沿革

◇1982年12月、第2代在韓国日本国大使を務めた金山政英氏が日韓関係を改善するために日韓文化交流協会を発会。第1回の訪韓団を派遣。以後、随時、訪韓団を派遣。

◇1984年9月 、韓国交通日報に日韓の相互理解に寄与した訪韓団として報じられる。定期的な訪韓団の派遣に対して韓国の交通部長官より感謝状を授与される。

◇1987年11月、 「韓日・日韓親善音楽と舞踊の夕べ」を韓国律呂楽会と共同主催、韓国放送公社、国際交流基金、日韓親善協会などが後援。

◇1988年6月、第73回文化交流訪韓団の活動が韓国KBSテレビのニュースで紹介される。同年7月、在日大韓婦人会中央本部の呉基文初代会長より、第2次大戦中、日本軍によってサハリンに強制連行されたまま帰れなくなった韓国人の妻たちのための老人ホーム建設計画が伝えられた。金山会長はすぐに老人ホーム建設支援の会を作り自ら会長に就任、経団連会館に花村仁八郎副会長(当時)を訪ね、老人ホーム建設費用として1億5千万円の寄付を依頼した。
同年10月、韓国の老人ホーム建設支援のためのチャリティー公演「韓国・国立国楽院公演」を主催。

◇1990年8月、文化交流訪韓団第100回派遣達成記念式典をソウルで行う。天江喜七郎駐韓日本公使(当時)夫妻をはじめ1,000人が参席。

◇1991年8月、韓国姉妹団体・韓日文化交流協会創立。ソウルで記念式典を行う。金山政英会長、柳健一駐韓日本大使(当時)夫妻をはじめ700人が参席。
同年11月、大朝救国院老人ホーム(地下1階、地上3階)の建物外郭がほぼ完成。

◇1992年10月、経団連社会貢献部の金子敏夫監査役、日本電気工業会総務部の冨田真司主任、電気事業連合会秘書課の中山一彦委員、日本鉄鋼連盟総務部の本田稔副長が老人ホームを視察。(肩書は当時)。

◇1993年5月、老人ホーム建設のための送金(約1億1千万円)を終了。老人ホーム落成。

◇1997年11月、金山政英会長逝去。この間、多くの韓国の芸術文化を日本に紹介する。

◇2000年10月、日韓弁護士協議会の秋山昭八会長が理事長に就任。

◇2001年5月、韓国・釜山広域市主催、2002年釜山アジア競技大会開催記念 釜山市立国楽管弦楽団東京公演を(東京オペラシティー・コンサートホール)を後援。

◇2002年4月、韓国j国立バレエ団初来日公演を東京、神奈川、千葉、名古屋で主催。外務省、駐日韓国大使館・文化院、社団法人日本バレエ協会、在日体感民国民団中央本部、日韓親善協会中央会が後援。国際交流基金が助成。

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