登録 : 2012.11.30 20:28 修正 : 2013.01.29 10:23

維新王女は洋公主問題には関心が無かった

※洋公主:(訳注:米軍人相手の娼婦、公主は姫の意味。日本での洋パンと同じ意味)

 セヌリ党の朴槿恵候補が選挙の核心標語として‘女性大統領’を持ち出した。 生物学的な性(セックス)と社会的な性(ジェンダー)を厳格に区分する立場からは朴槿恵の女性大統領論は納得がいかない。 朴槿恵候補が同時代の女性全体はもちろん自身と同年輩の女性たちとも違うといえば余りに違う生活を送ったためだ。 ‘維新と今日’では女性大統領を標ぼうした朴槿恵が令嬢として、またファーストレディとして生活した維新時代に同年輩の女性たちは果たしてどんな生活を送ったかを見て回ろうと思う。 維新時代の女性たちの人生は、すでに見てきた女工よりさらに降りて行ってキーセン観光と基地村を覗いて見てこそ底が見える。

 朴槿恵が救国の決断だったと称賛してきた維新の現実を覗いて見れば、日本軍慰安婦制度と本質的に違わない基地村の浄化運動が出てくる。 人民革命党や正修奨学会問題のようなもはや顔なじみの国家暴力事件の場合、直接的な被害者も、直接的な加害者や受恵者も国民全体から見れば少数と言えよう。 しかし基地村問題はその被害者が数十万単位で、受恵者も特定が難しいほど多い上に、あまりにも明確に現在進行形だ。 基地村浄化運動を通じて私たちは大韓民国という国家が事実上の公娼制を運営しつつ無力な女性たちの肉体を担保に国家安保と外貨稼ぎを同時に解決しようと思った不快な真実と向き合うことになる。

米軍撤収を防ぐために仕方なかったという弁解

 解放後、韓国に進駐した米軍は旧日本軍駐屯地域に駐留した。 龍山(ヨンサン)米軍基地は日本の朝鮮軍司令部の場所であり、米空軍がいた平沢(ピョンテク)も日本軍飛行場だった所だ。 当然、日帝時に形成された遊郭は米軍を相手にした基地村に変わっていった。 社会安全網などは当然なかった時期、突然の戦争で夫を失ったり、共同体から遊離した女性が生きていくためにできることは多くなかった。 誰も彼女たちを守れない戦乱の中でも純潔は依然として命より大事な価値であった。 一度‘身を捨てた’女性たち、特に持てるものは‘どうせ捨てた体’しかない多くの女性たちは極度の家父長的な社会で行き場がなかった。 多くの純姫たちは疲れた身を横たえるところは基地村しかないということを悟って、エレーナに成っていった。 いったいどれほど多くの純姫がエレーナになったのだろうか? 韓国戦争から今日まで、基地村を経た女性の数を関連研究論文では大概30万人ほどと推算しているが、30万人と言えばベトナム派兵将兵数と同等の規模だ。

 米国はニクソンドクトリンにより1971年3月、7師団と3ヶの空軍戦闘部隊など駐韓米軍6万2千人の内2万人余りの軍撤収を断行した。 米軍の撤収により恐慌状態に陥った朴正熙は、米軍の追加撤収を食い止めるため戦々恐々としていた。 ‘甲’である米国は '乙' である韓国に多様な経路で基地村整備に関する要求をしてきた。 米国大使館は主に韓国の基地村で韓国人が黒人兵士を人種差別することに対するニクソン大統領の憂慮を言い、米8軍側は基地村の不潔な環境と性病問題を提起した。 1971年12月に朴正熙が韓米1軍団司令部を巡視した時、副司令官イジェジョンは朴正熙に随行しながら米軍側が要求する基地村浄化について建議した。 米軍は志願兵制度を採っているが、子供を軍隊に送った両親たちが韓国が性病発病率が高く、人種差別も激しいとし子供の韓国配置に強く反対しているということだ。 駐韓米軍側はドイツや沖縄等の快適な基地村の例を挙げ韓国側に大々的な基地村整備を要求した。

