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■チュークの戦後68年:2
(南洋の記憶)米機450機、爆撃の雨【宮地ゆう】ミクロネシア連邦チューク(旧トラック)諸島のエテン島(竹島)には、太平洋戦争中、零戦の基地があった。100メートルほど沖合の水深約10メートルの海底に、墜落した1機の零戦が、腹を上向きにして今も横たわっている。一部はサンゴに覆われていた。
1944年3月上旬。俳人の金子兜太(とうた)さん(93)は、海軍の主計科士官として竹島を訪れた。米軍によるトラック大空襲から半月しかたっていなかった。
目に飛び込んで来たのは、真っ黒焦げの島々と水面に船底をさらした船の山。そして、100機近い零戦の残骸だった。
「もう終わりだ」。金子さんは直感したという。
7月にサイパン島が陥落すると、島は補給が絶たれ、餓死者が続出し始めた。
ある日、上官から声をかけられた。