の履き替えを助ける為に使うべきだろう。結果として労働力が、存続に不適切な会社から新しい市場へと移って、日本全体全体としての景気の向上と持続的発展へと繋がりやすくなると思う。いや、シナリオが上手く回転しなかったら、失業率ばかりが上がって最悪の事態もあり得るが
(苦笑)。
もし競争社会は必要無いと言うのであれば、その様な企業や社員は、自民党や民主党以外の政党に投票すべきだろう。何て言うことを、自民党と民主党に投票するなんて考えただけでも虫酸が走ると思っている人間に、書かせないで欲しいものだ
(-_-)v-〜。
個人的には、資本主義社会だろうが社会主義社会だろうが知ったことじゃ無いが、一部権力と癒着した連中がのさばる社会は、ご免ではある。社員の給与を会社に猫ババさせて、その吸い上げた給与を、企業減税した代わりに天下りした公務員が会社から吸い上げる様な社会は、心底ご免だ(-_-
)。
あとそれから現場請け負いなんていう名目だけの、意味不明の雇用形態なんかも即刻禁止すべきなのではないかなー?そんなことやっている位だったら、アルバイト・パート社員の福利厚生も社員並の体勢としてその代わり税金の控除枠を廃止し、給与は労働時間と労働内容によってのみ決まる形(実は北欧だったかには、そういう国が既に存在している)にすれば、逆に正規社員側が正規社員に拘る必要がなくなり、企業側としては雇用調整がし易くなるんではないかな?
結果として労働者側の生き方も多様化出来るし、現在ありとあらゆる次元で横行している雇用者側の不当な行為も、何割か減るんじゃないかと思うんだが。だってどんな雇用形態を取ろうと、税制は同じだからね。給与明細から項目が欠落していたら、バレ易くもなろうというものよ。金額の多寡は兎も角、費目の同僚との比較はとても重要な意味がある。
そもそもバイトを雇おうとパートで雇おうと『一方的に経営者に得な局面』が無くなるから、雇用形態によって存在している差別を利用出来なくなる。バイトとパートの賃金が上がる分、正社員の給与が下がるかもしれないが、それはそれでまた、正常なことなんではないだろうか?『正社員だけが特権的に高い福祉と給与を享受する』ことが、そんなに合理的だと思う?君も明日には、非正規社員の立場に転落しているかもしれないのに(それが今の日本だよな
?)。
だいたい百円ショップの存在によって浮き彫りにされて来たことだけれども、本来百円の物を千円で買わされて、それを『豊かな生活』だと思う(物によっては、十八倍以上の値段でセレクトショップで売られていた)?日本の給与は高い方が1/10位に引き下げられて、その代わり物価も1/10にするのが一番正しいと思う。そうすれば、年金が月三万しかないと嘆いていた人達も年金が何倍にもなったのと同じだし、給与が下がった人達も実質的には生活は何にも貧しくなってはいない。なのに日本の競争力はとても高くなって、全ての企業の競争力が高まって景気は右肩上がりになるだろう(その効果もいつまでもは持たんけどな)。
政府は天下り公務員が受け取るお金の事しか考えていないから『デフレ反対』を叫んでいるけれども、日本に必要なのはまだまだデフレだろう。日本の国際競争力不足を『工場労働者の賃金』に押し被せるのであれば、賃金下落に相応しいデフレをこそ、政府は演出すべきだ。
一番吐き気がするのは、工場労働者の賃金を引き下げた分を原資に、間接部門や営業部門の給与が引き上げられている事だったりするけれどもな(-_-
)。御手洗のおっさん、経営者としても経済団体のお偉方としても、無茶苦茶酷いもんだと思う
。
本来政府が守るべきは、こういう経済団体のお偉いさんに見捨てられた、工場労働者に当たる人達であるべきだと思うのだが‥‥。
