「気」と真空のエネルギー ――――――――――――――――― 「気」を操る技術(気功)の種類は、大きく分けると、およそ次のようになると考えられます。 ○ 硬気功 相手の身体及び動作に対して直接働きかけるもの。結果がそのまま人の動きとなって現われるため、眼で見て確認することが出来る。 古武道 合気道 太極拳 少林寺拳法 新体道(遠当て) 柔道(空気投げ・球車・大車) 西野流呼吸法 ほか。 ○ 軟気功 人に気を与えて病気等の治療を行うものや、自分自身で行って健康の増進に役立てるもの。 外気功 (気を自分の体外に発して、病人を治療するすることが出来る。) 内気功 (自分の内に気をめぐらせることにより病を克服する。) 静功 (立式・坐式・臥式) 按功 (按法・摩法・叩打法) 動功 (有意動功・無意動功) ( 上に紹介した中で、西野流呼吸法というのは、西野皓三氏が開拓した足の裏から気を取り入れる「足芯呼吸法」というものです。女優の由美かおるさんがこの団体に所属していることから、ご存知の方が多いはずです。これを訓練した者同士で互いに気を出し合うと、相手が上に跳ね上ったり、後ろ向きのまま走り出したりします。 市販されているビデオを観ると、たしかに西野氏の気合と共に、何人もの人たちが叫び声を上げて後方に足から跳ね上ったり、あるいは一列縦隊に繋がったままで、後ろ向きのまま駆け出したりしているのが分かります。) ( 気功治療というのは、気功師が患者に「気」を送ることによって行う治療法であり、中国では古くから行われて来たものです。ただしその効果が、科学的にも医学的にも証明され難いために、なにやら怪しい治療法のように思っている人が少なくないようです。 しかし気功師が気を送った時に、気功師の脳波図形と同じ波形の脳波が、受け手である被治療者の脳の中にも現われます。つまり気功師の脳波と、患者の脳波の図形が一致する現象が出現するわけです。これは眼で見て確認することが出来ます。脳波計という機械で、実際に計測することが出来る現象です。 この脳波の同調現象は、人によって程度の差はあるもののほぼ百パーセントの確率で起きるということです。従ってこのあたりに、気功による治療効果が発生する理由があると考えられます。つまり気功治療というのは、気の体系同士の共鳴現象によって引き起こされる治療法であるということです。) 前に『「気」とは何か』で、戸嶋正喜さんという気功師の方を紹介しましたが、これはまさに気を自分の体外に発して病気を治療するすることから、軟気功の中の外気功に分類されます。またハリや灸や指圧による治療も「気」の流れを調節するものですが、気功とは別の分類になります。 ところで、しばらく前のことになりますが、この分類では、捕らえきれないものがあることが分かりました。それにより「気」というものの概念を、根底から修正する必要があると思った次第です。しかも、これは最近、科学的にその存在が確認されたという『真空のエネルギー』とも関係するかも知れないのです。つまりこの宇宙が、拡散するスピードを増幅させている“力”と同じものが、この「気」というものではないかということです。 突然こうしたことを申し上げても、なかなか了解し難いと思われますので以下、順を追って説明することにします。 ******* ○○ ******* ○○ ******* 少し前のことになりますが、古武道を研究しておられる甲野善紀さん(松聲館館主)が、テレビ朝日の『徹子の部屋』に出演して話をされたことがあります。昨年(2004年)の7月6日に放送されたものです。御覧になった方もいらっしることでしょう。 私は途中から見たので、あまり詳しく内容を紹介できないのですが、その話の過程で甲野さんは、二つほど実技を披露しました。そのうちの一つは「三方斬り」というものでした。木刀を瞬時に、三方向に振り分けるという技でした。もう一つは病人の介護にも役立つというもので、座っている人を両腕で抱き上げて持ち上げるというものでした。 最初の三方斬りなる妙技は、木刀を目にも止まらぬ速さで連続して動かして三方向に斬り分けるというもので、途中から見たせいもあってその時は、それが果たして何を意味するのか、よく分かりませんでした。とにかく素早い動きで、瞬時に、木刀がそれぞれの方向に動いたことは見て取れました。迂闊にもその時は、軽い木刀だから出来る技なのだろうくらいに思ったものでした。 ところがその試技が終わった後で、台の上に置かれた木刀の先端が、テレビの画面に大きく映し出されたました。それはけっこう太い木刀でした。材質は当然、樫の木であると思われます。これは木目が詰まった堅い木です。従って、かなりの重さがあります。その木刀を、瞬間的に三方向に動かしたのです。この時になって初めて、その意味に気が付いて驚かされました。 