通州事件の惨劇
シナ人を知るには中韓を知りすぎた男さんのブログが一番です。
通州事件もですが通化事件のほうが3000人以上が虐殺されました。
いや通貨事件もひとつの事件に過ぎず満州にいた民間日本人の30万人のうちの2割すなわち10万人以上が殺されました。
青少年義勇軍を含む満州開拓移民の総数は27万人とも、32万人ともされる。ソ連の参戦でほとんどが国境地帯に取り残され、日本に帰国できたのは11万人あまりだった。
満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)は、満州事変以降太平洋戦争までの期間に日本政府の国策によって推進された、中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人の移民の総称である。満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)とも言われる。
1931年の満州事変以降に日本からの満州国への移民が本格化。1936年、広田弘毅内閣は「満州開拓移民推進計画」を決議し、1936年から1956年の間に500万人の日本人の移住を計画、推進した。同時に、20年間に移民住居を100万戸建設するという計画も打ち出された。
日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青年を、1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込んでいる。加藤完治が移住責任者となり、満州拓殖公社が業務を担っていた。この移住は、日本軍が日本海及び黄海の制空権・制海権を失った段階で停止した。
この悲劇の元はといえば貧しい日本人に日本政府や軍が満州に新天地があるとプロパガンダで移住させたのが元々の原因ですが、それだからといって何も抵抗もしない民間人を殺したり強姦しても良いという理由は絶対にありません。
戦前は軍の暴走(アメリカの謀略があったとはいえ)で日本国民が多大の不幸を受けたわけですが、今度は、余りの自虐史観やサヨク、政治家、大企業の売国的行為
で日本を危機に陥れようとしています。
何もこちらから戦争は絶対に仕掛けてはいけませんが余りの無防備では悪党(今までの中共の行為がそれを証明していますので敢えて言います)シナ中共にいずれ滅ぼされることは疑いようもありません。
世界の歴史は国防意識の弱い国はほとんどが滅ばされています。
今日本に一番必要なのは憲法を変え真の軍隊をに作り替えることとシナの急激な軍備拡張に対抗するため大幅な国防予算の増額ですが野党を始め国民の中からもそんなに大きな声が出てきません。今度の防衛大綱でも防衛予算が1000億も減らされたことにこの国の将来に悲観せざるを得ません。
あれだけシナ人船長の釈放に猛反発した野党や国民も防衛予算の減額には殆ど無関心です。
私とすればこちらの防衛予算の減額の方が余程の大問題です、いくらシナに強いこと言っても軍事力の裏付けのない外交は相手からは小馬鹿にされるだけであまりに強硬なことをやり過ぎるとシナの軍部の思う壺になって戦争の口実を与えてしまう危険性があります。向こうはヤクザですから胡錦濤や温家宝(温家宝は軍部には権力なし)が軍を掌握していると思っては大間違いです。
現代も独裁国家の邪悪な本質はひとつも過去と変わっていないことに多くの日本人は気づいていません。
j o y さんのブログからです。
通州事件の惨劇
「徳島の保守」というブログがあります。
そのブログで、通州事件についての体験談が掲載されています。
通州事件というのは、昭和12年7月29日に、実際に起こった日本人皆殺しの地獄絵です。
南京大虐殺などというホラ話と異なり、これは実際にあった事件です。
1937年(昭和12年)7月29日。73年前の昨日、北京の西の通州において、数百人の日本人居留民が虐殺されました。
通州の日本人居留民は、日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生により、世界の残虐史上類例を見ないほどの残虐行為を受け、虐殺されました。さらに支那人達は、殺した日本人に対して一片の同情も哀れみの心もなく、その屍体までもいたぶっているのです。
かけつけた日本軍がそこで見たものは、言語に絶する惨状であったそうです。支那人は南京で日本軍が大虐殺を行い、妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、悪逆非道の限りをつくしたとデッチあげて日本を非難していますが、通州事件を見ますと、日本軍が行った行為と言っているのは、つまり、支那人自身が行ったことに他ならないことが解ります。
通州における惨劇は、多くの人が証言していますが、実際の体験者であるSさんの話を、拙ブログで採り上げ、一人でも多くの日本人に知ってもらいたいと思っています。大変長い話ですので、何回かに分けて掲載させて頂きます。 ----------
『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)−日本人皆殺しの地獄絵−』URL一覧
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Sさんの体験談(其の三)
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Sさんの体験談
(続き)
八時を過ぎて九時近くになって銃声はあまり聞こえないようになったので、これで恐ろしい事件は終わったのかとやや安心しているときです。誰かが日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです。私の家から居留区までは少し離れていたのでそのときはあまりピーンと実感はなかったのです。そのうち誰かが日本人居留区では女や子供が殺されているぞというのです。何かぞーっとする気分になりましたが、恐ろしいものは見たいというのが人間の感情です。私はTさんの手を引いて日本人居留区の方へ走りました。そのとき何故あんな行動に移ったかというと、それははっきり説明は出来ません。只何というか、本能的なものではなかったかと思われます。Tさんの手を引いたというのもあれはやはり夫婦の絆の不思議と申すべきでしょうか。
日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。何か生臭い匂いがするのです。血の匂いです。人間の血の匂いがして来るのです。しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。沢山の支那人が道路の傍らに立っております。そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。
続きます。 |
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歴史は、今と未来を知るためにある。「今」の支那暴動と通州事件_最終回。
ところが、首に当たらず肩のあたりに青竜刀が当たりますと、その青竜刀を引ったくるようにした国民政府軍の将校と見られる男が、肩を斬られて倒れている日本の男の人を兵隊二人で抱き起こしました。 そして首を前の方に突き出させたのです。 そこにこの国民政府軍の将校と思われる兵隊が青竜刀を振り下ろしたのです。 この日本の男の人の首はコロリと前に落ちました。 これを見て国民政府軍の将校はニヤリと笑ったのです。 この落ちた日本の男の人の首を保安隊の兵隊がまるでボールを蹴るように蹴飛ばしますと、すぐそばの池の中に落
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[転載] 通州事件!7月29日で75年・支那保安隊が南京政府のデマ放送に騙され支那軍に寝返るために日本人居留民約 ...
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コメント(1)
日本も支那に対抗して通州事件と通貨事件を国辱記念日とすべきでしょう。
2012/10/2(火) 午後 10:18 [ makn ]