マルクスも労働者独裁を謳う時、共産党員ではなく労働者のままで独裁すべしということだったのではないのかなー(実在した共産党員は、明らかに『貴族』だったと思う)?そもそもマルクスが本来言いたかったのは『労働者による独裁』ではなく、『市民の手に政治を奪い取れ』ということだったのだろうと思うのだが‥‥。
それはもっと言うと、『市民の手で権力を握る』ことではなく、『市民の利益を大切にする社会』を指向するということなのでは?今の日本は、官僚主権社会だからねー。
何か文章を改訂している間に、作成してから丸二日経っちゃったな(苦笑)。推敲が充分で無い可能性は充分あるが、切りが無いのでこの辺でm(_
_)m。
(2006年12月 5追加)
しかし、ご挨拶のところと体裁を揃えただけで、ここの更新がとっても楽になりましたな〜(大汗)。
(2006年11月24追加)
前から書こうと思っていたのに、ホームページの公開停止のせいで書き損ねていたのが、苛めと不登校のお話。何か新聞の相談コーナー的なものを見ていると、『休んじゃえ』っていう意見が妙に多いんですよね。それがどうにも、気になってしまうのです。
確かに無理をして行くよりも、その方がいい場合もあるかとは思います。これは間違いない。でも、『休んだ先に何があるか?』と考えた時に、困った時の行動の第一選択肢に『逃げること』を示すのは、どうなのかなーと思ってしまうのです。
確かに自殺を選ぶ前に『逃げる』のは、正解だと思うのですよ。でもそれは最後に取っておくべき選択肢であって、先ず第一に示すものではない。だって不登校になった子供達が社会復帰の際に一番困るのは、『自分が社会に踏み出す勇気を持っているという実感が、持てないこと』なのですから。しかし逃げずに過ごせた自信があれば、そんな辛い想いをしなくても、自然と社会に踏み出していくことが出来ます。生命の次に守るべきものは、子供達が次の一歩を踏み出す、勇気だと思うのです。
不登校の子供達に取材した記事を見ていると、一様に『本当は学校に通いたい』といったことを言っています。しかし現実に学校に戻った時、その子とその子を迎える周りとの関係を考えるとどうでしょう?『何で学校を休んでいたの?』という眼や『ほら、学校を休んでいた奴』というヒソヒソ話、それをネタにした新しい苛め。
これでは余計なコンプレックスから、寧ろ学校復帰は難しくなってしまいます。そうならない為には、学校を『休め』と言う位なら、寧ろ『転校』を考えた方がいいのではないかと思います。
実は転校ですら、転校する本人からすれば、『元居た学校のコミュニティーの中で、上手くやっていくことが出来なかった。みんなの輪の中に居ることが出来なかった』という大きな心の傷が残ります。だから本当にいいのはやっぱり、休むことでも転校することでも無く、元居た学校の中で、新しいコミュニティーを作る努力なんですけれどもね。
因みに苛めと言うのは、『差別化』から始まるんではないでしょうか?要は、『こいつなら苛めてもいい』という口実作りです。
それは、『あの時声掛けたのに返事しなかっただろう?無視する訳?』とか、『背が低い』とか、『悪口を言ったけど反論しなかった。こいつは苛めても文句を言わない奴だ』とか、『何か匂いがする』でも何でも構いません。気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。そんなどうでもいいことを口実にするのですから、実はその口実になった部分を排除しても、それ自体が苛めの輪から逃げ出す必要充分条件には決してならないでしょう(勿論、その口実が潰せるものであるならば、潰していくのは前向きで良いでしょうが、身長等はどうしようもありません)。
ここで一番の罠は、子供達は『今ある人脈が全て』と思い込んでいることが多いことです。しかも、苛めをやっている人達のことを『友達』と思い込んでいる。
勿論、現実には友達の仲でも苛めは発生するでしょうが、考えてみて欲しい。『喧嘩』ではなく『苛め』をしてくる人が、本当に『あなたの友達』なのか?