三次元の物理法則である慣性の法則からすれば、重い木刀を動かす際のそれぞれの一瞬、一瞬には、たいへんな“力”が必要となります。ましてや一方向に振った木刀の方向を、瞬時に反対向きに変えるには、木刀の重さと木刀が動くスピードが創り出す加速度に打ち勝つだけの力が必要です。つまり瞬間的に、とてつもなく大きな“力”が必要になるのです。 それだけの“力”を二本の腕だけで創り出すことは、およそ不可能です。人間業ではありません。たとえ怪力の持ち主でも不可能です。しかし甲野さんは実際に、それを目の前でやって見せたのです。 この時、ふと甲野さんはそれだけの力を、二本の腕だけで創り出したのではなく、別の何らかの“力”を使って木刀を動かしたのではないかと考えました。もしくは慣性の法則によって生み出される重力の方向を、瞬間的に反対向きに入れ替えたのではないかと思いました。木刀を振って往復運動をさせると、どこかに停止点が生じるはずなのですが、そのような動きがゼロになる瞬間が無かったように思えたからです。 またその時に思い出したのは、かつて宮本武蔵と巌流島で対決した剣豪、佐々木小次郎の秘剣 ・ ツバメ返しでした。小次郎は厳しい修行の結果、その極意を会得したとされており、それにより物干し竿と呼ばれる長い刀を使用するようになったとされています。つまり小次郎は長くて重い刀を、自由に振り回すことが出来たということです。 そして、小次郎の場合も一度振り下ろした刀を、再び反対方向に振るには、慣性の法則からすれば、とてつもなく巨大な力が必要となります。瞬間的には、数トンもの重量が掛かる筈です。要するにそれだけの“力”がなければ、一度振り下ろした刀を、反対向きに動かすことが出来ないわけです。これは通常の身体能力で創り出せる“力”ではありません。従って小次郎の場合も、それだけの力を二本の腕だけで創り出したのではなく、やはり何か別の“力”を使って動かしていたのではないかと考えたわけです。 要するに甲野さんが披露した技は、その佐々木小次郎のツバメ返しと同じ技ではないのかと思ったわけです。それでなければ甲野さんの重い木刀も、佐々木小次郎の長くて重い刀も、自在に操るなどということはとうてい不可能だからです。 特に小次郎の場合は、一度振り下ろした刀で相手を仕留めなければ、その時点で負けが確定してしまいます。果し合いでの負けは、すなわち死を意味します。ところがその刀をすばやく返す技術を会得したが故に、ツバメ返しの名前が付けられたものと考えられるのです。それは慣性の法則で生み出される重力の方向を、瞬間的に逆向きに入れ替えることが出来れば可能です。或いは何か別の“力”によって、その重力以上の“力”が創り出せれば可能です。一度振り下ろした刀を瞬時に翻えして、油断した相手を下から斬り上げる技として使えます。 甲野さんは、こうしたことは若い頃には出来なかったと説明していました。ですから、これは単なる“力”による技ではないことが分かります。つまり、それは三次元の物理法則を超えて生み出された力であり、現代科学が解き明かしていない「気」というものが創り出す現象の一つであると考えることが出来るわけです。 もう一つの実演は、黒柳徹子さんを実験台にして行われました。 最初に甲野さんは通常の状態を説明するために、「気」を使わないで、長イスに掛けたままの黒柳徹子さんを、両手で抱き上げて持ち上げる実演を行いました。 甲野さんは黒柳徹子さんの左側から、右手を背中に回して、左手を両膝の下に差し込みました。つまり、横抱きの状態で上に持ち上げようとしたわけです。 その際の説明として、人の身体はお尻の部分が一番重いので、こうして抱えあげても、どうしてもお尻が下にずり落ちてしまいますと言いながら持ち上げました。案の定、黒柳徹子さんのお尻の部分が、抜け落ちるような状態になりました。従って、両腕で持ち上げるというよりは、黒柳徹子さんが甲野さんの首にしがみ付くような格好になりました。 事前にこうした予備の実演をした後で、今度は「気」を入れて行うということで甲野さんは、履いていた草履を脱いで、足袋はだしになりました。足の様子が、テレビカメラでよく見えるようにという配慮からでした。 甲野さんは、このように足の爪先を上に持ち上げるようにするんですと説明しました。なるほど高野さんの両足の爪先が、上に少し浮き上がった状態になりました。かかとの方に重心が移っている状態です。 その状態で、再び黒柳徹子さんの左側から右手を背中に回して、左手を両膝の下に差し込みました。そして、そのまま黒柳徹子さんの身体を上に持ち上げました。すると今度は、お尻が下にずり落ちることも無く、黒柳徹子さんの身体がまさに長椅子に座ったままの姿勢で持ち上がりました。軽々と持ち上げて、場所を移動させることが出来ました。 