特集ワイド:続報真相 どないなんねん「堺の乱」 「大阪都構想」命運かけ来月市長選
毎日新聞 2013年08月23日 東京夕刊
「あの時、都構想はまだ世に出ていなかった。橋下さんの応援はありがたかったが、市民の利益に反することはできません。府と堺市に二重行政はない。うちにとって都構想は百害あって一利なしだ」
法定協への参加すら拒んでいる竹山市長への維新側の憤りは強い。「協議のテーブルにさえつかないのは住民の負託に応えていない証拠。『堺民族主義』をあおっているだけです」。大阪維新の会の大阪府議団幹事長、今井豊府議は声を荒らげる。
シティー・プライド、堺民族主義……どう呼ぶにせよ、この都市の個性を知らずして市長選を読み解くのは難しそうなのだ。「堺」ってどんなまちなんだろう。
歴史を振り返れば、改めてその独自性に気付かされる。
特に輝きを放ったのは中世〜近世の初めだろう。豪商の活躍を描いたNHK大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)もこの時代が舞台。15世紀の応仁の乱以降、貿易拠点として成長し中国大陸や東南アジア、さらにスペインやポルトガルとの取引が始まる。莫大(ばくだい)な富を得た堺商人らは会合衆と呼ばれる自治組織を結成。都市の周囲に環濠(かんごう)を巡らせ、雇い兵を配置して防衛した。16世紀には宣教師のザビエルやフロイスが訪れる。フロイスは堺のことを「東洋のベニス」と書き残している。
この財力に目を付け、直轄地にしたのが織田信長だ。信長が武田騎馬軍団を打ち破った長篠の戦い(1575年)で使われたのは堺で生産された鉄砲だった。後継者の豊臣秀吉は大阪に堺商人を強制移住させる一方、環濠を埋め立て無力化する。豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣の戦災で町は焼失し、「黄金の日日」は終わりを告げた。
明治維新後の1868年には「堺県」が設置され、一時は奈良県全域を含む広さに。だが1881年には大阪府に合併され、「大堺」は消えた。
「堺の人々はしぶとく『大阪に負けてなるものか』という気概を持ち続けてきた」。そう語るのは1984年に「てんのじ村」で直木賞を受賞した作家の難波利三さん(76)。約30年間、堺で暮らす。
「その象徴が2006年の政令市への移行です。『大阪と肩を並べた、新たなスタートだ』と喜ぶ知人がいかに多かったか。生活に大きな変化はなかったのに、私もそんな気持ちになったものです」