最近のお子様は、割と『全員と仲良くならなければならない』と思う傾向が強いみたいですが、現実にはクラスの全員と『仲のいい友達』だった人なんて、三十人以上の学級を経験した人の中にはほとんど居ないと思います。要するに、友達は『今居る友達が全て』ではなくって、『新しく選べる』訳です。
考えてみると判ると思いますが、学校の友達の出来始めなんて、『たまたま席が近かった』『出席番号が並んでいた』『家が近かった』という、誰がどう見ても『だから何?』な理由だったりするものです。そこには、『相手を見る』という要素は入っていません。だから『心では友達と思っていないのに、外見的には友達』というありがちな状態が発生します。本人は『友達』と思っているのに、相手は平気で何の躊躇いも無く『苛め』が出来るのには、そういう要因もあるでしょう。相手に対する好意が無いので、悪いことをする時に、苛める方の心の中の歯止めがとても弱いのです。本当に友達なら、喧嘩をした時に『意地悪』をすることがあったとしても、『苛め』なんてしないものだと思いますけれどもね?だって大切に思っている人を、『苛め』られますか?
苛めにあっている子が一番恐れているのは、多分『仲間外れ』でしょう。だから、苛めのネットワークの中から、抜け出す勇気が持てない。だって友達が居なくなってしまったら、『一人になってしまうから』。では、あなたは何人の友達が居れば、満足なのか?
と言う訳で、学校を休む前に、学校を変わる前に、一度今ある『友達の輪』から、外れてみましょう。今まで口を聞いたことの無かったクラスメートの一人一人に、自分から声を掛けてみるのです。その中には、仲が良くなる子が居るかもしれません。
勿論、今君が『ハブ』に遭っているからそういう行動をしている訳ですから、その子は自分に累が及ぶことを恐れて、一旦仲良くなっても直ぐに逃げて行くかもしれません。でも、そういう新しく仲良くなった子の中には、いつか『それでも友達で居てくれる子』が、一人位は見つかるでしょう。それが本当の、君の友達です。
その友達は、大切にして下さい。不不特定多数のクラスメート(友達ではない)に対して顔色を伺って泳いでいても、誰も幸福になどなれません。でも、たった一人の友達が居れば、人生はほんの少しばかり幸せで、学校の忌ま忌ましい生活も耐えられるものです。それに必要なのは、『友達じゃない友達の輪』から離れて、自律した人間としての友達を、たった一人手に入れることでしょう。
と言っても、『苛めから逃れる為の都合のいい友人』なんてあなたが思っている間は、駄目ですが(苦笑)。そうでなくって、馬が合い、対等の仲間として仲良く出来る友人を、探さないとね。都合のいい人間を探しているだけだったら、今までと何にも変わらないよ。それも、苛めをやっている側の人達と、ね。
あと、『シカトされた』という感情はやたらと傷つきやすい人種に対して公攻撃性を持たせるようなので、人から声を掛けられた時に聞き逃した覚えの多い人は、自分から相手に『なあ、私人から声掛けられても気が付かへんこと多いんやけど、そういう時はもっとでかい声掛けるか、肩でも叩いたってーや』と積極的に声を掛けるのも、苛め防止には効果的な様です。
何のことや?と思うかもしれませんが、世にも稀なる熱血教師さんが私の中二の頃の担任さんで、『なんや、そういうことやったんかい』ということになった瞬間に、そのクラスでの苛めが以降ストップしました。漫画であったとしても出来の悪い冗談みたいに思えますが、実話です(-_-
)。それ以来私は、『私左の耳が聞こえませんので、話す時は右っ側から宜しく』と、積極的に情報開示をするようにしています。
どうも人間って、相手の体が悪いと判っていないと身障者を差別するような人でも、そのことが判っていたら『じゃあまあ、そういう人間だという風に見といたることにしようか』と思う。そういう心理があるみたいですね。例えば、心臓が悪い人を『何をゆっくり歩いとるんじゃ!!』と背中を小突き倒す人って、ほとんど居ないでしょう?そういうことなんですかね、多分。
(2006年11月24追加)
個人攻撃荒らしさんに対処する為の記述がプロバイダさんのチェックに引っ掛かったみたいですので、どうせご挨拶とここのスタイルが異なっていて引用の手間が大変だったこともあり、日記帳をリニューアルすることにしました。
古い日記の内容につきましては、私のアンチの人が作ったスレッドにでもデータが残っていることを、期待することにしましょうか(大汗)。
(2006年11月19追加)
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