これは不思議な映像でした。本来であれば下にずり落ちるはずの黒柳徹子さんのお尻が、まったく下がらずに、まさにイスに座ったままの姿勢で持ち上げられたのです。言うなればお尻の部分の重力が消失してしまったわけです。或いは黒柳徹子さんの身体が、何か見えないもので姿勢が固定されたような状態になったのです。それも動けないような固定の仕方ではなく、身体全体の姿勢が一定に保たれた状態で、部分的に存在する重力の差異が消失したのです。 甲野さんの説明では、科学者が何度も来て調べたが、なぜこのようなことが生じるのか分からないということでした。なんでも足のかかとの部分を中心にして、テコの原理が働いているのではないかと言っていた人がいたとのことでした。 そして、甲野さんの説明では、これは病人の介護にも役立つ技術であるということで、老人介護の関係者が、その技術を修得しようと道場に通って来ているとのことでした。 *********** ○○ ********* ○○ ********** 前にも述べましたが重力は、総ての物に対して均一に働きます。分子レベル、原子レベルで働く地球の引力です。その地球の引力が創り出す力は、重いものは重く、軽いものは軽くなります。つまり重いお尻の部分が軽くなることは、絶対に有り得ないわけです。 ところがテレビに映し出された映像では、黒柳徹子さんはまさにイスに座った姿勢のままで、甲野さんの両腕で持ち上げられたのです。どこにも力をいれているわけでもないのに、その姿勢が保たれていたのです。果たして、お尻の部分の重力は何処へ行ってしまったのでしょう。 このことから言える確かなことは、そうした状態を創り出す何らかの物理的な力が、実際に働いたということです。地球の引力である重力を遮断して、人の身体を一定の状態に保つための力が創り出されたのです。もちろんこれは三次元世界の物理法則を超えた“力”です。従って、超次元的な現象です。我々が知る重力の法則を覆すものです。そうした“力”が、確かに存在するということを認識する必要があるわけです。 そして、このことと関連するものに、次のようなものがあります。おそらく原理的には、上の甲野さんの事例と同じものです。 時に聞く話として、神の手に支えられて、人の命が救われたという事例があります。これは特に子供たちに多い事例ですが、二階や三階から落ちたのに何故か、かすり傷一つ負わなかったというものがあります。 表向きは途中で、木の枝に引っ掛かったためであるとか、落ちた場所の地面が軟らかかったからである、といったいかにももっともらしい説明がなされます。しかし当人に、なぜ助かったのかを聞いてみると、落ちていく途中で、何かふわりとしたものに支えられたと証言します。それにより落下のスピードが抑えられて、地面にふわりと着地したというのです。ただし通常は、子供の言うことですからあまり真剣に取り上げられずに、結局はうやむやになってしまいます。 また、走って来る自動車と正面衝突して、何メートルも跳ね飛ばされたのに、まったくの無傷であったというものもあります。先日もあるテレビタレントが、自分の幼少期の体験談として話していました。走って来る車との衝突ですから、打ち所が悪ければ即死は免れないのですが、怪我一つ無く起き上がったということでした。もちろん助かった理由は、本人にも分かりませんでした。ふと気が付いた時には、その場に、ただ呆然と立っていたということでした。 この場合も、走って来る車の衝撃がそのまま人体に加われば、人の身体の防御機能では防ぎきれませんから、本来であれば助かるはずが無いのです。たとえ死なないまでも複雑骨折や、全身打撲の状態になっていたはずなのです。ところがそうならずに、本人は、ピンピンして生きていたわけです。従ってこの場合も、何らかの“力”が関与して、車との衝突の際の衝撃が和らげられたと考える必要があるわけです。 多くの場合、これ等の奇跡的な出来事については、いずれも守護霊(神)の働きであり、その人を守るための何らかの“力”が働いたためであると考えられています。たしかにその不思議な出来事に、何者かが介在しているとしたら、守護霊(神)というものを持ち出すのもそれなりに了解することが出来ます。そうしたものを無闇に、否定する必要も無いからです。 ただし、それだけでは十分ではありません。その守護霊(神)なるものが起こした奇跡の実態が解明されていないからです。実際に起きた出来事は瞬間的な衝撃の緩和であり、重力の消失であり、そこでは慣性の法則の破綻現象、作用・反作用の消失現象が生じていることになります。つまり三次元的な物理法則が機能しない事態が発生したのです。そのことをどのように考えたら合理的かということです。 