 大統領府に戻った朴正熙は数年前から内閣に指示していたが、なぜ浄化できなかったのかと強く怒り、大統領府が直接事案を取りまとめるよう指示した。 担当者は政務秘書官のチョン・ジョンテクであったが、彼はセマウル運動担当官を兼任しており、基地村浄化運動は基地村のセマウル運動と呼ばれるようになる。 1971年12月31日、大統領府では10余部署の次官を委員とする大統領府直属の基地村浄化委員会が発足し、米国側の要求を積極的に受け入れ基地村の環境改善と性病予防と治療などの課題をどのように処理するかを議論した。

 米軍撤収が切迫している状況でズボンの裾でもつかむ心情で基地村浄化運動をせざるを得なかったという弁解は事実に符合しない。 基地村浄化運動が米国側要求によって始まり、推進も韓・米合作でなされたが、韓国政府は事実基地村浄化運動が公式に始まる前から基地村の整備に多くの努力を傾けていた。 朴正熙の指示で5・16軍事反乱の積極的加担者であり中央情報部ソウル分室長として強大な威勢をふるったペク・テハが主導した群山(クンサン)のアメリカタウンは米軍の快楽のために建設された計画都市であった。 1969年9月に開業したアメリカタウンは米軍のためのクラブ、食堂、美容室、各種商店、両替所に基地村女性のための500余の部屋まで備えた性売買のための自給自足型新都市であった。 女性学者は群山のアメリカタウンを政府主導の下で設立された‘軍隊娼婦株式会社’と呼ぶ。

 日本軍慰安婦制度は戦闘力を最大化するには戦場の兵士たちがセックスを楽しむのは良いが、性病による戦闘力損失を防ぐためにきれいな性を供給するという国家管理性売買システムだった。 この点で基地村浄化運動は日本軍慰安婦制度と恐ろしく似ていた。 日本軍慰安婦制度は人間が作り出した最も野蛮な制度だが、この制度を作った者は野蛮人ではなく大日本帝国の最も優秀な息子らだった。 基地村浄化運動を立案した者も韓国と米国のエリート官僚らだった。 大日本帝国の最も優秀な息子らも、自由と人権という普遍的価値を守るために日本と戦ったという偉大な米国のずば抜けた息子らも、日本から米国に主人が変わっても何変わることなく常勝疾走した植民地朝鮮の秀才らも慰安婦の人権のようなささいな、もしかしたら初めから存在しなかったものなどを無視したのは同じだった。 朴正熙に基地村浄化運動を建議したイ・ジェジョンが率直に告白したように、基地村浄化運動は基地村住民のためのものでなく駐韓米軍のためのものだった。

‘駐韓米軍 戦闘力 最大化のためセックスを楽しめるようにはするものの
性病による戦闘力損失を防ぐためにきれいな性を供給する’
それは日本軍慰安婦制と酷似した、良く言えば国家抱主制であった

令嬢 朴槿恵はその時期に、元老級の人々を集めて忠孝思想を講演したが、
底辺で社会を支える基地村女性たちの手を握ったことはない

"安保とドルのために身を落としなさい"

 基地村女性たちは清潔な肉体ときれいな性を販売するために少なくとも一週間に2回の検診を受けなければならなかった。 いくら身を売る女性とはいえ検診台に上がって男性医師に恥部を見せることは恥ずかしいことだった。 このように検診を受けてこそ検診証に印鑑を貰うことができた。 基地村の女性たちにとって検診証は身分証であり‘営業許可証’だった。 検診証を持っていなくて米軍憲兵の検問(基地村ではこれを‘討伐’と呼んだ)にかかれば即決審理に回付された。 当時、米軍の性病は驚くほど増えていた。 基地村浄化運動に対する卓越した研究であるキャサリン・ムーンの<同盟の中のセックス>によれば、1千人当り性病発生件数は1970年389件、1971年に553件、1972年692件へ急増した。 米軍部隊正門歩哨の主要任務は、外出に出る兵士たちにコンドームを配ることだったという。 検診で性病にかかっていることが摘発された女性はびしびし‘モンキーハウス’と呼ばれた性病診療所に監禁された。 反面、性病にかかった米軍人が完治するまで外出が禁止されることは絶対に無かった。 米軍人の7割が性病に関わっているものの、性病の責任はひたすら韓国女性の持分だった。 性病診療所では初めはペニシリンを投薬したが、副作用が度々生じ、頻繁な投薬で耐性ができ薬効が下がると投薬用量をどんどん増やした。 医者たちは副作用は殆どなかったと言ったが、女性たちは注射を打てば足が切れるように痛く、多くの人々が寝ながら亡くなり、トイレで亡くなり、ご飯を食べながら亡くなったと証言している。