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 上に紹介した西野流呼吸法では、この技術を訓練した者同士が互いに気を出し合うと、相手が上に跳ね上がります。或いは、後ろ向きのまま走り出したりします。ビデオが市販されているので注意して見たところ、一列縦隊になっている何人もの人たちが後方に足から跳ね上ったり、あるいは後ろ向きのまま駆け出したりしているのが分かります。つまり、何らかの“力”によって押されているのです。 また、テレビなどでよく紹介されるものとしては、気功師によって、人の動きが封じられる現象があります。被験者から離れたところにいる気功師がわずかに手を動かしただけで、その人がどんなに立とうとしても立てなかったり、気功師が手の先を回転させると、その人がコロコロと転がったりします。 私自身も以前は、これ等は一種の催眠術のようなもので、無意識的に身体が気功師の動きと同調することによって生じる現象ではないかと考えていました。なにしろ自分で体験したことが無いために、旧態依然とした三次元的な科学思考の束縛から離れられなかったのです。 しかしそれは間違いで、実際に物理的な“力”が発生していると考えるのが正しいようです。否、甲野氏の実演を見た今では、ようですという不確かな表現をする必要がなくなりました。確かに「気」によって、そうした物理的な“力”が生み出されているのです。 この“力”を、どのように捕らえたらよいかということですが、重い木刀が瞬時に、三方向に振られたことや、黒柳徹子さんがイスに座った姿勢のままの状態で、甲野さんの両腕で持ち上げられたことなどから判断して、次のようにまとめることが出来ます。 @ 慣性の法則によって生み出される力を消滅させる。 A 地球の引力が創り出す“重力”が遮断される。 B 作用・反作用によって生じる衝撃を消失させる。 C 一定の姿勢、状態を保存する力が創り出される。 D 人の心(意志)によって生み出される。 最後の「人の心(意志)によって生み出される」というのは、そのまま人の『願望』と言い換えることが出来ます。もちろんこれは、本人の潜在意識の中にある無意識的な願望のことです。さらに言えば、神の領域にまで到達する願望です。その願望が実現されることにより、この三次元世界で物理的な“力”として働くのです。従って、その“力”は甲野さんの願望、各気功師たちの願望、西野氏、或いはその門下生たちの願望が生み出す“力”であるということになります。 また、おそらく守護霊のようなあちら側の世界に存在する何者かも、この“力”を操作することが出来ると考えられます。つまり人の心(意志)だけでなく、霊(意識主体)の意志によっても操作が可能であるということです。要するにこの“力”は、何らかの“意志”によって機能すると言った方が適当ではないかと思われます。端的に言えば、様々なこころが創り出す“力”です。 ですから、この力を局所的に発生させれば、スプーン曲げなどはお茶の子サイサイで出来るはずです。スプーンやホークをぐにゃぐにゃに曲げてしまったり、後で元通りに直すことも簡単に出来るに違いありません。しばらく前には、そうしたことが出来る高校生が、あるテレビ番組に出て実演をしていました。 またこれは、一円玉を、額にくっ付ける“力”としても使えます。私自身の実験では、最高で四個、額にくっ付きました。もちろんまったく摩擦が無い状態でくっ付いたのです。テレビに出ていた女性は、7個から9個も付けました。額に向かって風が吹いている状態をイメージするとよいとのことでした。そのときはただ不思議なことが起きるものだと思っていたのですが、やはりこの“力”によるものと考えられます。 さらに“重力”を遮断するこの“力”は、使い方と方法を変えることによって、次のようなことが可能になるはずです。 ○ 空中浮揚。→ イエスキリストはガリラヤ湖の上を歩いた。 ○ 役の行者が行った奇跡。→ うるさく付き纏う役人を追い払うために、巨大な岩を二つ空中に浮かべて、それをガンガンと打ち合わせた。 ○ モーゼが行った奇跡。→ エジプトから逃れたモーゼたち一行は、海に行く手を阻まれた。だがモーゼが海に向かって手を差し伸べると、海の水が二つに割れて道が出来た。 また、これ等のことに関連して思い出されるのは、かつてのインカ帝国の巨石文明です。例の高い山の頂上に築かれている巨大な石の建造物です。あれほど大きな石を、完全に密着させた状態で組み合わせるのは、人の力だけではまず不可能と思われます。上に運び上げるだけでも大変な労力が必要です。やはり重力を遮断する技術が使われたのではないかと、ふと思った次第です。 さらには守護霊がその人を守るために、この“力”を発生させるのとは逆に、死者の霊(意識主体)が創り出す現象もあるのではないかと考えられます。以前、『死者の霊は自分の死の状況を“再現・復元”する』で、死者の霊は自分自身の死の状況を、物理的に再現する力を持っていると申し述べましたが、そのためにこの“力”が使われている可能性があるわけです。→ カセットテープ(=ヘルメット)のフェイス部分が割れた事例。或いは、実際に人を、海中に引き込む力として使われる。 ですから危険な心霊スポットと言われているところに、面白半分で近付くことは、絶対にやめるべきです。現実的な死の危険に曝されるからです。 ******** ○○ **** ○○ ***** ○○ ******** さてところで、上のように「気」というものが創り出す“力”に、重力(万有引力)の遮断現象が含まれるというのは、非常に興味深いものがあります。なぜならこれは天地創造の際に、創造神が発した言葉(意志=願望)と関係して来るからです。つまり、この世界を創造する際に使われた“力”との関連性が浮上して来るわけです。 前に申し述べましたように、『旧約聖書』の創世記の第四の日には、各惑星から衛星(月)が分離したことが記されています。 そこには、まず、 ○ 「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」 という「神の言葉」があります。そして、その後に次のように続きます。 ○「そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。」 つまり、この言葉(意志=願望)の“意味・内容”が、この三次元世界で物理的な“力”として機能したことにより、地球からは月が分離し、各惑星からは衛星やリングが分離したと考えられるわけです。ですから月は、ジャイアント・インパクト説のような他の小惑星との衝突によって偶然に出来たのではなく、創造神が発したこの言葉によって創られたということです。 そのことを説明した部分を再度、下に掲載しておきます、 『 要するに地球の一部分が、すっぱりと切り取られるように区分けされて、互いがそのままの状態を保ちつつ徐々に離れていったと考えると、これらの特徴が納得できる形で説明できてしまうわけです。 もともとは地球と一体だったものが、今はあそこに、ぽっかりと浮かんでいるということになるからです。それ故に、回転周期が完全に一致しており、こちらからは表の顔しか見えないということです。』 「気」というものが重力(万有引力)の遮断現象を発生させるのであれば、前に紹介したこの考え方が、そのまま肯定されることになります。各惑星の一部分にこの力が作用すれば、それは本体から衛星の部分を分離する“力”となって働きます。反重力のような余計なものを考えなくても済むわけです。つまり地球の一部分が大きく切り取られて、今あそこに浮かんでいる月が出来たのです。また各惑星の表面の一部分が削り取られて、衛星やリングが出来たのです。そして、木星の衛星であるアイダが持っている衛星も、同様にして出来たということです。 しかも、この「気」というものが、創造神の発した言葉の“意味・内容”を実現する機能を有するということは、これ以外の場面でも、様々な現象を発生させる“力”として使われたと考えることが出来ます。 つまり、冒頭部分の、 ○ 「光あれ」 という創造神の言葉(意志=願望)によって「ビッグ・バン」が発生したのも、やはりこの「気」が作り出した“力”によるものであったということです。 そして、さらには、 ○ 「神は光と闇を分け」 ○ 「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」 とあるように、太陽(恒星)を構成する原子・分子と惑星を構成する原子・分子を分離したり、また各惑星に自転運動・公転運動を創り出したりしたのもこの“力”である。また、 ○ 「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」 ○ 「天の下の水は一つ所に集まれ」 ○ 「乾いたところが現れよ」 ○ 「神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた」 によって、宇宙のインフレーションを発生させた際も、この“力”が使われたのではないかと考えられるわけです。 つまり瞬時にして、超々巨大な宇宙の膨張現象が生じたのです。しかも150億年後の今は、宇宙の膨張をさらに加速する“力”、すなわち『真空のエネルギー』としてこの“力”が使われているのです。 しかも物質的なものの創造だけでなく、 ○「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果実を、地に芽生えさせよ。」 ○ 「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 ○ 「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 ○ 「地はそれぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれ産み出せ」 ○ 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 とあるように、動植物の創造にも、やはりこの“力”が使われたということです。 つまりこの“力”は、もともとは創造神がこの三次元世界を創る際に、ツール(道具)として使用したものであり、しかも今現在も、この世界を次の段階へ導くために使われているのです。それがようやく現代科学によって存在が確認された、例の『真空のエネルギー』であるということです。 するとこの「気」というものを考える際は、創造神がどのようにして、この世界を創ったかということと関連させながら考える必要があるのかも知れません。 たとえばイギリスに多く見られるストーンサークル(環状列石)が、レイラインに沿って規則正しく並んでいたり、日本では、聖地とされる場所にある神社などが、地図上で一直線に並んでいたりするのは、地球的な規模での「気」の流れが関係していると考えられます。そして、この「気」の流れは全宇宙に広がっており、同時に、あちら側の世界に存在する天地創造のプログラムと一体化しているのです。つまり、そのプログラムによってこの世界が創造されたのであり、しかもこの世界は今も、未来に向かって展開が続いているのです。そのプログラムには、この世界の終わりまでが書き込まれているからです。ですから古代の人たちは、そのストーンサークル(環状列石)で「気」の流れを捕らえて、未来を読んでいたのかも知れません。 また動・植物も、この“力”によって創られたということは、やはり「気」というものの存在が大きくクローズアップして来ます。人間と同様に、犬やネコやゾウなどが「気」の体系を持っていることは、これ等の動物にもハリ治療の効果があることから分かっています。つまり、人類を含む総ての動物たちが「気」というものを介して、あちら側の世界とつながっているということです。 すると気功治療の効果については、次のような考え方が可能になります。総ての動物たちの「気」の体系があちら側の世界と繋がっていることから、気功師は、動・植物を創造した創造神と同様の作用を及ぼすことによって、病気の治療を行っているということです。気功によって壊れた肉体の修理が可能になるのは、そのためです。従って、それはまさに神業による治療法であるということになります。 以上、かなり突拍子も無いような考え方でありまた奇想天外な結論ですが、しかしこうした考え方も可能であるということです。或いは、実際に起きている不思議な出来事、不可解な現象を、少しでも理解できる方向に導くためには、これくらい現実離れした考え方が必要であるということです。なぜなら、この世界が十次元 or 十一次元 or 二十六次元であるとすれば、どれほど妄想をたくましくしても足りないくらいだからです。 ********* ○○ ********* ○ これは少し前に、テレビで紹介されたものですが、道路は平坦なのにブレーキを掛けないでおくと、自動車が勝手に動いてしまうという不思議な場所がありました。丸いボールを置いても、やはり勝手に転がって行きました。 傾斜が無いことを確かめるために、水平基準器を地面に置いて確認したところ、空気の泡が真中に来ましたから、そこは確かに平らな道路でした。一体どのような“力”が働いているのだろうかと、不思議に思っていました。 その時は、どんな屁理屈も思い浮かばなかったのですが、やはりこの真空のエネルギー(=気)が、局所的に働いているためであると考えると、すべての疑問点が解決します。おそらくそこには、物体を遠ざける不思議な“力”が働いているのです。もしかすると残留思念として残されている「気=真空のエネルギー」が創り出している現象なのかも知れません。バラエティ的な調査ではなく、もう少し詳細で厳密なデータが欲しいものです。 ○ 前に『 「四つの力」以外の力 』で紹介した、アメリカのオレゴン・ヴォルテックス(Oregon Vortex)と呼ばれる「オレゴンの渦」や、デスバレー国立公園の「ひとりでに動く岩」も、同様の原理で生じている可能性があります。 どちらにも残留思念として残されている「気=真空のエネルギー」が存在すると考えると、いろいろな点で辻褄が合って来るような気がします。もう一度、こうした観点から詳しい調査をすると、何か新しい発見があるかも知れません。 2005. 1. 26 . 店主記す |