 まだ韓国経済がまともに成長できなかった時期、基地村経済の威力は猛烈だった。 イ・ナヨン教授の研究によれば、1964年韓国の外貨収入が1億ドルに過ぎなかった時期に、米軍専用ホールで稼いだ金額はおよそその10パーセントにあたる970万ドルに達した。 韓国政府は週末の外出に出た米軍人が沖縄や日本に行って買春するのを、基地村女性たちをアップグレードさせ国内で吸収するために彼らに英語とエチケットを教育しようとした。 基地村‘洋公主’から活動家としてそびえ立ったアメリカタウンの王姉さんキム・ヨンジャの回顧録によれば当時の講師はこのような形で話したという。「フムフム、エー皆さんは愛国者です。 勇気と誇りを持ってドル獲得に寄与することを忘れてはいけません。 エー、私は皆さんのような隠れた愛国者の皆さんに感謝申し上げるものです。 米軍人が我が国を助けようとして来たので、その前で服も端正に着て、その低俗で卑しい言葉はちょっと使わないようにして下さい。」 原材料を使わずに外貨を稼ぐ産業戦士であり、米軍を捕まえておく安保戦士として、あなたたちこそ真の愛国者の誇りを持って働けという話に、そんなに良いことなら自分の娘からやらせればよいと鼻でせせら笑う人もいたし、そうだ私たちは「熱心に膣を売って男根を洗おう」と自嘲する人々もいた。

 英語講師は "メイ アイ シットダウン?" 式の教養英語を教えたが、女性たちは自分たちに必要な英語は"レッツ ゴー ショート タイム、レッツ ゴー ロング タイム、ハウ マッチ" のようなものだと考えた。 警察署や‘姉妹会’が主催するこのような教養講座に関心を持つ人はいなかったが、診症証を奪われたくなければ席を満たさなければならなかった。 日本軍慰安婦として連れて行かれた朝鮮女性たちは、学校に行ったことのない人々が大部分で日本語が分からなかった。 彼女たちは "ニッポンジン チョーセンジン テンノーヘイカ オナジネ" (日本人と朝鮮人は天皇陛下が同じです)などのサービス言語をやっつけで習ってすぐに覚えなければならなかった。

 安保戦士らしく基地村女性たちもチームスピリット訓練に励んだ。 基地村とは異なり訓練に出てきて言うのは値段だった。 米軍も訓練の合間の短い時間に欲求を解決しようとすれば前の人が少しでも長引けばドアを叩いて大騒ぎした。 このように外には長い列を作っていて、中では5分もかからないようにコトを済ませ、女性たちはかつて挺身隊として連れて行かれた人々もこうだっただろうと考えた。 そうした渦中、韓国政府は野戦に臨時保健所を作り女性たちを検診した。 女性たちのためではなく米軍のためだった。 王姉さんキム・ヨンジャはそうした場所にまで金を稼ぎに行った女たちも本当にすごいが、そこにテントを張って保健所を作った政府も本当にすごい政府だったと舌を打った。

韓米同盟は価値同盟以前に‘セックス同盟’

 米軍基地からどれくらい離れた所までが基地村であろうか? 宝山里、安亭里、ヨンジュコルだけが基地村というわけではなかった。 米軍基地はどこにでもあった。 大韓民国全体がキャンプ コリアであり、大韓民国全体が巨大な基地村だった。 米軍が去れば私たちは皆死ぬとして、米軍のズボンの裾を掴んで引っ張る者が韓国の‘指導層’である限り、精神的に大韓民国全体が基地村にならざるをえない。 私たちは全部その巨大な基地村キャンプ コリアの住民だった。 私たちが抱え主でもなくポン引きをしたわけではなくとも、私たちは私たちの両親や私たちの兄弟姉妹がそのようにして稼いだ金でご飯を食べて学校に通ったわけだ。 基地村浄化運動はいくら良く話しても日本軍慰安婦制度との関連性を否めない国家抱え主制度であった。 イ・ナヨン教授の指摘の通り、大韓民国全体が‘洋公主’が担保する国家安保に依存して、‘洋処女’が稼いだ金、あるいは彼女たちの仕事場と関係した経済構造に寄生して、一定部分米国の‘慰安婦’となって生きてきたことは否めない。

 軍隊がある所に売買春があるのは常だが、軍隊と売買春の間に必然的な相関関係があるわけではない。 サウジのようにイスラム律法が厳しい国の米軍基地前には売買春で浮かれる基地村は存在しない。 基地村浄化運動は道徳的に堕落した女性や事業主らと買春を望む米軍兵士の間の私的取引に対するものではなかった。 基地村浄化運動は米国、韓国二つの国家が緊密に協力して推進した国家的な産業であり政策だった。 韓-米同盟を語る時、価値同盟を話すのが常だが、価値同盟以前にセックス同盟があった。 米国は自国兵士たちの安全なセックスとストレス解消を望み、韓国は駐韓米軍の継続駐屯と米国兵士がばら撒くドルを望んだ。 両国は堅く手を握って基地村浄化運動を繰り広げた。

 1960年代まで米軍犯罪に関する記事は新聞にしばしば載った。 しかし基地村浄化運動とほとんど同時に始まった維新時代の新聞紙上には米軍犯罪に関する記事は見つけるのが難しい。 政府は基地村女性たちを安保戦士であり産業の担い手だと持ち上げたが、実際彼女たちの人権と権利を保護するためには何もしなかった。 ‘混血’の子供たちは米国で養子に出され、一人ぼっちで残った彼女たちは今は老いて病気にかかった体で孤独な毎日を送っている。 去る8月31日、基地村女性人権連帯が発足した。 これまで基地村女性たちのために活動してきた人々が先に旗を掲げたが、どうしてこの問題が基地村女性人権連帯だけの課題だろうか? 巨大な基地村キャンプ コリアの住民皆がこの問題と関係なくはない。 基地村女性問題はすべての国民が責任を負わなければならない問題だが、国家抱え主制を建設し運営した首長のお嬢さんである朴槿恵候補は格別の責任を感じ、それに相応しい行動をしなければならない。 彼女たちは社会がほんの少しだけドアを開けてさえいれば、自分たちがこのように生きはしなかったと今痛恨の涙を流している。 彼女らが間違いなく安保戦士だと言うならば当然に国立墓地に迎えなければならないのではないのか? 国立墓地の門を開けてほしいと言葉には出さない。 ただし、彼女たちに向かって堅く閉ざされている私たちの社会の門、私たちの心の門を開かなければならないだろう。 その門を一番最初に、最も早く開かなければならない責任は他の誰よりも朴槿恵候補にある。 公主(王女)と洋公主はたった一文字違いだが、その間に我が国のすべての女性が入る。 令嬢朴槿恵はその時期に自身より2~3倍も齢を召した校長先生や元老級の社会人士を集めてセマウル精神鼓吹というタイトルで忠孝思想を講演したが、本当にこの社会を底辺で支えた基地村女性たちの手を握ったことはない。 朴槿恵候補よ、女性大統領を標ぼうするなら同時代を生きた同年輩の女性たちの犠牲に先に敬意を表わしなさい!

ハン・ホング(韓洪九)はおもしろい現代史コラムの世界を開いてくれたヒゲオヤジ歴史学者。聖公会大教養学部教授、平和博物館常任理事として仕事をする。 2004年から3年間、国家情報院過去史委員会で活動し、<ハンギョレ> <ハンギョレ21>に‘歴史の話’と‘司法府-悔恨と汚辱の歴史’を連載した。著書に<大韓民国史> 1~4巻と<特講>、<今この瞬間の歴史>がある。

韓国語原文入力:2012/11/30 17:08
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/563197.html 訳J.S(6361字)

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